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■不夜城奇談〜発生〜■

月原みなみ
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 人間の負の感情を糧とし、人身を己が物とする闇の魔物。
 どこから生じるのか知る者はない。
 だが、それらを滅するものはいる。
 闇狩。
 始祖より魔物討伐の使命を背負わされた一族は、王・影主の名の下に敵を討つ。

 そして現在、一二八代影主は東京に在た――。

 ***

 明かり一つ灯ることのない部屋で、彼は床に横たわり、低く掠れた声に同じ言葉を重ねていた。
 何度も、何度も。
 どうして。
 なぜ。

 ――…なんで僕がこんな目に……

 この家屋に彼は一人きり。
 今はもう誰も居ない。
 彼の名前を呼んでくれる優しい母も、他愛のない話に笑ってくれる兄弟も、…成績に対して小言を言う父親の声ですら聞きたいと願うほど、彼はもう長い間、独りだった。
「なんで僕だけ…っ…」
 立ち上がる気力も、ない。
 いっそ死なせて欲しいと願う。
「僕なんかもう…!」
 不意に。
 カタン…、と家具が鳴る。
「…え…?」
 カタカタッ…、と家具が揺れる。
「なに…っ」
 カタカタカタカタカタ……
「なにっ、何だよっ、なに……!」

 明かり一つ灯ることのない部屋に、黒い靄が広がっていた。
 彼、独りきりだったその場所に。
「――」
 響く声は。

「……ぁ…お、お母さん……?」

 闇の中、蠢く意思は誰のもの――……。


■ 不夜城奇談〜発生〜 ■


 ■

 その日、草間興信所に舞い込んだ依頼は、都内某区の住宅街にある町内会の代表者による「少年の幽霊を浄霊して欲しい」という内容だった。
 その地区では約一月前に十歳の少年が交通事故死しており、息子を亡くした夫婦は心療内科医のすすめもあって遠方に転居。
 空き家となった家屋は売りに出されているのだが、この家に最近になって幽霊が出ると言う噂が持ち上がった。
 近隣住民は、当然のように事故死した少年の霊が両親を求めて彷徨い歩いているのだと思い込み、この興信所に依頼を持ち込んできたわけだが。
「どうするシュライン」
 話を聞いていた所長の草間武彦から声を掛けられて、営業顔の裏の本音を聞き分ける事務員、シュライン・エマは苦笑交じりに応える。
「そうね…もう少し詳しい話をお聞きしたいのですけれど」
「どうかお願いします、周辺の住民も気味悪がって、最近は体調が芳しくないと、ほとんどの者が寝込んでいるんです! 中には黒い靄のようなヘンな物を見たという者もおりますし…!」
 他に頼める場所は無いと言いたげな鬼気迫る態度に、草間は「落ち着いて下さい」と冷静な態度で接するが、一方“黒い靄”と聞いたシュラインの顔付きは変わる。
「失礼ですが、その黒い靄を目撃されている方は多いんですか?」
「え…、いえ、それを見たと言っているのは幼い子供が何人かで…まぁ子供の言うことですから何かを見間違えたとか言うこともあるでしょうし…」
 それを理由に断われては困るとでも思ったのか、首を振りながら早口に返してくる町内会長。
 しかしシュラインの思惑は、その真逆だった。
 草間に軽い目配せをし、この依頼を受けて欲しいと訴える。
 言葉にはしない視線だけの会話だったが、そこには長い付き合いがある。
「判りました。その依頼、お引き受けします」
 正式に承諾した草間に、依頼人となった町内会長は何度も頭を下げて感謝した。


 ■

「“黒い靄”に何か気になることでもあったのか?」
 依頼人が帰った後、草間にそう問われて、シュラインは先日の美術館から来た依頼の件を持ち出した。
 中庭に飾っている彫刻の周囲で観覧客が倒れるようになり、これを物の怪の仕業ではないかと推測した館長が興信所に祓ってくれるよう頼み込んできた。
 その途中でたまたま知り合った二人の青年、影見河夕と緑光。
 宿敵“闇の魔物”を追って東京に来たは良いが、この土地の特殊な環境下でその生態が変化、自分たちの力だけでは限界があると語った彼らの敵、その形状が“黒い靄”だったのだ。
「なら今回、目撃されているのも、その魔物だと?」
「確証はないけれど、違うとも言い切れないわ。可能性は一つ一つ確かめてみないと」
「わかった」
 ならばそれ以外の可能性も一つ一つ当たってみようと草間が言い、二人はこの件に関しての調査を開始すると同時、件の狩人達にも声を掛ける方向で話を決めたのだった。


