■戯れの精霊たち■
笠城夢斗
【3087】【千獣】【異界職】
「お願いが、あるんだ」
 と、銀縁眼鏡に白衣を着た、森の中に住む青年は言った。
「この森には、川と泉、焚き火と暖炉、風と樹、岩の精霊がいる――」
 彼の声に応えるように、風がひらと彼らの横を通り過ぎ、森のこずえがさやさやとなった。
「彼らは動けない。風の精霊でさえ、森の外に出られない。どうかそれを」
 助けてやってくれ――
「彼らは外を知りたいと思っている。俺は彼らに外を見せたい。だが俺自身じゃだめなんだ……俺が作り出した、技だから」
 両手を見下ろし、そして、
 顔をもう一度あげ、どこか憂いを帯びた様子で青年は。
「キミたちの、体を貸してくれ。キミたちの体に宿っていけば、精霊たちも外に出られる。もちろん――宿らせた精霊によって色々制約はつくけれど」
 お願い、できるかい――?
「何のお礼もできないけれど。精霊を宿らせることができないなら、話をしてくれるだけでもいい。どうか、この森にもっと活気を」
 キミの言うことは俺が何でも聞くから――と言って、青年は深く、頭を下げた。
色づく夢の笑顔の下で

 精霊の森。1本だけ流れる川と、風がふわっと吹き渡りさやさやとなる梢だけが音として聴こえる静かな世界。
 ――ここに住み始めてから、どれくらい経ったかな。
 木々を見上げて、千獣はそんなことを考えた。
 彼女は『時間』の概念を持っていない。けれど周りに影響されたのか、少しずつ、少しずつ、変化が気になるようになってきた。

 変わっていく。
 何もかも。
 変わっていく。
 ――どれも千獣には嬉しい変化ばかりで、今の千獣には怖いほどだった。

 彼女は今、胸に小瓶を持っている。
 それを大事に抱えたまま、森の中に唯一建っている小屋へゆっくりと向かう。

 小屋の中から、1人の青年が顔を出した。
「千獣。どうした?」
 青と緑の入り混じった不思議な髪、銀縁眼鏡に白衣。温和な表情に、森の色の瞳。
 すべてが、千獣を落ち着かせてくれる――青年の存在。
「千獣――」
 彼、クルス・クロスエアは、何も言わない千獣に首をかしげた。
 千獣はもう1度、胸にある小瓶をぎゅっと抱きしめた。
「何を持っているんだい?」
 訊かれて。
 そっと、抱いていたものを青年に見せる。
 ……何か透明な水の入った、小瓶。
「……これ……この、前、依頼、で、もらって、きた、水……」
 最近の千獣は色々な所で働いている。主に冒険者に依頼されるようなものを引き受けているのだ。
 この間はこの水が報酬だったと彼女は言った。
「……願い、が、叶うって、言わ、れてる、水、なん、だって……」
 千獣は視線をさまよわせながら、ゆっくりゆっくり、噛みしめるようにその言葉を伝える。
 ひとつだけ願いを叶えてくれるという、清流の水。
 願い。
 千獣の願い。
 自分と、自分の内にいる獣たちのことは、自分自身が向き直らなきゃいけないことだと分かっている。
 ――自分が母と慕う樹の精霊ファードのように、樹液――千獣にとっては『血』が、癒しの効果を持つようになったらどんなにかと、今でも思っている。
 でもそれは再三止められてきたことだから。
 だからこの願いの水は、何よりも信頼する青年に渡すことに決めた。
「本当に、叶う、のか……どう、叶う、のか、とか……わから、ない、けど……みんな、の、ために……何か、願う、とか……研、究、に、使う、とか……して……?」
「………」
 クルスは小瓶を受け取って、しばらくそれを眺めていた。あごに手をやって、何かを考えている。
「少し、でも、みんな、の、ために、なる、なら……それで、いい……」
 千獣は長身のクルスを下から見上げるように見てかすかに微笑むと、そのまま背を向けた。
 これから街へ行くつもりだった。千獣自身はあまり気にしていないが、クルスや、最近増えたミニドラゴンのルゥ、記憶喪失少女セレネーのために食費が必要となって、森が金銭的に困窮しているのだ。その分を稼ぎにいかなくてはならない。
 森は千獣の家。森のためなら、森に一緒に住んでいる者たちのためなら、千獣はどんな苦労も惜しまないつもりでいた。
 だから街へ行こうと背を向けた千獣に、後ろから声がかかった。
「千獣」
 千獣は足を止めた。肩越しに振り返る。
 クルスは微苦笑して、
「申し訳ないんだけどこの水、僕のわがままに使ってもいいかな?」
「―――」
 クルスのわがまま……?
 考えたこともなかった。彼は一番に森のことを考える人で、自分の願いを優先するとは思えなかったのだ。
 でも――
 彼だって、願いのひとつやふたつ――あるのは当たり前、で。
 千獣はかすかに微笑む。
「……クルス、が、そう、したい、なら……」
 クルスだけでも幸せな想いをするなら、それはそれでいいか。
 彼女はそう思った。だから、小さくうなずいて、もう一度背を向けた。
「ありがとう」
 そんな言葉が、聞こえた。


