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■花筐■

雨音響希
【7511】【霧島・花鈴】【高校生/魔術師・退魔師】
 背後で鈴の音が聞こえたような気がして、振り返る。
 振り返った先は闇に染まった世界で、何者かによって異世界へと連れ込まれてしまったのだと悟る。
 敵意のある者でなければ良いがと願っていると、楽しそうな子供の笑い声が聞こえてきた。
 甲高く細い声は、少女のものだろう。声はだんだんと近付いてきているのに、姿は見えない。
「何処見てるの、氷菓はここよ」
 直ぐ右手で声が上がり、視線を向ければ肩口で黒髪を切りそろえた着物姿の少女が毬を持って立っていた。年齢は外見から判断するに、6歳前後だろうか。
「ようこそ、氷菓の世界へ」
 氷菓 ――― 多分これが彼女の名前なのだろう ――― は屈託のない笑顔を浮かべると、すいと宙を撫ぜた。
 闇の世界に椅子とテーブルが現れ、テーブルの上には真っ白なポットと紅茶が乗せられている。
「あ、何よその目! 氷菓だって紅茶くらい飲むんだからねっ!‥‥‥確かに、氷菓はもう何百年も前の人だけどさ」 
 椅子に座ってと促され、ゆっくりと腰を下ろす。
「どうしてこんなところに来ちゃったのか分からないって顔してるわね。 どうしても何も、貴方が氷菓を呼んだからなんだけど‥‥‥今はこんなこと言っても信じてもらえないと思うから、その質問はナシね。きっと帰るころにはどうして貴方がここに来たのか、そして氷菓が今言った言葉の意味が分かると思うから」
 言われていることの意味は分からないが、頷くより他ない。
「貴方今、困ってることとか悩んでる事があるでしょう? あぁ、もっとも、自分じゃ気づかない人もいるのよ。特に自分と言う存在に対しての悩みとか不安とか、心の奥底の違和感なんてものは普通気づかないものだもの」
 でもね。 そう呟くと、氷菓は漆黒の ――― よく見れば角度によって銀色にも見える ――― 瞳を真っ直ぐに向けた。
「貴方が知っていようが知るまいが、貴方の心の中には何かの塊が沈んでいるの」
 それが大きいものなのか、ほんの些細なものなのかは分からない。けれど、貴方がここに引き寄せられた ――― 貴方が氷菓を呼んだ ――― のには理由があるはずなの。
「氷菓にはね、貴方のその塊をほんの少しだけ軽くしてあげる事が出来るの。自覚していることなら氷菓に話してみて。自覚のないことなら、その塊が何なのか、氷菓が見つけてあげる」
 彼女はそう言うと、いくつか質問を投げてきた。
花筐



