■赤い手紙は君を見た■
北嶋さとこ
【2470】【サクリファイス】【狂騎士】
 木造の床の軋む音。誰とも付かぬ人影は、かすかな音を立てて椅子に座った。白い紙に、赤ワインをゆっくりと垂らす。じわりじわりと染まる紙を、彼はじっと見つめていた。傾けたグラスからワインが無くなるまで、そうそう時間はかからなかった。金色の枠で縁取られた、紅色のカード。窓から差し込む月明かりに照らされたそれは、まるでバースディ・カードの様だった。
 片手で羽ペンを取り、小さな瓶へと先端を浸す。雪のように白いインク、乾き始めた赤い紙。彼は、慣れた手つきでさらりさらりと文字を書いた。

『親愛なる被害者様へ。明日の晩、あなたを殺しにゆきます。心して待つように。 あなたの友、ブラッディ・レッドローズ』

最後の一文字を書き終えて、彼はふうと溜息を付いた。そして、不気味に口の端を上げる。目の前の花瓶には、美しい一輪の薔薇。しばしの静寂。時計の秒針のみが、この空間を支配していた。

 遠くから響く鐘が、一日の終りを告げる。朝日が昇る頃になって、彼はようやく椅子から立った。カードを手に取り、薔薇を抜き取り、再び床を踏みしめてドアへと向かう。ドアノブの廻る音、扉が静かに開く音。
 扉が閉められた部屋に残ったのは、赤いワインの零れた跡と、朝日を反射して光るグラスのみだ。赤い染みはあたかも血の零れた跡のようで、カードのあった場所だけが木の色を残していた。

 その日の朝、あなたの元へ、一枚の手紙が届く。差出人は、―――ブラッディ・レッドローズ。
赤い手紙は君を見た「移りゆく」


 暗い部屋。ぎしりぎしりと、木の軋む音。窓辺には一人の人影。満月の光に照らされて、後姿が黒く浮かび上がる。彼の呼吸は非常にゆっくりとしていて、まるで湖の水面に浮かび上がってくる魚の影を視線だけで捕らえようとしている、そんな緊張感、そして期待を背負っていた。
「彼女は悪人かい?」
青年の声だ。邪気の無い声。声色から察するに、ちょっとした微笑を浮かべているのではないだろうか。
「いや、根っからの悪人ではないだろうよ」
同じ声だ。同じ表情をして同じ心をもった者から発せられた声。
「だから俺の出番なのさ。キミはそこでいつものように日記でも書いていればいい。……それは助かる。だが、死ぬんじゃないぞ。俺への恨みは消えていないだろう。恨みは生きながら、生かしながら晴らすべきものだ。そうだ、だからこその第三者だ……俺はキミの良心を傷付けて恨みを晴らしているに過ぎない。なんと言う皮肉」
開け放しの窓から風が吹き込む。一人立つ人影の髪が揺れる。
「俺が絞首刑にされたとしても、キミは死なないだろうね」
声の主はくくっと笑った。
 風が吹く。雲が夜空を覆っていく。灯りの無い部屋が、一段と暗くなり……光の輪郭を失った人影は、深い溜息を付いた。
「じゃあ、俺はこれで」
床を蹴る音とひゅうと言う音を残して、彼は消えた。テーブルの上に残されたワイングラスが、振動を受けて小さな音を立てる。それから、音はしなくなった。夜というのは、音が聞こえてきそうなほど静かなものなのだ。



 サクリファイスが立っているのは、とても人が訪れるとは思えないほど荒れた大地だ。エルザードから大分歩いた場所にある、雑草すら生えさせないような拓けた地。その存在に意味があるのか解らない、いや何か成されるべき事があってそこにあるのであろう、いつか花が咲き乱れる事を願っている大地。強い風、舞い上がる砂埃、サクリファイスの滑らかな青い髪も波のように揺れる。乾いた大地に必要なのは水だ。それがあれば、きっと種が舞い降り、小さな芽が息吹く。彼女は目を凝らした。手紙を受け取ってから、彼女は何を思って殺人鬼を待っているのだろう。意味か、結果か、得られる何かか、失う何かか。厚い雲が満月を隠す。照らすものが無くなった大地へ、一人の人間が舞い降りた。

