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■戯れの精霊たち■ |
笠城夢斗 |
【3087】【千獣】【異界職】 |
「お願いが、あるんだ」
と、銀縁眼鏡に白衣を着た、森の中に住む青年は言った。
「この森には、川と泉、焚き火と暖炉、風と樹、岩の精霊がいる――」
彼の声に応えるように、風がひらと彼らの横を通り過ぎ、森のこずえがさやさやとなった。
「彼らは動けない。風の精霊でさえ、森の外に出られない。どうかそれを」
助けてやってくれ――
「彼らは外を知りたいと思っている。俺は彼らに外を見せたい。だが俺自身じゃだめなんだ……俺が作り出した、技だから」
両手を見下ろし、そして、
顔をもう一度あげ、どこか憂いを帯びた様子で青年は。
「キミたちの、体を貸してくれ。キミたちの体に宿っていけば、精霊たちも外に出られる。もちろん――宿らせた精霊によって色々制約はつくけれど」
お願い、できるかい――?
「何のお礼もできないけれど。精霊を宿らせることができないなら、話をしてくれるだけでもいい。どうか、この森にもっと活気を」
キミの言うことは俺が何でも聞くから――と言って、青年は深く、頭を下げた。
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戯れの精霊たち〜炎よ、その心を知れ〜
その日千獣は、精霊の森の小屋の中の暖炉の前で、ちょこんとかがんでいた。
暖炉の炎は年中消えることがない。それは精霊が宿っているからで、森に住むようになってから千獣も少しだけ気配を感じられるようになっていた。
「――擬人化<インパスネイト>」
ふと背後から声がして、光の粒子が暖炉の炎に向かって駆けて行った。
そして、暖炉の前で弾ける。
同時に、そこには不機嫌そうな青年が現れていた。
『……なんで俺を擬人化させたわけ』
青年はぶっきらぼうに言う。
千獣は微笑む。これが、暖炉の火の精霊――グラッガの姿だ。
「グラッガ……」
千獣は手を伸ばした。グラッガがぎょっとして、
『馬鹿、火傷してえのか!』
「………」
ふふっと千獣はかすかに微笑み、後ろを向いて、
「ありがとう」
とグラッガを擬人化させた青年に言った。
クルス・クロスエア。この森の守護者である。
何も頼まなくても、彼は千獣のしたいことを察してくれた。
「うまく交渉してくれ」
クルスは手をひらひらさせて、近くの椅子に座り本を読み始める。
うん、と返事をしてから、千獣は改めてグラッガに向き直った。
「ねえ、グラッガ……外、行こう……?」
『はあ!?』
グラッガは声が裏返りそうなほど変な声を出した。
『ばっかじゃねーの! 俺は外は嫌いだって言ってんだろ!!』
「でも、この、間、は、外に、行きたい、って、自分、で、言った……」
『………』
ちっとグラッガが舌打ちする。――その通りだ。
先日、彼は外の星が見たいと言って、皆と一緒に外へ出た。
その時千獣は約束した。今度はちゃんとしっかりと外へ出させてあげると。体に宿して、つれていってあげると。
グラッガは「外嫌い」である。
理由は「どうせ一度見たらもう二度と見られない」からだそうだ。
「でも……今、は……違う」
千獣は彼のためなら何度でも体を貸す決意でいた。
「ね、行こう……」
『――やだ』
「……行こう」
『やだ』
「………。行こう……」
『いやだっつってんだこのアマ!』
「おね、がい……」
グラッガの罵声が止まった。
「あの、ね……お、遣い、たの、まれ、てる、の……。1人、じゃ、心、細い、から……一緒に、来て……?」
『―――!』
グラッガは猛然と森の守護者の横顔を見る。
クルスはどこ吹く風で本を読み続けていた。
「ね、おね、がい……」
かわいらしく手を合わせて、ちょこんと首をかしげる。
『―――』
グラッガはぎりぎりと歯ぎしりした。彼の炎が勢いを増した。怒っている。
千獣は今にも炎に飲み込まれそうになりながらも、動かずに待っていた。
『この、アマ――』
グラッガはぎりぎりまで千獣に顔を近づける。
炎の精霊である。その迫力は大したものだった。
……けれど千獣は、まったく動じなかった。
千獣の、体中に巻かれた呪符包帯に、ちりちりと炎が乗り移ろうとしている。
はっとしたグラッガは、慌てて引っ込んだ。
