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■喫茶「エピオテレス」■

笠城夢斗
【7149】【瀬下・奏恵】【警備員】
 喫茶「エピオテレス」。知る人ぞ知る喫茶店。
 内装は綺麗に乳白色で染められ、観葉植物がよく映える。
 壁にかけられた絵画は風景画で、美しい春の草原をそこに生み出していた。
「いらっしゃいませ」
 迎えてくれるのはピンク色の髪をしたかわいいウエイトレス。
 金色の瞳も美しい――名はクルール。
「どうぞ、こちらのお席まで」
 ころころと鈴のような声で窓際の席をすすめてくれた。
 メニュー表がないかと探してみれば、
「当店はメニューはございません。お客様のご要望に合わせて作らせて頂きます」
 クルールはにっこりと言った。
 喫茶店なのに? と思ったけれど、ちょっといたずら心が働いて。
「ビーフステーキ」
 などと言ってみる。
 するとクルールはにっこり笑って、
「かしこまりました。味付けはこちらにお任せにさせて頂いてよろしいでしょうか」
「……は、はい」
 うなずかれるとは思わず、慌ててうなずく自分。
 クルールは厨房まで行った。
「店長! ビーフステーキ1枚!」
「はいはい」
 厨房の中からゆっくりと顔を出した女性が1人。
 この店にぴったりの乳白色の長い髪をゆったり三つ編みにして、白いワンピースを着、その上からエプロンを着ている。
「そちらの方ですね。分かりました」
 客を見て何かを決める癖でもあるのか? 厨房に戻っていく店長――エピオテレスを見送りながら、自分は首をかしげる。
 ふと、背後から話し声が聞こえてくるのに気づいた。
「だからよ、絶対イカサマ使ってんだろ? 本当のこと話せよ」
「知るか。言いがかりをつけるならお前が見抜いてみろ」
 もくもくと煙草の煙が上がる。
 2人の男性が――1人は20代半ば、1人は20歳になったかそこら――トランプをやっていた。
 ちくしょー、とどうやら負けたらしい若い青年が、こちらの視線に気づき、
「あ? 何か文句あっか」
 慌てて視線をそらす。
 背後では大人の方が、
「あまり客をいじめるな、フェレ」
「うるせえよ。あんただって副店長のくせに接客なんざするつもりねえんだろが、ケニー?」
「接客すれば妹に怒られる」
「そりゃそれだけ煙たけりゃな」
 さて、と大人の方は席を立ったようだ。
「お前との遊びも飽きた。俺はあっちで新聞読んでるぞ」
 ちらっと見ると、ケニーと呼ばれた青年は新聞を取って奥の席に行き、足を高く組んで座った。
 けっと頬杖をついた若い方は――フェレと言ったか――はケニーに向かって中指を天井に高く突き立ててから、ぶすっとふくれて机に突っ伏した。
「お待たせいたしました」
 クルールが戻ってくる。
「ビーフステーキです」
 とろりとした脂がたっぷりのった、じゅうじゅうと焼きたての音たっぷりのビーフステーキ……!
 思わず唾が出た。ごくりと飲み込み、ステーキにナイフを入れる。
 ……ああ……! この柔らかさ、この切れ目の色!
 何て美味しいんだろう。
 思わずばくばく食べてしまってからふと見ると、厨房からあの乳白色の優しそうな女性がこちらを見ている。嬉しそうに微笑んで。
 うまかったよ、とサインを送った。
「ではお会計よろしいでしょうか」
 クルールがレジの前に立つ。
 そう言えばいくらになるのだろう。急にぞっとしておそるおそる値段を訊いたら、
「お肉が3000円、味付けに2000円、合計で5000円に消費税込みで5250円になります」
 一体味付けに何を使った!?
 エプロンの女性はゆったりとした笑みを浮かべたまま。
 たかが喫茶店で5250円も取られて、自分は店を後にしたのだった……
喫茶「エピオテレス」

 瀬下奏恵は警備員だ。それなりの重労働をこなしている。
 だが、彼女はそれを難なくやってのけていた――
 当然と言えば当然だったかもしれない。彼女は、
 自覚のない――人外だったのだから。