「やあ、こんばんは。機嫌はいかがかな、親愛なる被害者様」
 夜に溶ける事が出来るのではないかと言うほど闇に染まった人影。サクリファイスは、大地へ刺した剣の柄に手をかけたまま、黙って立っている。背負っていた翼を仕舞い、殺人鬼はお辞儀をした。赤い髪、黒いスーツに映える薔薇のコサージュ。上げられた顔には微笑が湛えられている。彼へ挨拶を手向ける必要は無い。
 赤い手紙を差し出し、その不快感を突きつけるようにサクリファイスが呟いた。背に生える黒い四枚の翼は、炎の様にゆらゆらと揺れている。
「丁寧なようで、女性を呼び出すには些か強引な手紙だな。どうせ断れないのだろうと思って、こうして待っていたわけだが」
そう言って、手紙を指で弾いた。風に軽く舞い幾度か翻ったそれは、音も無く大地へと横たわった。

「……一つ、聞いて良いかな?」
「どうぞ」
 手紙の差出人、ブラッディ・レッドローズが笑う。悪意も殺意も知らぬような、例えば街中ですれ違う人々が持つような笑顔だ。その場違いなほどの屈託の無さに、サクリファイスは寧ろ――若しくは当然の様に――怒りのような感情が湧いた。
「何故、命を奪う」
レッドローズが、良くぞ聞いてくれた、とでも言うように目を細めた。その瞳の色は、闇に溶け込んで黒く黒く見える。
「恨み。他者への恨み。……それだけと言ったら、キミは怒るかな。怒るだろうね」
剣の柄を握る手に力が入る。小さな音を立てて、剣はほんの少しだけ地面へ食い込んだ。しかし、理性がそれを押さえる。まだ殺すべき時間ではない。向こうが刃を向けない限り、戦いは始まるべきではない。レッドローズが両腕を広げ、僅かに俯く。
「生きる限り永遠に続く苦しみ。恨みを晴らす為に、俺はその苦しみを与える事を選んだ」
視線を感じる。喉の奥までナイフを突き刺される感覚。
「……もう答えなど必要ないね? そちらの準備は良い様だから、そろそろ始めようか」
鞘付きの短剣を取り出し、その鞘をポケットへ仕舞う。乾いた空気が風に押され、遠くへと飛ばされていった。


 金属と金属のぶつかる音はしなかった。お互いの刃に込められた魔力が凝縮し、ぶつかる寸前で爆発するように溢れ出したのだ。一瞬の閃光、しかしそれに目を瞑っている暇は無い。すぐさま短剣の斬撃が青い髪を掠める。僅かに散った青は、まるで小さな花びらの様だ。
 それは妙な戦いであった。刃と刃が触れ合う前に、見えない力がお互いを弾く。耳にうぉんと響く低い音は、どちらの力が振るわれた証拠であろうか。時々散る光は火花では無い。突風になぎ払われた炎の残骸。もしくは、斬られた風が孕んだ火の粉。地面を蹴る音、甲高い耳障りなノイズ。傍から見ていると、斬ろうとした刃が持ち主に反発している様にしか見えない。振り上げられた大剣は、空気を切るようにした短剣に弾かれた。突き出された刃を受け止める剣、その切っ先を何に当てるでもなく、レッドローズは飛び退いた。サクリファイスも、距離を取る為に後退する。
 ざくりという音と共に、両者は荒地へ着地した。乾いた空気が熱気を帯びている。幾度も波立った空間は、びりびりとした感覚を肌へと伝えた。

「私は、刃を抜かなければ殺される」
 大剣を構え、サクリファイスは静かに呟いた。
「だけれど、刃を抜く事は自らの命を削る事でもあって」
目の前の青年は、初めて対峙した時と同じ笑みを浮かべていた。一つ違う事は、そこにはっきりと殺意が読み取れる事。気のいい笑みではなく、嘲笑に近い笑顔だ。だけれども、対峙した時と同じ表情なのだ。
「……なんだか、私ばかりが損している気がする」
足元の、砂が音を立てた。体勢を整える。隙があれば一撃叩き込んでやろう。その一撃があれば、おそらくこの青年は跡形も無く消え去る。それだけの力を、彼女は持っているのである。

「なんだか……印象よりも、随分とすかしているね」
 緊迫した空気と沈黙を破ったのは、レッドローズの声であった。
「自らの命を削る、か。損をしているとも。俺なら、寧ろ……いや、俺の話はいいか」
ナイフの柄を握りなおして、彼は目を凝らした。赤い髪が刃へ映り、刀身が赤く染まっている。
「生きていれば未来に希望がある。何故か俺には、キミがそう信じている様に見える」

