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■赤い手紙は君を見た■ |
北嶋さとこ |
【3087】【千獣】【異界職】 |
木造の床の軋む音。誰とも付かぬ人影は、かすかな音を立てて椅子に座った。白い紙に、赤ワインをゆっくりと垂らす。じわりじわりと染まる紙を、彼はじっと見つめていた。傾けたグラスからワインが無くなるまで、そうそう時間はかからなかった。金色の枠で縁取られた、紅色のカード。窓から差し込む月明かりに照らされたそれは、まるでバースディ・カードの様だった。
片手で羽ペンを取り、小さな瓶へと先端を浸す。雪のように白いインク、乾き始めた赤い紙。彼は、慣れた手つきでさらりさらりと文字を書いた。
『親愛なる被害者様へ。明日の晩、あなたを殺しにゆきます。心して待つように。 あなたの友、ブラッディ・レッドローズ』
最後の一文字を書き終えて、彼はふうと溜息を付いた。そして、不気味に口の端を上げる。目の前の花瓶には、美しい一輪の薔薇。しばしの静寂。時計の秒針のみが、この空間を支配していた。
遠くから響く鐘が、一日の終りを告げる。朝日が昇る頃になって、彼はようやく椅子から立った。カードを手に取り、薔薇を抜き取り、再び床を踏みしめてドアへと向かう。ドアノブの廻る音、扉が静かに開く音。
扉が閉められた部屋に残ったのは、赤いワインの零れた跡と、朝日を反射して光るグラスのみだ。赤い染みはあたかも血の零れた跡のようで、カードのあった場所だけが木の色を残していた。
その日の朝、あなたの元へ、一枚の手紙が届く。差出人は、―――ブラッディ・レッドローズ。
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赤い手紙は君を見た「彼と彼」
鳥の声、羽ばたく音。真上から照らす太陽は、風に揺れる草をより明るく瑞々しく見せる。いつもよりも青く見える空の下、千獣は草むらの上にじっと座っていた。
『赤い手紙』を受け取ってから、数日が過ぎた。殺人鬼・レッドローズとの戦闘も、段々と思い出に変わってきている。傷跡が塞がるのと同じように、その記憶も消えてしまう日が来るのだろうか。
ふいと吹いた風に、黒髪が揺れる。千獣はゆっくりと瞬きをすると、手の下に広がる草むらを少しだけ撫でた。
「邪魔するよ」
背後から響く声。千獣はちらりとそちらを見やった。そこには、赤髪をしたスーツ姿の青年が、薄い笑みを浮かべながら立っていた。胸には赤い薔薇のコサージュ。僅かに眉をひそめる千獣。彼の背丈や表情、服装が、完璧にレッドローズと一致していたからだ。しかし、彼はそんな千獣の表情の変化を読み取っているのかいないのか、殺気一つ見せることなく目を細め、片手を軽く振った。まるで親しい友人へと向ける挨拶の様に。
ざくりざくりと足音を立てて、彼は千獣の隣へと腰をおろした。千獣はまだ警戒心を解くことなく、だが自然に彼を受け入れた。それからしばらくは、どちらも声を発することなく、風に吹かれ太陽に照らされ、緑色の絨毯に身を委ねていた。
「レッドローズに会っただろう」
青年の声に、千獣は顔を上げた。ここで頷いてもいいものか、という疑問が、脳裏をよぎる。青年の気配と声質は、間違いなくあのレッドローズのものと同一だ。このような質問をして、どういうつもりなのだろう。千獣の沈黙をどう受け取ったのか、青年は言葉を続けた。
「彼は何と言っていた」
彼の視線は、目の前に広がる青い空と流れる雲に向けられていた。その瞳の色は、赤に近い茶色。
千獣は考えた。ここで正しい答えを言ったなら、彼はどういった行動を取るのだろう。あの夜闇での決闘は、相手も自分の姿を捉えるのは難しかっただろう。もしかしたら、本人である事を確認しようとしているのだろうか。……戦う準備は出来ていた。自分と相手の距離を測り、万一の為の回避行動のイメージを掴む。
「恨、み……で、殺す、と、言って……いた」
「恨み、か」
青年はほうと溜息をつき、長い瞬きをした。相変わらず、殺気は感じられない。戦う気は全く無い様だ。念の為、距離を詰めずに様子を伺う。千獣の警戒心に漸く気がついたのか、青年は彼女の顔を見ると、両手をちらつかせ、何も武器を持っていないことを主張した。他に、何か、戦う意思が無いことを示すものは無いかと、辺りを探る。やがてポケットから一つの剥き出しのナイフを出すと、それを近くの葉で包み、千獣へと差し出した。
「これが俺のたった一つの武器だ。気になるようだったら、これをキミの近くに置いておいてやってくれ」
木製の柄に、梟の掘り込みのある小さな刀。レッドローズと戦った時のものと形状は一致している。千獣はそれを取ると、自分の隣、青年とは逆の方向にそれを置いた。これで攻撃される恐れは十分に減っただろう。
「俺は、ローズ・ヴァーミリオン。以前はレッドローズが世話になったね。キミに手紙を届けた事は、よく覚えているよ」
