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■Dice Bible ―cinci―■

ともやいずみ
【3593】【橘・瑞生】【モデル兼カメラマン】
 ダイスには「知覚範囲」というものがある。『敵』が出現すれば感知できる自分の領域のことだ。
(ん?)
 『敵』の気配に気づいて意識が浮上したが、行方がわからなくなる。
(隠れた……?)
 では、相手はこちらを察知したのだ。
 遅かれ早かれこういう事態になることはわかっていた。わかっていたくせに……。
 できるなら、ぎりぎりまで粘ってから敵を殲滅に向かいたい。ただでさえ自分の消費は激しいのだ。
(相当頭が回るということですか……。ならば、人間の情報網はどれも信用できないということですね)
 まあいい。自分が出ればいいのだ。今までと変わりはしない。
Dice Bible ―cinci―



「敵を探しに行く?」
 本から出現したハルをまじまじと見て、橘瑞生は首を傾げてしまいそうになった。
 普段なら自分より先に敵の所在も力量も掴むのに、今回に限ってなぜ?
「ねえハル」
「なんでしょう?」
「敵にも簡単に狩られまいとして、ぎりぎりまで自分の存在を隠したりするような相手がいるってことかしら」
「…………」
 瑞生は自身の顎に手を添えて、視線を少し伏せた。
「もしも私が追われる立場になったとしたら、そうやって自分に有利な状況を確保するまで時間をかけるような気がするから」
「……そうですか?」
「あ、勿論、感染したらそうするってわけじゃないのよ?」
 慌てて否定するが、ハルは気にした様子もない。焦った自分がなんだか可哀想になる。
「その……えっと」
 真っ直ぐ見てくるハルの視線に耐えられず、瑞生は俯く。
「ハルとは殺伐とした仲じゃなくて、もっと穏やかな関係になりたいなあって言ったら変かしら?」
「穏やかも何も……私とあなたは主従関係ではありませんか」
「え? いや、そうじゃなくて」
 鈍いのかしら、もしかして。
 そもそも自分にもこういうのは不向きなのだ。昔から「大人っぽい」と言われて、お洒落にも気合いを入れて、化粧の仕方も流行も雑誌やテレビで研究して楽しんで……。けれど。
 学生時代にあるはずの、甘酸っぱい恋愛経験はほとんどない。今さら可愛いフリをするのも変だし、ハルの意識をこちらに向かせるような小細工もできない。
 『恋する可愛い女』を演じられない自分に、悲しくなってくる。
 ハルと並んだ時、自分はどう見られるだろう。並んだ時に、彼に相応しいとは思えない。
 綺麗な自分が好き。素敵な大人の姿をしている自分が好き。それは間違いない。でも。でも、だ。
(誰かのためにお洒落をすることなんて、今までなかったもの……ね)
 自分のためで、誰かのためではない。
(ああもう、こういう自分が呪わしい……)
「今はいいわ。うん」
「そうですか。
 先ほどの質問ですが」
「質問?」
「ぎりぎりまで自分の存在を隠す、というやつです。気配を隠すことは不可能ではないでしょうが……長時間は無理です」
「そうなの?」
「獲物を狩るまで我々は追い続けます。必ずや、見つけます」
「…………」
 それは、恐ろしい答えだった。隠れていようと関係ない。とことん追って追って、追い続けて、破壊するということだ。