 ありがとうって何だろう。
 何となくそんなことを考えてみる。
 ありがとう、ありがとう。
 それは不思議と優しい言葉で。
 ――いつだったかクルスは、「すまない」と謝ってばかりなのを、友人に「謝ってばかりいるんじゃねえよ」と諭されたことがあると笑っていた。
 「すまない」より「ありがとう」の方が、
 何倍もあったかい。
 だってありがとうと言っている人の方が、笑顔が多いから。
 笑顔。
 それも不思議に暖かい。
 自分もうまく『笑顔』を作れているのだろうか。作れなくてもいい、なんて思わない。作ってみたい。
 ――『笑顔』って、『作る』ものなのかな?
 自然とできるものじゃないのかな?
 分かんない。分かんない。
 他人のために浮かべる笑顔がある。自分自身のために浮かべる笑顔がある。
 どう違うんだろう? 分かんない。分かんない。
 でもいいんだ。こんなことを考えるようになった自分がちょっとだけ嬉しい。


 もうすぐで森の外へ出る。
 千獣はふと気づいた。――森の梢の音が聴こえない。
 思わず振り向いた。この森を司っているのは彼女の大好きな樹の精霊ファードで、そして森の中には風の精霊が2人常に飛びまわっているから心地よい風が吹いていて、梢の音が止まることなんて滅多にないのだ。
 少なくとも、常人以上の聴覚を持つ千獣には。
 だから振り向いた。何かあったのかと。樹の精霊に、あるいは風の精霊に、どちらであっても何かあったなら向かわなくては――
 再び身を翻し、足を小屋の方向へ向けた。
 その時だった。

 ふわっと世界が浮かび上がるような感覚に陥って――

 千獣は目を見張った。
 森が。
 常緑樹の森が。
 緑でしかなかったはずの森が。
 奥から、徐々に、色を変えていく。少しずつ、少しずつ。
 緑が黄緑に、黄緑が黄色に、なぜか赤色に、もっと不思議な茶色に、

 ――森が、枯れた?