 掛け声と共に地面を蹴ったサクリファイスの一撃を、レッドローズは飛んで避けた。その背には一対の翼。空気と空間の歪み切れる音。数枚の羽が散る。レッドローズの突きを刃の魔力で受け止め、炎で撒かれた剣を振り上げる。彼が飛び退いた先へ、突進して剣を振り下ろす。乾いた地面を叩く音が、羽ばたきの音と共に夜の空間へ響いた。
 振り向いた瞬間飛んできた斬撃を、やはり刃を付けずに弾き返す。髪の毛の焦げる匂い。そして、焼かれたように熱い心の感触。肋骨の隙間から手を伸ばされ、その真ん中を骨ごと握り潰されたような。

「あ゛ぁっ」
 サクリファイスは、反射的に剣を振り下ろしていた。レッドローズがそれを受け止める。
 荒地に、初めて金属音が響いた。魔力と魔力のぶつかり合いを超えて、刃が刃へと触れる。見えない圧力を斬る感触は、何かに似ていた。ぎりぎりぎりぎりと言う音と、擦れる刃から飛ぶ火花。真っ白になった刀身から放たれる炎が辺りを照らす。
 剣に体重を乗せたまま、サクリファイスは目を見開いた。レッドローズは、目を瞑って何の表情も映さず俯いていた。この、命を奪うか奪われるかの瀬戸際で。浮かぶのは焦りよりも怒りに似たものだ。剣を振り下ろそうとする腕に力が篭る。全てを押しつぶそうとする力? それとも、……? レッドローズは何かを呟いていた。それは歌のように聞こえた。地面を削る靴の音。炎の香り。刃の音。真っ白な空間。そこに居るのは二つの命。



 ぱちんと何かが弾けるように、白い空間は消えた。剣の先は勢い良く地面へ落ちた。地面の焼ける音。その数歩先にはレッドローズが居る。短剣を片手で翳し、もう片手で覆うようにして立っている。刃を短剣の腹に滑らせるようにして、攻撃を避けつつ落としたのだ。彼はもう何も歌っていない。サクリファイスは、彼と目を合わせた。彼は笑っていた。
「やめた。今日は機嫌が悪い」
彼はそう言って、背中の羽を羽ばたかせた。鞘を取り出し、短剣を仕舞う。
「逃げるのか」
「そうだ。その通り」
その笑顔には、戦いの前と戦いの最中のどちらの感情も移り込んでいるようだった。刀を地面から抜き、再び構えるサクリファイス。
「私を殺すと、宣言したのだろう。何故逃げる」
「機嫌が悪いからだよ。俺が欲しいのはこんな被害者じゃない。違う」
笑いが混じった声。
「キミは、生きるといい。死ぬべきじゃない」
彼は飛んだ。羽の音。焦げた匂いを吹き飛ばす風。サクリファイスは何かを叫んだが、彼は暗い空から降りてくる気配を見せなかった。

「世界の花売り 希望の幻 歩いた道には 幸福の芽。
 夢を見すぎて 何かを忘れ 歩いた先には 黒い影」

 雲が途切れ、月の光が地面を照らす。炎で焦げた黒い地面。草一つ生えていない大地。
 サクリファイスは、一人取り残された。レッドローズが北へ去っていくのを見ることしか出来なかった。

「飛ぶ鳥 落つ影 永遠に。
 海さえ 越えたら 見えてくる」

 メロディの無い歌。命と命が戦い、どちらかが死ぬ時の……あのやりきれない思いが、この空間にあるだろうか。血が一滴も流れない戦闘に、サクリファイスは何を思っただろう。

「さようなら。さようなら!」

……朝が来る。


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/サクリファイス/女性/22歳/
NPC/ブラッディ・レッドローズ/男性/27歳

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ライター通信
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始めまして、北嶋哲也です。この度は発注誠にありがとうございました!
とても特殊な設定を持っていらっしゃるPCさんでしたので、どういう戦いを書こうか迷いまして
こんな戦い、そしてこんな終わり方になりましたが、いかがでしたでしょうか。
サクリファイスさんは、毎日に既に命を脅かされているのですね。
彼女の心理を少しでも理解できたら……なんて無謀なことを考えつつ書かせて頂きました。
では、またお会いできる日がありましたら、宜しくお願い致します。北嶋でした。

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