 渡されていた緑光の連絡先に電話したシュラインは、彼らの都合もあって二時間後に興信所で待ち合わせることにし、それまでに依頼に関しての更に詳しい情報を集めるため、図書館で過去の新聞記事を探したり、知り合いの警察関係者に当時の状況を確認したりなど、情報集めに奔走することとなった。
 現場に赴く、亡くなった少年の家族に会いに行くなどもしておきたかったのだが、二時間以内に済ませるのは無理があったため、そこは狩人の話を聞いてから実行することにした。
 そうして約束の時間。
 興信所に姿を現した狩人達は、中に入るなり目を丸くして立ち尽くした。
 それは、ここを初めて訪れる者の反応としては極自然なもので、シュラインや所長本人は慣れたもの。
「まぁそこ座ってくれ」と草間が促すと、狩人達は一度顔を見合わせた後、ゆっくりと応接ソファに腰を下ろした。
「少し驚きましたね…」
 緑光が言う事に、シュラインは聞き返す。
「何が?」
「…なんと言えばいいのか…」
 言葉を濁す光に、河夕がずばりと言う。
「この所内の空気だ。良いモンと悪いモンをこんなごっちゃにしていたら、失くすモノは無いだろうが実りも無いだろう」
「良く判ったわね」
 驚いて見せたシュラインに、草間も食いつく。
「何だそれは、実りを良くする方法があるのか?」
「とりあえず煙草を止めろ、それで随分と空気が変わる」
 断言されて、草間が実りを増やす道を諦めたのは言うまでもない。


 ■

 一通りの調査結果を報告し終えた後、光が一言。
「可能性は高い思います」と言えば、河夕は立ち上がって興信所の窓から外を見る。
「その問題の家の方向はこの先か?」
「そうよ」
「距離は」
「二十キロくらいかしら」
 シュラインの返答を受け、瞳を閉じてそちらに意識を集中させた河夕は、しばらくして「間違いない」と呟く。
「微弱だが魔物の気配を感じる、白い壁に青い屋根の二階建て……ああ、中に子供の霊体がいるな」
「貴方達が追う魔物は死者にも憑くの?」
「通常であれば考えられませんが」
 光が難しい顔で言う。
「ただ…、この土地での影響を受けてどう変化するのかは僕達にも不明ですから、そういう可能性を否定は出来ません」
「なら、この間の彫刻と違って実態の無いものから魔物を祓うとして、少年の魂は無事に解放できるかしら」
「……無傷での解放は、厳しいでしょうね」
 そう返す言葉は明瞭だったが表情には痛みが滲む。
 言うべきかどうかを迷いながら、この件に魔物が絡んでいるのなら嘘は吐けないと己に言い聞かせるように一呼吸し、続けた。
「従来の魔物は、負の感情を抱いた人間の心に取り憑くことで、その体を己が物とします。魔物に同化され、他者の感情や…時には…血肉を喰らってしまえば」
「――」
「人は人間には戻れません」
「待て、待て」
 途中で草間が制し、それを確認する。
「おまえ達が追っている魔物ってのは、…人間を喰うのか?」
「そうです。だから従来の魔物は肉体を必要とします」
 最初は黒い靄状の、ただそれだけの存在。
 しかし負の感情を捕え、それを発する人間の心に住み着けば体を己が物にし、口から糧を得る。
 喰らえば喰らうほどに力は増し、その能力は宿敵たる狩人と渡り合うようになるのだ。
 だからこそ狩人は靄の内に魔物を狩りたい。
 そうでなければ。
「だったら、その…従来通りに普通の人間に魔物が憑いた場合はどうするんだ」
「狩ります」
「…人間をか」
「それ以上の犠牲を出す前に、確実に」
 そうでなければ、救われない。
「僕達は、そういう一族なんです」
 決して揺るがない視線でシュラインを、そして草間を見て言い切る狩人に迷いはない。
「だから死者に憑くことは考え難いが、…まぁ、そういう意味で言うならこの間のように彫刻に憑いてくれる方が楽と言えば楽か」
 窓辺の河夕も言い切る、それは強さのようで、弱さのようで。
「…待って」
 シュラインは口を挟んだ。
 彼らの言葉と魔物の生態の間に、彼女は奇妙な違和感を感じた。
「それなら尚更、死者の魂に魔物は憑かないでしょう?」
「連中が妙な変化をしていなければな」
「変化していてもよ。死者は皆が見えるわけじゃないわ」
 その場の男達の視線が彼女に集まる。
「この間の美術館の件、あの時だって全員に魔物が見えていたわけじゃないのに、彫刻を目にした全員が被害に遭ったの」
 その彫刻に引かれた意識を魔物が喰らった、だから彼らは被害に遭った。
「霊体に憑いても、近所に住む全員に姿が見えるわけじゃない、けれど実際には近隣に住んでいるほとんどの人達が病んでいるわ」
「…つまり、ほとんどの人間に見える物に憑いたと?」
「例えば…」