 二人で並んで夜の住宅街を歩く。さすがに人があまりいない。
「このへん?」
「……だと思います」
 ハルの表情は暗い。瑞生は明るく言った。
「私は何も感じないけど」
「…………隠れているわけでは、ない」
 短くハルが呟く。それは瑞生に言っているのではない。
「……まさか」
 彼は青ざめた。最悪の予想が当たったと言わんばかりだ。
 十字路のところで、道の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。二人組だ。
「今さらって、遅くないかしらねえ?」
 二人組のうちの一人が、そう声を出した。若い女の声だ。だが、艶がある。
「今さら来てどうするってのかしら。この間見た時の印象は間違ってなかったわけ、か。なんかショックね」
「……マディ、口が過ぎると思うよ僕は」
「ごめんなさいタカシ、気分を悪くした?」
「いいや……だが、あちらは驚いているようだね」
 冷静に淡々と言う少年と、女の二人組。二人は街灯の照らす場所まで歩くと、足を止めた。
 女は背が高い。むっちりとした色気のある体つき。外見の年齢は二十代前半だ。漆黒のイブニングドレスに、黒のヒール姿だ。紫色の髪はウェーブがかかっており、褐色の肌をしている。
 少年はまだ高校生という感じだ。眼鏡をかけた、どこにでもいる学生である。
「初めまして。ダイス・バイブルの所持者としては僕のほうが先輩だと思うんだけど、どうぞよろしく」
「やだぁ、タカシったらバカ丁寧に挨拶しちゃって! でもそこがかわい〜わぁ!」
 少年に抱きつく女。女の豊満な胸が少年の上腕部に当たっているが、彼は表情を変えない。
「マディ……胸が邪魔だよ」
「あ、ごめんね」
 慌てて離れる彼女は彼の後ろに控えた。
 瑞生は理解不能という表情をして、二人を見ていた。なんなの、この二人は。
 ハルが一歩前に出て、瑞生を彼らの視界から隠すようにする。
「残念ながら、この付近の感染者は僕らが先に始末したよ。遅かったのもあるけど……」
 少年は目を細めた。
「邪魔だから始末していいかな、あなたたちも」
 あっさりと、なんでもないことのように言う彼は「ああ」と短く洩らす。
「しばらくこの辺りに滞在するから、邪魔になりそうだってことだよ。一応言っておくけど。じゃ、マディ、任せた」
「了解しました、マイ・マスター」
 うふふと妖艶に笑って女が……マディが前に出てくる。深いスリットの入った長い脚を惜しげもなくさらし、「じゃ」と言う。
「坊や、お姉さんが相手をしてあげるわ」
「……いいでしょう」
 ハルはざっ、と歩き出した。同じようにマディも歩いてくる。
 そして二人はそのまま交差している場所まで来ると、その場から跳躍してどこかへ行ってしまった。
 残された瑞生はただ困惑しているしかない。
 タカシと呼ばれた少年は少し足を軽く広げ、腕組みして立つ。ふんぞり返っているわけではないし、全く偉そうに見えない。まるでこのポーズで立つのが楽だと言わんばかりだ。
「別のダイス・バイブルの主に会うのは初めてなもので、少々無礼だったかな。自己紹介したほうがいいかな?」
 どうやら尋ねられているらしい。瑞生は警戒しつつ、うかがうように見た。
「平塚宗だ。平らな塚に、伊達正宗の宗でタカシと読む」
 眼鏡を押し上げながら言う宗の態度は異常だった。瑞生が何をしようが関係ないようである。
「橘瑞生よ……。ねえ、あなたはダイス・バイブルの主人なの?」
「不思議なことを言う人だ。そんなの、当然でしょう?」
 当たり前のことをなぜ訊くんだという態度の宗に、瑞生はダイス・バイブルの中を検索する。
 ズキッ、と頭を痛みが襲い、瑞生は軽くよろめく。
「……頭痛発生。ダイス・バイブルを使ったね、橘さん」
「う……」
 敵、ではない? 本当に、同じようにダイス・バイブルを持っている?
(ダイス・バイブルと契約した時点で、他人には喋れない……。あ、そ、そうか)
 同じ契約者は、対象外なのか……!
 冷静にこちらを眺めている宗は「へぇ」と洩らす。
「完全にはシンクロできていないのか。道理であのダイスが弱っているはずだ」
「え……」
「なんのために彼の主になったのかは知らないけど、やる気がないなら契約破棄したほうがいいと思うよ」
