■花筐■
雨音響希 |
【7510】【霧島・夢月】【大学生/魔術師・退魔師】 |
背後で鈴の音が聞こえたような気がして、振り返る。
振り返った先は闇に染まった世界で、何者かによって異世界へと連れ込まれてしまったのだと悟る。
敵意のある者でなければ良いがと願っていると、楽しそうな子供の笑い声が聞こえてきた。
甲高く細い声は、少女のものだろう。声はだんだんと近付いてきているのに、姿は見えない。
「何処見てるの、氷菓はここよ」
直ぐ右手で声が上がり、視線を向ければ肩口で黒髪を切りそろえた着物姿の少女が毬を持って立っていた。年齢は外見から判断するに、6歳前後だろうか。
「ようこそ、氷菓の世界へ」
氷菓 ――― 多分これが彼女の名前なのだろう ――― は屈託のない笑顔を浮かべると、すいと宙を撫ぜた。
闇の世界に椅子とテーブルが現れ、テーブルの上には真っ白なポットと紅茶が乗せられている。
「あ、何よその目! 氷菓だって紅茶くらい飲むんだからねっ!‥‥‥確かに、氷菓はもう何百年も前の人だけどさ」
椅子に座ってと促され、ゆっくりと腰を下ろす。
「どうしてこんなところに来ちゃったのか分からないって顔してるわね。 どうしても何も、貴方が氷菓を呼んだからなんだけど‥‥‥今はこんなこと言っても信じてもらえないと思うから、その質問はナシね。きっと帰るころにはどうして貴方がここに来たのか、そして氷菓が今言った言葉の意味が分かると思うから」
言われていることの意味は分からないが、頷くより他ない。
「貴方今、困ってることとか悩んでる事があるでしょう? あぁ、もっとも、自分じゃ気づかない人もいるのよ。特に自分と言う存在に対しての悩みとか不安とか、心の奥底の違和感なんてものは普通気づかないものだもの」
でもね。 そう呟くと、氷菓は漆黒の ――― よく見れば角度によって銀色にも見える ――― 瞳を真っ直ぐに向けた。
「貴方が知っていようが知るまいが、貴方の心の中には何かの塊が沈んでいるの」
それが大きいものなのか、ほんの些細なものなのかは分からない。けれど、貴方がここに引き寄せられた ――― 貴方が氷菓を呼んだ ――― のには理由があるはずなの。
「氷菓にはね、貴方のその塊をほんの少しだけ軽くしてあげる事が出来るの。自覚していることなら氷菓に話してみて。自覚のないことなら、その塊が何なのか、氷菓が見つけてあげる」
彼女はそう言うと、いくつか質問を投げてきた。
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花筐
カップを左手で持ち上げ、そっと口をつける。 甘い香りを胸いっぱいに吸い込み、一口飲むと視線を上げた。
白磁のような肌に、大きな瞳、着ている服は高そうな振袖 ――― 不思議とその振袖の色が何なのか、霧島・夢月には分からなかった。目にはきちんと色が見えているのだが、頭まで伝わってこないため認識できない。そんな不思議な感じだった。
「貴方は霧島・夢月さん。 妹様にお会いした事があるわ」
「まぁ、花鈴にですか?」
「えぇ。あるいは現在お会いしていると言えば良いのかしら」
可愛らしい幼女は不思議な微笑を浮かべると、この話はこれでお仕舞いとでも言うかのように、胸の前で手を合わせた。
「じゃぁ、今から幾つか質問をするけれど、良い?」
氷菓の言葉に小さく頷き、夢月は椅子に背を預けた。
「まず、貴方の好きな色は?」
「白ですね。落ち着いた色が好きです」
「そうね、貴方自身とても落ち着いた雰囲気がするもの。貴方の白は洗練されていて、普通の人では手を伸ばすのも躊躇われるほどに綺麗な白ね」
氷菓の振袖の色が、はっとするほど美しい純白に変わる。 先ほどからその色だったのか、それとも刹那の間に変わったのか、はたまた夢月の頭だけが純白だと判断し、実際に目に見えている色は違う色なのか、分からなかった。
「貴方を漢字一文字で表すと、どんな漢字になるのかしら?」
「そうですね‥‥‥穏、でしょうか」
「穏和、穏便、穏健。確かに、貴方にお似合いの漢字だわ」
大人びてきた氷菓の顔に驚く。 見れば身長も伸びており、今の彼女の外見年齢は13歳ほどだった。
髪の毛も背中の真ん中辺りまで伸びており、あどけなさの残る顔はやや艶っぽい。
「四季の中では、どの季節が一番好き?」
「春ですね。 とても穏やかで、そこにいるだけで心地良い気分になれます」
「眠っていた者が起きだし、伸びやかな夏に向けてゆっくりと進んで行く季節。 霞がかったようなボンヤリとした空気は、人々の心を優しく慰める」
