■警笛緩和■
水綺 浬 |
【7321】【式野・未織】【高校生】 |
赤い夕日が朧気に浮かぶ。今にもそのまま消えるかのように。
左手には幅三十メートルの川が海へと緩やかに流れていた。日に照らされて小さく波打つたび、星のように輝く。それを遠目に土手を歩いていると、連続した水音が耳に入ってくる。音を辿れば、十代の少年が黒い学生服を身に纏い、小石を川へ投げていた。
水面を小さな欠片が五回も飛び跳ねていき、そして沈む。
赤く陰るその後姿。悲哀に満ちて、瞳に映る。
おもむろに私の足は少年へと引き寄せられていた。
「何してるんだ?」
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警笛緩和 - 花開く路(みち) -
緋色のリボンがふわりと揺れた。
この寒暖差の激しい春のように未織の心は深く沈んでは昇る。いつしか、これから迎える梅雨のように涙が幾度も降り続けるのだろうか。いっそ逃げ出したかった。人一人に会いたくてどうしようもなくて、あの人しか目に入らない。世界中の人が想いを告白するのに、こんなにも苦しかったのだと、そしてその勇気を初めて知った。胸がぎゅっと締めつけられるように痛い。今にも想いを告げたくて駆け出したい足。けれど断られるのが怖かった。すごくつらくて……涙が瞳にあふれる。泣きたくなってしまう。
いつものように祐の場所へ――河原へと住宅街の通りを歩いている時だった。
遠くから聞き慣れた声。どくんっと胸が跳ねる。
聞き間違えるはずもない声は、今まで聞いたことがないほど弾んで楽しそうだった。
十メートル先の角から祐が現れる。一緒にいたい、でも逃げ出したい気持ちが絡みつく。間違いなく惹かれている、目の前の少年に。
声をかけようとして。
「ゆっ――」
言葉を切った。祐に続いて少年が現れたから。
どう見ても美少年で一本の髪さえも艶やかに綺麗だ。二人は一緒に笑顔をふりまきながら話していた。
初めて未織は祐の友人に出会う。しかも見るからに、祐にとって心の許せる相手。未織にはあの輝く笑顔を見せたことがない。ズキンと心が痛む。
「……、天理は……」
ぴくっと体が反応した。
天理……それは何度も耳にした名前。美少年がそうなんだ、と納得しつつ、それでも胸がつきんと痛い。あの笑顔を未織にも見せてほしい――。
貪欲に祐を求めていることに胸元をぎゅっと握った。恋とはこんなにも切ないのか、と。
陽気な祐は近くに少女が佇んでいたことに気づいて。まだ呼ぶのに慣れていない名前を呟く。
「み、未織」
少女の体が震える。祐の声が体内にこだまして、鼓動が耳に痛いほど聴こえる。
祐は天理もつれて少女に駆け寄った。
「紹介する。前に言っていた天理だ」
親指で軽くさした。
(この人が……)
天理と視線が交わる。
「封禅天理です。よろしく」
にこっと花のように微笑む。
「えっと、し、式野未織です」
若干緊張して、お辞儀をした。
「あなたが噂の……」
「え?」
ぽつりと漏れた言葉に目をまばたく。
「いえ、何でもないですよ。じゃ、俺はこれで……」
天理は住宅街に伸びる道の先へと消えていった。
「奇遇だな。こんなところで会うなんて」
天理の後姿をじっと見ていた未織は、祐に振り返る。
まさか、恋心で祐のところへ行っていたとは言えない。「そ、そうだね」と曖昧に笑いかけるしかなかった。だが、それを違った方向に捉えてしまう。
「……どうした? なんか元気ないぞ」
心配そうに青い瞳を覗き込む。
あながち祐の勘も外れてはいなかった。指摘されて再び暗い穴へと沈む。唇を引き結んだ。
恋心が加速していく中、憂いと悲しみも深く刻まれていた。
「落ち込んだ気分のまま、祐君に会うのは……いけないって分かってるんです。でも、どうしても会いたくて……」
祐といれば気が楽になるのだ。身の上を相談できる人だからこそ、祐のところへ来た理由もある。
瞳を伏せた。まつげの影が頬に落ちる。
その姿に、祐の心臓がとくんと波打つ。
「なにか、あったのか?」
「今日は、うちにお祖母様が泊まりに来る日なんです。ミオは……家に帰れません」
「なんで……」
未織と祖母の間に何があろうと家に帰れないとは思わなかった。
「同じ屋根の下で過ごす事は許されませんから」
同時に眉間にしわを寄せ瞳を閉じたまま、頭を左右に振る。
「そんな」
それほど酷いとは予想してなかった祐。心の水面下で小さな灯火が点った。
未織はゆっくりまぶたを開いて。
「パパが予約してくれたホテルにお泊りです」
