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■求む、トラブル■ |
三芭ロウ |
【3087】【千獣】【異界職】 |
「おい、貴様」
どこからか声がした。あなたは辺りを見回す。
「ここだ、ここ。わからん奴め、下だ!」
視線を落としたあなたが見たのは――
「貴様、なにか面倒事に巻き込まれておるだろう?」
――チワワだった。
うるんだ瞳にプルプルあんよ、ふんわり折れた大きな耳、黒と白のロングコート。
どこからどう見ても愛らしい超小型犬である……きんきん声で偉そうに人語を喋りさえしなければ。
「隠しても無駄だ、我輩の鼻はごまかせん。モンスター退治に剣難女難、血みどろの抗争であれば申し分ないが、このさい些細な日常トラブルでも構わんぞ……鍋でもフライパンでも、要はあたりどころだ。さ、正直に申せ!」
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求む、トラブル
賑わうアルマ通りをすいすいと抜けながら、千獣(せんじゅ)はわずかに眉根を寄せた。
せっかくいいお天気で、ちょうど市も立っていて、面白い売り口上を楽しんだりおいしそうな匂いに惹かれたりしていたのに。
喉に引っ掛かった魚の小骨程度の、気にするほどではないのだがちょっと……
「面倒、くさい……」
撒いてしまおうか。
と、蕎麦屋の屋台の脇に見覚えのある毛玉がいた。
「……あ」
「おう、千獣! 久しいの」
跳ねるように駆けてきたのは、元荒ぶる海の魔物にして只今はどう見てもちぎれんばかりに尾を振っているロングコートの黒白チワワ――バロッコであった。
「貴様、我輩の下僕を見かけなんだか? 連れ出しておきながら目を離すとはけしからん」
勢いよく千獣の腕に飛び込んだ魔わんこは、体をぷるぷる震わせながらも相変わらず偉そうだ。
「下、僕……?」
「まあよい、いてもうるさいだけだ。ときに千獣――我輩の鼻はごまかせんぞ」
「バロッコ……まだ、面、倒、ごと……探し、てるの……?」
「絶賛捜索中である! 我輩の牙は突き立てる肉としぶく鮮血を求めてやまぬわ!」
傍目にはお散歩中の娘さんと抱っこされてご機嫌な超小型犬だが、会話の方はなかなか物騒である。
どの道挨拶してお別れというわけにはいかなそうだ、と悟った千獣は、振り向かずに軽く背後を示した。
「……良かった、ら、手、伝って、くれる……?……ほら……」
が、彼女の肩越しに覗き見たバロッコは不満を鳴らした。
「なぁんだ、先だってのチンピラ共ではないか。まだ懲りとらんのか」
「でも、少し……違う、におい、も、する……」
「ふむ? ではまたひと気のないところに誘い出――」
言葉の途中でバロッコの鼻にしわが寄り、唇がめくれ上がった。同時に千獣が走り出す。
不意に、それまでとは比べ物にならぬ悪意の放射を感じ取ったのだ。
雑踏のそちこちでどよめきが起きたのは、露店の隙間、果物の籠、香辛料の壷、けたたましく鳴く鶏を擦り抜け飛び越えて獣のように疾走する千獣のためか、あるいはチンピラから油断のならぬ敵に豹変した追手のせいか。
「黙っ、て……!」
何事か喋りかけて舌を噛んだらしいバロッコを制し、千獣は路地に飛び込んだ。
ところが、
「う、そ……!」
小暗い空間には背後に迫るそれより強力な、人ならざるものの悪意が待ち構えていた。
身を翻す間もあらばこそ、攻撃呪文が炸裂する。
腕から逃れ、“敵”に突進する小さな影に追いすがって抱きかかえた千獣を、闇色の炎が包み込んだ。
頬にふわふわした温かいものとひんやり冷たいものを感じて、千獣は目を開けた。