ふわり、夢月の髪が温かい風に撫ぜられた。 花の香りを纏った風は春独特の華やかさを纏っており、風が通り過ぎた方を思わず目で追うが、漆黒の闇が広がるばかりで春の面影はどこにもない。
「貴方は自分の事をどう思っているの?」
「どうと言われても‥‥‥」
少し困ってしまう。 苦笑いをしながら考え込む夢月を無表情で見つめる氷菓。ニコニコと笑っている顔が印象に残っているため、無表情だと冷たい感じがする。
「そうですね、まだまだだと思います。 何においても」
「未熟を知る事は良いことだわ。進む道が見えていると言うことだもの。 自身の未熟さを感じられなくなった時、それは進む道を見失った時よ。道はまだ続いているはずなのに、途切れてしまったと思い込む。悲しいことだわ」
妹の霧島・花鈴と同じくらいの外見年齢をした彼女はそう言うと、腰まで伸びた髪をサラリと背に払った。
「それじゃぁ、貴方は自分の事は好き?」
「はい。 自分を好きにならなければ、人を好きになることなんて出来ないと思っていますから」
「そうね。自分の事をしっかりと見つめ、好きになってこそ人を好きになる事が出来る。 けれど、自分の嫌いなところが見つけられないと言うわけではないのでしょう? 人間、1つや2つ、自分に対して好きになれないところがあるはずだわ」
嫌いなところも受け止め、それでいて好きだと言うのならば貴方はきちんと自分を分かっている人。でも、ただ盲目的に自分を愛しているだけならば、貴方は愚かな人。
「貴方は山と海と川ならどこが一番好き?」
「森ですね」
夢月の返答に、氷菓が一瞬止まった後で口元を綻ばせる。
「森林浴とか気持ちいいです」
「そう。‥‥‥貴方は面白い人ね。とってもマイペースだわ」
クスクスと笑いながら、氷菓がカップの縁を人差し指で撫ぜた。 艶かしい指先に目を奪われた次の瞬間、氷菓の瞳が夢月の瞳を捉えた。
「貴方の能力は、誰のためのもの?」
「私の能力を必要としてくれている人達のものです。 私が助けられる人はほんの少しですけど」
「けれど救われる人がいるのならば良い。 たった一人でも救ったのならば、貴方はその人の人生にとって特別な人となる。助けるべきは数ではないのよ」
勿論、多くの人を救えるのならばそれに越した事は無いけれどね。 でも、沢山の人を救うごとに、貴方の肩には様々なものが圧し掛かる。
「それに潰されないのであれば良いのだけれども‥‥‥」
憂いを帯びた瞳を夢月に向け、そっと溜息をつくと目を閉じる。 声をかけてはいけないような神聖な雰囲気を感じ、黙って成り行きを見ていた時、突然両肩に重たい何かが乗ったような錯覚を受けた。
助けを求める声、脚に絡まる細い腕。腕は力いっぱい夢月を引っ張っており ――――― ガクンと、体が落下したような気がした。
「どうしたの? 顔が真っ青よ」
心配そうな声に顔を上げれば、氷菓が眉を顰めて夢月の顔を覗き込んでいた。
――― 今のは何だったんでしょうか
「貴方には大切な人がいる?」
「はい。 大切な家族、大切な妹が」
「思い思われる関係はいつだって美しい。支えあう関係はいつだって輝いている」
貴方の人生における主役は貴方でも、他の人の人生における主役はその人。互いに譲り合い、支えあい、思い合わなければ先へは進めない。 誰の手も借りずに生きる事が出来る人などいないのだから。
「貴方と妹様の絆は固い。‥‥‥絆は永遠のものかも知れない。けれど、その固さが永遠を保てるかどうかは、氷菓にも分からない」
憂いを帯びた瞳をこちらに向ける彼女は、夢月と同じくらいの年齢に見えた。 20歳前後の外見をした氷菓は、紅茶を一口優雅に飲むと、最後の質問をしても良いかしら?と言って首を傾げた。
「貴方に、帰る場所はある?」
「今は、妹と住む家が私の帰る場所です」
「そう。 貴方は妹様を本当に大切に思っているのね。素敵なことだわ‥‥‥」
にっこり ――― 氷菓は微笑むと、両手を差し出した。
「今から貴方を、古に連れて行きます。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第です」
細く冷たい手に両手を乗せた瞬間、ふわりと体が宙に浮き上がり、急降下した ―――――
*
柔らかな風が夢月の眩い漆黒の髪を撫ぜ、目を開ければ眼下にはお屋敷があった。
風が運んでくるのは戦乱の音と煙の臭い、血の臭い。
「ここはどこですか?」
