■奇跡の欠片、その代償は涙の雫■
笠城夢斗
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】
 いつもの通り、眠っていた。それが日常。
 起き上がっていてもやることはない。
 目を覚まさせられた時に、やらされることはろくなことじゃない。

 それでも、クオレ細工をするのが嫌いなわけでは、なかった。

 街に出られない宿命。いつ頃からだったろうか。
 思い出すのはもうやめた。

 ある日気が向いて、寝転がったまま今までに出会った人々を思い返してみた。
 ――色々な人がいた。
 胸が、ずきずきと痛んだ。頭が、がんがんと揺れた。
 ――ああこれが、他人の記憶まで共有することの代償なんだなと少年は思う。

 代償は構わない。
 忘れたいとは思わない。
 ――そう。
 忘れたいとは、思わない。

     ――それは許されないこと――

「………!?」
 フィグは起き上がった。
 倉庫からつながっている入り口が開いていた。そこにいつの間にかルガートがいて、気まずそうに立っている。
 フィグは凍りついた。
 ルガートの胸元にいる、小さな小さな存在を見つけて。

     ――他人の記憶をためておくのは、禁忌――

「―――!!」
 声にならない悲鳴を上げた。フィグは壁まで逃げた。しかし小さな小さな存在は――妖精、と呼ばれる存在は、遠慮なくフィグの近くまで寄ってきた。
「い……いやだ……」
 フィグは必死で頭を振る。
 胸がずきずきする。頭ががんがんする。それでも。

     ――これは、あなたを楽にするための儀式――

「やめてくれ……お願いだ……!」
 がくがくと膝が震えた。
 逃げられないと知っていた。
 妖精が、小さな妖精が胸に抱いている、ほんの一雫のそれ。
「いやだ……やめてくれ……!」
 ――ルガートが近寄ってきて、
「……ごめんな、フィグ」
 自身泣きそうな顔をしながらフィグの体を壁に押さえつけた。
 妖精がフィグの口に、その雫を流し込む。
 吐き出したかった。けれどたった一雫、口の中にしみこんで消えなかった。

     ――この奇跡の雫なら――

 何が奇跡なものか!
 そう、悪態をつきながら、彼はすうと血の気が引くような感覚に襲われる。

     ――大丈夫――今回は人を、連れてきたから――

 何が……大丈夫な……もの、か……

 そして、少年は眠りの底に落ちた。
 胸の痛みを抱えたまま、で。

     +++ +++ +++ +++ +++ +++ +++ +++ +++ +++

「ここが……フィグ、の、精神世界……」
 妖精に言われて、ルガートは愕然とした。
 ここがフィグの精神世界?
 フィグの心の中?

 きぇえええええうごおおおおぎゃあああああひゃあああはっはっは

「――どう考えても、魔物の巣窟じゃないか!」
 ルガートは奇声を上げる周囲の生物を何度も指差した。
「仕方、ない、の……」
 妖精はか細い声で言って、それからふっと視線を横にずらした。
 頭を抱えて泣いている少年がいる。
 フィグがいる。
「フィグ……解放、して、あげる、から……」
「いやだ……いやだ……!」
 フィグはただそれだけを繰り返して泣きわめき続ける。
「この魔物はどういうことだよ!?」
 たまらずルガートは、妖精を怒鳴りつけた。
 ルガートも初めてだったのだ。フィグと出会ってから初めて。妖精が訪ねてきたのは初めて。
 妖精はルガートを見て、
「この、魔物、たちは……フィグが、今までに……見てきた……他人の、記憶……」
「………!?」
「……他人の、記憶を、自分の、記憶の、傍に……置くのは、危険……どちらかを、消さなければ、どちらかが、消える……」
 妖精は小さく、しかし淡々と言った。「下手をすると……自分の記憶が……消える……」
 だからね、と妖精は続けた。
 人は、他人の記憶を拒絶するの。
 自分の記憶とは一緒に置かないの。
 ――他人の記憶を、消そうとするの。
「だから……他人の記憶が、魔物化してるってのか……?」
 ルガートは呆然とつぶやいた。「これは、フィグがやっているっていうのか……!?」
「そう……フィグが、無意識に……他人の記憶を、拒絶するため……」
「――フィグが他人の記憶を拒絶したがるはずがねえだろ!」
 ルガートは大声をあげた。
 きええええええ
 反応して、魔物がうねった。
「でも……事実こうなっているの……」
 妖精は悲しそうに、しかしきっぱりと言う。
「だから、消さなきゃならないの」
 妖精は問う。
 だってそうでしょう?
 このままじゃかの少年の頭は他人の記憶に侵食される。
 少年は記憶から壊れてしまう。
 他人の記憶をためておくのは禁忌。
 ――これはすべて、少年自身のため。
「ね……フィグだって、無意識とは言え……他人の記憶を魔物化させてしまう……くらい……拒絶してる……もの……」
「それは……!」
「……本人は……それを認めたくなくて……ああしてうずくまっちゃってるけど……」
「………っ」
 ルガートはフィグの姿を見る。
 涙が流れてきた。
 何もしてやれないことを知っているから。
「魔物退治……」
 妖精はつぶやく。
「無責任だけど……。人に、任せよう……」
記憶の欠片、その代償は涙の雫

