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■特攻姫〜寂しい夜には〜■

笠城夢斗
【0999】【森里・美風】【殲滅者】
 月は夜だけのもの? そんなわけがない。
 昼間は見えないだけ。本当は、ちゃんとそこにある。
「……せめて夜だけだったなら、こんなにも長い時間こんな思いをせずに済むのに……」
 ベッドにふせって、窓から見上げる空。
 たまに昼間にも見える月だが――今日は見えない。

 新月。

 その日が来るたび、葛織紫鶴[くずおり・しづる]は力を奪われる。
 月がない日は舞うことができない。剣舞士一族の不思議な体質だった。
 全身から力を吸い取られたかのような脱力感で一日、ベッドの中にいる……

「……寂しいんだ」
 苦しい、ではなく――ただ、寂しい。
 ただでさえ人の少ないこの別荘で、部屋にこもるということ。メイドたちは、新月の日の「姫」に近づくことが「姫」にとって迷惑だと一族に教え込まれている。
 分かってくれない。本当は、誰かにそばにいて欲しいのに。
「竜矢[りゅうし]……?」
 たったひとりだけ、彼女の気持ちを知っていて新月でもそばにいてくれる世話役の名をつぶやく。
 なぜ、今この場にいてくれないのだろう?
 そう思っていたら――ふいに、ドアがノックされた。
「姫。入りますよ」
 竜矢の声だ。安堵するより先に紫鶴は不思議に思った。
 ドアの向こうに感じる気配が、竜矢ひとりのものではない。
 ――ドアがそっと開かれて、竜矢がやわらかな笑みとともに顔をのぞかせる。
「姫」
「竜矢……どこに行って」
「それよりも、嬉しいお客様ですよ。姫とお話をしてくれるそうです」
 ぼんやりと疑問符を浮かべる紫鶴の様子にはお構いなしに、竜矢は『客』を招きいれた――
特攻姫〜寂しい夜には〜

 ――……あの日がいつだったのか忘れもしない。
 忘れもしない。いや忘れた。
 覚えていたくなかった。
 それでも、覚えている……

「修学旅行の日だったんだ……」
 彼はつぶやいた。
「忘れられるはずが、ないじゃないか……」
 彼はつぶやいた。

 高校の一番の記念となるべき修学旅行。それを邪魔したのはIO2。
 結界兵器の……餌食となった俺たちは……
 あんな兵器は必要があったのだろうか?



 世界が真っ暗になったような、あの地獄の世界は。



 屍霊になった友人達を殺した日から続く絶望……

「それでも……希望が欲しかった……」

 いるかどうかも分からない生存者を探すのは、家族の苦しみを見てしまったから。

 知っているのに、
 近くにいるのに、
 触れられない、
 この苦しみを、

「不可抗力……そう、不可抗力……だ。でも……」

 殺したのは、自分。
 帰れないのは自分。それは、変わらない。変わらない。変わらない……。

 だから、せめて生きている誰かを探そうと思った。
 生きている誰かを見つけても。
 “帰して”しまえば、その“誰か”は、彼のことを忘れてしまう。

「それが、俺に課せられた……呪い」

 覚えていて欲しい覚えていて欲しい覚えていて欲しいどれだけ願っても叶わない叶わない叶わない
 殺めた人や家族への罪滅ぼしには決してならず、
 ただ、自分が今度こそ永劫の孤独になるだけ、
 それでも。

「それでも……それが出来たなら」
 それが、出来たなら
「いつか心が朽ち果てた時」
 いつか、心が朽ち果てた時

 幻の中で
 幻の中でだけでも
 皆に謝れるかもしれない

 ■■■ ■■■

「あなた、は……?」
 と、目の前の少女は囁いた。
 乱れた赤と白の入り混じった長い髪――
 緑と青のフェアリーアイズ――
 今は、うるんだようにかすんだ瞳。
「森里美風。よろしくな、紫鶴さん」
「美風……殿、か」
 弱りきった少女は淡く微笑む。それはまるで母性に満ちたかのような微笑。
 けれど彼女は、まだ若すぎて。
 ――美風が異界をさまよっていた時、偶然如月竜矢という青年に出会った。
 美風が、夜というこの唯一安全な時間は眠ることが目的と話したところ、竜矢は口を開いた。
 彼はさる大金持ちの少女の世話役だという。だが、彼女には事情があって、誰も近づいて来ない。
 お願いします、と竜矢は美風に頭を下げた。
 どうか、うちの主の話し相手になってほしい――と。

