■万色の輝石■
水瀬すばる |
【7401】【歌添・琴子】【封布師】 |
「あら、いらっしゃい。お待ちしていましたわ」
ベッドで目を閉じた貴方が次に目を開くと、見たこともない景色が広がっていた。懐かしい風景、いつか見たような気がするのだが思い出せない。
ふと気付けばふわりふわり、と水晶玉が浮かんでいる。ビー玉より少し大きいくらいで、薄青色の美しい光を纏う。
「外から形作るモノ、内に宿るモノ。普段見られない自分の内側を、少し覗いてみては如何? 招待状はお持ちのようね。結構よ。それでは、参りましょうか」
春のような柔らかな風が貴方の頬を撫でる。
貴方が水晶玉に手を伸ばすと、淡い緑風と共に景色が変わった。
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万色の輝石
「あら、いらっしゃい。お待ちしていましたわ」
ベッドで目を閉じた貴方が次に目を開くと、見たこともない景色が広がっていた。懐かしい風景、いつか見たような気がするのだが思い出せない。
ふと気付けばふわりふわり、と水晶玉が浮かんでいる。ビー玉より少し大きいくらいで、薄青色の美しい光を纏う。
「外から形作るモノ、内に宿るモノ。普段見られない自分の内側を、少し覗いてみては如何? 招待状はお持ちのようね。結構よ。それでは、参りましょうか」
春のような柔らかな風が貴方の頬を撫でる。
貴方が水晶玉に手を伸ばすと、淡い緑風と共に景色が変わった。
■
「おかしいな、確か部屋で原稿を書いてたはずだが、途中で寝ちまったかな」
気だるそうに十四郎はくしゃりと前髪を乱し、改めて辺りの様子を窺う。
午後を過ぎ、時は夕刻。赤い夕焼けが全てを染め上げている。影が長く尾を引き、遠くから鴉の鳴き声。黒く小さなシルエットは、そんな鴉が巣へと戻る姿らしい。夜でもなく、昼でもない。例えるのなら、闇と光の境界線。
そして、此処は何処だろう。見渡す限りの平原、遥か向こうには地平線が空と大地とを分けている。
「これはこれは……良い天気ですね」
春眠暁を覚えずとは良く言ったものだ。目覚めたばかりの十四郎は頬を撫でる風に欠伸を噛み殺しなから、後ろを振り返る。流れるような銀の髪、密やかな赤い瞳が無限に続く空を見上げていた。
「アンタも、あの変な水晶玉に拉致されたのか」
「――はい」
少女は細く儚い声でそう言って、形の良い会釈をした。
「お目覚めのようね。十四郎、琴子。良くいらっしゃいましたわ。わたくしは歓迎致します」
何も無い空間の一点が淡く輝いたかと思うと、光が集まり青い水晶玉を形作る。唇も顔さえもないが、声は直接頭の中に響いてくる。思念を直接心へ送っているのだろう。
「……喋る水晶玉? 一体何者……いや、この際誰でもいいや。悪いけど、ここから帰る方法を知ってるなら教えてくれ」
原稿がまだ途中だったと、十四郎は零す。
「それとも、俺は夢でも見てるのか? もしそうなら、一発気合入れてくれねぇか。早く目を醒ましたいんだよ」
水晶玉は薄く笑い、二人の目の前にお茶のセットを具現化させる。薄紅色の和菓子に、香りの良い日本茶。傍に大きな紙傘が立てられ、ついでに赤い薄布の掛けられた和風の長椅子まである。
「そう急がなくとも良いでしょう。貴方の言う通り、此処は夢。時間の流れはあって無いようなもの。わたくしの出した招待状も、ちゃんと届いたのに。ねぇ、琴子?」
「お招きいただいて、ありがとうございます」
はい、と頷いた後、琴子は淀みの無い声で挨拶を口に乗せた。
「息抜きだとでも思って頂戴。悪いものではないと思うわ。自分の心なんて、普段そう深く考える機会はないでしょうから」
■
人の心に興味があるという水晶玉に、抱く感想はそれぞれだが、しばしの間お喋りに付き合うことになった十四郎と琴子の二人。互いに簡単な自己紹介を済ませると、最初は緊張気味だった空気も徐々に溶けてきたようだ。
「俺の内面ったってな……俺はごく平凡な、何の取り得もない人間だ。見たって大したこたねぇと思うがな……」
「せっかくですから、私も少しばかり自分の心の中を覗いてみます」
琴子は湯飲みを両手に包み込むようにして膝の上に支え、静かに瞼を伏せる。少しだけ俯くと、さらりと銀色の髪が肩に落ちた。
すると不思議なことに、昼下がりの空が緩やかに藍色へ染められていく。太陽は西の彼方へと沈み、代わりに猫の爪のような細い月が浮かび上がる。瞬く星は今にも零れ落ちそうで、巡り変わる空の姿に十四郎は呆気にとられたように目を丸くする。咥えた煙草の灰が、音も無く地面に落ちた。
「……静寂。三日月、夜空に舞う桜の花びら。そのようなものが見えてきました」
琴子の言葉が紡ぎ出すように空は夜に沈み、何処からか櫻の花弁が夜風に乗り流れてくる。仄かな花の香は、上質な酒のように夜気へ溶け行くよう。
「風景が風に流される雲のように変化していく……これは私の想いや記憶が関係しているのでしょうか」