 他人の記憶を覗く少年が、今、苦しみの渦に包まれて。
 その一番の友人が、なすすべなく涙を流して。

 ――他人の記憶を抱えてはいけない――

 そのたったひとつの事実のために。

     ++ +++ ++ +++ ++ +++ ++

「他人の記憶を溜め込むことは、禁忌です……」
 小さな小さな妖精は言う。
 ここはフィグという少年の精神世界。
 ぐぎゃおぇええええああうおああああ
 奇声を上げる魔物たち。
 ――フィグが、無意識に魔物化させた他人の記憶。
「あ、う、あ」
 フィグは頭を抱えてうずくまってしまった。
「俺には……どうしようも……」
 フィグの一番の友人であるルガートが、嗚咽をこらえてうつむいている。
「だから……皆さんに来て頂きました」
 妖精は連れてきた冒険者たちを促した。
 ほとんどが、以前――妖精が頼んで、フィグの精神世界に入るための『奇跡の水』を取る手伝いをしてくれた人々だった。
 彼らは魔物でいっぱいの世界を見て呆然とする。
「お願いします……フィグの中にある他人の記憶を……消して……」
 妖精は頭を下げた。

 魔物たちのうめき声が耳障りだ。
 自分から攻撃してくるような様子はないようだが、どうしようもなく醜い。泥のような、流れる意思あるマグマのような。
「この前の妖精じゃねぇかと思えば……こういうわけであの清流の水が必要だったってのか」
 もう一度『お願い』されて、理由もよく分からず連れてこられた冒険者たち。
 葉巻の煙をふーと吹いて、金髪を後ろに流した大柄な男、トゥルース・トゥースは妖精を見やる。
「あれが、フィグの中にある他人の記憶、か……」
 流れるような金髪の前髪をかきあげながら、くわえ煙草でディーザ・カプリオーレはつぶやいた。
「はい。フィグが拒絶しているのがよくお分かりになるでしょう……」
「拒絶ねえ……」
 ディーザはじっと魔物たちを見つめる。
「……私はフィグ殿と面識がない。故に、詳しい経緯はわからぬのだが……」
 銀灰色の長い髪のアレスディア・ヴォルフリートは、うずくまっている少年を見つめた。
「フィグ殿は他者の記憶を見ることができるのだな?」
「そうだね」
 ディーザが代弁する。彼女はフィグに記憶を見てもらったことがあった。
「その記憶が積もりに積もって、あのような姿になった、と」
「そうです」
 妖精が胸に手を当てて言う。「……フィグが苦しんでいます。お願いします」
 アレスディアは困ったように、フィグを見た。
 長い黒髪の少女が、フィグの横にかがんだ。
 千獣。彼女も過去にフィグに記憶をみてもらったことがある。
「ぃぐ……」
 相変わらず正しく発音できないまま少年の名を呼ぶ。
 少年は反応しない。
「俺の大事な記憶が、フィグを……」
 呆然とつぶやいたのは、グランディッツ・ソート――通称グラン――だった。
 外見は14歳ほどの少年にしか見えないが、彼は小人族だ。実年齢は現在20歳である。
 彼も、以前フィグに記憶を見てもらったことのある青年だった。
 一歩魔物に近づいて、う〜むとうなった大柄な男がいた。
 鬼眼幻路。眉を寄せて、
「……あの魔物達は誠に、他者の記憶なのでござろうか?」
 妖精に向かって言った。
「え……」
