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■闇に漂う■

青木ゆず
【7361】【響谷・玲人】【モデル&ボーカル】
都心の外れににある寂れた喫茶店。レトロな空気が漂っている。
唐津裕一郎はいつものように白いカップを磨いていた。

「今日はどなたかいらっしゃいますかねえ」
古ぼけた店内を見渡す。いつも客は誰も来ない。
いまや地元ではこの喫茶店はちょっとおかしなことで有名だ。こうなったのも、いたずらが過ぎる幽霊の仕業だろう。
溜息混じりに空を見上げると、高い建物と建物の間から青空が見えた。

「私は誰かにコーヒーを飲んでいただきたいだけなんですが」
誰もいない店内に、裕一郎の声だけが響き渡る。たまには自分で淹れて自分で飲むか、と裕一郎は一人サイフォンを用意した。

闇に漂う


 珍しく時間が空いた。
 いつもなら撮影を終えた後も打ち合わせやレコーディングの仕事が入っていているが、今日は偶然といっていいほどマネージャーから見せられたスケジュール帳になにも記されていなかった。
 時刻は午後七時を回ったところだ。
「どこかでゆっくりしたいなあ」
 自然と独り言が漏れる。
 久しぶりに余裕ができたのに、このまま家に直行するのはもったいない。初春ののんびりとした空気に誘われて、関係者に挨拶をした後、響谷・玲人は一人撮影場所を離れて外へ出た。
 夜空は春の到来を告げるように澄みきり、たくさんの星が煌めいている。散歩するには気持ちのいい、のどかな夜だ。
 しばらくはあてもなく歩いていたが、人通りの多い道に入り込むと周囲の視線が気になり始めた。若い女性が時折玲人を振り返る。タレントや役者と違ってテレビに出ることは少ないけれど、わかる人にはわかってしまうのだろう。
 握手を求められれば好意的に手を差し出す。だけどやっぱり恥ずかしい。
そそくさと人の少ない小道に進み、俯きながら歩く。吹き抜ける風は柔らかな花の匂いを運びながらも冬の凍てついた厳しさを残し、体を芯から冷やしていく。
 腹、減ったなあ……。
 そういえば今日は何も食べていなかったことを思い出した。寒さと空腹、日々の疲れも相まって、だんだんナーバスになってくる。今の職業にはやりがいを感じている。しかしこうして一人になってみると、たくさんの子供たちに囲まれて一緒にご飯を食べたり遊んだりすることに、やはり心のどこかで憧れていることに気がつく。
 捨てきれない夢に溜息をこぼし、とぼとぼと歩いていると、不意に鈍い光を放った看板が目に入り立ち止まった。コーヒーの匂いが漂ってくる。
「ここは……喫茶店かな」
 看板の文字は剥げていてよくわからない。そのすぐ右隣りにあるガラス張りの店の中を覗いてみる。喫茶店に間違いなさそうだ。縦に長く、右側は全てボックス席、左側はカウンター席という構造だった。
 手前から二番目のボックス席には男性客が一人座っている。他に誰もいない。
 ゆっくりできそうな雰囲気に、玲人の手は自然とドアへ伸びていた。



 
 鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
 座ったまま笑顔で言われて、数秒呆気にとられた。
 男性客だと思っていたのは、どうやら店主のようだ。
 なにか飲んでいたのだろうか。彼の座っている席に紅茶用のカップと、ソーサーの近くに飴玉の入ったピンク色の包み紙が二、三個転がっている。
店主がゆっくり立ち上がるのと交替に、玲人は一番手前の席に腰を掛ける。
「メニューは御覧になられますか」
 水が運ばれてきた。低く、落ち着いた声になぜか安心する。
「いえ」
 玲人は微笑んだ。撮影のときに作る笑顔とも、仕事関係の人に挨拶をするときの笑顔とも違う。自分でもびっくりするぐらいの素顔で答える。
「コーヒーとサンドイッチをお願いします。朝からずっと撮影で何も食べてなくて」
「撮影? 役者さんですか」
「ちょっと違います。俺は響谷・玲人っていって、一応モデルをやってます」
「モデルさんですか。すみません、どうも世間のことには疎くて。私は唐津・裕一郎と申します」
 ティーカップはそのままに、裕一郎は作業場へと入っていった。



