■過去の労働の記憶は甘美なり■
水月小織 |
【6678】【書目・皆】【古書店手伝い】 |
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。
『アルバイト求む』
さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
|
過去の労働の記憶は甘美なり
「だんだん寒くなってきましたね」
その日も書目 皆(しょもく・かい)は、蒼月亭のカウンターで本を読んでいた。店の中全体がアンティークのような、そんな落ち着いた雰囲気は、本を読むのに丁度いいからだ。
「そうだな。俺ずーっと店の中にいるから、時々季節感が分からなくなる……こんな日はこういう紅茶は如何でしょうか」
マスターのナイトホークは芝居がかった風に言うと、皆の前に桜の花が浮いた紅茶を差し出した。クセのない紅茶の上に、塩抜きした桜を浮かべた「桜ティー」だという。
「桜湯みたいでいいですね。秋に花見というのも素敵です」
ほんのりとした塩気と桜の香り。ここは普通の紅茶も美味しいのだが、たまに出されるアレンジティーがまた美味しい。いつも出されるお茶請けも、今日はクッキーではなく栗の渋皮煮だ。
温かいお茶と、面白い本。
その二つを楽しんでいると、カラン……とドアベルが鳴り、少し外の冷気が入ってくる。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ。珍しいな、太蘭(たいらん)」
ナイトホークの口ぶりからすると、顔見知りのようだ。ふと顔を上げると、作務衣に上着を羽織った、短髪の青年が立っている。
「電話でもいいかと思ったんだが、仕事を頼もうかと思って足を運んだんだ」
「また変なものでも買ったのか」
「買った訳じゃなくて、向こうから勝手にやってくる」
蒼月亭では時々仕事の斡旋をやっている。皆も二度ほど仕事を受けたことがあるのだが、こうやって請け負ったりしているのか。何気なくその様子を見ていると、ナイトホークが皆を見た。
「す、すみません、のぞき見していた訳じゃないんですが……」
「いや、書目さん。日本の古書とかって興味ある?」
「えっ? ええ、興味はありますが……」
本であればかなり興味はある。古書店『書目』は、専門分野において西洋寄りの古書店で、東洋の深い部分に触れる機会はあまり無い。限られた者のみ案内する地下にある魔導書も、西洋のものばかりだ。
するとナイトホークが太蘭に皆を紹介する。
「こちら、神田の古書店『書目』の三代目の書目 皆さん。こっちは……」
「太蘭。刀剣彫刻などをやっている」
「よろしくお願いします」
何となく威圧される感じがするのは、太蘭の赤い目のせいなのだろうか。そんな事を思っていると、太蘭は一冊の和綴じの本と、布に包まれた手のひらに載るぐらいの塊をカウンターの上に置いた。
「こちらを見て頂きたいのだが。これは先日ある骨董商から俺の所に来たものだ」
包みの中にあるのは奇妙な物だった。
宝石だろうか……赤く透き通っているが、これだけ透明度があって大きな物は珍しい。だが、一番奇妙なのは……。
「中に、何か入ってますね」
中に人のようなものが入っているのだ。しかも中で生きているのか、それが宝石の中をもがくように泳いでいる。それは優雅というよりも、ここから何とか出ようとして苦しんでいるようだ。見ていると自分まで息苦しくなるように。
「人が入っているように見えるだろう」
「ええ。これは一体……」
「中にいるのが、生きた人間だというのまでは分かったのだが」
生きた人間。
渇いた喉を潤すように、皆は一口お茶を飲む。
「だったら、割れば外に出してあげられるのでしょうか?」
「いや、そうでもないようだ」
そこで、宝石と一緒に置いてあった和綴じの本を太蘭は開いた。中は筆で書かれているが、その文字を皆は拾い読んでいく。中に書かれているのはこんな話だった。
ある国からの貢ぎ物の中に、少女が入っている宝石があった。
それは琥珀のように透き通り美しい宝石で、中の少女も大変美しいものであった。
少女は宝石の中を泳ぎ、時折何事か中から呼び掛けるのであるが、その度に宝石は光り、美しさは人を魅了する。
これをもらった帝は、中の少女に恋をし、毎日語りかけたが言葉は通じぬようで返事はない。帝は国中の学者を集め、宝石から少女を出すように命令した。