 魔の都市東京。
 その中には、自覚のない人ならざるものはいくらでもいる……

 ■■■ ■■■

 その日、奏恵は小腹がすいて何とはなしにその店に入った。
 喫茶「エピオテレス」。
 戸を押すと、ちりんちりんとかわいらしい風流な音がした。
「いらっしゃいませー」
 と、これもまたかわいらしい声が聞こえてくる。奏恵は顔を上げる――そして、近づいてきたウエイトレスに驚いた。
 肩までのピンク色の髪に、らんらんと輝く金の瞳。若い。まだ十代半ばを1つか2つ越えたくらいではないだろうか。
 ――この東京では派手な色合いを持つ人間はいくらでもいるが、それにしてもこの少女は派手だ。
「お客様、1名様ですか?」
「ああ、はい……」
「お煙草はお吸いになられますか?」
「いえ」
「ではこちらへどうぞ」
 ――これでは喫茶店というよりファミレスだ――
 首をひねりながら奏恵は案内された席へと座る。
 丸いテーブルだった。乳白色が目に優しい。奏恵が座ったテーブルは2人がけだ。
 周囲を見渡すと、四角いテーブルなどもあり、4人がけも6人がけもあった。
 壁は一様に乳白色に統一され、優しい風景の絵画がかかっている。そして観葉植物。
 どこを見ても、清潔感あふれる、柔らかな印象の店だった。
 ウエイトレスが氷水入りのグラスを手にもう一度やってくると、
「お客様、初のご来店でございますね」
 と言い当ててみせる。
 奏恵は再度驚く。ウエイトレスとはいえ、いちいち客の顔を覚えているものだろうか。確かに、人の入りがいい店とは言いがたいようだが――
 金の瞳のウエイトレスはなめらかな口調で説明を始めた。
「当店にはメニューは一切ございません。お好きなものをご注文頂ければ作らせて頂きます。前菜からメインディッシュからデザートからお飲み物まで、どうぞご自由に」
「え……」
 目をぱちくりさせた奏恵は、確かにテーブルにメニューが置かれていないことに気がついた。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びくださいませ」
 とウエイトレスが頭を下げて行ってしまおうとするのを、奏恵はとっさに呼び止めた。
「あの!……ええと、注文なら」
「お決まりですか?」
「はい」
 奏恵は食にこだわりがない。だから、こういう店に入ったら大抵同じようなものばかり頼んでいる。
「カフェオレと、ホットサンドウィッチを」
「かしこまりました。カフェオレとホットサンドウィッチですね。カフェオレはすぐにお持ちしてもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
「かしこまりました」
 ウエイトレスはカウンターへと戻っていく。
 ふう、と奏恵は椅子に身を落ち着けた。
 最近突然暑くなった。しかし空調の聞いている店内はとても涼しい。
(お客が少ないわりに、いいところね)
 穴場なのかもしれない。奏恵はもう一度ぐるりと店内を見渡す。
 客は、たった1組――
 男性が、2人だけだ。
 2人は奥の方の壁際の、4人がけテーブルを占拠していた。
 片割れは、傷痕が無数に残る褐色の肌に白髪、赤い瞳をした20歳ほどの青年。
 もう1人、奏恵に背を向けている青年は、隣の椅子に背広の上をかけ、Yシャツ姿でいる。淡い茶髪をしている。煙草の煙が見えた。
 食事をしているかと思えば、違う。
 2人でカードゲームに興じているのだ。
「スペードのフラッシュ」
「あ! こら、ちくしょう! またイカサマだろう!」
「言いがかりだな。運がお前に味方をしていない」
「てんめぇ〜!」
 他の客の迷惑などまったく考えていないのか、褐色の肌の青年は今にも暴れだしそうな声を出していた。
 奏恵は眉をひそめる。ああいった手合いは正直、好きではない。
「お待たせしました。カフェオレでございます」
 ウエイトレスがやってくる。奏恵は振り向き、ひそかにかの青年たちを示した。
「失礼だけれど……彼らを注意しなくていいの? 放っておいてはつけあがるタイプのお客だと思うけれど」
 余計なおせっかいと言えばそうかもしれない。が、言わずにいられなかった。
 ウエイトレスは青年たちを見、急に不機嫌そうな顔つきをする。
「あー……」
 と、これまたウエイトレスらしくない気の抜けた声を出し、
「お客様、失礼いたします。今注意してまいりますので」
 とすたすたと青年たちの方へ歩み寄っていく。
 そして、
「フェレ!」
 と――今度はこっちの方が客商売的にどうなんだろう、な大声を出した。
「うるさいぞ! 他のお客様に迷惑だろ……!」
「……うるさいのはお前の方だろーがクルール」
 褐色の肌の青年が、白けた目でウエイトレスを見上げる。
 ウエイトレスは、ふんと腰に手を当てて見下げるように青年を見る。
「実際お前のバカ声が迷惑をかけてるんだ。黙れ」
「うるせえなあ……どうせこの店客なんかこねーじゃん」
「来てるんだよよく見ろ!」
「あ?」
 そうしてようやく、褐色の肌の青年は、奏恵の存在に気づいたようだった。
「うわ、めっずらし」
 奏恵は首をひねる。この会話の内容――2人とも声の通りがいいため全部聞こえている――どうも、客とウエイトレスの会話ではない。
 と、ふともう1人のYシャツ姿の青年がウエイトレスを制するように片手を挙げて、
「クルール、お前も静かにしろ。……フェレは俺が黙らせる」
