■花筐■
雨音響希 |
【7401】【歌添・琴子】【封布師】 |
背後で鈴の音が聞こえたような気がして、振り返る。
振り返った先は闇に染まった世界で、何者かによって異世界へと連れ込まれてしまったのだと悟る。
敵意のある者でなければ良いがと願っていると、楽しそうな子供の笑い声が聞こえてきた。
甲高く細い声は、少女のものだろう。声はだんだんと近付いてきているのに、姿は見えない。
「何処見てるの、氷菓はここよ」
直ぐ右手で声が上がり、視線を向ければ肩口で黒髪を切りそろえた着物姿の少女が毬を持って立っていた。年齢は外見から判断するに、6歳前後だろうか。
「ようこそ、氷菓の世界へ」
氷菓 ――― 多分これが彼女の名前なのだろう ――― は屈託のない笑顔を浮かべると、すいと宙を撫ぜた。
闇の世界に椅子とテーブルが現れ、テーブルの上には真っ白なポットと紅茶が乗せられている。
「あ、何よその目! 氷菓だって紅茶くらい飲むんだからねっ!‥‥‥確かに、氷菓はもう何百年も前の人だけどさ」
椅子に座ってと促され、ゆっくりと腰を下ろす。
「どうしてこんなところに来ちゃったのか分からないって顔してるわね。 どうしても何も、貴方が氷菓を呼んだからなんだけど‥‥‥今はこんなこと言っても信じてもらえないと思うから、その質問はナシね。きっと帰るころにはどうして貴方がここに来たのか、そして氷菓が今言った言葉の意味が分かると思うから」
言われていることの意味は分からないが、頷くより他ない。
「貴方今、困ってることとか悩んでる事があるでしょう? あぁ、もっとも、自分じゃ気づかない人もいるのよ。特に自分と言う存在に対しての悩みとか不安とか、心の奥底の違和感なんてものは普通気づかないものだもの」
でもね。 そう呟くと、氷菓は漆黒の ――― よく見れば角度によって銀色にも見える ――― 瞳を真っ直ぐに向けた。
「貴方が知っていようが知るまいが、貴方の心の中には何かの塊が沈んでいるの」
それが大きいものなのか、ほんの些細なものなのかは分からない。けれど、貴方がここに引き寄せられた ――― 貴方が氷菓を呼んだ ――― のには理由があるはずなの。
「氷菓にはね、貴方のその塊をほんの少しだけ軽くしてあげる事が出来るの。自覚していることなら氷菓に話してみて。自覚のないことなら、その塊が何なのか、氷菓が見つけてあげる」
彼女はそう言うと、いくつか質問を投げてきた。
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花筐
白磁のような肌に、大きな瞳、着ている服は高そうな振袖 ――― 不思議とその振袖の色が何なのか、歌添・琴子には分からなかった。目にはきちんと色が見えているのだが、頭まで伝わってこないため認識できない。そんな不思議な感じだった。
「可愛らしいお嬢さん‥‥‥と言うと失礼かしら」
「外見年齢的に見れば、貴方の方が年上。でも、存在している年数を比べれば、氷菓の方が上。人として生きて来た月日を比べれば、貴方の方が上。貴方が氷菓の事を子供として扱おうと、大人として扱おうと、どちらでも構わない」
「では‥‥‥同じ歳くらいと言うことで如何です? ‥‥‥よろしくお願いしますね、氷菓さん」
丁寧に頭を下げれば、銀色の長い髪がサラリと肩を滑り落ちる。
「じゃぁ、今から幾つか質問をするけれど、良い?」
はい。と、細い声で答えて背筋を正す。
「貴方の好きな色は?」
「白です」
「まだ何も染まっていない色、これから先染まる可能性のある色。その色が好きだと言う貴方は、始まりから動けずにいるの?それとも、始まりを引きずりながら貴方に影響を及ぼす様々なものを拒んでいるの? いいえ、もしかして憧れているのかしら?白は気高く誇り高い色のようにも思えるから」
氷菓の振袖の色が、白色に変わる。 先ほどからその色だったのか、それとも刹那の間に変わったのか、はたまた琴子の頭だけが白だと判断し、実際に目に見えている色は違う色なのか、分からなかった。
「貴方を漢字一文字で表すと?」
「静です」
「貴方が静を表すのなら、動を表す人がいるのかしら? もしいないのなら、探してみたらどうかしら。もしいるのなら、とても素敵ね。静と動があって、丁度つり合うから」