 例えば、家屋――。


 ■

 どんなに変化しようと、欲するものに変わりがないのなら、矛盾の生じる方向への変化は有り得ない。
 それは、どんな生物にも当てはめることの出来る真理だった。
「なるほどな…」
 シュラインの推測を確信し、現場に赴いた河夕は低く呟く。
「家に憑いた魔物を狩るのは了解したが、子供の魂が中に囚われているのだとしたら、子ども自身にそこから逃れる意思がないと傷つけるぞ」
「ご両親が越されて離れてしまわれた現在、魔物が家族との思い出を餌に子供の魂を食い物にしている可能性は高いですからね…」
 自らの意思で逃れようと思わせる事が出来るか否か。
 問題はそこだった。
「せめて母親の声でも聞かせてあげられれば…」
 光の言葉に、シュラインは「任せて」と手を挙げる。
「この子が交通事故で亡くなった時に、ご両親が報道記者のインタビューに応えていた声を見つけたの」
 声を見つけた、その言葉の意味を狩人は不思議そうに聞いていたが、実際に屋内に踏み入り、彼女の声帯模写能力を目の当たりにしたとき、シュラインには今後一切頭が上がらなくなるだろうと、それぞれ内心に呟くのだった。


 ――……助けて……

 母親の声で名を呼び続けるシュラインに、子供の手が伸びる。
 お母さん助けて、と。
 解放を訴える。

『遅くなってゴメンね…もう、独りぼっちにはしないからね……』

 シュラインの手が、子供の手を握る。
 同時に狩人の刀が舞う。
 結界と、強烈な一振り。
 散開する白銀の輝き。

 いつしか本来の姿を取り戻した家屋の上方、陽が傾き赤色広がる西空に、少年の魂は彼女たちに見送られて在るべき場所へと帰っていった。


 ***


 狩人と別れ、草間との興信所への帰路。
「またとんでもない魔物が流れ着いたもんだな…」
 そう呟く草間に、シュラインも「そうね」と同意した。
「しかし…魔物が人を喰らうだの、人を狩るだの聞いても相変わらずクールだったな、おまえさんは」
「仕事は仕事だもの」
 即答して、…けれど口元には柔らかな笑み。
「それに彼らは、自分達一族の行いの意味をちゃんと自覚しているように思うの」
 美術館の依頼の時も然り、それを自分達の存在意義だと語ったこと。
 迷いのない瞳で見つめ返して来たこと。
「彼らは信頼出来るわ」
「……同感だ」
 しかし煙草は止められんと小声で呟く彼に、シュラインは失笑。

 晩夏の夕暮れに、寄り添う二人の影。
 明日も空は晴れるだろうか――……。




 ―了―

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■ 登場人物 ■
・0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員/


■ ライター通信 ■
こんにちは「発生」にもご参加頂きまことにありがとうございました。
何事にも冷静なシュラインさんは情報も細部に渡って集めて下さるので狩人達は助けられっぱなし、ライターもとても助けられました。
草間氏にもご登場頂きましたのは当方の好みですので、もしご意見等ありましたら何なりとお申し立てください。
誠心誠意、対応させて頂きます。

それでは、狩人達と再びお逢い出来ます事を願って――。


月原みなみ拝

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