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■花筐■

雨音響希
【6224】【ラン・ファー】【斡旋業】
 背後で鈴の音が聞こえたような気がして、振り返る。
 振り返った先は闇に染まった世界で、何者かによって異世界へと連れ込まれてしまったのだと悟る。
 敵意のある者でなければ良いがと願っていると、楽しそうな子供の笑い声が聞こえてきた。
 甲高く細い声は、少女のものだろう。声はだんだんと近付いてきているのに、姿は見えない。
「何処見てるの、氷菓はここよ」
 直ぐ右手で声が上がり、視線を向ければ肩口で黒髪を切りそろえた着物姿の少女が毬を持って立っていた。年齢は外見から判断するに、6歳前後だろうか。
「ようこそ、氷菓の世界へ」
 氷菓 ――― 多分これが彼女の名前なのだろう ――― は屈託のない笑顔を浮かべると、すいと宙を撫ぜた。
 闇の世界に椅子とテーブルが現れ、テーブルの上には真っ白なポットと紅茶が乗せられている。
「あ、何よその目! 氷菓だって紅茶くらい飲むんだからねっ!‥‥‥確かに、氷菓はもう何百年も前の人だけどさ」 
 椅子に座ってと促され、ゆっくりと腰を下ろす。
「どうしてこんなところに来ちゃったのか分からないって顔してるわね。 どうしても何も、貴方が氷菓を呼んだからなんだけど‥‥‥今はこんなこと言っても信じてもらえないと思うから、その質問はナシね。きっと帰るころにはどうして貴方がここに来たのか、そして氷菓が今言った言葉の意味が分かると思うから」
 言われていることの意味は分からないが、頷くより他ない。
「貴方今、困ってることとか悩んでる事があるでしょう? あぁ、もっとも、自分じゃ気づかない人もいるのよ。特に自分と言う存在に対しての悩みとか不安とか、心の奥底の違和感なんてものは普通気づかないものだもの」
 でもね。 そう呟くと、氷菓は漆黒の ――― よく見れば角度によって銀色にも見える ――― 瞳を真っ直ぐに向けた。
「貴方が知っていようが知るまいが、貴方の心の中には何かの塊が沈んでいるの」
 それが大きいものなのか、ほんの些細なものなのかは分からない。けれど、貴方がここに引き寄せられた ――― 貴方が氷菓を呼んだ ――― のには理由があるはずなの。
「氷菓にはね、貴方のその塊をほんの少しだけ軽くしてあげる事が出来るの。自覚していることなら氷菓に話してみて。自覚のないことなら、その塊が何なのか、氷菓が見つけてあげる」
 彼女はそう言うと、いくつか質問を投げてきた。
花筐