大人びてきた氷菓の顔に驚く。 見れば身長も伸びており、今の彼女の外見年齢は13歳ほどだった。
髪の毛も背中の真ん中辺りまで伸びており、あどけなさの残る顔はやや艶っぽい。
「四季の中では、どの季節が一番好き?」
「春ですわね」
「冬に眠っていた者達が起き出す始まりの時。氷菓も春は好きよ」
ふわり、桜の香りがした気がして顔を上げるが、闇が広がっているだけで何も見つけられない。
「自分の事をどう思っているの?」
「‥‥‥あまり考えた事がございません」
「自分と向き合うのが怖いのか、それとも向き合うべき対象が何なのか分かっていないのか」
琴子と同じくらいの外見年齢をした彼女は、そう言うと腰まで伸びた髪をサラリと背に払った。
「それじゃぁ、貴方は自分の事は好き?」
「好きなところも、嫌いなところも両方あります」
「普通の人は大抵そう。好きなところしか見えない人、嫌いなところしか見えない人はあまりいないわ。それで、具体的には自分のどこが好きなの?」
「芯がしっかりしているところでしょうか。‥‥‥仕事も必ずやりとげますしね。弱音を吐くこともございません」
「弱音を吐かないのは、吐く人がいないから?それとも、弱音なんて言ってはいけないものだと思っているのかしら。 それでは逆に、嫌いなところは?」
「案外臆病で、思いを伝えたりするのが下手なところでしょうか」
「弱さを強さで隠しているのは、強くありたいと思っているから? ‥‥‥まぁ、良いわ。それじゃぁ、山と海と川なら、どこが一番好き?」
「山です。 季節の野花、樹木の表情の変化、木々を行きかう鳥達、仰ぎ見る空の青さ。 他の場所も嫌いではないですけれども、やはり山が一番好きです」
「そう、貴方、面白いわね」
「そうですか?」
「山を選んだから面白いって言っているのではないの。貴方の複雑さが面白いって言っているのよ。 貴方は、自分の能力をどう思っているの?」
「何かの助けになるなら、幸いです」
「そう思っているのなら、次の質問はあまり意味がないかもしれないけれど、一応訊くわ。貴方の能力は、誰のためのもの?」
「この力によって作り出された、封布を必要とする人のためのものですわ」
「決して貴方のためのものではなく?」
「‥‥‥えぇ」
「人のための能力を持つ貴方は、意味のある存在なのか、それとも歯車なのか、自分で自覚はある? 貴方が確固たる信念を持っていない限り、ただの歯車でしかない」
誰かに動かされ、ただ回るだけの歯車にも意味はあるけれど、あまりにも虚ろな存在。
「貴方には、大切な人がいる?」
「私に関わってくださる方は、皆大切です。特別な意味での大切な人、と言う方はいらっしゃいませんわ」
「ただ単に貴方と惹き合う人がいないだけなのか、それとも貴方が心に予防線を張っているのか、はたまた貴方は全ての人を平等に愛すべきだと感じているのか」
その中のどれなのかしら、それともどれでもないのかしら? クスリと笑った彼女は、琴子よりも年上に見えた。 20歳前後の外見をした氷菓は、紅茶を一口優雅に飲むと、最後の質問をしても良いかしら?と言って首を傾げた。
「貴方に、帰る場所はある?」
「自宅が帰る場所ですね。家に帰ると、ほっといたしますもの」
「そう。心が休まる場所があると言うのは、幸せなことだわ」
にっこり ――― 氷菓は微笑むと、両手を差し出した。
「今から貴方を、古に連れて行きます。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第です」
細く冷たい手に両手を乗せた瞬間、ふわりと体が宙に浮き上がり、急降下した ―――――
*
柔らかな風が琴子の長い髪を梳き、目を開ければ眼下には広大な緑と入り乱れる人々の姿があった。
風が運んでくるのは戦乱の音と煙の臭い、血の臭い。
「ここは‥‥‥?」
「1575年、設楽原」
隣で気持ち良さそうに風を受けていた氷菓の指先が真下に向けられる。
馬が凄まじいスピードで駆け抜け、一斉に銃弾を受けて多くがその場に倒れる。 残った数名が怯まずに前に突き進み、再び銃弾を受けて数が減る。
「あれは‥‥‥?」
一瞬にして、上空数百メートルのところから地上に降り立った琴子は、息を呑んだ。 両腕から血を流し、口に軍配をくわえて采配を取っていた男性が、発砲音と共に後ろに傾ぐ。
