■「鳴らぬ音色に耳を澄ませて」■
青谷圭 |
【7061】【藤田・あやこ】【エルフの公爵】 |
どこにでもあるような、若干寂れたビルの上階。「浅見探偵事務所」の看板が掲げられたそのドアをノックする。
すると狭く薄暗い部屋の中、一人が黙々と書類の整理をし、もう一人は光の差し込む窓を背に、優雅に紅茶をすすっていた。
ショパンの曲が流れる中、正面の大きな机に寝そべる黒猫を撫でていた女性は、その人物に気がつきニッコリと微笑む。
「あら、お客様?」
カップを横に置いて立ち上がると、猫も机から飛び降りる。
「はじめまして。所長の浅見 麻里ですわ」
スーツ姿の浅見が自己紹介すると共に、黒猫が名刺をくわえて差し出した。
「本日はどういったご用件で? 依頼かしら。それとも取材? 就職希望?」
ヒールの音を響かせながら、浅見はついたてを隔てただけの応接室に通してくれる。先ほど書類を整理していた女性が、無言でコーヒーと紅茶を用意する。この場合、紅茶は勿論浅見のものだ。
「事務所が狭くて驚かれたかもしれませんけど、捜査員は捜査をするものですもの。事務所に常駐している方がおかしいでしょう。ここにいるのは所長と事務員だけで十分ですわ」
優美な笑みを浮かべたまま、とりあえず基本的な説明を始める。どんな用件にしても、ここだけはハッキリ伝えておきたいらしい。
「当事務所では、猫探しや浮気調査から事件まで幅広く請け負っております。心霊関係の特別所員も雇ってますのよ。メイン担当は一つの身体を二つの人格が共有する双子ですから、依頼も取材も彼らにお願いするのがいいと思いますわ。逆に言えば……就職希望なら、彼ら以上の能力をお見せいただかなければなりませんけど」
浅見は新しい紅茶に口をつけ、カップをソーサーに置くともう一度目の前の客を見据え、微笑んだ。
「それで……ご用件は何でしたかしら?」
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「鳴らぬ音色に耳を澄ませて」
「嫌です!」
藤田 あやこは、青年の言葉に絶句してしまう。
『探偵事務所』に仕事を依頼しに来て、『調査員』だと紹介された人間が、よもや真っ向から拒絶するとは思わなかったのだ。
しかも、この青い瞳に灰色の髪をした青年は気弱なタイプに見えたので尚更だ。
「龍弥くん、落ち着いて頂戴」
ため息と共に、所長である浅見が言った。
「浅見さんにはわからないんです! ともかく、僕は嫌だ。殺人事件にだけは、関わりたくない……っ」
「話にならないわね。神弥くん、聞いているんでしょう。出てきてちょうだい」
浅見の声かけに、青年は突如顔をおおい、うずくまるようにして動きを止めた。
そして、顔をあげたとき……彼の目つきも表情も、人が違うように強気で傲慢なものになり。その瞳の色は、緑色に変わっていたのだった。
あやこが浅見探偵事務所のドアを叩いたのには、理由がある。
社員寮による、密室殺人事件。警察は匙を投げたが、容疑者として自分の抱える社員たちがあげられているのはおもしろくない。
ライバル会社の呪術である可能性も高いので、調査を依頼に来たのだ。
「とりあえず、現場を見せてくれ。詳しい話はそこで聴く」
ズボンのポケットに手を入れ、横柄な態度で神弥が言った。
浅見から話は聞いていたものの、一つの身体を共有する双子というのはこういうものなのか、と改めて驚いてしまう。
妖精や妖怪との面識は広いが、目の前の青年は特殊ではあるが『人間』なのだ。
「神弥くん、っていったわよね。もう一度、事件について話した方がいいのかしら」
事務所を出て振り返りもせず歩いていく神弥を、あやこは鞄を抱えて小走りに追いかけた。
仮にも顧客である自分を置いていくなんて、全く礼儀がなっていない。
「必要ない。龍弥の中で聴いていたから」
「……龍弥くんは、どうしてあんなに嫌がっていたの?」
「気にするな。アイツは臆病なだけだ。……殺人現場ともなると、聴こえる声も悲惨だろうからな。耐えられないんだろうよ」
この双子は、龍弥が人には聴こえぬ声を聴き、神弥は人には見えぬものを見るのだという。どちらも苦労はあるだろうが、気弱で繊細な感じのする龍弥には、厳しいものなのかもしれない。
とはいえ、探偵事務所に所属し、それも心霊調査の担当ともなれば殺人事件を嫌がってもらっては困るのだが。
