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■獣の石■ |
霜月玲守 |
【3087】【千獣】【異界職】 |
石屋、エスコオド。聖都から離れた森の中にあるというそこには、本来ならば路傍の石にしか過ぎぬ石が、所狭しと売られている。仕入れは店主であるエディオン自身が行い、販売する。
だが、中には販売出来ぬほど強い意志や力を持った「ロウエイ石」が存在する。それらは一旦鎮めてからではないと販売できないばかりか、壊すことすらできないのである。
エディオンは、店外で肩から提げた袋の中身を取り出す。
出てきたのは、赤黒い石。
何かがこびりついているその石は、手では持てぬくらいに熱い。エディオンは厚手の手袋をはめ、石を手にしている。
「こういったロウエイ石は、久々ですね」
苦笑交じりに呟き、エディオンは簡易魔方陣を描いてから石をそこに置いた。石の力を押さえつける効能を持った魔法陣の中でないと、置く事すらままならない。
「まずは、鎮めてもらわないと」
そう呟いた次の瞬間、パアン、という風船が割れるような大きな音が響いた。森の中にいた鳥達が、ぎゃあぎゃあと鳴きながら飛んでいく。
「なっ……」
エディオンは息を呑む。魔法陣には亀裂が入っており、石から大きな獣が出てきている。
巨大な獅子の形をした、獣。ぐるるるると唸る口元からは、火がはみ出ている。
「いけません!」
エディオンは叫ぶ。しかし、獣はエディオンの言葉を聞く事は無く、ものすごい勢いで走っていった。
石がごろごろと道を転がっていく。
「石と共に移動しなければいけないようですね。となると、実体は」
エディオンはそう言って口を噤む。
どうこう言う前に、まずは対策をとらなければならない。エディオンは早速紙を用意し、冒険者を募るのだった。
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獣の石
▲序
石屋、エスコオド。聖都から離れた森の中にあるというそこには、本来ならば路傍の石にしか過ぎぬ石が、所狭しと売られている。仕入れは店主であるエディオン自身が行い、販売する。
だが、中には販売出来ぬほど強い意志や力を持った「ロウエイ石」が存在する。それらは一旦鎮めてからではないと販売できないばかりか、壊すことすらできないのである。
エディオンは、店外で肩から提げた袋の中身を取り出す。
出てきたのは、赤黒い石。
何かがこびりついているその石は、手では持てぬくらいに熱い。エディオンは厚手の手袋をはめ、石を手にしている。
「こういったロウエイ石は、久々ですね」
苦笑交じりに呟き、エディオンは簡易魔方陣を描いてから石をそこに置いた。石の力を押さえつける効能を持った魔法陣の中でないと、置く事すらままならない。
「まずは、鎮めてもらわないと」
そう呟いた次の瞬間、パアン、という風船が割れるような大きな音が響いた。森の中にいた鳥達が、ぎゃあぎゃあと鳴きながら飛んでいく。
「なっ……」
エディオンは息を呑む。魔法陣には亀裂が入っており、石から大きな獣が出てきている。
巨大な獅子の形をした、獣。ぐるるるると唸る口元からは、火がはみ出ている。
「いけません!」
エディオンは叫ぶ。しかし、獣はエディオンの言葉を聞く事は無く、ものすごい勢いで走っていった。
石がごろごろと道を転がっていく。
「石と共に移動しなければいけないようですね。となると、実体は」
エディオンはそう言って口を噤む。
どうこう言う前に、まずは対策をとらなければならない。エディオンは早速紙を用意し、冒険者を募るのだった。
▲対処
エディオンが張り紙を出して暫くし、ドアが開いた。入ってきたのは、千獣(せんじゅ)だ。さらりと長い黒髪をなびかせ、千獣は一枚の紙をエディオンに差し出す。
「これ……見た、から」
差し出された紙は、エディオンが張り出した件のものだ。
「対処してもらえますか?」
尋ねられ、千獣はこくりと頷く。
「何か……情報、を」
「と言っても、あまり有益な情報はないかもしれません。僕が読み取れたのは、あの石が酷く悲しみを帯びているという事くらいで、一体何があったのかと言うのは分からなかったんです」
「悲しみ」
