■桜の樹の下には……■
shura |
【7321】【式野・未織】【高校生】 |
道に迷ったのか、それとも何か目的があったのか、ある日あなたが閑散とした広場に来てみると、一本だけながら堂々と立つ桜の樹の下に、途方に暮れたような顔で佇んでいる人影がありました。
「世界は予期できない事象でできている。たとえ桜が咲くのが世界の原則、ゆるがぬ『当然』であっても、世界のすべての桜が必ず咲くとは限らない。世界には例外と呼ばれる『穴』があるから。そして、そこに困惑の種が転がっていないとも限らない。今ここに、こんなものが存在するように。」
そう言う桜の化身は、樹の下に視線を向けています。つられて見ると、そこには……!?
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桜の樹の下には……
「それ、本気で言ってるなら怒るからね!」
食器の触れ合うかすかな音と人々のおしゃべりばかりが漂う穏やかな音のさざなみを、突然そんな怒気をはらんだ声が引き裂いた。まだ若い少女の叫びだったが、その緊迫した語調はおしゃれな小物が目をひくかわいらしい喫茶店には、どう控えめに見積もっても不釣合いとしか言いようがない。学校帰りの学生たちで賑わっている店内を一瞬のうちに静まり返らせた声の主らしき少女は、がらりと変わってしまった周囲の空気に気まずそうな顔をしたあと、小さな声で「すみません。」と謝り、向かいに座っている別の少女の方へ身を乗り出すようにしてひそひそと話を再開した。すると、それが合図だったかのように店内にまた喧騒が戻る。
「あの子、すごい剣幕だったね、ミオ。」
大きな青い目をいっそう丸く見開いていた式野未織(しきのみおり)は、友人にそう声をかけられてはたと我に返った。彼女のことをミオと呼んだ同い年の少女は、興味深そうに先ほどの声の主がいる席の方へしきりに目を向け、耳をすませている。
「一緒にいる子、怪我してるんだ。」
そう言われてミオもそっと小さな身体を伸ばして件の少女たちがいる方をのぞき見た。なるほど、確かにさっき声をあげた少女の向かいには、腕に包帯を巻いた気弱そうな少女が落ちつかない面持ちで座っている。
何となくミオとその友人は二人の様子を見守っていたが、間もなく彼女たちは席を立ち、ひそやかに言葉を交わしながらミオたちの前を足早に通り過ぎると、そのまま店を出ていった。それを沈黙のまま見送ったミオと友人は、まるで示し合わせたかのように顔を見合わせる。
「わたしたちの横を通った時、何て言ったか聞こえた?」
先に口を切った友人に、ミオはこくりと頷いてみせた。
「ここまできて夢を諦めちゃうなんて、って……。」
「あの怪我が原因なのかなあ。まあ、わたしたちには関係ないけどねえ。」
ミオの返答にそう言ってため息をついた友人は、それっきり二人の少女のことなど忘れてしまったように自分の前のケーキを味わう楽しみに戻ってしまった。ミオはまだ何事かを考えている様子でぼんやりとしていたが、「ミオ、食べないならわたしがもらっちゃうよ?」という友人の言葉にはっとし、「ダメ!」と慌てて自分の皿を手で覆い、伸びてきたフォークからケーキを守った。
今日からメニューに加わったこの喫茶店の新作ケーキを食べるために、ミオたちはやってきたのだ。
「せっかくここまで足を伸ばしてきたんだから、おいしく食べなくちゃ。」
友人はそう言うと、にっこり笑ってみせる。ミオもそれに微笑み返して、フォークで切り分けたケーキの少し早い春の味を楽しんだ。
新作ケーキを食べ、お菓子屋巡りをするという放課後の楽しい時間を満喫してミオが友人と別れたのは、夕暮れが夜のカーテンの裾を引きずり、地平線の代わりに見えるビル群の上にはためかせ始めた頃である。
「遅くなっちゃった。」
誰にともなくそう呟くミオは、長い髪を揺らして家路を急ぐ。
しかし、いつしか心は現実を離れ、喫茶店で聞いた少女の言葉にとらわれていた。
『ここまできて夢を諦めちゃうなんて。』
「夢……夢かあ。」
自身もパティシエになるという夢を持っているミオは、それを諦めるということがどれほど悲しく、つらいか判るような気がした。
「ミオだって途中で諦めたくないもの。」