「どんな……字を、書くのだ? みかぜ……という字……」
「美しい風。はは、男のくせに珍しいだろ?」
 紫鶴は微笑む。
「男性でも女性でも……美しい風……綺麗だ……」
 そんな風に、当たってみたいな、と紫鶴は言った。かすれた声で。
 今宵は新月。月がない。
 紫鶴の体質は月に影響され、新月の時はまるで力が出ないのだという。

 ベッドの傍らに用意された椅子に座り、美風は紫鶴の顔をのぞきこんだ。
「しづる。しづるってどんな字だ?」
「紫の……鳥の鶴……」
「雅やかだな。それこそ綺麗じゃないか」
 そう言うと、紫鶴は嬉しそうに微笑んだ。
「紫の……鶴が……美しい、風に、乗って、飛ぶんだ……今夜は……」
 美風は目を丸くする。それから破顔した。
「そう……だな。俺も、紫鶴を乗せて飛ばしたいよ」
「美風、殿、は……風、の、化身か……?」
 ――風の化身?
 美風は悲しく笑う。
「……違うけどな」
 呪われたこの身。美しい風の化身でなどあるはずがない。
 けれど紫鶴は、顔面の筋肉を一生懸命使い、にこりと笑う。
「私の……嫌な夜。だけど……一陣、の、美しい風、を、送り込んでくれた……」
「……俺なんかじゃ、そんなのにはなれないよ」
「ううん。なれる。だって」
 来てくれて、嬉しい、から……と。
 素直な13歳の娘は囁く。
 ああ、こんな素直さ久しく見てないな。
 美風は不思議と安心感を得ていた。

 地獄の日に浸かってから、安心した日など一度もなかったのに。

 ふと見ると、紫鶴が手を動かそうとしていた。
 傍らに控えていた竜矢がその手を取る。彼はまるで主の気持ちが分かるかのように、少女の手を美風の頬に寄せた。
 紫鶴は、美風の頬に手を当てた。
「そんな、顔、しない……で」
 にっこり、と。
 作った笑い。けれど作っていない笑顔。
 美風は紫鶴の手に自分の手を重ねる。
「……冷たいな」
「冬……だから」
「ここ暖房効いてるじゃないか」
「……低血、圧、だから、か? 竜矢……」
 真顔で訊かれて、竜矢が苦笑した。
 本当は、新月の体調不良というやつに決まっているのだが。
 新月。
 ――自分が地獄の日に覆われた時、月の形はどんな風だったのかな。ふとそんなことを思った。
 自分はあの日以来、ずっと地獄の中にいるまま。
 目の前の少女は――
 月に一度。こうして体力を奪われる。

 葛織紫鶴。その名はこの異界を通る時、強く感じ取れた。退魔師一族葛織家の、次期当主。
 その身に宿す『魔寄せ』の力が強すぎて、生まれてすぐに別荘に閉じ込められた。
 結界で厳重に縛られた彼女。
 外の世界を知らぬ彼女。
 誰もが彼女を恐れて、あるいは蔑んで、彼女に近寄ろうとしない。ああ、何て人は愚かなんだろう。
 そして何て……臆病なんだろう……

「美風殿……あなたは、何を、してらっしゃる、方、だ……?」
 紫鶴は綺麗なフェアリーアイズを輝かせて尋ねてくる。
「ん? バーイト」
 美風は茶化した。
「バイト……」
「知らないのか? 正式な社員じゃないけど、店とかで働いたりする人間だ」
「その……歳……で?」
「16過ぎたらもう働けるぞ?」
 そうなのか……と世間知らずのお嬢様はつぶやく。弱々しいが、興味津々のようだ。
 紫鶴の、力が抜けてしまいそうな手をずっと握ったまま、美風はいたずらっぽく笑う。
「美しい風じゃなくってな、いたずらな風なら吹き込ませるの得意だな。店長のカツラ隠したり」
「だ、だめだぞ、美風殿」
 紫鶴が慌てた様子で、「そんな、人が気にしていることを――」
「生真面目だなあ紫鶴は」
 ごめんごめん、と美風は軽く謝った。
「ちゃんと、店長のカツラは戻しておいたから。嫌な先輩のロッカーに」
「美風殿……っ」
 ぷう、と紫鶴がむくれる。
 美風は「冗談だよ」と笑った。

 アルバイト……そう言えばしていたかな。していなかったかな。
 そんなことさえもう頭から抜けてしまった。
 もし平和に暮らせていたなら、していたかもしれない。
 平和……平和。ああ、どうしてこんなに簡単な言葉が、違和感を持って響くんだろうか。

 紫鶴の、美風をまっすぐに見つめてくる色違いの瞳を見る。

 地獄に包まれた自分と、
 結界に縛られた彼女と、

 どうしてその間に『平和』という言葉がうまく響かない?