馬から落ちた彼のいったい何処に銃弾が当たったのか、琴子は見ていなかった。 咄嗟に目を瞑った琴子の耳に、氷菓の穏やかな声だけが聞こえてくる。
「彼は死を覚悟していた。 だから死に物狂いで突撃した」
一歩も引かなかった。引けなかった。もう後はなかった。
討ち死にを覚悟した彼に示されたのは、前に進む道だけだった。
「‥‥‥私に、なにを言いたんですか‥‥‥?」
「何も言いたいことはない。 あの光景を見て、何を感じるのかは貴方の自由。 氷菓は最初に言ったはずよ。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第だって」
氷菓の冷たい両手が琴子の手を包み、ふわりと体が浮き上がると急降下した ―――――
*
温かな紅茶の香りが全身を包み、琴子は目を開けると目の前に座る少女 ――― 最初に会ったときと同じくらいの外見年齢になっている ―― に目を向けた。
銀色の瞳はどこまでも深く、感情は読み取れない。
「私が思うに、貴方は不思議な人。色々なものが混ざり合い、複雑に絡み合っている。 自然とそうなってしまったのか、それとも自分を守るためにそうなってしまったのか、氷菓には分からない。けれど、貴方はふわふわと漂う雲のような人」
「雲、ですか?」
「貴方は白や静と言った存在だと言った。けれど好きなものは山や春。変化に富んだものばかり。 貴方が静の存在だから、動のものに憧れているのかも知れない。七色に輝く世界を好んでいるのかも知れない」
それはごく自然な事で、反対に動くもの同士が手を組めば、均衡が保たれる。
「貴方は芯がシッカリしていると言った。けれど臆病と言う弱い部分を持っている。芯の外側に弱い部分、さらにその外側には弱音を吐かないと言う強い部分。 三層になっているのね」
貴方は弱くもあり、また強くもある。 本当の芯は強い方だと貴方は言っていたけれども、それが真実かどうかは分からない。芯のさらに芯に、弱い部分が隠れていないと断定することは出来ないのだから。
「貴方は、本音を隠しているように思う。勿論、故意に隠しているわけではないのかも知れない。でも、貴方は見たものを素直に口に出す事はしない。一旦頭で考えてから言葉に出す。だから、貴方は滅多に本音を言わない」
人と接する時も、一歩引いているよう。自分の中に踏み込まれるのを嫌っているよう。自分ではそう思っていなくとも、氷菓からはそう見える。氷菓は少しの間だけ貴方とお話させてもらったけれど、貴方自身と語り合えたとは思えない。
「まるで貴方と言う役と語らったよう。 貴方は自分の事を一歩引いた位置から見ているのでは?他人の目を強く意識するのでは?」
勿論、自意識過剰って言うわけじゃなくてね。と、氷菓は一言付け加えるとすいと宙を撫ぜた。
紫色の花に、剣状の葉。琴子はその花を一目見た瞬間、花名を頭に描いた。
「アヤメですね」
「そう、アヤメの花よ」
琴子の手に花筐が渡された瞬間、アヤメが輝きだした。
輝く白い光りは周囲の全ての景色を溶かし、世界が真っ白に染められる。
「アヤメの花言葉は、信じるものの幸福」
あなたにぴったりの花でしょう? 氷菓のそんな声を最後に、琴子はこの不思議な世界から弾き飛ばされた。
*
はっと顔を上げれば、見慣れた室内が目に飛び込んできて、琴子は小さく溜息をつくと銀色の美しい髪を背に払った。
――― 夢を見ていたようですね ‥‥‥
不思議な夢だったと思い出す琴子の視界の端に、アヤメが美しく咲き誇る花筐が映った ―――――
END
◇★◇★◇★ 登場人物 ★◇★◇★◇
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
7401 / 歌添・琴子 / 女性 / 16歳 / 封布師
◆☆◆☆◆☆ ライター通信 ☆◆☆◆☆◆
初めまして
琴子ちゃんの性格や質問の答えを踏まえ、このようなお話にいたしました
あまりイメージとかけ離れていなければ良いのですが‥‥‥
この度はご参加いただきましてまことに有難う御座いました
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