 妖精が、思わぬことを聞かれたとでも言うような顔をする。
「フィグ殿が見た他者の記憶……それはつまり、もう、フィグ殿の記憶なのではござらぬか?」
「私もそう思う」
 アレスディアが声を上げた。
「……あれは、他者の記憶とはいえ、すでにフィグ殿の記憶なのではないだろうか」
「でも確かに、フィグは苦しんでる」
 グランは苦しげに拳を胸に当てる。フィグを見つめて。
 ――大切なことを教えてくれた。
 つらい記憶ではあるけれど、それは俺の中にだけあればいい。
「そんなに苦しめているなら……」
 グランは剣を抜く。
「この場で壊してしまうしかないのか……」
「待った」
 ディーザが少年を制した。そしてフィグの元に歩いていくと、
「フィグは記憶を消すの嫌?」
 うめき声が却って来た。フィグの元にかがんで、ディーザは妖精を仰いだ。
「消した方が楽だってのはキミが良い方法だと思うだけで、フィグはNOって言ってる」
「そ、そんな……」
「別の方法を探すべきだよ」
「俺も魔物を消しちまうのは反対だな」
 トゥルースが魔物を前にしながら葉巻をふかした。
「まぁ、個人ってのは記憶によって成り立つ。他人の記憶ばっか見てたら、自分なのか、その他人なのかわからなくなってくるってのはわかるけどな」
 つと視線をフィグに向けて、
「だがよう、記憶見てるのは、結局のところフィグ、お前さんじゃねぇのか?」
「………」
 フィグは動かない。トゥルースは続ける。
「例えとしちゃ浅いかもしれねぇが、どんな真に迫った芝居を見たって、芝居の中に入り込んだって、芝居の中の人間にはならねぇ。芝居を見てんのは、入ってんのは、間違いなくお前さんなんだからよ」
 葉巻の灰が足元に落ちた。
 フィグの体がびくんと震えた。
「おっと。いけねえ、悪ぃな。ここはお前さんの精神世界だったか――」
 トゥルースは葉巻を携帯用灰皿に押し込むと、吸うのをやめた。
 それを見て、ディーザも煙草を同様に消す。
 改めて、トゥルースはフィグに向けて言う。
「例え同じ芝居を……記憶を見たって、感じ方はお前さんとその記憶の本人とは違うはずだ」
「……このような話がござる。猿は、鏡に映った己の姿を敵と思い威嚇するそうでござる」
 幻路がおごそかに言った。「あの魔物たちもフィグ殿が無意識に恐れるが故に、あのような姿に見えているのでござろうな」
「お……」
 フィグが初めて、声を発した。
「恐れて……いる、つもり、なんか、なかった……」
 聞き取りにくい泣き声で。
 悲しい悲しいひとりぼっちの声で。
 千獣が優しくフィグの背中を撫でる。剣を抜いていたグランが、惑うように視線を揺らす。
「無意識、でござるよ、フィグ殿。……他人の記憶も最初はやはり異質故、仕方がないのかもしれぬ」
 幻路は妖精を見た。
「フィグ殿の認識が変われば、あの魔物たちも変わる」
「あ、あの……」
「妖精殿の言いたいこともわかるのでござるよ。しかし、楽という方法は最良の方法ではござらぬ」
 妖精が動揺する。そんな妖精に背を向けて、幻路はフィグの元へと行った。
「……フィグ殿、他者の記憶を見ているうちに、自分が誰かわからなくなる恐怖。わからぬでもない」
「………」
「だが、お主が誰かなど、決まっておる。お主が誰のどのような記憶を見ようと、見ているのは――」