千獣はただ、見つめていた。
『……くそっ』
グラッガは吐き捨てた。
『今回だけだかんな!』
ようやく飛び出した言葉に、千獣の顔が嬉しげにほころぶ。
それを見たグラッガが、かあっと赤くなった。
「クルス……」
千獣は背後の青年を呼ぶ。
「OK。交渉成立だな」
守護者はすでに立ち上がっていた。そしてグラッガに向かって、いたずらっぽく言った。
「男は女に勝てないもんだ」
『ざっけんな!』
意識を重ねる瞬間は、心が灼熱に焼かれるよう――
それでいて、体を内からあたためる何かがあって、心地よい……
グラッガを身に宿した千獣は、小屋を出る時に一言、言った。
「行って、きます……」
「いってらっしゃい、2人とも」
クルスが微笑んで、それに応えた。
千獣はゆっくりと森の中を歩いていく。――外に向かって。
いや、グラッガにとっては小屋の外がすでに『外』だから。
「ここ……精霊、の、森、だよ……?」
『……んなこた分かる』
「これ、木……ファードが、つかさ、どって、る……」
『ファード……』
同じく精霊の森の樹の精霊の名前を出され、グラッガはむっとしたようだった。
「どう、したの……?」
千獣は胸に手を当てる。「ファード、が、どう、した、の……?」
『……どいつもこいつもファード大事でばかばかしい。クルスも異常なファードびいきだ。てめえもだろ』
「………」
そうか……小屋でいつもクルスばかりを見ているグラッガにしてみれば、クルスのファードびいきは許せないものなのかもしれない。
「じゃ、これから、は……。グラッガ、……は」
ファードは千獣にとって母だ。
グラッガは……
「……ええ、と。おとう、と?」
『せめて兄貴にしやがれ小娘!』
「じゃ、おにい、さん……」
家族とはどんなものかよく分からない。分からないけれど。
この森もにぎやかになった。ミニドラゴンやスライム、記憶喪失の少女まで舞い込んで、だんだん――いるだけであたたかくなった。
「私、が、弟……?」
『ばっか、お前女だろ。妹だよ!』
ぶすっとしながら言うグラッガに、くすっと笑う。
『な、なに笑ってんだ』
「じゃ、グラッガ、が、おにい、さん……私、いもうと……」
『………!』
「かぞく……」
『ち、違ぇよ!』
怒鳴り散らすグラッガにくすくす笑いながら先を進むと、明るい日光が見えてきた。
「ほら……森の外、だよ……」
まぶしい光。
グラッガはどう思うのだろう?
意識を重ねている時は、心が伝わってくるものなのに。グラッガのそれはひどく読みづらい。
グラッガが心を許していないからだろうか。
ゆっくりゆっくり歩いて、草原を歩いて、街までたどりついた。
人々の波。
ようやくグラッガの心が動いたのが分かる。何を見ているの? あの噴水?
『み、水には――寄るなっ』
怯えたような声に、うん……と応えて噴水は避けた。
喉が渇く。グラッガを宿すとこうなるという。
だが千獣にしてみれば意に介せずだ。
『………っ!?』
グラッガが激しく反応した。『あれ、あの炎なんだ!』
「………?」
グラッガの心のままに見上げてみると、ある店が屋根の角に掲げているランタンだった。
「えっと……灯り……」
『灯り? あんなんで灯り?』
「うん……でも、明るく、する、ため、じゃ、なくて……飾り、かな……」
友人たちに教えてもらった知識を披露してみる。
するとグラッガは猛然と怒った。
『炎は危険なんだぞ! ただの飾りに使うんじゃねえ!』
千獣はくすくすっと笑った。
「でも……グラッガ、は、危険、じゃ、ない……」
『お、俺だって、危険だ!』
「私の、こと、焼かな、かった……」
『………』
「心の、ある、炎、安全……」
グラッガが沈黙した。
「……商店街、の、方、行こう、か……」
アテもなくぶらぶらと。千獣は足のおもむくままに歩く。
商店街では、グラッガがぎゃーぎゃーと騒いだ。
『今ぶつかったやつ! ぶっとばしてやる!』
『今足踏まれたじゃねえか! 何でやりかえさねえんだ!?』
『あーもーお前鈍すぎ! もっときびきび動けー!』
短気なグラッガはケンカ好きだ。
だが「炎の精霊にケンカはやらせないでくれ」とクルスに言いつけられている。
「ねえ……グラッガ……」
千獣は問いかけた。「人間……嫌い……?」
『………っ』
「ちょっと……むかっと……するだけ、で……人間、嫌い、じゃ、ない、よね……」