ぽつり、と千獣は呟く。詳しい事が分からないにしろ、悲しみを帯びているという事実が悲しい。
「他に、なんでも、いいから」
とにかく情報が少ない。千獣が言うと、エディオンは「そうですね」と呟いた後に「あ」ともらす。
「林檎が好きみたいでした」
「林檎?」
「はい。悲しむ意識の中で、林檎の実が鮮明に見えました。林檎に対して好意的に思っていましたから、恐らくは林檎が好きなのだと」
「林檎……か」
ならば、林檎を持っていこうと、千獣は心に決める。エスコオドのある森の中に、林檎の木があった筈だ。
「石を得たのは、山間にあるオノメク村、という場所です。もしかしたら、そこに向かっているのかもしれません」
エディオンがそういうと、千獣はこくりと頷いた。エディオンから得られる情報はこれくらいしかない。ならば、あとは突き進むだけだ。
「どうか、お気をつけて」
店から出ようとする千獣の背に、声がかけられる。千獣は振り返って頷くと、足早に歩き始める。妙に気が急いてならない。
オノメク村に近づいていくと、林檎の木が目に入った。林檎をいくつかもぎ、千獣は袋に入れておく。
(早く、行か、なきゃ)
きゅっと唇を結び、千獣は走り出す。
一刻も早く獣に追いつかなければならない。そんな気がしてならなかった。
オノメク村に近づくにつれ、ドッドッドッドッ、という音が聞こえてきた。定期的に聞こえるそれは、足音に違いない。音のするほうへ向かっていくと、さらにハッハッという息遣いが聞こえてくる。
「獣……」
千獣は呟き、近づく。ごろごろとこぶし大の石が転がっており、そこから伸びる影のような状態で獣が走っていた。
獣は獅子を思わせる風貌で、体は千獣よりもはるかに大きい。
「足を……止め、て」
千獣は獣に語りかける。だが、獣はただぐるるると唸り、口の端から炎をはみ出させているだけだ。
(興奮、して、話……聞けない)
千獣はぐっと拳を握り締める。
今、獣は話を聞けるような状態ではない。ただただ感情に任せ、駆け抜けていこうとする。
「駄目……」
獣は足を止める様子が無い。千獣は息を一つ吐き出し、ぐっと四肢に力を集中する。
(この、まま……行ったら、駄目)
千獣の手足が、徐々に毛深く太くなる。人のものとは違う、獣の足だ。
「行ったら、駄目」
ぽつりと呟き、地を蹴る。先程までとは格段にスピードが上がり、地を蹴る力も強くなっている。獣は相変わらず千獣の声には耳を貸さず、駆けて行こうとする。
その前に、千獣は飛び出す。やってくる獣を体全体で受け止めようと、構えを取りながら。
獣は目の前にいる千獣の存在に気付き、ぐるるる、と唸る。明らかな威嚇行動だが、千獣は怯まない。
「大丈、夫」
千獣は優しく問いかける。緩やかに獣化した両手を広げる。駆けて来る獣を、抱こうとでもいわんばかりに。
しかし、獣は勢いをより一層増す。ぐるるると唸り続ける口元からは炎がはみ出しており、今にも千獣に向かって吐き出そうとしている。
「怖く、ないよ」
優しく語り掛ける。獣は一瞬怯むが、構わずに突っ込んでくる。そうして、ごう、と炎を吐き出した。
千獣は勢いよく炎に包まれた。ごうごうと耳元で音がする。避けることなく、真正面から炎を受け止めたせいだ。
(熱、い)
じりじりとする熱気が千獣を包む。その熱さに奥歯をかみ締め、体をぶるりと払った。すると、炎はあっという間に消えてなくなり、熱もうせる。
「あれ」
体を確認すると、髪も体も焼けてはいなかった。あんなにも熱を感じたというのに、服の端一つ、髪の毛一本たりとも焼けてはいない。
(本体、は、石、だから?)
可能性は否定できない。元々本体は石であり、獣は石が生み出した思念体に近い存在だ。ならば、視覚や聴覚といった情報によって「炎がある」と認識させられた為に熱を感じただけで、本当は炎なんて存在していないも同じなのだ。
勿論、だからといって油断は禁物だ。本物ではないと分かっていたとしても、視覚的に炎が向かってくれば「熱がある」と思うのだし、ごう、という音がすれば「炎が燃えている」と認識するのだから。
千獣はぎゅっと唇を結び、再び両手を広げる。炎なぞに怯んでいる場合ではない。今はただ、悲しい思いを糧に走り続けている獣の話を、聞いてやりたいだけなのだから。
――がんっ!