「ここか」
現場である社員寮の地下室に着くなり、神弥は考え込むようにつぶやいた。
ゆっくりと足を進めていく後をあやこが追う。
中に入ると、まずは重たげな鉄の扉付近に、何かを燃やしたような焦げ跡が目に付く。
部屋は6畳程度の広さで、中は空だった。
「壊れた車椅子は撤去したけど、他は事件当時のままよ。ここは元々リネン室だったのを倉庫にしたんだけど、湿気がひどかったから使ってはいなかったの」
周囲を見渡しながら、語るあやこの声が、部屋の中に響き渡る。
神弥は屈み込み、焦げ跡と扉の検分をしていた。
「何か見えた?」
「事件に関係あるかどうかはわからないがな。……それで、被害者が倒れていたのはどの辺りだ?」
神弥は見えたものの説明はせず、立ち上がってあやこに声をかける。
「部屋の中央辺りよ」
「車椅子があったのは?」
「扉の近くね」
「……半身不随の被害者が、自力で歩いていったってわけか。いや、ほふく前進でもしたのかもな」
くくっと笑う神弥に、あやこはムッと顔をしかめる。
「冗談言ってる場合? そもそも、彼女は溺死だったのよ。天井と床が濡れていて……」
「聴いてるよ。容疑者は配管工、元祈祷師で人工降雨の研究者、どこでも潮流を噴出させる芸を持つ蟹の妖怪……あんたの妖怪俳優事務所に所属してるシオマネキ男、だったか。そして第一発見者の清掃員だ。残っていたメールからグループ交際のもつれも疑われたようだが、関係は良好だったというし、除外してもいいだろ」
すらすらと言いながらも、彼の視線は天井の一点に集中している。何か見えているのかどうか、あやこにはわからない。
「それで、どうなの?」
「普通に考えて、配管工と清掃員、研究者は関係ないな。まず配管からの水漏れではないし、溺死にもつながらない。清掃員にしても、無理やりにバケツの水で溺れさせたと考えても、天井にまで水をまく意味がない。最後に人工降雨だが、雲のあるところで雨を降らせるものだから地下の密室には関係ない。それは祈祷の場合でも同じだ」
ざっと一息に答える神弥。それはさきほど容疑者をあげたときと同じくらいに淡々とした、推理ではなく事実を述べるような言い方だった。
心霊担当と聞いていたが、どうやらそれに偏らない調査が望めそうだ。
「じゃあ、シオマネキ男が犯人だと?」
「そうは言ってない。事件当日、ここに来たことは間違いないけどな」
神弥の言葉に、あやこはぐっと息を呑んだ。
「それは……推理? それともリーディング?」
「後者だ。ついでに言えば、天井と床が濡れてるのもそいつの仕業だな」
「決定的じゃない!」
「いや」
あやこの言葉に、神弥は首を振って扉を見る。
「その後、蟹妖怪は部屋を出てる。女が一人残って鍵を閉めた……ただその後の行動が、俺には意味がわからない」
「何をしていたの? まさか、自分からそこに飛び込んだとか……」
「『何か』の目的で『あること』をした。そして『何ものか』に殺された。だがその相手と目的が曖昧でわけがわからない。……被害者は、妙は魔術や宗教に手を出してたのか?」
「聞いていないわ」
神弥は考え込み、扉近くの焦げ跡に目をやる。
「何をしたのかは、見えたんじゃないの?」
そこだけ言葉を濁そうとする神弥に、あやこは苛立つような口調で尋ねた。
「それを、口にしていいのかどうかを悩んでる。もし魔術や宗教がからんでいたら、それは組織的なものだ。その可能性は?」
「あると思うわ。ライバル会社は多いもの。呪術で蹴落とそうとする人間も中には……」
「だとしたら、俺は手を引く」
「はぁ!?」
両手を軽くあげて降参のポーズをして見せる神弥に、あやこは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
「当たり前だ。探偵の仕事は、あくまでも調査で組織に立ち向かうことじゃない。ライバル会社の呪術だってんなら本人たちの問題だからな。どうもできない」
「どこの会社の誰がやったか、突き止めるのも調査のうちでしょ!?」
「突き止めたところで、呪術は法じゃ裁けない。『まさか本当に死ぬとは思わなかった』それで終わりだ」
あやこの叫びをよそに、背を向けて地下室から出ようとする神弥。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
