■あおぞら日記帳■ |
紺藤 碧 |
【3510】【フィリオ・ラフスハウシェ】【異界職】 |
外から見るならば唯の2階建ての民家と変わりない下宿「あおぞら荘」。
だが、カーバンクルの叡智がつめられたこの建物は、見た目と比べてありえないほどの質量を内包している。
下宿として開放しているのは、ほぼ全ての階と言ってもいいだろう。
しかし、上にも横にも制限はないといっても数字が増えれば入り口からは遠くなる。
10階を選べば10階まで階段を昇らねばならないし、1から始まる号室の100なんて選んでしまったら、長い廊下をひたすら歩くことになる。
玄関を入った瞬間から次元が違うのだから、外見の小ささに騙されて下手なことを口にすると、本当にそうなりかねない。
例えば、100階の200号室……とか。
多分、扉を繋げてほしいと頼めば繋げてくれるけれど、玄関に戻ってくるときは自分の足だ。
下宿と銘うっているだけあって、食堂には朝と夜の食事が用意してある。
さぁ、聖都エルザードに着いたばかりや宿屋暮らしの冒険者諸君。
あなただけの部屋を手に入れてみませんか?
|
あおぞら日記帳
チラシを片手に辺りをきょろきょろと見回しながら、フィリオ・ラフスハウシェは、エルザードの住宅街を歩いていた。
フィリオの記憶が正しければ、この地図に書かれている辺りに建物などなかったはずである。
まかりなりしも、フィリオはエルザードの自警団員。街中はある程度把握しているつもりだった。それほどに、短期間で一気に作り上げられた下宿に興味も沸いた。だが、それ以上に、現状自分の身に起きている女天使化によって、自警団寮での生活が不便になってしまったのが、今フィリオがこの下宿の場所を探している最大の理由だった。
寮を出ようと思った時に、昇給して一人暮らしするだけの蓄えが貯まっていたことは、偶然じゃないのかもしれない。スカウトを切欠に、自立のためエルザードに来たころは、こんなことになるなんて思ってもいなかったが。
「ここですね」
ペンションチックな外装がなんとも可愛らしい下宿である。
フィリオはドアノブに手をかけると、カランとドアベルの音を響かせて両開きの扉を開けた。
「こんにちは」
中は、がらんとした食堂ホールで、時間がずれているのか人は誰も居ない。確か、チラシには朝と夜は出ると書いてあった。人が居ないのは今が昼だからだろうか。
「はーい」
程なくしてパタパタと足音を響かせて白い髪の少女がフィリオを出迎えた。
「『あおぞら荘』はこちらですか?」
「はい。ようこそ、あおぞら荘へ!」
フィリオはほっと安堵の息を漏らし、開けた扉を閉める。
「部屋を見せていただいてもよろしいですか?」
「勿論!」
白い髪の少女―――ルツーセは、フィリオをつれて食堂ホールを抜けると、部屋が並ぶ廊下へと歩を進める。
「部屋はどこも同じつくりなの」
ルツーセは適当な扉の前まで軽く駆けると、開けたときフィリオが室内を見やすいような位置に立ち、扉を開けた。
「いかが?」
最低限の調度品だけは整えられている室内。これならば、新しく賃貸の部屋を借りると考えたときに、用意しなければならない物をかなり減らすことが出来る。
例えば嵩張るベッドなど。
「ええ、なかなかいい部屋だと思います。あの、一つ尋ねたいいのですが」
フィリオはふと考える。ルツーセにサンプルとして通された部屋は8畳。だが、寮を出ようと思った理由と繋がる自分の荷物の量が、この8畳に納まるとは思いがたい。
「この部屋は8畳ですが、10畳ほどの部屋を借りることは可能でしょうか?」
「ええ、大丈夫よ。広げるだけだもの」
「広げる??」
きょとんと眼を瞬かせたフィリオに、ルツーセは大きくうなずく。
通常、建築物というものは、後から部屋を広げるなどということは立て替えるなり、リノベーションするなりするしかない。
だが、彼女はさも簡単な事だとでも言うようにさらりと言ってのけた。
フィリオが頭上に出した疑問符は消えない。
けれど、この先も増え続けるであろう荷物のことも考えて、10畳の部屋が借りられるのならば、願ったり叶ったりだ。
考えるのは一旦止めにして、フィリオはすっと両手を身体の横に合わせて立つと、
「では、こちらで部屋を貸していただきたいと思います。よろしくお願いします」
流石自警団員というような、きっちり45度の角度に腰を折って頭を下げた。
「こちらこそ、これからよろしくね」
ルツーセの返答に、フィリオは頭を上げて、ほっと胸に手を置いて微笑む。
「こんなにも順調に部屋が見つかってよかったです」
「そんなに早く前の部屋から退去しなきゃいけなくなっちゃったの?」
「自警団の…仕事先の寮なので、そういうわけではないのですが…」
フィリオには別の理由がある。
「寮のほうが便利だと思うけど……。あ、ダメダメ今のなしね!」