 否。そんな雰囲気じゃない。

 だってそう思うにはあまりにも――目の前の森は色鮮やかだった。
 緑、黄緑、黄色、赤、茶色、他にも言葉にできない色がさまざままじったグラデーション。
 そしてどこからか、まぶしい陽射しが差し込んできて、色の変わった森を美しくライトアップした。
 千獣は額に手をかかげて目を細める。
 ――まぶしくて、綺麗すぎて、まともに見えない。
「……よく見てやってくれると嬉しい」
 声が聞こえた。
 クルスが、いつの間にか傍まで来ていた。千獣が森の変わりように呆然としている間に来たらしい。
「あの水をね」
 クルスは小さな声で囁くように言う。
「ファードの根元にかけたんだ」
「……ファー……ド」
「ファードもね、最近はよく外に出させてもらうようになって、常緑ではない木々も見るようになって……桜も見たっけな。少しだけ、色を持つことに憧れていたらしくてね」
「―――」
 いろ。
 いろが見える。
 ファードがいろ付いた。
 ずっと緑だと思っていた彼女の木々に、いろが付いた。
 千獣はへたりとしゃがみこんだ。両手で口を覆う。
 目元が熱くなった。なぜだろう?
 色づいた木々を見渡して答えを探す。
 ああ――
 ああ、分かった――
「ファー、ド」
 千獣は、母と慕う樹の精霊の名を呼んだ。
 梢がさらさらと鳴った。
「ファー、ド、が、笑って、る」
 ぽろぽろと頬を伝う何かがある。口を覆っていた手を伝う何かがある。
 なぜだろうこんなにも――心の底が熱い。
「ファード、が、笑って、る」
 元から優しく微笑んでいる樹の精霊。でも今日は何だか違うと千獣は感じる。
 何だか照れているような。
 いつも大人なファードが、初めて着飾って喜んでいる少女のように。
「――僕と、ファードのわがまま」
 クルスは千獣に合わせるようにしゃがんで、微笑んだ。
「よかったかな、あの水を使って」
「……っ……っ」
 千獣はもう言葉が出なかった。
 ただぱっと立ち上がって、一番近くの樹に抱きついて、幹に耳を当てた。
 ――鼓動が聴こえる。木々特有の鼓動。
 いつもと違う鼓動のように聴こえる。いつもよりもはしゃいでいるような。
 ここにある樹さえこうなんだから、ファード自身の本体は、今――
「クル、ス」
「何だい」
 立ち上がったクルスに、千獣は頬を伝う何かを拭いながら言った。
「ごめん、なさい。今日、は、街、に、働き、に、出かけ、られな、い」
「ああ」
「ごめん、なさい」
「大丈夫だよ。まだ蓄えはある」
「――ファード、の、ところ、に」
「行っておいで」
 クルスは笑って促した。
 千獣は森の中を駆け出した。

 両端を囲むはさまざまな色を持った葉。
 さらりと落ち葉が千獣の黒髪に触れていく。
 途中でミニドラゴンのルゥが、黄色い落ち葉をしゃくしゃくと食べていた。
 何となくルゥをその状態のまま抱え上げて、千獣は走った。

 ねえ、ファード。ごめんなさい。
 気づかなかった、あなたの願い。
 でも間違えなかった。クルスに渡したこと。間違いじゃないよね?
 クルスなら間違った使い方はしないと信じていたから。

 やがて見えてくる、ファードの本体。
 森の中でもっとも高く太くそびえたつ樹。
 ふらりと横から、セレネーがやってきた。彼女のために走るのをやめて、足並み揃えて。
 ルゥと、セレネーと、自分と。
 3人で森を司る『母』に会いに行った。
 梢がさやさやと鳴った。風の精霊たちが近くにきている。
 いつもと違う色彩が世界を埋め尽くす。
 ああこんなにも、我らの母は美しかったのかと再認識する。
 ――1日限りの夢であっても。
 ファードの笑顔、忘れない。

 ルゥがまるで祝うかのように、小さな小さな火を吹いて。
 セレネーがふらりふらりとファードに手をかかげて。

『千獣……ありがとう』

 薬を使ったわけでもないのに聞こえた声。
 それを聞いて、また胸の奥からこみあげてくるものがあって。
 千獣はぎゅっと胸元を抱きしめ、目からにじんでくるものを頬に受け止めた。
 流れる冷たい雫は、止める必要のないものだと何故か分かったから。

 千獣は母に抱きついた。
 抱きついて、存分に泣いた。

 優しい母は、ずっと背中を撫でてくれているようだった。
 このぬくもり。この鼓動。何もかもが千獣を包み込んで。

 忘れない、ファードの色づいた姿を。
 母たる樹の、滅多にない彼女自身のための笑顔、忘れない。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】

【NPC/クルス・クロスエア/男/外見年齢25歳/精霊の森の守護者】
【NPC/ファード/女/外見年齢29歳/樹の精霊】
【NPC/ルゥ/男/0歳/ミニドラゴン】
【NPC/セレネー/女/外見年齢15歳/森の居候】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
今回もありがとうございました、笠城夢斗です。
千獣さん単独は久しぶりとなりますので、ちょっとどきどきしました。短めのエピソードですがいかがだったでしょうか。薬の使い方はこれでどうでしょう?
NPCそろい踏みとなってしまいましたがw
何気に時期が合ってるなあと書いてから気づきました(意図してないところが私らしいです)
何はともあれ、ありがとうございました。またよろしくお願いします。

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