「ここは現実とは理が違う世界。……気紛れに誰かの心を映し出すこともあるわ」
ふわりと浮かぶ水晶玉はそう言って、琴子のまわりを悪戯に飛ぶ。
「文字を媒介に、布へと力を与える能力。古の一族の血が、まだ生きていたとは。正直わたくしも驚いていますの。その代償かしら。……夜に舞う櫻は貴方の姿よ。月に愛されし銀の娘……今度試してご覧なさい。人の道に外れた者たちの声、貴方なら聞くことができるわ」
「内面ったってな……俺はごく平凡な、何の取り得もない人間だ。見たって大したこたねぇと思うがな」
地面に落ちようとする櫻の花弁を、救い上げるようにして掌に乗せ、十四郎は呟く。立ち上る紫煙はゆらゆらと揺れ、藍色の空へと消えていった。
「あら、そんなことはないわ。先ほどの空を見たでしょう。逆にあれば十四郎、貴方の心よ。勿論それが全てとはいわないけれど」
死んでいく太陽、生まれようとする月。始まりがあれば終わりがある。日々繰り返される日常の中にその端的な事実を見つけられる者は、どれ程いることだろう。
「黄昏という言葉をご存知? 昔は、誰そ彼は、といったのよ。人工的な灯りがまだ無かった頃、太陽が沈めばすぐに暗闇になってしまう。相手の顔も分からないくらいの薄闇……それが貴方を象徴する時間」
「……?」
「光の中で人に混じり生活しながらも、その一方で闇の住人に深く関わっている。器に注がれた力の中で……他の「ナンバーたち」は自らの意思を保つ事ができなかった。境界線はすぐ目の前にあるわ。選択肢の数だけ、未来は存在する」
凛と響く声は何を導くのか。
しばらくの間、散る花弁を身に受けながら誰も言葉発せずにいた。
「まぁ、多少は自分自身のことでも気づかない部分はあるだろうが、誰でもそんなもんじゃないのかい」
ぐい、と冷めかけた茶を一気に飲み干し、十四郎はぽつりと零す。
人間が人間である限り、他人の心の中を窺い知ることはできない。
心の壁が存在しているからこそ、個は個として存在できているのかもしれない。少なくとも、人間は。
「……あなた様の前で、隠し事はできないような気がいたします」
しかしながら、と前置きして琴子が応える。赤い瞳が見遣るのは、自分を夢へ誘った張本人。挑むような鋭さもなければ責めるような激情もない、けれど真実を見通すような不思議な強さがあった。
「他人の心へ土足で踏み入るように真似は、さすがのわたくしでも致しませんわ。心配なさらないで。……そうそう、お土産を忘れるところでした」
水晶玉が言い終えると同時、二人の目の前に一枚の花弁がひらりひらりと落ちて来た。闇の中に浮かび上がる、鮮やかな紅色をしている。
■
琴子が誘われるように手を伸ばすと、花弁は銀色の光に包まれた。光は収束し、やがて獣姿に具現化していく。現れたのは、白銀の毛並みに紅色の瞳をした白虎だった。体躯は猫と比べ物にならないほど大きく、肉食獣特有の牙が口元から覗いている。
「お前は、……」
けれど琴子は驚くこともなく、白虎の顎の辺りを撫でた。
対する獣も酷く大人しいもので、されるがまま撫でられている。心地良さそうに眼を細め、ふわりとした大きな尾をゆるりと揺らした。
「貴方を守護するモノの一つ、月光から生まれし獣。人は生まれながらに守護精霊を持っている。気付く人間の方が少ないでしょうけど。……この子は主である貴方に付き従い、危険から守ってくれるわ。それ以上に、貴方が大好きみたい。良かったら時々、思い出してあげて」
白虎は琴子の細い掌に鼻先を摺り寄せ、猫のように喉を鳴らす。水晶玉の言葉が正しければ、主以外には絶対に懐かず、また触らせようともしないだろう。文字通り、世界でたった一人の為に存在する。それが守護精霊という存在だ。
「あら、そろそろ時間? 現が呼んでいるようね。……今夜の記念にこの子の力を封じたものをお送り致しますわ。目覚めたら、枕元を見て」
遠くで何かに呼ばれているような気がして、琴子は顔を上げる。
眠気に落ちる直前に感じる心地良さ。そんな安堵を感じながら、緩やかな睡魔に逆らうことなく眼を閉じた。
翌朝。
目覚め、言われた通りに枕元を見てみると、何枚かの符が纏め置かれているのに気付く。触れてみると、応えるように淡く輝いた。
これが水晶玉の言う土産なのだと思い、琴子は本当に微かな笑みを浮かべた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【7401/歌添・琴子/女/16歳/封布師】
【0883/来生・十四郎/男/28歳/五流雑誌「週刊民衆」記者】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました。如何でしたでしょうか。
少しでもお楽しみ頂ければ幸い。
またのご縁を祈りつつ、失礼致します。
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