キミの名は、と、付け足す。千獣は自分の名前をぼそりと口にすると、ヴァーミリオンからゆっくりと視線を逸らした。どこかに咲いていたのであろう白い花が、花弁となって風に攫われていく。
「レッドの言うことは気にしなくていい。彼の恨みは俺に向けられたものだから」
ヴァーミリオンが、遠い空を見つめながら呟く。白い花びらは彼らの頭上を過ぎて踊るように舞い、消えていった。
「……じゃあ、どうして、私……に、手紙、を、送る?」
「性分だろうね。あとは、レッドは俺に手出しが出来ないと決まっているから、とも言える」
両手を肩の辺りまで上げて、やれやれ、と苦笑するヴァーミリオン。
「最初はただの快楽だった。恨みなんて感情はなかっただろう。でも後から、手紙は殺意を含んでいった」
「何か、が、あった」
「そうさ」
頷く事も無く、彼は目を細めた。何故だか、彼の横顔からは、悲哀の感情が滲み出ていた。
「太陽を、奪われたんだ」
そう言って、高く高くに昇ったそれを見つめる。雲がかかったそれは、それでも明るい光を地上へと降り注がせていた。風が吹く、雲が流れる。やがて出来た雲と雲の狭間から、眩しい光が差し込んだ。反射的に目を瞑り、顔を逸らす。
ヴァーミリオンは、スーツの内ポケットから一枚の絵葉書を取り出した。無論、赤い手紙では無い。それを千獣の目の前の草むらに放り投げ、自分は服についた土ぼこりを払いながら立ち上がった。
葉書に描かれているのは、雲が二つ浮かぶ闇夜の空を飛ぶ一羽の梟だ。荒削りな画風、それでいて力の感じられる、まるで梟の鳴き声が聞こえてきそうなほど。らんらんと光る双眸は鈍い赤色をしており、雲が掛かった満月を背に獲物へと飛び掛っていく様子がえがかれていた。右下には、G.G.のサイン。
「何、これ」
千獣の問いに、ヴァーミリオンが振り返ることは無かった。茶色い瞳が遠くを見つめ、口の端を少し上げているのが見える。
「俺はもう、キミへ手紙を届ける事はないだろう。キミが望まない限りはね」
葉書を裏返すと、宛名が刻まれていた。流れるように書かれた文字は、上手いとも下手とも言えない形をしたままそこに居た。……赤い手紙に書かれていた、白いインクの文字と同じ筆跡で。
(恨みは何を生み出すのか、さて
人の連鎖?
それを無くした人間は愛せない
ではお手伝いを
じゃあお使いを
俺が俺だと不思議だね
都合がいいね
朝よさらば、兄弟?
いや、夜におはようだ)
(鏡だ
そうであるべきである?
どうなるべきであろう?
自分を守る為に?
それとも
鏡だ)
(ああ、構わないさ
どうやら元から、闇と影を分けているらしくて
どうだろう?)
(俺は俺である)
(俺は俺である)
「キミが気に病むべき事は何もないよ。いや、何も感じていないのかもしれないけれど……」
「……何も……ない、訳、では、……無いよ」
「そうか。良かった」
ヴァーミリオンはようやく千獣を振り返り、目を細めて笑った。
「レッドへの恨みでも、同情でも、何か感情が湧いたなら、俺は嬉しい。生まれた甲斐があったと思う」
そして、ナイフをこちらへ、と、手を伸ばす。千獣は刃を葉に包まれたナイフを拾い上げ、彼へと軽く投げ渡した。葉を取り、柄を握る。ヴァーミリオンの背に、翼が現れた。それは太陽の光をほんの少しだけ透かして、まるで色ガラスのようになっていた。魔力による、幻に似た存在なのだろうか。時間がたつにつれ、それの色は不透明へと変わっていった。日光を遮る、本物に近い翼へ。
「何か気付いた事があったら、遊びにおいで。答え合わせはいつでも大歓迎だから」
やはり、そこに殺意は無い。翼をはためかせ、ふわりと音も無く飛び上がると、彼は宙返りの後に会釈をした。ふっと舞った羽が一枚、翼を離れて草の上へ落ちる。それは雪が解けるように消えていった。
「ごきげんよう、親愛なるキミ。出来るならば、また会おう。会えないならば、さようなら」
空中で向きを変える時でさえ、羽音は少しもしなかった。彼が西へ西へと飛んでいくのを、千獣は視線だけで追っていた。絵葉書の梟が太陽をじっと見詰めている。
千獣が聖都に帰るまでに、風は何度吹いただろう。傷跡はやがて消えるものだ。さて、ならば、記憶はどうだろう?
おしまい
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/千獣/女性/17歳
NPC/ローズ・ヴァーミリオン/男性/27歳
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ライター通信
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遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。
後日談ということで、レッドローズではなくヴァーミリオンが会いに来ました。
私は多くを語るべきであったでしょうか。
またご縁があれば宜しくお願いいたします。
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