間近に黒白チワワの鼻面があった。よかった無事だった、と安堵し、次いで物置じみたカビ臭い小部屋で藁を詰めた湿っぽいベッドに身を横たえていることを認識する。同時に、背後の気配をも追っていた。
「おお、気がついたな」
その嗄れ声には聞き覚えがあった。跳ね起きざま身構えて睨みつけると、ひえっと間の抜けた悲鳴が上がる。
「待て待て千獣、こたびは敵ではないぞ」
「……え……?」
千獣は服の裾をくわえて取りなす魔わんこと、埃まみれの床にしりもちをついている妖術師――さよう、封印呪文によって水棲の魔獣を子犬の姿に変えていたあの老人であった――を見比べた。あいかわらず陰険そうな顔つきだが、この間のような露骨な悪意は感じられない。困惑は、続くバロッコの言葉にいっそう募った。
「路地にいた魔物に目くらましをかけて、ここまで運んでくれたのだ」
「まったく、かくまってやって威嚇されては割に合わぬわい」
立ち上がってローブをはたきながらぶつくさ言う老人に、バロッコがすぐさま反論した。
「なにを申す、そもそも貴様が黒幕であろうが」
「あのな、儂がもくろんでおったのは、そう、雨上がりにぬかるみにはまって勝負服だいなし〜とか、青空を見上げた瞬間に鳩のフンいや〜んとか、物売りにまんまとぼったくられてムカツク〜とか、そんな類いのささやかな意趣返しであってだな――」
「ささやかながらも大層ねじくれておるな」
「ほっとけ!」
偉そうな物言いの一匹と一人の会話から流れを捉えようと、千獣は耳をそばだてた。
どうやら発端は街で偶然彼女を見かけたことにあるようだ。“楽しげな様子にむかっ腹が立った”となれば、先日の観劇帰りだろうか。
「ぼやいておったら、食客の若造が自分に考えがある、任せてほしいと。あまり熱心なので許可したところ、あの飲んだくれのチンピラ共を筆頭に儂の助手から下働きから料理女から家の者すべてにおかしな術を施して――」
「文字通り母屋を取られたか。大笑いである」
「やかましいわ」
老人は渋い顔でしなびた頬を押さえた。よくよく見れば殴られたような痣がいくつもある。
「ご、めん……あり、がと」
なにはともあれ、危急を救われたのだ。千獣が礼を述べると、しかし、相手はますます渋い顔になった。
「さっきのは冗談じゃ。礼には及ばん。自分のためにやったことじゃで」
「……?」
「取られたものを取り返す好機、ということよ。おぬしへの仕返し云々は儂を追い出すための口実にすぎなかった筈じゃ、わざわざ実行するからには――ま、状況からして魔物を召還してみたはいいが生贄を要求されて大弱りといったところじゃろ。そんな半端仕事しかできぬ輩に長年の研究成果の数々をくれてやる気はさらさらないでな」
言うだけ言うと、老妖術師は外の様子を窺いに出て行った。
「…………」
千獣はベッドに腰を下ろし、ときおり痛む背中にそっと手をのばした。指でさぐる限り、布地は焼け焦げて大きな穴が空いているものの、黒い炎に抉られた肌は既に肉が盛り上がりはじめていた。こんなものだろう、と彼女は思った。よほど高位の神聖魔法をまともにくらわない限り、致命傷にはなりえないのだから。
「ほう、たいした回復力であるな貴様! 貴様が邪魔だてせなんだら我輩、今頃ばっちりゴーストであったぞ」
真後ろからきんきん声が響く。その冗談めかした口振りにわずかな悔しさを聞き咎め、傷がひきつれるのも構わず、千獣は体をひねってバロッコを覗き込んだ。
「……ねぇ……どう、して、そん、なに、転、生、したい、の……? 今の、命、じゃ、だめ、なの……?」
私は今のあなたに生きていて欲しいのに。
そう望むのは、あなたにとっては迷惑なこと――?