 静かだった。
 無音を奏でる沈黙が、安穏とした身の置き場と安らぎを与える。
 豆を挽く音、陶器の擦れ合う音もいつの間にかその沈黙の中に溶け込んで、心地よく耳の奥に響く。
 玲人は不思議な気持ちにとらわれて店内を見回した。
 どことなく、人知では計り知れないなにかがいそうな気はする。敏感な人間であれば、霊感が強くなくても気づくだろう。だが、裕一郎の生み出す音のひとつひとつ、喫茶店の空気に触れている一瞬一瞬が、これまで無意識のうちに積み重ねてきた心の吹き溜まりを一皮ずつ剥いでいってくれるような、酷く穏やかな気分に陥るのだ。
 今、素の笑顔が出てしまったのもそのせいだと思う。
 玲人は一呼吸して、沈黙を破る。
「ここは、他の喫茶店みたいに音楽がかけられていないんですね」
 話しかけても、心地よさが崩れることはなかった。裕一郎はカウンターから静かに顔をあげる。
「音楽をかけると、クラッシックがラップやロックになります。直してもすぐ壊されますし」
 平然とした口調に納得した。多分ここにいる何某かのいたずらなのだろう。
「音楽がないほうが逆に気持ちいいです。ここ、落ち着いた雰囲気で良いですね」
「落ち着いて、ますかねえ」
 裕一郎は苦笑した。客がいなくても、彼にとっては霊に翻弄され、落ち着かない日々を送っているのかもしれない。
「霊の雰囲気は感じますけど、唐津さんの存在があるんで安心できます」
 素直に口に出すと、裕一郎は一瞬意表を突かれたような表情になり、目を細めた。
「ありがとうございます」
 カウンターから出て、ほろ苦い香りのするコーヒーと、パンに狐色の焦げ目をつけたサンドイッチを玲人の目の前にそっと置く。
「お待ちどうさまでした。どうぞ、ゆっくりしていってください」
 会釈をしてカウンターの中へ戻る。
 玲人はサンドイッチをひとつ手に取り、口にした。溜息が出た。店に来る前とは種類の異なる、温かな溜息。
 こうした緩やかな時間を送るのはどのくらいぶりだろう。
 一人で散歩して喫茶店に来て食事をする。それだけのことが、ささやかながらも幸せに思えてくる。もちろん今送っている日々も決して不幸ではない。ただ忙しさに、忘れかけていたことがあった。
 こんな風に多忙の中にも毎日小さな幸せを見つけることが出来れば、少しは自分も穏やかな雰囲気を持った人間になれるのだろうか。
 裕一郎を見る。口元に仄かな笑みをたたえ、視線を落としてカウンター内の片付けをしていた。
「俺も……」
 コーヒーにミルクと砂糖を入れ、かき混ぜながら呟く。
「俺も唐津さんくらい穏やかな雰囲気だったらよかったんですけど……」
 金色のスプーンが凛とした音を出す。
 裕一郎は手を止め、黙ったまま耳を傾けていた。心に溜めていることがあるのでしょう、続きをどうぞ。そんな表情だ。
 誰かに話してもいいのかもしれない。玲人は胸のうちをゆっくりと吐き出した。
「俺、保父さんになりたかったんです。でも、背は大きいですし、顔はキツメですし、初対面の子供は大抵怖がるんです。なので、結局モデルに落ち着きました」
「そうですか」
 裕一郎はどことなく遠くを見つめ、相槌を打つ。言葉自体は素っ気ないのに、突き放している風には感じられない。
「バンドのボーカルもやってますし、どんどん保父さんから離れていっているような……」
 玲人はスプーンをしばらく手の中で弄び、元の位置に戻す。
 数分間、お互い無言だった。気まずいわけではないが、変なことを言ってしまったのだろうかと不安になる。続きを話さなければ。次につなぐ言葉を思い巡らしていた時、ふと裕一郎が口を開いた。
「例外も、いらっしゃるようですよ」
「例外?」
 言っている意味が分からず、訊き返す。
 裕一郎はどこまでも穏やかな瞳で、カウンターから玲人の座っているひとつ前の席を指差した。ティーカップの置いてある、あの席だ。
「さっきからそこに、小さな女の子がいるんです。五、六歳でしょうか」
 玲人には見えない。首を傾げ、裕一郎に視線を送る。