突っ込んできた獣を、千獣は獣化した四肢で受け止めた。ずりずりと地を足が滑ったが、なんとか持ちこたえる事が出来た。
前に進まなくなり、獣は更に興奮したように、ぐるるる、と唸った。
「落ち、着い、て」
千獣は話しかける。「あなたは、どう、して、牙を、剥くの……?」
千獣の問いかけは、獣の唸り声になって帰ってきた。獣の前足が高く振り上げられ、勢い良く千獣に振り下ろされる。
だが、千獣は動かない。まるで獣を優しく抱いているかのように両手で獣の動きを止めているだけだ。ぴくりとも動かず、獣の振り下ろした前足をその身で受け止めた。
振り下ろされた、という認識によって、千獣の体に痛みが走った。見た目の傷は何処にもないのに、左肩がずきずきと痛む。
「私は、傷つけ、ない、よ」
怯まぬ千獣に、獣は戸惑ったように唸った。目に宿るぎらぎらした光が少しだけ和らぎ、千獣を見つめる。
千獣は優しく見つめる。自分からは決して獣を傷つけまい、と決めていた。自分がいくら傷つく事になったとしても、相手が落ち着くまではじっと待とう、と。だからこそ攻撃はせず、こうして獣の動きを止める事のみに専念しているのだ。
獣は再び唸り、千獣を睨みつける。そこをどけ、といわんばかりに。
しかし千獣は動かない。じっと獣を留めている。
獣は痺れを切らし、口を大きく開けて牙を見せる。噛まれたくなければ、そこをどけ、と叫ぶように。
「大丈、夫」
それでもどかない千獣に、獣は噛み付く。じくりと痛んでいた左肩に向かって。牙がぐさりと左肩に突き刺さる感覚が、千獣を襲った。体を駆け抜けるような痛みに、思わず千獣は小さく呻いた。
痛いというよりも、熱い。
炎を吐く口の牙で噛まれたからかもしれない、という考えが頭を過ぎっていく。
「あなたは、どう、して、牙を、剥くの……?」
獣に噛まれたままの千獣から出た言葉は、痛みを訴える悲鳴でも罵倒する言葉でもなかった。最初から一貫して変わらぬ、優しい問いかけのまま。
その時、ごろり、と林檎が袋から零れ落ちた。甘酸っぱい匂いが辺りに広がり、赤い実は獣の前まで転がっていく。
転がってきた林檎を見て、獣は一瞬小さく唸り声を上げる。そうして何度か鼻をひくひくと震わせた後、ゆっくりと千獣から口を離した。痛みのせいで思わずその場に崩れ落ちてしまったが、獣が千獣よりも先に進む事はなかった。
ぎらぎらしていた目の光は、落ち着いたのだ。
千獣は大きく深呼吸をする。暫く呼吸を整えていると、痛みはすうっと引いていってしまった。見た目にも傷は無く、痛む所は何処もない。
「ありが、とう」
そう言って獣を見上げると、獣は一つ頷いた。既に、千獣に向かって唸る事は無い。千獣は四肢の獣化を解き、今一度獣に問いかける。
「あなたは……どう、して、牙を、剥いたの?」
獣は押し黙る。獣によって育てられた千獣には、獣の感情が何となく伝わってくる。即ち、悲しい、という感情が。
「誰かが、あなたを、傷、つけた……?」
びくり、と獣の体が震える。ずっと黙っていた獣が、千獣の言葉に揺り動かされたのだ。
「あなたの、大切な、何か、誰かを、傷、つけたの……?」
獣は悲しそうに目を伏せた。千獣は「そう」と呟き、更に言葉を続ける。
「私は……あなたも、あなたの、大切な、ものも、傷、つける、つもりは、ないよ……?」
千獣の言葉に、獣は小さく震える。
「傷つけ、ないし、傷つけ、させも、しない、から……」
獣はゆるやかに千獣を見つめる。千獣は「だから」と言って獣の鬣をふわりと撫でる。獣の鬣は、柔らかく暖かい。石が本体だというのに、まるで獣自身がまだ生きているかのようだ。
「あなたが、牙を、剥く、理由を、教えて?」
千獣の言葉に、獣は大きく吠えた。ぐおおおおお、と。声は風に乗り、辺り一帯に広がる。
(……自分さえ、いなければ)
獣の目線は、転がっている林檎にある。真赤な林檎が、悲しみを帯びた光を映す瞳に移っている。
(自分さえ、いなければよかった。そうすれば)
獣の言葉が、千獣の心に響いてくる。獣の方を見ると、相変わらず獣は林檎を見つめていた。
「なにが、あった、の?」
千獣が尋ねると、獣は一つため息をつく。ふう、と小さな炎が林檎の上で踊る。
(自分と、一緒に遊ぶ村の子がいた)
「オノメク、村の、子?」
獣はこくりと頷く。
(村には内緒で、自分と会っていた。林檎をもいで、共に食べて。しかし、ある日自分と遊ぶ姿を人に見られた)
獣はそう語りかけた後、ぐるる、と唸った。心が苦しいのを、それで誤魔化すかのように。
(獣の使いと、その子は詰られ殺された)
「その子の、親、は?」
(いない。孤児だった)
獣はぽつりぽつりと語る。
子が殺された事を知り、村を襲った。しかし、村は獣がやってくるかもしれないと、備えていたのだ。獣はあっという間に取り囲まれ、そして殺された。
実態である石に血が飛び散り、意識を宿したのもその時だ。
(子の体は小さく、そして赤く染まっていた。この林檎のように)
獣は林檎に顔を近づける。甘酸っぱい香りが、鼻をくすぐる。昔、子と共に食べたのと同じだと言って。
千獣は話を聞き終え、小さな声で「それ、で」と呟くように言う。
「それ、で。村に、行って、どうする、つもり、だったの……?」
その問いに、ぴくりと獣は体を震わせる。それと同時に、心に悲しみと怒りが満ちてくる。
(復讐だ)
「復、讐……」
(知らしめてやる。子はただ自分と共に遊んでいただけだ。あのような事にされるいわれは、何処にも無かったのだと!)