「幻路」
 トゥルースが止めた。「その先はこいつに言わせてやんな」
 示す先は、涙を流していたルガートだった。
「……見る限りではこいつが一番フィグに近い人間だ。こいつの言葉が一番効くだろうよ」
「ふむ」
「自分一人じゃどうしようもねぇときもあらぁな。だからよ、そんなときはお前」
 トゥルースがルガートの肩を引き寄せた。「ルガートってのか。お前さんがこいつに教えてやんな」
「な、何を……」
 ルガートが戸惑いながらも、
 しかし真剣なまなざしで、
 トゥルースのいかつい顔をまっすぐ見つめる。
「……『お前は間違いなく、フィグだ』ってな」
「―――」
「ダチなんだろう、お前さんら」
 ルガートは涙を拭って、うなずいた。
 近づいてきたルガートを仰ぎ見ながら、ディーザは言った。
「要点は二つ。一つ、他人の記憶かもしれないけどそれを見たのはフィグで、だったらあの魔物はもうフィグの記憶だっていうこと」
 これは誰もが言っていること。
「二つ、とはいえ、何でもかんでも溜め込みすぎるといけない」
 だから、フィグ――
 フィグに視線を下ろして、その黒髪をくしゃくしゃ撫でながらディーザは言った。
「記憶を少し心の棚に整理しよう?」
「………」
「しまったままにしちゃうかもしれない、でも、ふとしたきっかけで引っ張り出すかもしれない」
 そう――
「その棚の鍵はクオレ細工でどう?」
 それから優しく囁いた。
「心の棚に整理する。そういうのを『忘れる』っていうんだよ」
「わ……すれ、る……」
 フィグのかすれた声がする。
「『忘れる』ことと『失う』ことは違う」
 ディーザは言い聞かせた。
「……フィグは、今まで見た記憶をとっても大切にしてたよね」
 くしゃりと少年の髪を乱したまま、ディーザは微笑んだ。
「その反面、自分を侵食されるんじゃないかっていう気持ちもあって、辛かったと思う……」
 そして、少しの間の後。
「よく頑張ってきたね」
 さらっと少年の髪の毛から手を離し、
「でも、あの地下の部屋と同じ、散らかしすぎは駄目。少し、整理しよう?」
 倉庫の地下の、少年が住む部屋は、やけに散らかっていた。
 まるでそれが少年の心だとでもいうように。
 その様子を見つめながら、アレスディアは微笑んで妖精に向き直った。
「今のフィグ殿は、他者の記憶を見てきたうえに成り立っている。他者の悲しみも苦しみも、喜びも知ったうえで、今のフィグ殿はいる」
「でも……」
「あの魔物を消すことは、今のフィグ殿を消すことに他ならない」
「………」
 それだけ言って、フィグの元へ行くと、
「……それでも、フィグ殿が記憶を消してしまいたいと望むなら、それも良い。他者が何をどう言おうと、最後に決断を下すのはあなただ。私はあなたの矛となって、あの魔物たちを消す」
 穏やかな声でアレスディアは告げる。
「けれど、あの魔物たち……記憶と共に生きていく覚悟ならば、私はあなたの盾となる」
「………」
 フィグの泣き声が、いつの間にかやんでいた。
「魔物たちを拒む盾ではない。痛みも苦しみもあなたと共に受け止める、そんな盾になろう」
 さあ、
「どうされる……?」
 ルガートが、フィグに次々優しい言葉を投げかける冒険者たちを驚いたように見回していた。