「響谷さんは霊の雰囲気を感じると仰いましたね。確かにここには数多の霊が住みついています。でもそれとは別に、時折生前霊感の強かった方が、亡くなった後にここへふらっと立ち寄ることがあるんです。彼らがやがて還る場所へ向かうための休息場、とでも言いましょうか」
「じゃあ、そこにいるという女の子も?」
「ええ。昨日亡くなったそうです。夕方からここへ来ていて、今は心の準備をしているみたいですよ。あなたがいらしたので、私は彼女に話しかけずにいたのですが……」
 置かれているティーカップは、彼が飲んでいたものではなかった。言っていることが本当だとすれば、多分裕一郎は隣に座って、その女の子の相手をしていたのだろう。
 裕一郎は続ける。
「モデルとしての響谷さんを知っていたそうです。年の離れたお兄ちゃんに雰囲気が似ていて、雑誌でよく見ていた、お友達からも人気があるとさっきからずっと言っています」
「それは……ありがとうございます」
 正面のティーカップを見つめたまま、玲人は誰にともなく言う。
 その場しのぎで慰めるために言っているのではいか、信じていいものかどうか迷う。 だけど、どうしても嘘には思えない。五、六歳の女の子という登場人物を出して作り話をするには、些か冗談が過ぎる。
「私には、響谷さんが現在の仕事を続けているほうが良いのか、保父さんになるほうが良かったのかはわかりません。けれど、百人いれば百通りの考え方があるように、子供の数だけあなたを怖がる子もいれば、全然怖がらない子もいると思います」
 裕一郎の言葉が心に深く染み込んでくる。そうかもしれない。子供が十人いて九人同じ表情を見せても、あとの一人は違うのかもしれない。
 信じてみよう。コーヒーを一口飲む。
――子供だって、みんなおんなじじゃないんだよ、玲人さん。
 不意に、明るく高い声が耳に飛び込んできた。びっくりして辺りを見渡す。
「おや、聞こえたようですね」
 笑顔で裕一郎は再び指さす。示された方向にゆっくりと視線を追い、玲人は目を見開いた。
「見える……」
 コーヒーカップから立ち昇る白い湯気の向こう、さっきまで誰もいないと思っていた空席に、長い髪を一つに結い上げた色白の可愛らしい女の子がちょこんと座っていた。 やはり笑顔で玲人を見つめている。
「唐津さん、なにかされたんですか」
 思わず尋ねていた。一瞬、裕一郎の能力かなにかで見えないものを見えるようにしたのかと考えたのだ。
「私はなにもできません。その子の力です。響谷さんに一目、自分の姿を見てもらいたいと願ってのことでしょう」
 裕一郎はあくまで冷静だった。
――モデルの玲人さんもすき。でも保父さんの玲人さんだったら、わたしはお兄ちゃんとおんなじようにお話ししてもらって、あそんでもらう。それでね、それでね。
 女の子は立ち上がり、玲人のいる場所へ向って歩き出す。
――モデルでもボーカルでも保父さんでもない、今ここにいる玲人さんもだいすきになったよ。ぜんぜん怖くない。だってやさしい人だってわかるもん。きっとわたしより小さい子供にも、そのやさしさは伝わるよ。
 幻を見ている気がした。幻ではないけれど、ストレート「怖くない」と言って笑顔を見せてくれる子供に会うのは初めてだ。胸の奥につかえていた、子供に対するわだかまりがさらさらとなくなっていく。
 女の子は微笑み、はいどうぞ、と小さな手を差し出してきた。玲人は反射的に掌を広げる。
 ピンク色の包み紙に入った飴玉がひとつ、掌に落ちた。
「生前大好きだったんだそうです。さっき買ってきました」
 裕一郎が付け加える。
――いちごミルク味のキャンディー。よくお兄ちゃんがくれたんだ。会えたお礼だよ。
「ありがとう……」 
 玲人はそっと両腕を伸ばし、小さな体を抱きしめていた。
 肌の柔らかな感触は伝わってくるが、全身が恐ろしく冷たい。亡くなってしまった子供。その事実が、実感に変わる。
「お兄ちゃんと会えなくなって寂しい?」