 カップを左手で持ち上げ、そっと口をつける。 甘い香りを胸いっぱいに吸い込み、一口飲むと視線を上げた。
 白磁のような肌に、大きな瞳、着ている服は高そうな振袖 ――― 不思議とその振袖の色が何なのか、霧島・花鈴には分からなかった。目にはきちんと色が見えているのだが、頭まで伝わってこないため認識できない。そんな不思議な感じだった。
「貴方は霧島・花鈴さん。 お姉様にお会いした事があるわ」
「え!?お姉ちゃんに?」
「えぇ。あるいは現在お会いしていると言えば良いのかしら」
 可愛らしい幼女は不思議な微笑を浮かべると、この話はこれでお仕舞いとでも言うかのように、胸の前で手を合わせた。
「じゃぁ、今から幾つか質問をするけれど、良い?」
 氷菓の言葉に小さく頷き、花鈴は椅子に背を預けた。
「まず、貴方の好きな色は?」
「ん〜、オレンジとか黄色とか? 明るい色が好きかな」
「氷菓も明るい色は好きよ。見ていて心が晴れやかになるもの。 貴方のその綺麗な髪の色も好きだわ」
 氷菓の振袖の色が、鮮やかな黄色に変わる。 先ほどからその色だったのか、それとも刹那の間に変わったのか、はたまた花鈴の頭だけが黄色だと判断し、実際に目に見えている色は違う色なのか、分からなかった。
「貴方を漢字一文字で表すと、どんな漢字になるのかしら?」
「明、かな? 元気なのが私の取り得みたいなものだし」
「明るい色が好きな貴方なら、そんな漢字も似合うかも知れないわね」
 大人びてきた氷菓の顔に驚く。 見れば身長も伸びており、今の彼女の外見年齢は13歳ほどだった。
 髪の毛も背中の真ん中辺りまで伸びており、あどけなさの残る顔はやや艶っぽい。
「四季の中では、どの季節が一番好き?」
「夏かな〜。ちょっと暑いけど、気持ちいいよね」
「草木が伸び、鮮やかな光りが地上に降り注ぐ季節。地上に住む全ての者が活発に動き回り、蝉が儚い命の叫びを上げる季節」
 ふと花鈴の耳に、蝉の鳴き声が聞こえた気がした。 もっとよく聞こうと耳を澄ませば、すっと掻き消えてしまった。
「貴方は自分の事をどう思っているの?」
「ん〜‥‥‥あはは‥‥‥」
 はぐらかすように空笑いをしてみるものの、目の前にいる少女の目は誤魔化せない。
「お姉ちゃんには敵わないかな」
「敵う必要がどこにあるの? 貴方は貴方、お姉様はお姉様、それぞれ別の人間。貴方の良いところは貴方のもの、お姉様の良いところはお姉様のものだわ」
 花鈴と同じくらいの外見年齢をした彼女はそう言うと、腰まで伸びた髪をサラリと背に払った。
「それじゃぁ、貴方は自分の事は好き?」
「わかんない」
「氷菓の質問に、間髪をいれずに答えた。つまり、それが貴方の本心」
「そりゃ、いつもは好きだよ? でも時々、ね。情けなくなるんだ‥‥‥」
「優秀なお姉様の背中を追うのは辛いの? 尊敬と嫉妬、焦りと悲しみ、明るく朗らかな貴方には辛いばかりの感情。まるで大輪の花を咲かせた向日葵を日陰に押し止めているかのよう」
 氷菓の瞳は優しい。 姉の霧島・夢月も、時々こんな瞳をして花鈴を見る時がある。
「‥‥‥貴方は山と海と川ならどこが一番好き?」
「海、好きだよ。 広くて、見てると気持ちが晴れるって言うか」
「海は生命の源。母であり、父でもある存在。 海ならば誰でも受け入れてくれる、本能的にそう知っている。貴方も、そして氷菓も‥‥‥」
 寂しい気持ちを海風にゆだね、隙間の開いた心を波の音で慰める。 どんなに惨めな気持ちでも、どんなに汚い気持ちでも、海ならば全てを受け止め、包んでくれるかのような期待。
「貴方は、とても面白い人。単純なようで複雑で。 氷菓、貴方みたいな人好きだわ」
 面と向かって好きだと言われ、花鈴は少し恥ずかしくなった。 氷菓から目を逸らし、紅茶を一口含むと深く息を吐く。
「自分の能力をどう思っているの?」
「もうちょっと‥‥‥もっと色んな事ができれば、お姉ちゃんに追いつけるかもしれないのに」
 後もう少し、足りない部分を埋めれば姉の背に手が届く。 そうすれば、もっともっと姉の力にだってなれる。
「前に進む事は良いことだわ。 でも、焦って前に進みすぎてはダメ。 今と言う時は、二度と来ないの。今をないがしろにしては、未来をも傷付ける事になる」
 人生は階段のよう。1歩1歩着実に進んでも良いし、一段抜かしで走り去っても良い。 結果行き着く場所は同じだけれど、行き着くまでの道のり、そして行き着いた後の気持ちは皆違う。
「貴方は後悔しないように進みなさい。貴方の人生は貴方だけのためのもの。貴方の人生において、主役は他でもない貴方なのだから。 ‥‥‥貴方には、大切な人がいる?」
「うん。なんだかんだ言っても、お姉ちゃんが一番大切かな」
「思い思われる関係はいつだって美しい。支えあう関係はいつだって輝いている」
 貴方の人生における主役は貴方でも、他の人の人生における主役はその人。互いに譲り合い、支えあい、思い合わなければ先へは進めない。 誰の手も借りずに生きる事が出来る人などいないのだから。
「貴方とお姉様の絆は固い。‥‥‥絆は永遠のものかも知れない。けれど、その固さが永遠を保てるかどうかは、氷菓にも分からない」
 憂いを帯びた瞳をこちらに向ける彼女は、花鈴よりも年上に見えた。 20歳前後の外見をした氷菓は、紅茶を一口優雅に飲むと、最後の質問をしても良いかしら?と言って首を傾げた。
「貴方に、帰る場所はある?」
「もちろん」
「そう。心が休まる場所があると言うのは、幸せなことだわ」
 にっこり ――― 氷菓は微笑むと、両手を差し出した。
「今から貴方を、古に連れて行きます。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第です」
 細く冷たい手に両手を乗せた瞬間、ふわりと体が宙に浮き上がり、急降下した ―――――