そう呟いて、ふと、その夢のことを話して聞かせた桜の樹のことを思い出す。一本桜と呼ばれているその桜に宿っている精霊に、ミオは以前一つの誓いを立てた。その時に自分の夢も語ったのだ。それを思い出したせいだろうか、気づくとミオは一本桜のある広場の方へと足を向けていた。
一本桜の下には二人の幽霊が出ると言われている。幽霊、精霊、呼び方は人によっていろいろだが、本質は変わらない。昼間に現れる実体を持たない少女の姿をした者も、夜に実体を持って現れる少年も、桜の下で交わされる約束や、立てられる誓いを記憶し見守っている。
もっとも、いつもその広場に人がやってきているわけではなく、大概は桜の精霊のどちらかがぽつんと一人で佇んでいるばかりで、ミオが軽く息を弾ませて広場に足を踏み入れた時も、夜の桜の精霊である少年、桜佳(おうか)はぼんやりと夜の迫る空を眺めていた。
ミオは彼の方へ歩み寄ろうとしたが、ふいに一本桜の下に何かが落ちていることに気づいてその足を止め、かがみこむ。小さな手で拾い上げたのは、不思議な模様に織られた袋だった。中には何が入っているのか、ふんわりと丸くふくらんでいる。
「あの、これは精霊さんの物ですか?」
袋を両手に抱えミオがそう声をかけると、今初めて彼女がいることに気づいたという様子で少年は振り返り、足音もたてずに近づいてきた。
「わたしの物ではないよ、何故あなたがそう思ったのかは判らないけど。」
ミオの手の中に視線を落とし、そう言ってにこりと笑った桜佳に、ミオは「ここに落ちていたので。」と首をかしげながら答える。
「精霊さんの物でないなら、どなたかが落としていったんでしょうか?」
持ち主を特定する物が入っていないかと何気なくミオが袋の中をのぞくと、そこには透明の小さな球体がいくつもいくつもひしめきあうようにして詰まっていた。
「ガラス玉?」
しかし、ガラスにしては重さがなく、袋はそれ自身の重み以外持ち合わせていないかのように軽い。それに、小さな球体もよく見るとふわふわとゆらめき、輝きながら互いにぶつかり合っては引っ付いてしまうこともなく絶えず形を変えて、袋の中におさまっている。
「これは……シャボン玉。」
ミオがそう呟いた、次の瞬間――きらきらと光る一つの球体の表面に見覚えのある少女の姿が映った。喫茶店で見た、腕に包帯を巻いている気の弱そうな少女である。彼女は黒い大きなピアノの前で泣いていた。白衣を着た医者らしき男の姿も見える。声は聞こえてこなかったが、彼は少女を励ましているらしい。だが、彼女は力なく首を振るばかりだった。
「これは、夢のシャボン玉なんですね。」
じっと球体に映る光景を見ていたミオは、唐突にすべてを悟った様子で呟く。傍らで同じく袋を覗き込んでいた桜佳もそれに小さく頷いた。「まだ叶っていない、誰かの夢。」
「夢の詰まったシャボン玉は、空に放たないと叶いません。」
「心の内に留めたままではなく、現実の中へ投げ込まないと。」
どこか心ここにあらずといった――しかし確信に満ちた口調でミオが言うと、それに呼応するように桜佳も囁きを返す。
「勿論、途中で割れてしまうものもあるでしょうし、思いもよらない場所に流されてしまうものもあります。」
「世界は予見できない事象であふれているから。」
ミオと桜佳は色の違う互いの瞳を見つめたまま、言葉を切った。それから、ミオはまた袋の中のシャボン玉たちに目を向け、「そう、そうです。」と呟く。
この泣いている少女だって、まさか大事な腕に怪我をするとは思ってもみなかったに違いない。『予見できない事象』は彼女の、夢に向かう意思をくじき、まだ完全に夢が失われたわけではないのに、治る可能性があるのに、心の中に――複雑で傷みやすい袋の中に閉じ込めてしまったのだ。
負った傷の痛みに怯えているのかひたすら泣いたままの少女の姿から目をそらすことなく見つめながら、しかし決然と、ミオは悲しみとも励ましともつかない口調で「でも、」と言葉をついだ。
「どんなに手放すのが怖くとも、何もしないうちに諦めちゃうのはダメだって思うんです。だって、挑戦するのって悪い事じゃないですから。」
そう言って顔を上げたミオを見返し、「そうだね。」と桜佳は短く答えた。