 そう言ってから、宗は空を見上げる。視線を動かして、囁いた。
「戻れ、マディ」
 セリフとほぼ同時に空から先ほどの女性が降って、着地した。どぎゃ、と地面が激しく窪む。
 遅れてドレスのスカートがふわりと降りた。黒のガーターベルトがちらりと見えたのは、見間違いではないだろう。
 片手を上に挙げた状態のマディは、その手の上の物体を瑞生の目の前に放る。
 腕が折れた、なんて生易しい言葉ではあらわせない。ジグザグに折られている。
 ハルは顔をしかめ、それから立ち上がった。腕が完全に使い物にならなくなっている。燕尾服もびりびりに破られていた。
「は、ハル……!」
 青ざめる瑞生を、そんな姿になってもハルは守ろうとして立つ。
 マディは舌打ちする。
「なんで途中で戻すのよ? あともうちょっとでぶっ壊せたのに」
「……本を持っていない相手にそれは失礼だろ。それに、どうやらあちらの主は本とシンクロしていないようだ」
「嘘ぉ! なにそれ。そんな状態でよく……」
 言いかけて、マディは薄く笑った。
「あぁ……だから、か」
 うふふと微笑した彼女は軽やかにジャンプして主のもとに戻り、べったりくっついた。
 宗は再び眼鏡のズレを直すために、あげる。
「今晩は挨拶程度にしておこう、橘さん。見逃す、とも言うけどね」
「ばいば〜い。まあ今日は十分戦ったからもう無理なの。良かったわね」
「うるさいぞ、マディ。黙らないと殺す」
「やだぁ、か、かっこいい……! その目、イカスわ……。抱いて、宗!」
 うっとりするマディは手を宗の腕に絡めて一緒に、こちらに背を向けて歩き出した。
 完全に姿が見えなくなるまで、ハルは微動だにしなかった。
 やっと視界に入らなくなってから、彼は深く息を吐き出す。
「……このまま戦っては、勝ち目がありませんでした」
「ハル……大丈夫……?」
 震える手を差し出してくる瑞生を、彼は振り向く。
「問題ありません。本で休めば回復する程度です。私は人間ではありませんから…………ミス、なぜそんな顔をするのですか」
 手を出したまま、瑞生はどうすればいいかわからない。
「私……私は、主とかダイスとか、そういう関係を抜きにしても大切なのよ」
「?」
 怪訝そうにするハルに向けて、瑞生は続ける。気持ちがぐちゃぐちゃだ。混乱、している。
「好き……って気持ちをあなたが理解するのかわからないけど、私はあなたのことが好きだから、大切だから、本当に、無理はしないで……欲しい、の……」
 なにを言っているの、私。ハルが不思議そうにこっちを見てるじゃない。
「スキ……? それは異性に対してですか? 道具として好意を抱いているのですよね?」
「違う、道具なんかじゃ……。無理しないで。私に何かできる、なら……」
 恐ろしいほど、心臓の音が耳元で聞こえる。怖い。なにこれ。耳鳴り?
「ミス……顔色が悪いですよ?」
「こんな……こんなひどいこと……。どうして」
 どうして私は彼の主なのに、こんなに役立たずなんだろう……?
 瑞生の手を取ろうにも、ハルは腕が折れていて無理だった。彼は表情を歪める。
「すみません……私が至らないばかりに。あなたのせいではないのですよ、ミス」
「嘘でしょ……? 私がもっと本を使えてたら……」
「あなたを選んだのは私。あなたに強制はしませんし、するつもりもないです。私は無理はしません」
 だから。
「泣かないでください、マスター」
 囁いたハルが苦笑いを浮かべる。瑞生は自分が涙を流していたことに、その時気づいた。
 だって、だってこんなにも――。
(彼が好きなのに――!)



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【3593/橘・瑞生(たちばな・みずお)/女/22/モデル兼カメラマン】

NPC
【ハル=セイチョウ(はる=せいちょう)/男/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、橘様。ライターのともやいずみです。
 ハルとの距離はまた縮んだようです。いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!