しかし、その方法は見つからず、帝はついに国一番の力自慢に、宝石を割らせることにした……。
「……宝石は割れたが、少女は外に出た途端金切り声を上げ死んでしまう。周りにいた者を巻き込んで……探せば他にもそんな話はあるのだろうが、今のところ見つけられたのはそれだけだ」
やっぱり息苦しくなる話だ。そっと布をかけ直すと、皆は太蘭に質問をする。
「古書には少女が中から呼び掛けるとありましたが、これもそうなんでしょうか」
そう聞いた瞬間だった。
宝石から微かに聞こえる悲鳴。布で隠れていない石が、ほのかに赤く光っている。だが美しいというものではなく、なにか禍々しくも悲しげだと皆は思った。
「この宝石が、一体何なのかを調べていただきたい。おそらく普通の方法で作られたものではなく、何か魔術的要素が関わっていると思われる。事によっては元凶を絶たねばなるまいが、お願いできるだろうか」
太蘭が持っていた宝石は、どうやらルビーのようだった。手のひらサイズというだけでも相当な物なのに、中に人がいる……よく目をこらすと、中にいるのは古書にも書かれていた、少女のようにも思われる。皆は借りた宝石を布で包んだあと、箱の中にしっかりとしまった。
「魅了されないようにしなくちゃ」
中の少女に恋をし……と書かれていたので、それに注意しなくてはならないだろう。自分が魅入られて、割ろうとしたのでは意味がない。
まず皆は、宝石のことを詳しく調べる為、太蘭の家に案内してもらった。
「書斎の本は自由に読んでくれて構わない。俺もそれがどこから来たのか調べてみよう」
魔術的要素に関しては、西洋的なものではないだろう。皆は色々な魔術書を読んだりしているが、宝石の中に人を閉じこめるような魔術などは聞いたことがない。ホムンクルス等かとも思ったが、それだってフラスコの中に限られる。
「さて、どこから調べようかな」
皆は背表紙を指でたどりながら、詳しいことが載っていそうな本などを探した。
こういうことは、いきあたりばったりではダメだ。あらかじめ調べて事前情報を多く掴み、地道な下調べをしてから仕事に移らなければならない。慎重すぎて困ることはない。
何日かかけて調べてみると、人が封じられた宝石の話は中国から東南アジアなどにかけて、少し話が出てきていた。トカゲが封じられた琥珀を「竜の卵」というように、「神の卵」と言って奉ったりしていたという話がある。
「でも、琥珀とは違うし……」
虫入り琥珀などはあるが、生きた人間がもがくように泳ぐ宝石。そんな物が存在していいのだろうか。魔術で作られたにしろ、そんなことは許されるものではない。
何だか頭が痛い。
目が疲れたのだろうか。そう思いながら小さく頭を振ると、奥の方に題名のついていない本があるのが見えた。
「なんだろう。日記とかかな」
流石に日記のようなものなら、元の場所に帰しておいた方がいいだろう。だが、何かに惹かれるように皆はそれに手を伸ばす。
それは、魔術書のようだった。中に書かれている文字は日本のものではないが、その文字をなぞるように指でたどると、内容が少しずつ頭に入ってきた。その膨大な量に軽い目眩を感じながらも、皆はその恐ろしい内容を理解した。
美しい「神の卵」を作る為には、中に入れる者も美しい者に限る。
大人より、子供。その中でも色が白く、容姿の美しい少年少女。
その子供達を神に捧げると、神は美しい宝石にしてその者達を返してくれる。子供達は初めのうちこそ泣き騒ぐが、そのうち己の身に起こったことを理解し正気を失う。
理性をなくした後の方が、宝石は美しく輝くものとなる……。
「うさんくさい話だな。その『神』とは、何物なんだ」
「少なくとも、僕たちが思うような神ではありません。人を宝石にする神など、存在していいはずがありませんから」
その魔導書を持った皆は、太蘭と一緒にある場所に向かって歩いていた。
その宝石は、ある家から骨董商の所に来たらしい。そして、その家の近くでは、最近子供達が失踪している事件が相次いでいるという。
昼間だというのに、子供達の声が聞こえない住宅街。その先を見据えると、広い庭のある家が目に入った。
玄関に鍵はかかっておらず、辺りには綿埃が舞っている。人が住んでいるという気配がない。
「誰かいませんか?」
皆が玄関先から呼び掛けた時だった。カサカサという音と共に、何かが向かってくる。
「………!」
避けられない!