「1600年、大坂」
隣で気持ち良さそうに風を受けていた氷菓の指先が真下に向けられる。
お屋敷の周囲を囲む兵達、風にはためく旗。
「あれは‥‥‥」
一瞬にして、上空数百メートルのところから地上に降り立った夢月は、息を呑んだ。 凛とした美しさを持った女性が決心したように微笑み、両手を広げた。苦しそうな表情を浮かべていた男性が唇を噛むと光るものを構え、そしてそのまま ―――
女性の胸に刃が深く突き刺さるところを、夢月は見ていなかった。 咄嗟に目を瞑った夢月の耳に、氷菓の穏やかな声だけが聞こえてくる。
「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
凛と響いた声が、ゆるやかに空気に溶けていく。
「芯を通した彼女は、強い人だった。 一度決めた事を守り抜く、それは簡単なようでいて難しい」
「そうですね。 口で言うのは簡単でも、実際に行うとなると難しいですよね‥‥‥」
「守り抜きたいと思うほど強い気持ちだったのね」
「‥‥‥それで、氷菓さんはあの女性の姿を見せて、私になにを言いたかったんですか?」
「何も言いたいことはない。 あの光景を見て、何を感じるのかは貴方の自由。 氷菓は最初に言ったはずよ。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第だって」
氷菓の冷たい両手が夢月の手を包み、ふわりと体が浮き上がると急降下した ―――――
*
温かな紅茶の香りが全身を包み、夢月は目を開けると目の前に座る少女 ――― 最初に会ったときと同じくらいの外見年齢になっている ―― に目を向けた。
銀色の瞳はどこまでも深く、感情は読み取れない。
「春を好み、最も危うい白と言う色を好み、穏と言う字を自分に当てた貴方はとても温かく落ち着いている人」
不安な心を持つ人を優しく慰めてあげられる、困っている人にそっと手を差し出してあげる事が出来る、貴方は優しい人。
「助けを求められれば快く応じてあげることができ、だから人からよく頼りにされる。貴方は人に安心を与えられる人」
そう言う人はなかなかいない。人に安らぎを与える事が出来る貴方の才能は、素晴らしいものだわ。
「けれど貴方は自分には厳しい。 己の未熟さをよく知っている貴方は、常に上へ上へと向かっていく事が出来る人」
今の貴方に終わりはない。貴方はいつも、上を目指し、道を求めている。 そしてそれは、普通の人ではなかなか出来ない事。終わりの見えないものを追うと言う事は、酷く退屈で精神的に辛いものだから。
「厳しいだけではなく、貴方は自分を愛する事も出来る人。そして、少し天然でおっとりしているところがあるのね。 その部分が貴方の魅力を引き立てていると思うわ」
にっこりと微笑むと、氷菓は少し視線を宙に彷徨わせた。
「貴方達姉妹は、大君と中の君みたいだと、最初は思ったの」
「私は大君ほど聡明でも、儚くもありません」
「互いを思う気持ちが大君と中の君みたいだと思ったのよ。 でも、少し違ったかも知れないわ。大君ほど、貴方の世界は狭くはないのでしょうから」
けれど、妹様を思う気持ちは大君にも負けないでね。 悪戯っ子のような笑顔を浮かべながらそう一言付け加えると、すいと宙を撫ぜた。
宙から突然浮かび上がった鮮やかな赤い花は、夢月も見たことのあるものだった。
「ゼラニウム、ですか?」
「そう、ゼラニウムよ」
夢月の手に花筐が渡された瞬間、ゼラニウムが輝きだした。
輝く白い光りは周囲の全ての景色を溶かし、世界が真っ白に染められる。
「ゼラニウムの花言葉は、愛情」
あなたにぴったりの花でしょう? 氷菓のそんな声を最後に、夢月はこの不思議な世界から弾き飛ばされた。
*
はっと顔を上げれば、見慣れた室内が目に飛び込んできて、夢月は小さく溜息をつくと長い黒髪を背に払った。
――― 夢、だったんですね ‥‥‥
不思議な夢だったと思い出す夢月の視界の端に、ゼラニウムが美しく咲き誇る花筐が映った ―――――
END
◇★◇★◇★ 登場人物 ★◇★◇★◇
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
7510 / 霧島・夢月 / 女性 / 20歳 / 大学生・退魔師
7511 / 霧島・花鈴 / 女性 / 16歳 / 高校生・退魔師
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