 グランが、どこかほっとしたように、その様子を見ていた。
 ――もしも魔物を滅することになったなら、その時は遠慮なくやるつもりだった。
 だが、決していい気分ではないだろう。
 フィグ。他人の記憶を覗く少年。
 他人の記憶から物を作り出す少年。
 他人の記憶から生まれた物を、美しく飾る少年。
 ――きっと誰よりも『記憶』を大切にする少年。
「ぃぐ……」
 千獣がたえずフィグの背を撫でながら問うた。
「記憶……消し、た、い……?」
 その時になって、ようやくフィグのうなり声のような声が響いた。
「消したい、わけがない……っ!」
 みんなみんな、俺の大切な記憶だった。
 頭がパンクしそうになっても、抱えていたいと願った記憶たちだった。
 それを――こんな風に醜い姿に変えてしまっている事実。
 認めたくなくて。
 自分が憎くて。
 顔も上げられなくて。
 そんな自分が情けなくて。
 妖精が来るたびに――
 こんなことが繰り返される、それが嫌で嫌で嫌で。
 逃げている自分、それを思い知らされるのが怖くて怖くて怖くて。
 すべてをひっくるめて自分がみじめでみじめでみじめで。
 そんなことを思う自分が――滑稽で。
 ――千獣がかすかに微笑んだ。
「いぐ……私、と、一緒に、記憶……見て、くれた……」
 懐かしそうに、その時のことを思い出すように。
「……その、記憶、に……いぐ、苦、しんで、いる……」
 相変わらず正しく発音できないまま、少女は少年の名を紡ぐ。
「いぐが、望む、なら、記憶、消して、も、いいと、思った、けど……苦しん、で、も……記憶、して、いて、くれる、こと……望んで、くれる、なら……消せ、ない……」
 だって。
「いぐ、前、言った……当たり、前、と、思って、いた、苦しみ、に、立ち、向かう、のかって……」
 それは――
「それは、一人じゃ、なかった、から……」
 そして。
「いぐ、も、一人じゃ、ない……」
 千獣は周りを見渡す。
 冒険者たち。そしてルガート。
「私も、一緒に、いぐが、抱えて、きた、記憶、と……向き、合う……」
 幻路が、ルガートの背をぽんと押した。
「1人で立てぬ友人がいる。手を差し伸べるべきは誰でござるかな?」
「―――」
 ルガートは意を決してフィグの傍らに立つ。
 フィグの周りに集まっていた冒険者たちは、フィグとルガートのために離れた。
 ルガートは深呼吸をして。
「フィグ――」
 その時。
「あー、下らない長話聞かされちまったぜ」
 そんな一言と共に、魔物の奇声が上がった。
 はっと皆が振り向くと、
「んなもん俺には一切関係なし!」
 少し伸びた黒髪をなびかせ、金色の瞳を鋭く輝かせながら、ユーアが次々と剣で魔物を切り払っていた。
「っあ、あああああああ!」
 フィグが悲鳴を上げて、顔を上げた。
 彼の目の前で、魔物が次々と消滅していく。
「ゆ、ユーア!」
「ユーア殿、よすでござる!」
「待てユーア、今までの話聞いてなかったのか!?」
「ユーア殿……っ!」
「苦しもうと怒ろうと笑おうと泣こうと死のうと、他人から与えられようともそれは自分が背負うべきことだ」
 ユーアは動きを止めず。
 舞うように剣をふるって魔物を消滅させていく。
「ああああああ!!」
 フィグがのどからしぼりだすような声を出す。
