■日々徒然に■
月原みなみ |
【4345】【蒼王・海浬】【マネージャー 来訪者】 |
三月に入ろうとも、まだまだ雪深い北の大地。
今はまだ芽吹きも遠い木々に囲まれたその屋敷で、彼らはゆったりとした時間を過ごす。
「暇そうだな」
皮肉たっぷりに言う狩人に、言われた男は意味深な笑み。
「暇なのは今だけだよ」
そう、今日はこれから来客の予定がある。
そういう君は、誰かと約束あって出掛けるようだけれど。
三月の、とある一日。
彼らが共に過ごすのは――。
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日々徒然に〜蒼ノ銀月夜〜
贅沢な空間だ、と言うのがそれを目の前にした蒼王海浬の率直な感想だった。
見渡す限りを覆う透明な壁は、硝子のようでありながら柔らかな温もりを兼ね備えており、内と外が隔離されているという状態を認識させ難い。
そのために、外に広がる一面の雪景色をひどく身近に感じさせ、人工的な明かりを一切持たない銀世界は六等星の微かな灯火までも鮮明に映すのだ。
細くとも三日月の明かりが射す地上では、足跡一つない雪原が青く瞬く。
地上の結晶と天上の星。
この世に在りながら幻想的ですらある光景を、海浬はただ黙って見つめていた。
「――この時期に、これだけ雪深いのは珍しい」
背後から掛けられた声に応えて振り返ると、片手にワイングラスを二つ、もう片方の手には酒の入ったデカンタを持った文月佳一こと異郷の水主が笑んでいる。
「北国と言えど、この辺りではクリスマスまで根雪にならない事も珍しくないんだ。海浬殿が来るというので、大地が頑張ったのかもしれないね」
「それは光栄だな」
淡々とした口調ながらも穏やかに返し、差し出されたグラスを受ける。
「私の故郷で採れた果実から作った酒だよ。口に合えば良いが」
そうしてグラスに注がれたのは、限りなく無色に近い。
まるで水のようだと思っていると、水主が悪戯好きな笑みを浮かべてみせる。
「月明かりに翳してごらん」
拒む理由もなく、言われた通りに酒を月に手向けると、無色だったものがゆっくりと色づき始める。
冬の青空のように、薄い青。
その中に、まるで真昼の月のように輝く欠片が複数あった。
「果実の名は“冬月(ふゆつき)”というんだ。雪の下に咲く花から採れる。収穫は雪を掻きながら行うんだが、それも夜にしか採れないという面倒な果実でね」
他にも、加工は決して日光の触れない場所で行わなければならない等の条件が付くらしく、蒸留するにも随分と手間隙が掛かるという。
しかしながら、掛けた手間の分だけ冬月の酒は味を変える。
更に、青空を知らない果実は月明かりを受けて空色に色づく。
見たことのない昼の世界を恋しがるように変色する様が自然であるほど上等な酒とされ、水主に献上されたとあれば、これは一級品ということだ。
「中で輝いているのは果肉だが、食感はゼロだよ。雪が溶けるように口の中で形をなくす。君に似合うと思ったんだが、どうかな」
海浬はグラスを揺らし、その色合いを堪能した後で口に運んだ。
微かな甘さと酸味。
あっさりとしていながら柔らかな余韻を残す薫り。
「…なかなかのものだ」
「それは良かった」
水主は自分のグラスにもそれを注ぎ、海浬に向けてわずかに持ち上げて見せてから自分も口を付けた。
***
いつか酒でも飲み交わしながら二人の故郷の話をしようと約束したのが先月。
それから二週間ほどが経過した頃、良い酒が手に入ったから一緒にどうだろうとの誘いを受けた。
そうして招かれたのが、北海道のとある屋敷だったのだ。
北の大都市と呼ばれる札幌市から南に下った先の、小さな山間の町に建つ家。
西欧風の豪奢かつ繊細な造りをした外観は左右対称になっており、中は外見以上に広い。
この時期になると、水主は此処に居候するのだという。
「居候?」
奇妙な響きを聞き返せば、相手は楽しげに頷く。
「私は冬という季節が好きでね。このテラスで冬月の酒を飲むのが毎年の楽しみなんだ」
「しかし冬月を収穫するのに雪を掻くなら、君の故郷にも雪は降るのだろう」
「ああ、だが正に極寒の地という土地柄でね。繊細な私には耐え難いのだよ」
どこまで本気にしたものか。
しかし寒いのが得意でないのは事実らしく、その困り顔は、ささやかながらも海浬の笑いを誘った。
「この酒の造り手になるのも、職人技云々の前に寒さに強いかどうかが試されるくらいだ」
「それは事実か」
「もちろん。嘘だと思うかい?」
「君の顔を見ているとな」
「おやおや」
それは残念と、水主も小さな笑いを零した。
彼の故郷、里界と呼ばれる惑星は、傍目には他所の惑星からそこだけが刳り抜かれたように、下方に厚い土の層を持った大地が彼ら四人の里界神による球体の結界に包まれて宇宙に存在しているという。
この結界の影響か、大地の外周には風・火・水・土の力の差が著しく異なる箇所があり、美味といわれる食材は、こういった激しい気候の差が生み出すというのだから地球と何ら変わりない。
