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■Dice Bible ―opt―■

ともやいずみ
【7038】【夜神・潤】【禁忌の存在】
 現れた、自分以外のダイス・バイブルの所持者。
 弱っている「自分の」ダイス。
 提示された選択肢。
 そして……『自分』が選ぶのは――――?
Dice Bible ―opt―



 夜神潤は迷う。とてつもなく迷った。
 やがて、口を開いた。
「本は、渡さない」
 潤の『答え』に、少女は片眉をあげる。
「渡せない。君がどう思おうと、俺にとってアリサはかけがえない宝物みたいな存在なんだ」
「…………」
「だから、本を渡す事でアリサが無事ならって思った。……いや、今も思ってる」
 でも。
「迷わないわけじゃないけど、それでも渡せない」
 はっきりと言い放った潤を見て、彼女は「ふぅん」と呟く。なんの感情も込められていない声だ。
「アリサは、一言も言わなかったんだ」
「……なにが?」
「自分が弱ってること、俺に契約を破棄させること。言わずに、俺のダイスでいてくれた。
 だから俺が本を渡したらそんなアリサの選択から逃げることになる。もし……もしも消滅するとしても、……その痛みごと俺が引き受ける」
「……………………」
「悲しみも後悔も、アリサに関すること全部。或いは、俺が先にどうなるとしても。アリサがその選択をしない限り」
 じっ、とこちらを見ていた少女は、笑みをゆっくりと浮かべた。
「『言わなかった』んじゃない……『言えなかった』のよ」
「え?」
「ダイスから、主に契約を破棄するようには、言えない」
「……そうなの?」
「不思議なものなんだけどね、色々と制約があるのよ。ダイスは人の姿をしてはいるけど、ヒトではない存在。その強大すぎる力を抑制するために色々と制約がある。
 そいつらが自由に行動できたら、たまったもんじゃないでしょ人間は。勝てっこないんだから。
 ダイスの能力だって無制限じゃない。エネルギーってのは使えば使うほど枯渇するものよ」
「そ……」
「あんたに契約破棄するように言えなかったのは、ダイスの足枷にするためよ。制約の一つとして」
「弱ってることも、言えなかったっていうの?」
「じゃあ訊くけど、弱ってるからってあんた、なんかできるわけ?」
 それは……。
 潤は黙り込んでしまう。
 アリサが弱っていると告白してきても、潤になんとかできただろうか? 彼女は契約破棄をしろとは言えない。だとすれば、潤が方法を模索してもどうにもならなかったのでは?
 だって……アリサは何も言えない。何も言えないのだ。
 ダイス・バイブルと繋がっていない潤には、答えは見つからない。
「簡単に主を変えてたら、意味がない。あたしたちは、遊びで戦ってるわけじゃない。
 あたしたちは、いつも……次はないって思って戦ってる」
「………………」
「本を渡さないのなら、それでもいいわ」
 彼女はそう言って、腕組みした。
 それでも、彼女から攻撃をしてくる様子はない。 
 潤はふと、その言葉を口にした。
「ありがとう」
「え? 今なんて?」
「……本当は問答無用で攻撃されるかと思ってたんだ。だから、ありがとう」
「………………」
「アリサのこと、考えてくれて。でも俺……欲張りだから、まだ諦めないけどね」
「…………」
「じゃあ、俺はアリサの傍に行くから」
「行かせると、思ってるわけ?」
 潤は帽子の下から少女を見つめる。少女は目を細めていた。
「本を渡せないなら、ダイスを潰すまでよ」
 頭上で、ばきゃ、と音がした。



「こんなこと、したかないんだよなぁ……できるなら」
 タギはのらりくらりと言った。
 足もとには、ずたぼろにされたアリサの姿がある。
「だってよぉ……マチって案外泣き虫でさ、ほんとこういうの嫌がるんだよ」
「…………良い主に会えたのですね」
「そうだな。一番ウマが合う。カラダの相性もバッチシ」
「下品です」
「でもさ、オレはあいつが好きだ」
「でしょうね」
 足蹴にされたまま、アリサは微笑んだ。
「おまえは運が悪かった。新しい主を見つけられず、オレたちに出会ってしまった」
 本当に運が悪い。
「出会ったら破壊するのが役割だからな。悪く思うな」
「…………思ってません」
 ただ。
「ワタシの主は」
「……わぁってるよ。マチはな、いいヤツなんだ」