「ちなみに今、俺はこれを見てとても見苦しく感じるから、視界から消えろととても素直に思った」
 鼻歌でも歌いそうな表情でユーアは言う。
「イコール、不浄ブツと見なし抹消(はーと)」
「ちょっと待て、ユーア――」
「ユー、ア」
 何度も呼ばれて、ユーアは動きを止め肩越しに振り返った。
「誰が嫌と言おうが、俺はこの場で拒否したんだ。俺の行く道遮ったら一緒に殺るぞ」
 それとも最近の新作『ドッキリランダム薬☆』の被験者にでもなるか?
 唇の端を吊り上げながら、彼女は再び剣をかざす。
「なんだか色々言ってたようだがな」
 ユーアは次の魔物をさらりと抹消しながら言った。
「他者の記憶と自分の記憶が混ざるわけねえ。これは要らねえ記憶だってそこのそいつが判断したからこういう姿なんだろうよ」
「それは違――!」
「醜い。どうしようもなく醜い。だから俺がしっかり抹消してやる安心しろ」
 ユーアの動きを止めようと他の冒険者たちが動こうとしたが、魔物の群れに入り込んでいる彼女に武器で攻撃しようとなると、魔物に当たる。
 トゥルースや千獣なら素手でいけるだろうが、ユーアの動きの激しさの方が厄介だった。彼女を無理やり止めようとすると周りの魔物に被害が出そうだ。
 と、その時――
「させる、か、よっ……!」
 キンッ
 ユーアの剣を弾き返した存在がいた。
 グラン。彼は最初から剣を抜いて、そしてフィグの周りではなく少し離れたところで周囲の様子をうかがっていたため、ユーアの動きをいち早く察知できたのだ。
「フィグの記憶だ! 消させねえ!」
「俺の道を遮るならお前も殺るぞ!」
「上等だ!」
 ユーアの剣を、グランが持ち前の身軽さでかわす。
 魔物に当たらないように、ユーアの剣を受け流す。
「急ぎな、ルガート!」
 ディーザが切羽詰った声で言った。「キミが一番言うべきことやるべきことをやるんだよ!」
 顔を上げてユーアの暴挙を凝視していたフィグの前に、ルガートが立つ。ユーアの姿を隠すように。
 そしてかがみこんで、フィグの腕をつかみ、揺さぶった。
「フィグ!――お前はまぎれもなく『フィグ』だろ! 生意気で面倒くさがりやで、そのくせ寂しがりやで本当は1人が嫌いで――」
「―――」
「俺の名前を言ってみろ! 言えないはずないよな!? お前が呼んでくれたら、お前が立てるように俺は手を差し出す、だから呼べ!」
「ル、」
 フィグはルガートの瞳を見つめる。
 声が震えていた。
 けれど――ごくりと息をのんだ後、フィグの目の輝きが変わった。
「ルガート」
 何もかも見透かすような黒水晶の瞳――
 ルガートはうなずいて、立ち上がりフィグに手を差し伸べた。
 フィグはすぐさまその手を取って、立ち上がった。
 そして宣言した。
「俺の記憶だ! もう拒絶したりしない! こんな醜い姿になる記憶なんてひとつもなかった! 俺が受け取ってきた記憶だ! 俺の中にある記憶だ!」
 周りには――満足そうな冒険者たちの顔があって。
 その視線は強い後押しとなって。
 ルガートにぽんと背を叩かれて。
「それでこそお前だぜ!」
 ユーアを相手にしているグランが嬉しそうに弾ける声を出し。
「それでも醜いままだろうがよ!」
 ユーアが魔物を攻撃しようとした瞬間。