その声かけに、効果はあったのかどうか。
不意に彼は床に頭を押さえるようにして床にうずくまり、電池が切れたかのように動きを止めた。
普通なら、気分が悪いのかと危ぶむところだ。だが先ほどの入れ替わりを見ていたあやこは。
「……龍弥、くん?」
戸惑いと共に尋ねかけると、彼はゆっくり後ろを振り返った。
その瞳は、最初に会ったときと同じ、青色をしていた。
「これは、呪術なんかじゃありません」
焦げ跡に屈み込みながら、龍弥は言った。
「恨みや怒りの声は、聴こえないんです。ただ……」
すくっと立ち上がった龍弥は、倉庫の中を見渡し、そっと目を伏せた。
「哀しみだけが、響いています」
そうつぶやいた龍弥の方が、今にも涙を流してしまいそうに見えた。
だが彼はそれをこらえるように顔をあげ、真っ直ぐにあやこを見る。
「本当は、関わりたくはなかった。だけどこのままじゃ、あまりに彼女が報われない。……藤田さん。手伝ってもらえませんか?」
真摯に頼み込む龍弥に、あやこは笑みを浮かべる。
「最初から、そのつもりだわ」
自分の経営する会社で働く社員が殺され、別の社員たちが容疑者にされた。
それはただ不名誉なだけではなく、あやこにとって実にやるせない出来事だった。
犯人を見つけ、事件を解決する。それができないなら、せめて謎だけでも解明する。秘密裏に行なわれるものではなく、自分自身がそれを確かめなくてはならないと、そう思っていたのだ。
「それで、何をすればいいの?」
「……神弥の見たものは、僕には見えませんけど。何が起こったのか、教えてはくれました。僕にも、その意味はわかりません。だけど、あなたにならわかるかもしれない」
「何故そう思うの?」
「彼女が、そう言っているんです。『あやこさん、教えてください。彼は誰。彼は誰? あなたなら、きっとそれを知っているはず……』」
「あのコが?」
あやこは驚いて、周囲を見渡す。
被害者は、まだ18歳の若い女性だった。新人でミスも多かったけれど一生懸命で、よく笑って……あやこのことをよく慕っていた。
しかしだからといって、私生活でも交友が深かったというわけではない。
犯人に心当たりなどあるはずもなかった。
「でも、おかしいわ。どうして犯人が誰かを私に聞くの? 彼女は、その姿を見なかったの?」
「いえ、見ています。だけど『わからない』んです。確かに知っているはずなのに思い出せないと。神弥も『水の妖精らしいが、見たことはない』そうです。あなたは……確か、エルフなんですよね。妖精には詳しいんじゃないですか?」
「え……そ、そうだけど」
いきなり言われても、戸惑うあやこ。
「とりあえず、知っている水の妖精をあげていってください。種族の名を出せば、彼女も何か思い出すかもしれません。そうでなければ……犯人はわからないままだし、捕まえようもないんです」
「わかったわ、ちょっと待って。水の妖精……ウンディーネ、セイレン、ローレライは有名すぎるわよね。ケルピーやナーガも見た目でわかりすいし、後は……そうね。ヴィラ、グロアッシュ、フネット、オタリアン……」
次々と名前をあげていくが、龍弥は目を伏せたまま、どこか別の場所に耳を傾けているようだった。亡くなった女性の反応を窺っているのだろう。
いくらエルフだとはいえ、あやこは元人間だ。住む場所の異なる各地の水の精を全手答えるというのは至難の業だろう。
しかし『あなたなら知っているはず』とまで言われてしまうと、何とか探し出さねばいけない。自分の記憶を探りながら、必死に種族の名をあげていく。
「ネッカーでしょ、ランジュワッペル、それから……そうね。えっと……マリ・モルガン!」
ビシッと、空気がひび割れるような音が聞こえた。
「……モルガン。藤田さん、モルガンというのはどういう種族なんですか?」
「海の中にガラスや珊瑚の宮殿をつくって住んでいて、人間をそこに招きいれることもあるとか。海のハープを奏で、平和を愛する高貴な存在だと聞いているわ」
「人を招きいれることに関して、伝説なんかは?」
問われて、ハッとする。
「人間の女性に一目ぼれをしたモルガンの王子が、彼女を宮殿に連れていくのだけど、父親である王様が許さなくてその女性に無理難題を押しつける、といった話があるわ」
「例えば……ろうそくの火をもたせて、それを一晩中消してはいけない、といったことですか?」