『き、嫌いだ』
――どうせクルスの力がなければ縁がない存在。
嫌いだ。知りたくもない。
そんな心が流れ込んできて、千獣はいいようもなく悲しくなった。
駄目だ。彼にそんな悲しみばかり与えてはいけない。
「ほら……見て、美味し、そうな、もの……いっぱい、売って、る……」
実際には千獣には味覚がないため、美味しそうという感慨はないのだが、とりあえず近くの果物を指差してみた。
『……俺には食べられねえよ』
俺は焼くだけだよ。
寂しそうな声がそう言った。
――ここは駄目だ。
もっと違う場所へ行かなくては――
ふらふらと違う道を行くと、いい香りがする通りに行き当たった。
「あ……」
そこは、食べ歩き道だった。惣菜に煮物、焼き物におやつ。その他数数えられぬほど。
そこを一通りめぐったら、立派に5キロは太れるといういわれのある道だ。
グラッガが心を揺らした。少しずつ、彼の心の動きが分かるようになってきた。
千獣は黙ってその道を歩く。
グラッガが見ようとしたものを見つけたら、すぐにそちらを向く。
香り高い店が多い。当然だ、焼いて作るものを売っている店ばかりだったから。
「焼く……」
千獣は囁く。
「焼く、ことは……大切、な、こと……だよ」
生で食べるよりずっと安全なこと。
焼いた方が調理しやすいもの。
焼いて初めて美味しい味が出るもの。
心の中でそう囁く。千獣の心も、グラッガに伝わるはずだった。
『俺の』
グラッガがつぶやいた。
『俺の炎でも……うまいもん焼けるのかな』
千獣は思い出してみる。そう言えばクルスは、小屋で料理を作る時暖炉の火を使わない。魔術で起こした火を使っている。
「今度、クルスに、頼んで、みる……?」
『―――』
ためらう反応があった。
それから、
『……ああ……』
グラッガはつぶやいた。
静かな倉庫群に出た。
とてもとても静かで、炎など縁のない場所だ。
だが、グラッガはそこで、ほっとため息をついた。
――千獣はそんな彼の、好む場所や心の動きを直接感じ取りたかった。
『ここで……なら、俺、怖がられないかな……』
「………」
倉庫群である。火が出たら大変なことになるのだが。
「怖がら、れるの、いや……?」
『………』
グラッガは遠い目をして、
『……いつだったかのクロスエアにも、炎嫌いがいたなあ……俺を怖がって、消そうとしてた……』
「―――!」
衝撃的な言葉だった。精霊たちを護るためにいるはずの“クロスエア”が精霊を消そうとした?
「い」
千獣はぎゅっと、グラッガを抱きしめるつもりで自分の体を抱く。
「今は、もう、大丈、夫。クルス、グラッガの、こと、好き……」
『……うん……』
子供のように、グラッガはつぶやいた。
やがて天使の広場に戻って。
噴水からは離れたベンチに座って。
2人で一息ついた。
千獣は目を閉じ、心の中にいるグラッガを感じ取ろうとした。視ようとした。
「グラッガ……外、どう……?」
囁いてみる。
反応はない。
「嫌いじゃ、ない、よね……?」
ぴくりと心が揺れた。しかし何も視えないまま。
千獣は薄目を開けて、空を仰ぐ。そして少し考えた。
「ねぇ……今は、まだ、自由に、外、行けない、かも、しれない、けど……」
――あなたは小屋の中に束縛されたままかもしれないけれど。
「……グラッガ、が、望んで、くれる、なら……一緒に、外、行く、し……それに……」
ふふっと口元が微笑みを浮かべる。
「ね……人も、獣も、ずっと、外に、いられる、わけじゃ、ない、から」
グラッガが大きく心を揺らした。
「……みんな、家に、帰る……『ただいま』って……それと、同じ……」
『……ただいま……』
言ったことのない言葉。
言えたことのない言葉。
「ね……今日は、言いに、行こう、ね……」
『行ってきます』とちゃんと言ってきた。
『ただいま』と言えば、必ず言葉が返ってくるだろう。
家の誰かから。必ず返ってくるだろう。
あのあたたかい家なら、必ず。
「あ……そっか」
ふと気づいて、千獣は目元をなごませた。
「あの、小屋、が、いつも、あった、かい、のは……グラッガ、の、おかげ、だね……」
『………』
「嬉しい、な。私、家が、なかった。あったかい、家が、できて、嬉しい、な」
『………っ』
グラッガの心が震えている。
どうしたの? グラッガ。
――泣いてるの?