 世界が閃光に包まれた。

 次に彼らが目を開けた時、魔物はすべて消滅していた。代わりに――
 ユーアの目の色が変わる。
 落ちているのは、輝かしい光を持つ不思議な『物』たち。
「あれは……クオレだね」
 ディーザが囁いた。
「相変わらず……綺麗だね」
「お宝!」
 ユーアが騒ぎ出すのを、トゥルースが後ろから羽交い絞めにして、
「いい加減にしろ」
 軽く関節をきめた。
「……っ。何だってんだ」
 ユーアは苦痛に顔をゆがめながら、「そこのガキが、いつまで経っても素直にならねえからいけねえんじゃねえか」
 素直……
 フィグがユーアを見た。
「その通り……ですね」
 浮かべるのはゆったりとした笑み。
 虚をつかれたように、ユーアがじっとフィグを見つめる。
「消えてしまった記憶たちの分は……どうなるのだろうか……」
 アレスディアが心配そうに言った。
「……忘れてしまったでしょう」
 フィグは目を閉じる。
 そして瞼を上げて、少し笑った。
「でも幸い、ディーザさんや千獣さん、グランさんのことは覚えています」
「いぐ……」
 千獣がフィグの手を取って、その肩に顔をうずめた。「よかっ、た……」
 トゥルースが、少し息の上がっているグランに向かって、
「助かったぜ。被害が大分抑えられた」
「もっと早く動けばよかった……」
 グランは口惜しそうに言う。
「グランさん。……ありがとう」
 フィグがつぶやいた。
 そしてぐるりと冒険者たちを見回して、
「皆さん、ありがとうございます」
「最後に決めるのはあなただと言ったはず。あなたの決断だ」
 アレスディアが微笑む。
 ディーザはくしゃくしゃとフィグの黒髪を乱した。――笑顔で。
「もう怖いものではないと思えるでござるかな」
 幻路は尋ねる。
 フィグは笑みで答えた。
 そしてフィグは、妖精の方を向いた。
 妖精は顔を真っ青にして、震えていた。
「……もう、来なくていいから」
「フィグ」
「俺は大丈夫です。……ありがとう」
 何より一番フィグを心配していたのは妖精だったと――
 それを知っていたのは、フィグ自身だったから。
「お宝ぁ」
 いまだに嘆くユーアに呆れた顔をする周りの冒険者たち。
 フィグは千獣に離れてもらって、ユーアの元へ行った。
 そして、軽く彼女に触れた。
 少年の手が輝き、そして。
「――これを、どうぞ。あなたの中から取り出したものです」
 それはユーアらしい、宝石の形をした輝く『クオレ』だった。
 ユーアはばっとそれを受け取った。
「……ユーアからもそんな綺麗なのができるんだあ」
 ディーザが感心したように言う。
「どーゆー意味だっ」
「そのまんまの意味」
「……ユーアさんのまっすぐな心は、何者にも替えがたい『光』ですよ」
 フィグはそう言って笑った。

     ++ +++ ++ +++ ++ +++ ++

 フィグが目を閉じ祈ると、彼の精神世界から脱け出すことができた。
 倉庫の地下、フィグの部屋。
「……確かに散らかり放題でござるな」
 幻路はうなる。
「掃除……します」
「手伝おう、フィグ殿」
「いぐ……私も……」
「それがねえ、この子の部屋って何度掃除してもすぐこうなるんだよね」
 後ろ髪をかきながらディーザが疲れ果てたように言った。
 それでも『掃除をしよう』と決めた冒険者たち――もちろんユーアは除く――は、日取りを決めてまたここに集まることになった。
 それはただの口実で、実際にはフィグを慰めるためだったのかもしれない。

 冒険者たちが部屋を後にする。
 妖精が振り返り振り返り、フィグを見ながら飛んでいく。
 フィグはずっとかすかな笑みを浮かべて手を振っていた。

「……外に、出てみるか」
 フィグとルガート以外、誰もいなくなった部屋で。
 ふとフィグがつぶやいた言葉に、今はルガートは驚かなかった。
「灰になるぞ」
「なるわけあるか」
 2人で、地下室の階段を昇り。
 2人で倉庫の扉を開け。
 2人で――太陽の下に出た。

 まぶしい、まぶしい陽射し。悪夢のようだったたった今までを照らして鎮めてくれる。
「……ありがとう、ルガート」
 黒髪の少年はつぶやいた。
 ルガートはぽんと友人の背中を叩いた。

 友情の絆がさらに強く結ばれたこの日。
 空は醜いものなど何もないよと言いたげに、雲ひとつない晴天だった。


 ―FIN―


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3108/グランディッツ・ソート/男/14歳(実年齢20歳)/鎧騎士、グライダー乗り】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳)/伝道師兼闇狩人】
【3482/ディーザ・カプリオーレ/女/20歳/銃士】
【3492/鬼眼・幻路/男/24歳/忍者】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
アレスディア・ヴォルフリート様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は依頼からの続き物にご参加くださり、ありがとうございました!
フィグに言い聞かせることに終始するストーリー、動きがほとんどない話となりましたが、いかがでしたでしょうか。
よろしければ、またお会いできますよう……

窓を閉じる