 カップを左手で持ち上げ、そっと口をつける。 甘い香りを胸いっぱいに吸い込み、一口飲むと視線を上げた。
 白磁のような肌に、大きな瞳、着ている服は高そうな振袖 ――― 不思議とその振袖の色が何なのか、ラン・ファーには分からなかった。目にはきちんと色が見えているのだが、頭まで伝わってこないため認識できない。そんな不思議な感じだった。
「じゃぁ、今から幾つか質問をするけれど、良い?」
 氷菓の言葉に軽く頷き、ランは椅子に背を預けた。
「まず、貴方の好きな色は?」
「そうさな‥‥‥最近は紫か」
「氷菓も紫は好きよ。不思議な感じがするもの」
 氷菓の振袖の色が、紫色に変わる。 先ほどからその色だったのか、それとも刹那の間に変わったのか、はたまたランの頭だけが紫色だと判断し、実際に目に見えている色は違う色なのか、分からなかった。
「貴方は自分の事をどう思っている?」
「言わずもがな、素晴らしいだろう。敬われるべき存在だな」
「それが貴方の心からの真の言葉なのか、それとも心からの偽の言葉なのか」
 氷菓には分かっているけれど、貴方には分かる? そんな挑戦的な銀色の瞳に、ランは薄く微笑んだ。
「山と海と川、その三つの中ならどこが一番好き?」
「強いて言うなら、海か。海産物は美味いからな」
「分かるな。氷菓もお魚大好きよ」
「一度鮪の一本釣りをしてみたいものだ」
「海の女って素敵ね。 もし釣れたら、是非氷菓にもお裾分けして欲しいわ。獲れたての鮪は美味だから」
 大人びてきた氷菓の顔に驚く。 見れば身長も伸びており、今の彼女の外見年齢は13歳ほどだった。
 髪の毛も背中の真ん中辺りまで伸びており、あどけなさの残る顔はやや艶っぽい。
「自分の能力をどう思っているの?」
「能力?」
 一瞬、言われている言葉の意味が分からなくて視線を上げる。 どこまでも暗い上空は、高いのか低いのかすら分からない。
「‥‥‥そんなもん、あったか?別に意識したことはない」
「それが羨ましいことなのか、それとも悲しいことなのか。 氷菓が決めるべきことではないけれど、貴方が決めるべきことでもない。それを決めるのは、貴方と自分を比較する誰か。もしくは、自分と他人を比較する貴方」
 比較しないうちに、勝手に自分の内で結論付けることは許されない。
「でも、貴方は人と自分を比較しない。何故なら、貴方は自分の世界の中心が自分だと分かっているから」
「当然だ。私の世界は私のものだ」
「そう、貴方と言う人生において、主人公は貴方。勝手に他人を主人公に据えることは許されない」
 ランと同じくらいの彼女は、そう言うと腰まで伸びた髪をサラリと背に払った。
「意識した事がなくとも、貴方には特別な能力がある。そうでなければ、この場に来れない。‥‥‥氷菓を呼び寄せることは出来ない」
「そうなのか?」
「そうよ。貴方の能力が、氷菓を呼んだのだから。‥‥‥その特別な能力は、誰のためのものだって貴方は思う?」
「‥‥‥必要としている者がいれば、手を貸すと言うのが上に立つ者の役目というものだ」
「貴方の人生において、得た能力は貴方のもの。けれどそれが誰かを救う手立てとなるならば、貴方は惜しげもなく提供する。それが貴方と言う存在が能力を持った意味だって、そう思うのね?」
「そんな難しい事を言われてもな‥‥‥」
「貴方がこの世に存在し、特殊な能力を与えられた、その意味を、貴方は自分なりに考えて解釈した。 すなわち、人とは異なる能力、人の力を超える能力を持った人間は、その能力を己のために使うのではなく、真に必要としている者のために使うよう使命を受けている。 力とは、弱者を排除し強者だけの世界を創るための暴力的な道具ではなく、強者が弱者の世界を守るための盾のような存在である、そう言うことでしょう?」
「まぁ‥‥‥そう言うことなのか? それほど深く考えたことはなかったが」
「貴方の頭が深く考えたことはなくとも、貴方の心は貴方が思っている以上に深く考え、悩んだ。その結果出された結論よ」
「そうなのか?」
「そうでなければならない。 貴方は弱者を守る、強靭な盾でなくてはならないのだから」
「‥‥‥で、私はなんの能力を持っているんだっけか」
「その言葉が真に心から出たものなのか、それとも偽に頭から発せられたものなのか、はたまた偽に心から発せられたものなのか、真に頭から出たものなのか。 最初と最後でないことを祈るばかりね。願わくば、偽に心から発せられた言葉であって欲しい。真実しか言わないはずの心が嘘をつかせる、その些細な抵抗はとても可愛らしく、人でありたいと言う切なる願いを含んでいるから」
 すでに彼女はランよりも年上に見えた。 20歳前後の外見をした氷菓は紅茶を一口優雅に飲むと、最後の質問をしても良いかしら?と言って首を傾げた。
「貴方に、帰る場所はある?」
 重々しく紡がれた言葉は、穏やかな彼女の笑顔とは反しているように見えた。
「帰る場所は‥‥‥私がいれば、そこがそうだとも」
「そう‥‥‥」
 にっこり ――― 氷菓は微笑むと、ランに両手を差し出した。
「今から貴方を、古に連れて行きます。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第です」
 細く冷たい手に両手を乗せた瞬間、ふわりと体が宙に浮き上がり、急降下した ―――――