部屋を貸したいのに、別の部屋の宣伝をしてしまっては、商売にならない。そんなルツーセに、フィリオはついくすっと笑ってしまう。
確かに、寮に入っていれば、多少なりともの部屋代は給料から天引きされているものの、下宿ほどの出費にはならない。出来るだけ節約するならば寮に入っていたほうが便利だろう。
そう、聖獣装具の暴走によって女天使化することもなく普通の男のままだったならば、フィリオは今こうしてここには立っていないのだ。
だが、起こってしまったことを悔いても仕方がないし、今の状態と上手く付き合っていく状況を作り上げたほうが、便利なのは事実。
フィリオは自分の女天使化を言うべきか、言わざるべきか迷い、ルツーセがここの管理者ならば、知らせておいたほうが良いと判断し、「実は…」と、切り出した。
ルツーセは、じっとフィリオを見つめたまま話を聞いている。
「女天使の姿も私ですので、不法侵入者ではありませんので…」
入居の契約をし、フィリオ以外の人物がフィリオの部屋から出てこれば、普通に考えて、泥棒の類(恋人という説も出るだろうが)と間違えられても仕方がない。
火種は事前に消しておいたほうが、後々問題にならなくてすむ。
が。
「性別がアイテムに依存しちゃうって不便ね。ころころ自由に変えられたほうがいいのに」
いや、男として生まれたなら、一生男のままで居たほうがいいと思いますが。
予想していたものとは違う返答に、フィリオはしばし面食らう。
「でも、そうよね。それだと寮は不便だもんね」
男性寮と女性寮を化身する度に行き来しなければならないのは不便だったことだろうと、ルツーセは、腕を組んでうんうんと頷く。そして、思い出したように、はっと顔を上げた。
「そういえば、部屋、何処にする?」
「そうですね――」
フィリオはサンプルルームから廊下へ出ると、辺りを見回す。
「夜警もあるので、入り口から近い1階の4号室辺りがいいのですが」
「うん、了解。フィリオさんは食堂で待ってて。直ぐに部屋用意するから」
ルツーセはびしっと額に手を当てて敬礼ポーズをとると、たったと廊下の先へ駆けていった。
そんな背中を見送って、フィリオは言われたとおり食堂へと戻る。
「確か、厨房は共同でしたね」
フィリオはルツーセが呼びに来る間の時間を使って、設備を見てしまおうと、カウンター越しの厨房へと回りこんだ。
「………」
そっくりなコルク蓋のガラス瓶を見て、フィリオは苦笑いを浮かべる。
これは、どっちが塩で、どっちが砂糖だ。いちいち舐めて調べろとでも言うのだろうか。
一旦フィリオはガラス瓶を棚に戻すと、オーブンやコンロ、調理機器の場所を確認する。普通に食堂でも開けそうな設備が整っているようだ。
「フィリオさーん」
「あ、はい」
そんなこんなしている内に時間はそれなりに過ぎていたらしい。
振り返れば、ルツーセがカウンター越しに覗き込んでいた。
厨房から食堂へ、そしてルツーセの後を付いて廊下を進む。
「はい、これ部屋の鍵ね。便宜上のものだけど」
フィリオに渡された鍵は、フィリオの掌に触れた瞬間淡く輝いた。だが、それも一瞬のことで、それ以降なんら輝くことはなかったが。
「この鍵で、入り口の扉も開けることができるのですか?」
フィリオが夜警に行っている間中入り口が開けっ放しでは、個別に鍵があったとしても無用心である。
「心配しないで。この家は、これから“あなた”を認識して、扉を開けてくれるから」
原理が分からずにフィリオは首を傾げるが、ただ自分が知らないだけで、そういった魔法的な何かがこの家にかかっているのだろう。そして、鍵を懐にしまうと、思い出したようにルツーセに視線を向けた。
「それからもう一つ、塩と砂糖にはラベル貼っておいてもらっていいですか?」
その瞬間、初めてルツーセがきょとんと眼を大きくした。
「私、作ることは出来るんですが、食材の見分けが付けられなくて……」
照れるようにポリポリと軽く頬をかいたフィリオに、ルツーセはにっこり笑って、元気な返事を廊下に響かせた。
☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆
【3510】
フィリオ・ラフスハウシェ(22歳・両性)
異界職【自警団員】
☆――――――――――ライター通信――――――――――☆
あおぞら荘にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
かなり突発的な窓開けでしたが、見つけていただいて感謝です。
1−4にお部屋を用意させていただきました。
大家ズは、性別がころころ変わるヒトは慣れているので、過ごし易いのではないかなぁと思います。
それではまた、フィリオ様に出会えることを祈って……
|