「なあ……美風、殿」
 紫鶴が息苦しそうに咳をしてから、呼びかけてきた。
「なんだ?」
「美風殿、優しい、な……。その目に……たくさんの、他人の、願い、こめて」
「―――!?」
 美風はとっさに紫鶴の手を離し顔を隠す。
 心臓が早鐘を打っていた。今少女はなんと言った?

 たくさんの他人の願いをこめて

「ち……違う、紫鶴、それは違う……」
 苦しくて、胸元をかきむしりながらも無理やり微笑んだ。
「あのな。俺は今自分の自己満足のためにやりたいことやり続けてるんだ。他人のことなんか正直アウトオブ眼中だぞ?」
 半分の本当、半分の嘘。
 けれども少女の言うように、他人の願いを叶えたくて生きている……わけでは、ないから。
 否。存在している、わけでは、ないから。
 紫鶴の手が世話役の青年に受け止められ、優しくベッドに横たえられる。
 少女はゆるりと首を振った。
「……あなたの、瞳の、中に……たくさんの、人の心、が、見える……から」
「―――っ」
「……寂しい思いをしている? でも……美風殿……傍に、たくさんいる……みたいだ……」
 誰かが俺の傍にいる?
 誰が?
 異界をさまようようになって。
 異界から出れば誰も彼もから忘れ去られる存在となって。
 傍になんか、誰もいるはずがないのに?

 紫鶴は視線を、天上に向けていた。
 その美しい色の視線がこちらを向いていないのを、嬉しく思い――同時に不安に思った。
 少女の唇が小さく動いた。
「美風殿と一緒に『戦った』……人々の声が、聞こえる気がする……」
「戦っ……」
 IO2の結界兵器。それに包まれ、逃れようと皆で必死に兵器と格闘した。
 そう……必死で戦った。
 一緒に戦った。
 結局は屠りあうような結果になったけれど。
 生き延びたのは自分だけだと、思いたくなくて放浪を続けた。
 生き延びた『仲間』がまだいるはずだと、思いたくて放浪を続けた。
 一緒に
 一緒に
 一緒に
 戦った
 生き延びた
 誰かを
 望んで

 ……深呼吸、ひとつ。

「紫鶴……」
 縛られたままの少女に、微笑みを向けた。
「暮らす者が近寄らないならこっちから近付けばいい」
「………?」
 紫鶴がこちらを向く。
 緑と青の視線が、美風を捕らえる。
 ああ――
 紫の鶴の舞は風に乗せて、美しいだろうか。

 異界を出れば、この少女も自分のことを忘れてしまう。
 それでも。それでも……
 彼女の意識の欠片に、自分の言葉が残れば。
 彼女の世界の欠片に、自分の言葉が残れば。
 見知らぬ彼女の世界をほんの少しでも変えることができれば。

「君なら出来る。諦めるな」
 冷たい手を強く握って、うなずいて見せた。
 紫鶴が淡く微笑んで、こくり、と小さくうなずき返してきた。
 美しい風が吹き、紫の鶴を乗せていく――
 そしてみじろぎした紫鶴は、続けて言うのだ。
「美風殿はきっと、会う人会う人を……動かしているのだな」
 だってそれは風。
 彼は風。
 何もかもに影響を与える風――……

「だから、きっと美風殿の傍に、いる人間は、優しい気持ちに、なる」

 美風の心の奥底、優しい風が吹いた。
 何だ、風が吹くのは自分の心かと、思って美風は笑った。
 嬉しい風が吹くのは自分の心かと。
 ……地獄にいるはずの自分の心かと。

「ああ……ほんの一瞬でも、優しい気持ちになってくれると嬉しい」
 そして、そして、
「諦めないでほしい。どうか、」
 俺の分まで――……

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 美風は考える。あの少女が友人たちに囲まれているところを。
 友人たちに囲まれ、笑顔を振りまいているところを。
 友人たちとともに戦い、そして勝利しているところを。
 友人たちとともに泣き、笑い、そして、決してその手を離さずに


 異界を越える時、風が吹いた。
 ふわりと美風の頬を撫でる、それは暖かい風だった。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0999/森里・美風/男/17歳/殲滅者】

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■         ライター通信          ■
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森里美風様
初めまして、笠城夢斗と申します。
このたびはゲームノベルへのご参加ありがとうございました。
お届けが大変遅れてしまい、心からお詫び申し上げます。
美風さんの過去と紫鶴の現在の状態がうまく結びつくといいと思い、このような形になりましたが、いかがでしょうか。
よろしければ、またお会いできますよう……