思い返せば、祐も封禅一族の館に数えるほどしか入ったことがない。一族の末端といえど、集会があれば御呼びがかかるもの。それが祐には何の一報もない。もし今、館に踏み入れば即座に追い出される。ましてや当主である天理と同じ屋根の下で寝るなど言語道断だろう。
「……オレも、同じだな。一族の者たちと共に眠ることはおろか、一緒にいることさえ無理だ」
似た者同士、同じ気持ちだと銀の瞳は語る。
お互いのやり場のない気持ちは、二人にもう一つの繋がりをもたせた。
未織は苦く、薄く微笑み。
「この間は中途半端な答えになっちゃいましたけど、式野って言うのはお祖母様の苗字なんです」
「そう、か……」
目線を下げた。
「今日は色々辛い事があって……」と未織は脳裏に思い出す。今日あったことをまざまざと。いくら辛いことがあっても慣れることがない、鋭利な刃物のように。ぎゅっと瞳を閉じる。
「どうして。どうしてお祖母様はミオを嫌うの? どうしてミオは家で一緒にいちゃいけないの? どうして? って、エンドレスで頭の中グルグルしてるんです」
未織はしゃがみこみ、ただ胸元を握りしめ耐えていた。今にもくじけそうだった。
「考えるほど辛くて悲しくなるのも、どうしての答えも分かってるのに」
涙を瞳にためながら吐き出す。茨にとらわれ打ちひしがれた自分の想いを。
祐はじっと聞いていた。未織の言葉はそのまま祐自身の想いにも当てはまる。現に何度も苦しんで、未だに抜け出せないでいた。一時は何も映さない何も感じない、空虚の時間さえあった。今こうしているのは天理のおかげだ。未織にも身近にそんな人物がいれば、少しだけでも変わるかもしれない。それが祐自身かは分からないが。
だから祐は、こうとしか言えなかった。
「答えが見えていても――」
未織の肩に手をそっと添えて続ける。
「動けない時はある。鎖で縛られたかのように。今はもがいてもがいて必死に出口を探すんだ」
それは未織の心に、湖に波紋を作った。ささやかなものだったが、いずれきっと、さざ波となって風が吹き始める。
*
「あぁ……そうだ。この前見つけた絶好の場所があるんだ。行くか?」
祐は手を差し出した。
「うん」
弱めなトーンで答えた未織は手を取って体を起こす。
「でも絶好の場所って?」
「来たら分かる」
僅かに微笑み、繋いだ手を握り返した。
恋心がまたにじみ出して鼓動が早まる。
「わぁ、いい眺め!」
大きな風が二人を包み込んで空へと飛んでいく。
その場所は街の郊外にあった。街を見下ろすように丘がせり上がり、頂上には一本の巨木。青い芝生が足元に広がり、さわさわと揺れる。
丘陵の上では街全体が一望できた。天近くいるように。山と言ってもいいかもしれない。
「気持ちいい……」
腕をぴんと横に伸ばして、すっーと空気を吸い込む。
「こんなところがあったなんて知らなかった。――ありがとう」
最後の言葉は顔だけ振り向いて言った。幾重にも意味を重ねて。穴場を教えてくれたこと、未織に光を差し込んでくれたこと、そして憂鬱な感情を一瞬で吹き飛ばしてくれたことを――。
祐は穏やかに太陽のような笑みを浮かべていた。天理に見せる笑顔と違っていても、祐の笑顔そのものがそこにあれば充分だ。
少年と向かい合う。
「ミオ、祐君にも癒しの力があると思います。だって、祐君といると優しい気持ちになれますから」
胸が温かくなり恋情がふつふつと湧き上がっていく。祐といるだけで不思議と深海へ引きずりこまれない。そよ風と光が水面を揺らして、未織を目覚めさせる。涙が自然に止まった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
7321 // 式野・未織 / 女 / 15 / 高校生
NPC // 魄地・祐 / 男 / 15 / 公立中三年
NPC // 封禅・天理 / 男 / 17 / 付属高校二年、一族次期当主
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■ ライター通信 ■
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式野未織様、いつも発注ありがとうございます。
ゲストで天理をちょっとだけ出させて頂きました。
未織さんの心がいつか祐に伝わるといいなぁと思います。祐はその手に関しては鈍感なので(笑)。さりげなくデートに誘うのもアリです。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。
水綺浬 拝
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