馬鹿野郎炎の精霊が泣くもんか。
涙なんかすぐに乾いちまう泣くもんか。
ううん、感じる、よ。
私が、受け止める、から。
だから――……
精霊の森に帰る頃には、夕陽が落ちていた。
『……きれい、だな』
グラッガは綺麗なものが好きなのだと、千獣は今日の散歩で知った。
「炎って、ね……」
千獣はつぶやいた。
「綺麗、だよ……」
『………』
「ぽう、って……こう……光る、の……綺麗……」
『恥ずかしいことばっか言ってやがんな』
グラッガはぷいとそっぽを見た。
「だめ……」
千獣は落ちていく夕陽を眺め続ける。
「一日、に、一度、しか……見られ、ない、ん、だから……」
『………』
グラッガがそっと視線を戻す。
それは2人をも呑みこみそうなほど、大きな大きな、優美な「火」だった。
森の小屋に帰る。
小屋を開ける。
中に、守護者と記憶喪失少女の姿がある。
「グラッガ……」
千獣は呼びかける。
『……あ』
グラッガは大分時間を空けた後、
『た、ただい……ま』
クルスが振り向いた。
微笑んで。
「お帰り、グラッガ」
ほらね? 応えてくれる。
お帰りなさいおねえちゃん、だんろの精霊さん、とセレネーがベッドの上から声をかけてくる。
ただいま。
お帰り千獣。
ただいま、クルス。
――ねえグラッガ、言った通りでしょう?
何度でも何度でも、外に出してあげるから。
何度でも何度でも、「ただいま」って言わせてあげるから。
だから……もう外が嫌いだなんて言わないで。
『まだよく分からねえ』
千獣の心の中で、グラッガはつぶやく。
『でも……あったかいな』
炎の精霊が、“あたたかい”と言った――
「これはびっくりだ」
全部聞こえているクルスが笑った。「千獣、どんな魔法をかけたんだい?」
「魔法……? 違う、グラッガ、の、ホンネ……」
『余計なことを言うな!!』
グラッガが元のグラッガに戻っていく。
元気のいいむっつり炎の精霊に。
意識を引き離す瞬間は、体の中から熱が抜けていくよう――
抜けてしまった熱さの分だけ、グラッガが熱くなっていると信じたい。
暖炉に炎が灯った。
激しく揺れていた。
「興奮冷めやらぬ、か」
クルスがつぶやいた。「千獣、これからもグラッガを頼むよ」
「うん……」
千獣はこくりとうなずいた。そして、グラッガに向かって言った。
「これから、も、よろしく、ね……おにい、さん……」
大切だから大切だから。
皆家族だから。
ねえ、誰にも悲しんでほしくないの。
そのためには何でもするから。
小屋をあたためる暖炉の精霊が、千獣には聞こえぬはずの声を紡いだ。
『馬鹿野郎。お前みたいな出来の悪い妹、放っておけねっての』
耳に届いた時、ああなんて暖かいのだろうと――
行ってきます。いってらっしゃい。
ただいま。お帰りなさい。
さあこれからも、その言葉を鍵にして……
―FIN―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【NPC/グラッガ/男/外見年齢21歳/暖炉の精霊】
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■ ライター通信 ■
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千獣様
こんにちは、笠城夢斗です。
このたびはゲームノベルへのご参加ありがとうございました!
お届けが大変遅くなり、申し訳ございません。
前回のゲームノベルから続くグラッガのお話で、また千獣さんの優しい心に精霊が救われたようです。ありがとうございます。
これからも出来の悪い兄貴をよろしくお願いします。
それでは、よろしければまたお会いできますよう……
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