ミオの手の中にある袋には、今にも割れて消えてしまいそうな夢が詰まっているのである。そのことがミオには何故かはっきりと判った。
「このシャボン玉たちは、誰かが諦めようとしている夢なんです。」
危なっかしげにふくらんでいる袋を胸元に引き寄せて、ミオはそれをいたわるように見つめながら言う。
「本来なら自分で飛ばすべきですけれど、見失いそうになった夢を再び追いかける時、誰かが背中を押してあげても良いんじゃないかって思うんです。その役をミオがやっても良いかは悩みどころですけれど……。ミオも夢がありますから、同じように夢を追いかけている人を応援したいんです。」
そんなミオの言葉に励まされたかのように、一度袋が大きく膨らんだ。それを見て桜佳が柔らかな笑みを浮かべてみせる。
「わたしは見守るだけの者で、夢を持たないから、その役はあなたのような人にこそ相応しいと思うよ、ミオ。」
桜佳はそう言うとミオの傍らから数歩、あとずさるようにして離れ、いつの間にか訪れた夜のまだ薄い闇に浮かぶ月を指し示すように両手を上げた。すると、白い月の光に照らされて、まだつぼみすらつけていない桜の樹がぼんやりと輝き始める。
「太陽の明りは傷つきやすいシャボン玉には強すぎるけど、月の光なら優しく迎えてくれることだろう。今なら星も出ている。願いも届くかもしれない。」
その桜佳の言葉にミオは一つ頷き、青空を思わせる大きな二つの瞳を閉じて、心からの祈りを紡ぎ出した。
「空に放った後、どうなるかは持ち主さん次第です。でも、どうか夢のシャボン玉が空まで届きますように。」
そして袋の口を開き、ゆっくりと夜空に差しのべる。自ら飛び立つべき夢のシャボン玉たちは、ミオの優しい手によって狭い袋の中から解放され、ふわりふわりと、月光に誘われるようにして空に昇っていった。数え切れないほどの小さなシャボン玉が浮かぶ光景はまるで、つぼみも葉もつけていないはずの桜の樹から散った花びらのようにも見える。
昼の空に漂うシャボン玉は明るく美しいが、花びらのように、また星のように夜の空に舞うそれはどこか儚く、幻想的だった。
ミオは誰かの夢が舞う、まさに夢のような景色を見上げながら、もう一度口の中で囁く。そしてそれに、月と星と桜の精霊が静かに耳を傾けていた。
「どうか空まで届きますように……。」
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【7321 / 式野・未織 (しきの・みおり) / 女性 / 15歳 / 高校生】
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■ ライター通信 ■
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式野未織様、こんにちは。
この度は「桜の樹の下には……」にご参加下さりありがとうございました。
またこうしてお会いできた上に、式野未織様の優しいお人柄のうかがえる温かいプレイングをいただいて、大変嬉しかったです。
夢のシャボン玉というとても幻想的な設定に心惹かれました。
シャボン玉というと昼の明かりの中の方が似合いそうですが、普通のシャボン玉とは違うので、空に飛ばすのは夜にさせていただいた次第です。
また、以前「お菓子屋さんめぐり」をされるという式野未織様の放課後の楽しいご予定を、当方の都合でご堪能いただけなかったので、今回改めてその場面を描かせていただきました。
書きたかった場面でありましたので、夢が叶ってわたしは嬉しかったのですが……式野未織様にもお楽しみいただければ幸いです。
そしてそれが少しでも式野未織様の夢を叶える足がかりになれば嬉しく思います。
それでは最後に桜の独り言を少し。
――シャボン玉の見えなくなった空を見上げながら、桜佳が一人呟いて曰く。
――「女の子を夜に一人で帰すのは心配だけど、わたしはこの広場から出られない。
――だが、あなたは道に迷うことはないだろう。月はこんなに明るいし、あなたは見失うことなく夢を追い続けるだろうから。」
ありがとうございました。
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