 柔らかな風が花鈴の眩い金色の髪を梳き、目を開ければ眼下にはお城があった。
 風が運んでくるのは戦乱の音と煙の臭い、血の臭い。
「ここは‥‥‥?」
「1583年、越前」
 隣で気持ち良さそうに風を受けていた氷菓の指先が真下に向けられる。
 燃え上がる城、はためきながら黒く煤けていく旗。
「あれは‥‥‥」
 一瞬にして上空数百メートルのところから地上に降り立った花鈴は、息を呑んだ。 美しい女性が寂しそうに外を眺め、男性にそっと寄り添うようにして身体を預けると手に持った何かを胸に刺した。
 白い着物が赤く染まるところを、花鈴は見ていなかった。 咄嗟に目を瞑った花鈴の耳に、氷菓の穏やかな声だけが聞こえてくる。
「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな」
 凛と響いた声が、ゆるやかに空気に溶けていく。
「生き残る道はあった。彼女の前に、示されていた。 けれど彼女は、その道を行かなかった」
 何故行かなかったのか。何故死を選んだのか。
 譲れないものがあったから、強い気持ちがあったから。
「‥‥‥私に、なにを言いたかったの‥‥‥?」
「何も言いたいことはない。 あの光景を見て、何を感じるのかは貴方の自由。 氷菓は最初に言ったはずよ。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第だって」
 氷菓の冷たい両手が花鈴の手を包み、ふわりと体が浮き上がると急降下した ―――――



 温かな紅茶の香りが全身を包み、花鈴は目を開けると目の前に座る少女 ――― 最初に会ったときと同じくらいの外見年齢になっている ―― に目を向けた。
 銀色の瞳はどこまでも深く、感情は読み取れない。
「私は貴方の事が嫌いではないわ。 むしろ、明るく華やかなところはとても好き。夏を好み、オレンジや黄色といった鮮やかな色を好み、自身を明だと言う貴方はとても可愛らしい人」
 誰からも好かれ、愛される、そんな素質を持った人。微笑んでいるだけで自然と人が集まってくる、そんなオーラを持っている人。
「けれど貴方は、自分の事になると途端に口を閉ざしてしまう。自分を好きかどうか、どう思っているのか、自分の能力の事も、全てはお姉様を思い出してしまう。比較してしまう」
 それが貴方の心の影になってしまう。 華やかで鮮やかな花をつけていながら、月の柔らかな光りを浴びると萎れてしまいそうになる。
「夏を好み、鮮やかな色を好み、明を好む貴方なら、海が好きと言うのも頷ける。 でも、貴方は海を“見る”のが好きだと言った。見ていると気持ちが晴れると言った」
 晴れない気持ちを内に秘めたまま、海に吐露する。 それは明るい貴方からは想像も出来ないほど、悲しく儚い姿。
「貴方はお姉様を好いている。貴方達は固い絆で結ばれている」
 それは複雑な幸せ。けれど、幸せだと思う気持ちが強いのならば、そのままでいれば良い。
「貴方がお姉様の光りに枯れてしまわないのであれば、お姉様の光りは貴方を守る最大の力となるはず」
 氷菓は少し視線を下げると、でもねと小さく呟いて言葉を続けた。
「いつまでもお姉様の背を追うばかりではダメ。お姉様の背を追ってばかりでは、それは全てお姉様が切り開かれた道。貴方も、自分自身の道を切り開く必要がある。そして、貴方にはその力が確かにあるはずだわ」
 貴方にはお姉様にない魅力があるんですもの。 氷菓はそう一言付け加えるとすいと宙を撫ぜた。
 宙から突然浮かび上がった淡紅色の小ぶりの花は、見た事のあるものだった。
「えっと、確かその花は‥‥‥」
「ヒルガオよ」
 花鈴の手に花筐が渡された瞬間、ヒルガオが輝きだした。
 輝く白い光りは周囲の全ての景色を溶かし、世界が真っ白に染められる。
「ヒルガオの花言葉は、きずな」
 あなたにぴったりの花でしょう? 氷菓のそんな声を最後に、花鈴はこの不思議な世界から弾き飛ばされた。



 はっと顔を上げれば、見慣れた室内が目に飛び込んできて、花鈴は小さく溜息をつくと金色の美しい髪を背に払った。
 ――― 夢だったんだ ‥‥‥
 不思議な夢だったと思い出す花鈴の視界の端に、ヒルガオが美しく咲き誇る花筐が映った ―――――



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 7511 / 霧島・花鈴 / 女性 / 16歳 / 高校生・退魔師


 7510 / 霧島・夢月 / 女性 / 20歳 / 大学生・退魔師