 ふわりと風がランの顔を撫ぜ、目を開ければ眼下には広大な緑と湖水の中に建つ城が見えた。
 湖の周りには豆粒大の人が大勢おり、その瞳は湖水の中の城に向けられている。
「これは‥‥‥?」
「1582年、高松城」
 隣で気持ち良さそうに風を受けていた氷菓の指先が、湖水に向けられる。
 城から漕ぎ出た小船が、ある一点を目指して真っ直ぐに進んで行く。
「あれはなんだ?」
 一瞬にして、上空数百メートルのところから地面に降り立ったランは、息を呑んだ。 白い着物を着た男性が、お腹に刃を入れて苦しそうに荒い息をしている。
 ――― 切腹、か ‥‥‥?
 背後に日本刀を持った男性が立ち、刃を振り上げる。 咄嗟に目を瞑ったランの耳に、氷菓の穏やかな声だけが聞こえてくる。
「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」
 凛と澄んだ声は、気高く美しい。
「彼は、城兵の命を助ける代わりに、自ら命を落とした」
 もっと詳しく言えば、主家の安泰も入っていたのだけれども。
「‥‥‥私にあの光景を見せて‥‥‥結局お前は、何が言いたかったんだ?」
「何も言いたいことはない。 あの光景を見て、何を感じるのかは貴方の自由。 氷菓は最初に言ったはずよ。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第だって」
 氷菓の冷たい両手がランの手を包み、ふわりと体が浮き上がると急降下した ―――――



 温かな紅茶の香りが全身を包み、ランは目を開けると目の前に座る少女 ――― 最初に会ったときと同じくらいの外見年齢になっている ―― に目を向けた。
 銀色の瞳はどこまでも深く、感情は読み取れない。
「私が思うに、貴方は繊細な人。自己を守るために意識的に図太さの鎧を着ているのか、それとも無意識なのかは分からない。けれど貴方は真面目で、繊細な人のように思う」
「私が、か?」
「海は生命の源、穏やかな時もあれば、荒れ狂う時もある。 時に母のようで、時に父のような存在。全てを許し、包み込んでくれる存在。貴方にはそう言う存在はいる? いないのならば、探してみたらどう?きっと、惹き合うはず」
 貴方は神秘的な存在。それは内に秘めた力のため。
「貴方の芯は強さを持っている。けれど寂しさを含んでいる。 帰る場所を決めていないのは、何かを恐れているから? 貴方は心から信じられる人がいる? 貴方の世界は貴方が主役。でも、貴方の世界には他にも人が住んでいるはず」
 帰るべき場所は自分の居るところだと、貴方は言った。 けれど、そこには誰かが待っていてくれることはない。例えば見知らぬ場所でも、貴方は自分がいればそこが帰る場所だと思える。でも、その場は貴方の帰るべき場所だとは思っていない。場が貴方の事を受け入れるには、膨大な時間がかかるはずだから。
「貴方には、夏が良く似合う。様々な物が生き、活気溢れる世界。けれど夏は直ぐに秋に変わり、冬になる。 貴方には夏の終わり間近のあの雰囲気が良く似合う。まだまだ暑く、元気だけれどもどこか物悲しく静やかなあの時が良く似合う」
 暑い盛り、緑の葉を伸ばす街路樹の下のささやかな涼にも似ている。貴方は小さな幸せを、他人に与える事が出来る人だから。
「貴方は水のよう。どこまでも澄んでいるようで底が見えなく、色すらも変えてしまう事が出来る。必要とあらば濁らせることも厭わず、透き通らせる事も可能。 常に居場所を求めて流れるさまも、水のよう」
 氷菓がすいと宙を撫ぜれば、フジ色の可愛らしい小花をいっぱいに腕に抱いた花筐が現れた。
「この花はムラサキシキブ」
「ムラサキシキブ?」
 ランの手に花筐が渡された瞬間、ムラサキシキブが輝きだした。
 輝く白い光りは周囲の全ての景色を溶かし、世界が真っ白に染められる。
「ムラサキシキブの花言葉は、聡明」
 あなたにぴったりの花でしょう? 氷菓のそんな声を最後に、ランはこの不思議な世界から弾き飛ばされた。



 はっと顔を上げれば、見慣れた室内が目に飛び込んできて、ランは深い溜息をつくと髪を掻きあげた。
 ――― どうやら夢を見ていたようだ
 不思議な夢だったと思い出すランの視界の端に、ムラサキシキブがいっぱいに入った花筐が映った ―――――



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 6224 / ラン・ファー / 女性 / 18歳 / 斡旋業


◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

ランちゃんの性格や、質問の答えをじっくり考えた結果、このようなお話にいたしました
普段のランちゃんとは違う一面が描けていればなと思います
この度はご参加いただきましてまことに有難う御座いましたー!