うおおおおお、と獣は吼えた。
怒り、悲しみ、辛さ……それらが交じり合った咆哮に、千獣はゆっくりと首を横にふる。
「その、復讐……村の、子どもに、その子と、同じ、事、するの?」
びくり、と獣が震える。
「復讐、して、満足、するの?」
千獣の言葉に、獣は動きを止める。心の中が、悲しみで満たされていく。
村を襲ってやるのだと掻きたてていた怒りが、徐々に収まっていっているのだ。代わりに悲しみばかりが満ちていく。
「あなたが、傷ついて、いるのは、分かる。その子が、悲しい、事、なのも。だけど……それを、繰り返すの?」
(子は、自分にとって大事だったのだ)
訴えるような獣の言葉に、千獣は頷く。
(その子の笑顔を、自分は守ってやりたかったのだ)
千獣は再び頷く。獣の鬣を、優しく撫でつつ。
「もう、いいよ。その子も、きっと、そう、言うよ……」
うおおおおおん、と獣が吼えた。まるで泣いているかのようだ。
千獣は袋から林檎を取り出し、そっと獣に差し出す。
「はい」
差し出された林檎を、獣は戸惑ったように見つめる。千獣は、その林檎をぱかっと二つに割り、再び「はい」と差し出す。
赤い林檎の中は真っ白で、甘酸っぱい匂いを広げている。血まみれで倒れていた、あの子とは違っている。そんな当然の事を、獣は思い出す。
「林檎、見て、何を、思い出す?」
千獣の問いに、獣は気付く。
今までは、赤く染まった子ばかりを思い出していた。林檎のようだと、悔しさや怒りばかりを伴っていた。
だが、今はどうだろう。こうして千獣に差し出された林檎は、外こそ赤いが中は白くみずみずしい。あの悲しい子どもとは違う。
思い出すのは、子の笑顔。
いつもこうして、差し出してきたのだ。甘酸っぱい匂いを広げる赤い実を、はい、と言いながら。笑顔で。
笑顔、で。
獣はゆっくりと林檎を口にする。しゃりしゃりという音が響く。
(ああ……そうだ。子はいつも、笑っていた)
――ぽとり。
獣が食べたはずの林檎が、地の上に落ちた。
「そう、なんだ」
千獣は呟き、辺りを見回す。
既に獣の姿は何処にも無く、ただ柔らかな赤い色をした石だけがぽつんとそこに転がっていた。
まるで、林檎のような色をした石が。
▲結
石をエスコオドに持っていくと、エディオンは「お疲れ様でした」と言って微笑んだ。
「これで、無事に売り物とすることが出来ます」
「なんの、石、なの?」
千獣が尋ねると、エディオンは石を千獣に手渡す。持って帰る際はすぐに袋へ入れてしまっていたために気付かなかったが、ほんのりと暖かい。
「人を思う石です。人の笑顔を思い出し、優しい気持ちになれます」
千獣は「うん」と頷き、石を両手でぎゅっと握り締める。
ふわり、と甘酸っぱい林檎の匂いがしたような気がした。
<獣の石は温もりの石となりて・了>
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【 3087 / 千獣 / 女 / 17(999) / 異界職(獣使い) 】
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ライター通信
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お待たせしました、こんにちは。霜月玲守です。この度は「獣の石」をご発注いただきまして、有難うございます。いかがでしたでしょうか。
獣使いという能力は、このシナリオに大変適していると思いました。自分から攻撃されないというのも獣に対しての優しさを感じました。
少しでも気に入っていただけると嬉しいです。ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。
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