けぶる赤い瞳に真っ向から見据えられ、バロッコは怯んだ。けれどもすぐに小さな頭を傲然ともたげ、うるんだ瞳で睨み返す。
「言った筈だ。我輩は荒ぶる海の大妖であったのだ。心のままに歌えばたちまち嵐となり、笑えば津波を引き起こした。生あるものは皆我輩を畏れたものだ。それが……どうだ、この体! こんな卑小で脆弱な殻に押し込められて!……貴様も内に数多の命を宿す身ならば耳を澄ませてみよ、それらが、それらでもある貴様が真になにを欲しているか訊ねてみるがいい!」
思いがけず激しい感情をぶつけられ、刹那、千獣は迷った。その意識の揺らぎに乗じ、獣どもが一斉に吼え猛り、暴れ出す。常より抵抗が大きいのは、呪符を織り込んだ包帯がところどころ服と共に焼けてしまったせいかもしれない。
それでも、千獣は内なる魔と獣とを捻じ伏せた。長い溜息をひとつ吐くと、四肢を突っ張って彼女を見つめていたバロッコにきっぱりと言った。
「私、は……私……だから。今の、自分……が、一番、いい、から」
「……さようか。欲のない奴であるな」
ぷい、とバロッコは横を向いた。
「知らぬ幸せとはよくいったものだ。我輩とてなにも覚えておらねば、単なる賢く愛らしい超小型犬として瞬くほどの短い時を心安らかに過ごせたものを」
華奢な体が震えているのは、チワワという“殻”のせいだけではないのかもしれない。なんと声をかけようかとあぐねているうちに、老人が戻って来てしまった。
「いかんな、このねぐらは割れたぞ。すまぬが、三馬鹿の相手を頼む」
「で……?」
それであなたはどうする気かと目顔で尋ねられ、妖術師は唇を歪めた。
「知り合いの知り合いに変わり者の魔族がおってな、渡りはつけた。食客と魔物の即席主従はこちらから出向いてケリをつける」
納得して頷く千獣に、老人はあやしげな紋様の呪符を手渡した。
「悪しき気を退けるには、これを胸の真ん中に貼ってやることじゃ。考えなしのチンピラではあるが、毎度駄賃にあわぬ目をみる気の毒な奴らじゃ、できれば加減してやってくれ。……ではな、もう会うこともあるまい」
老妖術師が慌ただしく立ち去るのと入れ替わりに、ドアを蹴破って“三馬鹿”がなだれ込んできた。
まさしく、あのチンピラ連中であった。
だが血走った目は焦点が定まらず、口の端から涎を垂らし、強烈な邪気を放っている。悪しき気とやらのせいだろうか、とても常態とは言い難い。
「よぅしよし、先だってよりははるかにマシな有象無象になりおったな」
はしゃいだ声に視線だけ動かすと、ベッドから藁がはみ出すのも構わず魔わんこが前足でシーツを掻いていた。
「弱すぎず強くもなく、八つ当たりにはちょうどよいわ!」
叫びざま、黒白の弾丸となって一人の顔面を直撃する。ここまでは前回と同じだ。違うのは、相手が鼻血をものともせず掴みかかってきたことだ。噛みつかれてもなお動じず、チワワごと腕を振り回している。
「バロッコ……!」
千獣は左右から迫る相手をなぎ倒し、鋭く呼びかけた。合点したバロッコが飛びのくや千獣が男の懐につけ入り、呪符を押しつける。途端に起こった苦痛の悲鳴は、正気に戻った証拠とみなした。体を低くして反転し、背後を狙っていた一人の顎をかち上げ、いま一人に手刀を叩き込む。すかさずバロッコが頭突きをお見舞いしがてら呪符を貼っていった。舞い上がった塵がゆるゆると落ちてくる頃には、胸にあやしいおふだをくっつけた男が三人、なかよく床に転がってべそをかいていた。
暴れてすっきりしたのか、再びベッドによじ登り勝利の高笑いをしているバロッコを、千獣はしばらく眺めたあと、そっと抱き上げた。
「む? なんだ千――」
「バロッコ、は、可愛い、よ……」
ゆっくりと頭を撫でながら言葉を紡ぐ。
「な、な、なんだやぶからぼうに」
「優、しい、し……頭も、いい、よ……だか、ら」
だから、今はまだ、そのままでいて――
千獣が、自分の感情に任せた繰言に応えているのだと気づいたバロッコは照れくささにじたばたともがいたが、がっちりホールドされていて逃げられない。
「そ、そういう風に言われるのが、その、なんだ、アレだから我輩はっ……ええい、これだから婦女子というやつは!」
もしやこやつが我輩最大のトラブルなのでは……そんな恐ろしい考えに戦慄しつつ、尻尾はこれでもかというくらい振ってしまっているバロッコであった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3087 / 千獣(せんじゅ) / 女 / 17(実年齢999) / 獣使い】
【NPC / バロッコ / 男 / 10 / 魔わんこ】
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■ ライター通信 ■
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千獣様
こんにちは、三芭ロウです。
いつも納品が遅くて申し訳ありません。
この度もご参加ありがとうございます。
どうも千獣様と行動するとバロッコのツンデレ度が上がるようです。バレバレですが。
さて今回、陰険老人の仕返しは計画段階で乗っ取られたあげく頓挫いたしました。
「もう会うこともない」なんて言ってますが、わかったものではありません。
意外といい人かもしれませんが、そうでもないかもしれません。
それでは、またご縁がありましたら宜しくお願い申し上げます。
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