 ぼろ雑巾のようだった。
 敵のダイスが腕に抱えていたのは、アリサだ。だが彼女はもう喋ることもできない様子で……。
「アリサ……!」
 潤の小さな悲鳴にも、少女は動じない。
 アリサは投げ捨てられた。
(アリサを本に戻さないと…………で、でもどうやって?)
 遣り方がわからない。
 少女はダイスと目配せする。ダイスは頷き、アリサを軽く蹴飛ばした。アリサは抵抗することなく弾み、潤の足もとにどさりと落ちる。
 なんて……ひどいことを。
「アリサ!」
 慌てて屈み込むが、アリサは微かに口を開こうとしただけだ。
「アリサ、本に戻らなくていいの……?」
 小声で話し掛けるが、アリサは返事をしない。もしかして、もう本に戻ることすらできないのだろうか?
「本に戻してどうすんの?」
 少女が見透かしたように声をかけてきた。
「戻して、それで? その時点であんたは盾であるダイスをなくして……どうやって戦うっていうのかしら?」
 ――逃げられると思ってるの。
 少女の、含まれた意味に潤は眉をひそめる。
「タギ」
 その声に応じるようにタギがざっ、と前に出てくる。そのままこちらに向けて歩いて来た。
 アリサを守るように潤が彼女に覆い被さる。
「どけろ」
 軽く蹴飛ばされただけで潤はアリサから引き剥がされてしまう。無様に地面に落ち、潤は咳き込んだ。
 本が、ない。
 慌てて見回すと、タギが手に持っているのが見えた。
「返せ……!」
 手を伸ばすが、蹴飛ばされた脇腹に激痛が走って体が震えた。痛い。なんて、痛いんだ。
 タギは本を開いた。アリサがその中に吸い込まれていく。
 ぱたん、と閉じられた本。紅色の表紙の、本。アリサの本。
 タギは、主のほうへと視線を遣る。主である少女は躊躇いもせず、頷いた。
「破壊しなさい」
 その命令はすぐさま実行された。
 もしも潤が今のような状態ではなく……以前のままだったなら阻止できたかもしれない。けれどもそれは、ありえないことだ。
 本に向けてタギの拳が炸裂する。本に亀裂がびし、と走った。
 ぱらぱらと、目の前で本の欠片が舞う。それらは炎上し、全ての痕跡を消そうとしていた。
「あ……」
 潤は、脇腹に片手を当てたまま、停止した。
 渡さないと言った。今でも、それが正しかったのかはわからない。
(アリサ……)
 本ごとアリサが破壊されて…………しまった。
 痛みも悲しみも後悔も、全て自分が引き受ける。ひき……うけ…………る?
 ひきうける、って……なんだ?
 腕組みしてこちらを見下ろしている少女。その傍らに立つダイス。彼らは、こちらを憐れむように見ていた。
 どうしてそんな目をする?
 立ち上がる潤は、渾身の力を込めて少女に向かう。だが傍にいたタギは無造作に、それを薙ぎ払った。
 潤の体は木の葉のように軽々と飛び、近くの壁に叩きつけられる。
 いたい。全身が、いたい。
 血が唇の端から零れた。
 吸血鬼の異端児として恐れられる自分が、こんなにも簡単に。
 唇を噛んだ。
 アリサの表情が脳裏に浮かぶ。潤の言葉をなに一つ信用しないような、疑うような眼差し。
 アリサが大事だ。
 でも大事ということは、失った時に大きな打撃を与えるものなのだ。それを軽々と口にできた自分。
(痛みを引き受けるって…………『どういうこと』か、わからなくなってきた……)
 辛いことも苦しいことも呑み込む。それで、前を向いて歩いていく。それって。
 ――本当に、呑み込んだことになる?
 それは「割り切る」とか、そういうことじゃないのか? 受け入れるということは、すごくすごく辛くて、苦しいものだ。それを簡単に。
 目の前のこの少女は、タギを失ったらどうするだろう? 潤の言葉を聞いて、侮蔑するような瞳をした少女。
 きっと…………彼女はおかしくなってしまうだろう。失ったものの大きさが、あまりにも……あるから。
 潤の言うことはしょせん、綺麗事だ。本当に「わかっている」とは言えない、戯言に近い。
(『大事』って………………どういう意味だっけ)
 アリサを特別に思ったのは本当のことだけれど、それで自分が辛い思いをすると……思っていたか? 辛くなると、覚悟していたか?
 視界の少女は、きびすを返して歩き出した。タギもそれに倣ってこちらに背を向ける。
(アリサ…………)
 あなたはわかっていないと彼女は言った。何かを失った時の代償が、とてつもなく大きいこと。悲しいとはどういう意味なのか。
 自分にだって今まで色々あった。辛いこと、悲しいこと、様々だ。けれどもそれを踏まえて、『今』を大事に生きていこうと……。
 アリサのあの眼差しの意味がわかった。失う辛さがわかっているのに、なぜ「怖がらない」のか不思議だという意味の目だったのだ。
 ……と。脳内で、アリサのその表情が消え去っていく。潤は瞬きをし、壁から落ちて膝をついた。
「?」
 何が、起こっている?
 あっという間に記憶からアリサに関してのことが抜け落ちているのだ。
「え? ちょっと……な、なんで……?」
 ありとあらゆる、ダイスに関する記憶が綺麗に失われていく。
 潤は混乱し、誰かに助けを求めるように周囲を見回した。だが誰も居ない。誰も助けてくれない。
「嘘でしょ? なんで……待ってよ」
 アリサを憶えていることすら、許されないってこと? そんな……!
「待ってよ。そんな……そんな……」
 だが潤の言葉など届かないようで、彼の脳内からは蓄積された記憶が物凄い速度で消されていく。
 手を伸ばしても伸ばしても、失われた記憶には手が届かない!
 ――こわい。
 今まで感じたことのない感情だった。これが「失う」という本当の意味なのだ!
 潤は地面を見つめた。
(消える。消えちゃう……アリサが全部)
 ありさ、ってだれ?
(……………………あ、れ?)

***

 潤は自室のベランダに出て、大きくのびをして朝日を浴びた。気持ちいい。
「いい天気だなぁ。よ〜し、今日も一日頑張ろう」
 半年の間に自分に何があったのか、潤はわからない。ただ記憶だけが少しずつ抜け落ちている。だが潤は気にしない。そんな過去のことを気にしてもしょうがないという性分のせいだ。
 過去よりも、『今』だ。
 今が、大事。今という「時」を一瞬一瞬大切にしたい。だから過去はいい。振り返ることはない。前だけを向いていけばいい。
「過ぎたことは振り返っても意味ないしね」
 そう言って潤は家を出た。今日は色々と仕事が入っているから、大忙しだ――――。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【7038/夜神・潤(やがみ・じゅん)/男/200/禁忌の存在】

NPC
【アリサ=シュンセン(ありさ=しゅんせん)/女/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました夜神様。
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 最後まで書かせていただき、大感謝です。