思わず目を瞑ると、目の前に日本刀の切っ先が目に入った。太蘭が刀を抜いたらしい。
「す、すみません……」
「気にするな。どうやら中に入られたくないらしいな」
見ると、壁に掌ほどの大きさの蜘蛛が真っ二つになっていた。それが自分に襲いかかっていたらと思うと、背中に冷たい物が走る。これはかなり警戒した方がいいだろう。そう思いながら奥への扉を開けたときだった。
「何だ、これは……」
たくさんの大きな繭。その中の一つを太蘭がそっと刀で切る。
するとどろっとした粘液と共に、気を失った子供が現れた。虚ろな目をしているが、生きているようなので、皆はほっとする。
「まだ宝石になっていないらしい。俺はこの繭から子供達を助けるから、書目殿は奥に行ってくれないか。後からすぐ行く」
「はい」
きっとこの奥に、子供達を宝石にしようとした者がいるのだろう。慎重に進むと部屋の奥から声がした。
「私の宝石を取りに来たのは誰?」
乱れた長い髪に、元の顔を覆い隠すような化粧。その女の手には青い宝石が握られていた。それがほのかに光を放っている。
「宝石なんかじゃありません。あれは、人間です」
あの中にも誰かがいるのだろうか。魔導書を持つ手に力が入る。女は皆を見ると、口の端を歪めたように上げて笑った。
「ふふ……貴方はどんな宝石になるかしら。美しい宝石の中で、永遠の命を得るのよ……素晴らしいと思わない?」
そんなものはいらない。永遠に生きられたとしても、宝石に閉じこめられる生に、何の意味があるのか。
ザワッ……。
音がした瞬間、女の後ろのふすまが開いた。そこから出てきたたくさんの蜘蛛に、皆は魔導書を開く。
「元ある世界へ戻りなさい!」
皆の前に門が開いた。蜘蛛たちはそこに吸い込まれるように入り、そして消えていく。
太蘭の家で皆が見つけたのは、「神の卵」を作る化け物を召喚する方法が書かれた魔導書だった。持ち主である太蘭は、興味がないので奥に入れたままだったらしい。
おそらく、この女も自分と同じ魔導書を何処かで手に入れたのだろう。そして、人を宝石にする術を知り、それに魅入られた。悲しいことだとは思うが、同情はしない。
「貴様……私の宝石を!」
ずるっ……。
その瞬間女の背中が割れ、粘液を引きずるように、羽の生えた蜘蛛のような化け物が現れた。
「貴女の物じゃない。人の命はその人の物です!」
宝石に魅入られたあげく、化け物と同化してしまったというのか。
魔導書を開く。
従属の呪文を素早く皆は唱えた。このまま自分の精神力が勝てば、異界に戻すことが出来る。しかし自分が負ければ、あの宝石の中に自分が入ることになってしまうだろう。
「くっ……」
どうして西洋で「神の卵」が流行らなかったのか、皆には何となく分かっていた。向こうでは魔術研究が盛んだとはいえ、キリスト教文化だ。神は神であり、卵など産まない。
東洋では神はどこにでもいるという考えであるから、こんな物が生まれたのだろう。
ぐらっ……と、皆の目の前が歪んだ。
女の意志があるぶん、従属も簡単にはいかないようだ。呪文を維持しつつ、皆は次のページをめくる。
「ならばこれはどうですか!」
指を鳴らすと、繭を伝って炎が走った。それは、皆が調べていた書物の中にあった、化け物の弱点。
「………!!」
形容しがたい声を上げ、炎が化け物の体を包み込む。纏っていた粘液に火がつき、そのまま大きく炎が上がる。
しばらく呆然としていると、子供達を全員外に出した太蘭がやってきた。
「書目殿、大丈夫か?」
「ええ……。でも、あの人が」
指を指すと、そこには炎に包まれもがいている化け物と同化した女がいる。だが、太蘭はゆるゆると首を横に振った。
「化け物と同化したなら、もう助けられない」
そのまま外に出た皆は、家が崩れ落ちるのを黙って見ていることしか出来なかった。
「お疲れ。まあ子供達は無事だったんだし、そんな顔しなさんな」
失踪した子供達は全員無事だった。あの女が持っていた宝石は、何十年も前に作られた物らしいということしか結局分からなかった。
蒼月亭のカウンターで紅茶を飲みながら事件の報告をする皆に、ナイトホークが少し笑う。
「でも、他に何かできたんじゃないかって、そう思うんです」
結局、炎の海に沈めるしかできなかったのだろうか。溜息をつくと、ナイトホークがシガレットケースから煙草を出した。
「結局さ『めでたしめでたし』で終わる話ばかりじゃないって事だよ。化け物に魂を売った奴の最期は、大抵救われない」
「そうですね……」
美しいもの。
美しい宝石。
そんな物の為に、人を犠牲にすることはあってはならない。一番救われなければならない魂は、まだ宝石の中で苦しんでいる。
皆は黙って持って来た魔導書を開いた。
いつかあの宝石の中の魂を、救ってあげなければ。
強く吹き始めた風が、カタカタと店の窓ガラスを何度も揺らしていた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6678/書目・皆/男性/22歳/古書店手伝い
|
|