――……寂しいよ。でもまた生まれかわって、どこかで会えるとおもってる。
「うん、そうだね」
 もし天国という場所があるのなら、神様。どうかこの子が寂しさを抱えずに無事辿りつけますように。そしてまた、この子のお兄ちゃんと出会えますように。
――ねえ、玲人さん。わたしはもういくけど、そのキャンディーが溶けてなくなるまで、わたしのことおぼえていてくれる? 
 返事をする前に、女の子は腕の中からすっと消えた。
 旅立ったのだろう。目を閉じ、一時触れあった名も知らぬ女の子との会話をしっかり胸に刻み込む。
「今の子供はしっかりしていますね」
 裕一郎の声に我に返った。静寂が戻る。
「もう、誰もいませんよね?」
「どうでしょうか」
 カップを磨きながら、裕一郎は曖昧なことを言う。作業を止め、楽しそうに玲人を見つめる。
「今度、響谷さんのCD拝聴しましょうかねえ」
「ややや、やめてください。って今のっていうか、さっきのは秘密にしてもらえます? ボーカルやってることは秘密なんです」 
 一気に現実に引き戻され、慌てながら言う。
 現実に沿った話題をふるのは、喫茶店にいる霊と深く交わらせないための裕一郎なりの配慮だ。
「じゃあ、三人の秘密ですね。今の子と私と、あなたと」
「そうしてもらえると助かります」
 ソファーに深く腰を掛け、玲人は残りのコーヒーを飲み干した。秘密を打ち明けてしまった後悔は、まるでない。
「唐津さんて不思議ですよね。思わず秘密を喋りたくなる雰囲気というか……」 
「自分でも不思議な生き物だと思います。自分ではどういう雰囲気なのか全くよくわかりませんが」
 お変わりをどうぞ、サービスです。裕一郎はコーヒーカップをテーブルに置いてくる。踵を返し女の子のいた席のティーカップを片付け始めた。
 二杯目のコーヒーで落ち着きを取り戻す。大丈夫。祈ったから、あの子はきっと寂しくない。
 裕一郎との他愛のない会話を楽しみ、充分にくつろいだ後、玲人は腰を上げた。
「お帰りですか」
「はい。美味しいコーヒーとサンドイッチを御馳走さまでした。ここへ来られてよかったです」
 丁寧にお辞儀をして外へ出る。
 礼を述べる裕一郎の声を背に、最初の細道を歩きながら貰った飴玉を口の中へ入れた。
 風が舞う。見上げた空に、研ぎ澄まされた細い月が輝いている。
 偶然ではなかったのかもしれない。珍しく時間が空いたことも、この喫茶店へ来たことも、あの女の子に会えたことも、ありのままの自分をちょっと見つめ直すための必然だったのかもしれない。
 意識が少しだけ変化している。心のどこかで、自信を持てと言っている。夢は持ち続けてもいいのだと。
 女の子の笑顔を思い浮かべる。不思議となんでも出来そうな気がしてきた。
「覚えているよ。忘れないよ、ずっと」
 声は風に乗って届いてくれるだろうか。
 一段と濃くなっていた闇夜に、いちごミルクの甘い味が溶けていった。
 
(了)
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【7361/響谷・玲人/男性/23歳/モデル&ボーカル】

NPC

【4364 /唐津・裕一郎 /男性 /?歳 /喫茶店のマスター、経営者】

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■         ライター通信          ■
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響谷・玲人様

初めまして。青木です。

この度はご参加頂き有難うございました。
ご職業だけに、クール&カッコイイのだろうなーと思いながら書いておりましたが、子供好き動物好きに悪い人はいない! とあえて優しさを前面に出させて頂きました。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

またご縁がありましたら宜しくお願い致します。