あやこは焦げ跡に目をやり、それからこくりとうなずいた。
「伝承では、王子がその女性と別の女性を入れ替わらせるの。それで結婚はするんだけど、人間の彼女は家族に会いたいと嘆いて家に帰る。太陽が沈むまでに戻れと言われるけれど、その言葉も宮殿での記憶も、なくしてしまうの」
ざぁっ。
不意に、地下室の天井から滝のような水が溢れ出した。
それは床に落ちても広がることはなく、吸い込まれるように消えていく。
一本の水柱が、部屋の中央に現れたのだ。
「……呼んでる」
「行きましょう」
即答するあやこに、龍弥は驚きの顔を向ける。
「危険ですよ」
「当事者が言いたいことがあるというのに、聴かない手はないでしょ。私には声も聴こえないし姿も見えないから尚更ね。本当のことが知りたいの。動機や事情も含めた、全てのことが」
微かに震える手を握りしめ、あやこは毅然と言い放つ。
「わかりました。じゃあ、行きましょう」
龍弥は微笑み、手を伸ばした。
海底には、透明で水を通さない、ドーム状の壁があった。
田園が広がり、陸にある木々や草花が育っている。
海草や珊瑚礁など、海のものも並び、独特の空気をかもし出している。
「よく来てくださいました」
声をかけたのは、若干小柄ではあるが小人というほどではない男だった。
海を映したような青い瞳をして、緑色の衣服を着ている。
貝の形をしたカブトからは海草が腰元まで垂れ、隙間から金色の髪の毛が覗いていた。
「あなたが……彼女を殺したんですか?」
あやこは、単刀直入に尋ねた。
「ええ」
対するモルガンも短く答える。
「彼女は、私の妻になると誓いました。けれどそれを忘れ。あろうことか、他の男に恋をした。……私は、待つつもりだったんです。いつかは私を思い出し、戻ってきてくれると。なのに彼女は……っ」
伝承の中で、記憶をなくした女性は恋人を思い出し、もう一度その世界へと戻っていった。
人間との恋には、よくあることだったのかもしれない。
「それは、違います」
龍弥がぽつりと、小さくつぶやく。
「私は見ていたんだ。彼女の視線の先を。熱い瞳を。そして……ついに彼女は、その男を密室に呼び寄せた」
「……シオマネキ男のこと?」
「ですから、それが誤解なんです。彼女がその人を見ていたのは……水がどこか、懐かしい気がしたから。それで、彼に水柱をつくってもらった。ろうそくにしてもそうです。思い出せないまでも、必死にあなたに近づこうとしていたんです!」
龍弥は、必死になって声をあげた。
古くからの友人を弁護するかのように、彼女のこと語る。
「……そんな、バカな」
「僕は、見てはいないから。神弥が見たのはあなたじゃないと思いたい。だけど……あなたなんですね?」
問いかけに、モルガンは答えなかった。
ただ無言のまま足をつき、床にうなだれた。
真っ青な海底を映し出す透明のドームが、ただ美しくて。
あやこも、龍弥も。無言のままそれに目をやった。
すれ違いから生まれた、哀しい事件。こんな風に事実を暴いたところで、本当に彼女救うことができたのだろうか。下手に触れて思い出せることで傷つけたのではないかと、あやこは思った。
そのとき。
ふわっと、風が通り抜けて。
『ありがとう』という小さな声が、その耳に届いた気がした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号:7061 / PC名:藤田・あやこ / 性別:女性 / 年齢:24歳 / 職業:女子高生セレブ】
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■ ライター通信 ■
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藤田 あやこ様
はじめまして、ライターの青谷 圭です。ゲームノベルへのご参加、どうもありがとうございます。
今回は密室殺人事件の調査依頼であり、超常現象に傾くの可、とされていたのでこうした内容で書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
ご意見、ご感想などございましたら遠慮なくお申し出下さい。
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