しかし太陽、月と呼ばれる光玉は常に真上にあり、光りの強弱で昼と夜を分ける。
日中は屋内の照明のような明るさが全土を照らし、これが弱まり結界の向こう、宇宙が見える時間帯を夜と呼ぶのだそうだ。
「寒いのは苦手だが冬は好き、か」
「ん?」
「何か思い入れでもあるようだ」
特に何かを意図したのではない、率直な言葉は、水主にわずかな思案の時を与えた。
そのうち、ぽつりと自嘲気味に返されたのは、過去に向けての言葉。
「私の場合、物事は冬に動く事が多くてね。なにかと思い出深い季節であることは確かだよ」
聞くでもない、聞かれるでもない。
水主は、ただ語る。
「海浬殿は、雪の音を聞いたことがあるだろうか」
「いや」
雨音は水が流れ、風音は自然を歌う。
それらは須らく生命に音を聴かせるが、冬という、生命を眠らせて包み込む白い結晶は静かに舞い落ちるものだ。
まさか固い雪を削ったり、枯れ木の上に積もったものが落ちた場合の音かとも思うが、違うだろう事が判るから口にする気にもならない。
そんな海浬の心境を知ってか、水主は薄く笑いながら話を続けた。
その視線は外の雪景色の、更に向こう。
懐かしい日を思い出すように眇められる。
「この夜空を、雪が薄紫色に染める夜が年に何度かある。無風状態で、ただしんしんと雪だけが降り続く…、そういう日は、意外に温かいものだ」
気温は確かに氷点下であるはずなのに、不思議と寒さを感じない。
三十センチ先も真っ白な世界に、一人。
「黙って立っているとね…、その内に聞こえて来るんだよ、鈴の音が」
「鈴?」
「そう、サンタクロースの鈴の音だ」
「――」
それは海浬にとって予想外と言うよりも、言われた今でさえ水主の口から聞こえたとは思えない言葉だった。
それもそのはず。
水主もそれを信じているわけではない。
「昔、そう信じている人がいたんだ」
彼自身のことではなく、ずっと以前に同じ時間を過ごした人。
何も見えない真っ白な世界で、頭上から聞こえて来る音色は本当に微かで、風が吹けばすぐに掻き消されてしまう。
そんな音を共に聴いた。
「私は雪が降る時にもこのような音がするのかと思っただけだったんだが、その人は本当に、いま頭上を“そり”が駆けて行ったんだと大はしゃぎしてね…」
思い出して、微笑う。
その純粋さが、彼の言う「その人」がどれほど大切な存在だったかを伝えてくるようだった。
「私が冬の間だけ此処に留まるのは、またあの音を聴きたいからなのかもしれない…」
無風でしんしんと雪が降り続く夜など、そう有るものではない。
待つしかない。
いつ遭遇出来るかなど誰にも判らないその時を、ただ――。
「まぁ、待つのは嫌いではないけれど」
くすりと、失笑交じりに告げられたのは、おそらく強がり。
だが、それもいい。
「あぁ」
今宵は月夜。
降り注ぐ月明かりに青白く輝く雪原の、静謐とした美しさは今しばらく続くだろう。
この世界を好きだと思う。
だが、雪の音というのも、機会があれば聴いてみたいと思う。
「そうだな…、待つのも悪くは無い」
重なる視線が和み、共にグラスを傾ける。
「何なら、海浬殿も一シーズン此処に留まるかい? これだけの屋敷だと言うのに住んでいるのが番人の二人だけでは、些か広すぎるだろう」
「番人とは」
「ああ。ここには私の故郷…、里界と地球とを繋ぐ扉があるんだ。それの番人を任せているのが、さっきの二人だ」
このテラスに来る途中に出逢った人物を思い出して得心する。
「まぁ、いつまでも新婚気分の抜けない二人だから、長い間、共に過ごすと胸焼けを起こさないとも限らないがね」
呆れたように笑う水主に、海浬も応える。
冬月の酒は魅力的だが、仲睦まじい二人にあてられるのは遠慮したい。
そう告げれば、土産に一つ用意してあると返される。
里界の酒は冬月ばかりでなく、季節ごとに四種の銘酒があるという。
春の風露。
夏の虹炎。
秋の秋土。
それも共に嗜めれば楽しそうだ、と。
「さて…私の話しばかりするのではフェアじゃないな。そろそろ海浬殿の話しも聞きたいところだが」
「そうだな…」
では何から話そうか、と。
海浬は細い三日月に目を眇める。
青白い雪原の輝きの中。
時間は穏やかに流れていた――……。
―了―
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【登場人物】
・4345 / 蒼王海浬様 / 男性 / 25歳 / マネージャー 来訪者 /
【ライター通信】
ご依頼ありがとうございます、お会い出来てとても光栄です。
今回は「月光に青白く照らし出された雪明りの中で」ということで一足早く北海道にお越し頂いてしまいました。
こちらはもうすっかり雪景色です。その雰囲気を、少しでも文章でお伝え出来ていれば良いのですが。
もしよろしければ、また水主の話し相手になってやってくださいませ。
今回お届けする物語がお気に召して頂ける事を願って――。
月原みなみ拝
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