「ケニー……」
 ウエイトレスが押し黙った。
 代わりに褐色の肌の青年が、目の前のYシャツ姿の青年をじろりと見る。
「俺を黙らせるだって?」
「……この店から放り出されたいのか?」
「………」
 ちっ、とあからさまな舌打ちをして、褐色の肌の青年は黙りこくった。
「次に俺に勝てたら、存分にしゃべってもいいがな」
 Yシャツの青年はカードを切り始めたようだ。
「待て、俺に切らせろよ」
 イカサマを警戒してか、褐色の肌の青年がそんなことを言っている――その声は、随分と抑えられていた。
 奏恵はその一部始終をじっと見ていた。
 ウエイトレスが戻ってきて、
「騒がしくて申し訳ございません」
 と詫びてくる。
「……あの方たちは、どなたなの?」
 奏恵は尋ねていた。興味本位だったのか、それとも職業柄だったのか、それは自分でも分からない。少なくともこの店の客ではないと判断したから、訊けたことだ。
 ウエイトレスは微苦笑して、
「この店の副店長と、居候です」
「副店長さんと、居候さん……」
「ちなみに背広の――今は脱いでいますが、そっちが副店長ですので」
 まあ、さすがに奏恵も褐色の肌の青年の方を副店長とは思わない。
 それに、ウエイトレスの言う通りなら彼らの会話の納得も行く。居候としては、店から追い出されては困るわけだ。
「あの者たちにご興味がおありですか?」
 ウエイトレスは、褐色の肌の青年と対峙したときとは別人のように丁寧に言ってくる。
「……そう、ね……」
 あいまいにうなずくと、ウエイトレスは「では」と初めておかしそうに笑った。
「彼らと話してみますか?」
「え?」
「フェレ、ケニー!」
 青年たちが振り向いた――
 褐色の肌の青年は不機嫌そうに。
 そして初めてこちらを向いたYシャツの青年は――遠目から見ても分かる。青い瞳をしていた。
「お客様の相手をお願い」
 ウエイトレスはそう言って、自分はカウンターに引っ込んだ。
「けっ。何で俺らが」
 褐色の肌の青年が嫌そうに言うが、Yシャツの青年――煙草を手にしている――は、「当然の仕事だ」と立ち上がる。
「フェレ。お前も来い」
「げえっ。まじかよ……」
「お前もたまには働け」
「………」
 奏恵としては、そんな事務的に相手をしてもらいたいとは思わないのだけれど。
 それ以上に、青年たちの存在は興味を引いた。
 青年たちは、席を奏恵の隣のテーブルへと移ってくる。
 まず名前を整理しよう。
「私は瀬下奏恵といいます。え……と。そちらの方が、フェレさん?」
「あん」
 褐色の肌の青年は高く足を組み、不機嫌そうに腕も組んでいたが、否定はしない。
 奏恵は続いてYシャツの青年を見て、
「そちらの……ケニーさんが副店長さんですか?」
「そうですよ」
 ケニーは、近くで見ると奏恵とそれほど歳が変わらないように見える。歳上なのは間違いないだろうが――
 奏恵は考える。何から話したらいいだろう。
 無難なところで、何の仕事をしているか、とかだろうか。
 ケニーは副店長なのだから訊くまでもないとして……
「フェレさんは、お仕事は何を?」
 友好的とはとても言えない青年を相手に、奏恵は声をかける。フェレが明らかな歳下というのが、どこか安心感を与えていた。
「仕事っつー仕事はねえよ」
 フェレはぶっきらぼうに答える。
 奏恵は懸命だった。すぐに、ケニーに視線をやった。
 ケニーはその視線の意味を、汲んでくれた。
「フェレは退魔師です。……いや、正確には違うが、おそらくそう説明するのが一番近い」
「正確には違うというのはどういう……」
「本人にやる気がない」
 ケニーは肩をすくめた。
 フェレの態度を見れば、勤労精神旺盛とはとても思えないのは確かなところだ。
 しかし――退魔師。
「私は警備員ですが、私も以前怪異に関わったことがあるんです」
 奏恵は身を乗り出した。「退魔師という仕事には興味があります。……退魔師の方から見て、今この東京はどのような感じなのでしょう」
「はあ?」
 フェレは思い切り不審そうに眉をひそめた。「何言ってんだ。そもそもお前――」
「フェレ」
 ケニーがゆったりと、しかしはっきりとした声で居候の名を呼ぶ。
 居候は言葉を切った。不審そうな表情はそのままで宿主の顔を見やる。
 ケニーはなぜか、首を振った。
「……自覚がない。言わなくていい」
「………」
 フェレが黙りこくった。
「あの、何の話でしょう?」
「気にしなくていい……瀬下さん。この東京にはまだまだ隠れた人外が多い」
 ケニーがフェレの代わりに語ってくれた。
「時には自分が人外であることを知らない者もいる。といっても何が悪いわけでもない。人じゃないからと言って排他されるべきではないということを現在体現中なのが、今の東京だ」
 何か含みがあるような気がしたが――
 奏恵は生真面目に、
「なるほど。そうですか……」
 とうなずいた。
「……放っておくと厄介な無自覚もいるけどな」
 フェレがぼそりとつぶやく。ケニーが、彼に向けて戒めるように眉をしかめた。
 放っておくと厄介……
「……少し、お尋ねしたいのですが」
「さっきから訊いてばかりじゃねえかよ」
「人の揚げ足をとるなフェレ。……何ですか」
「私も……時々、人とは違うのかもしれないと思うことがないでもないのです。退魔師さんから見て、私はどうでしょう」
 フェレは片眉をあげて、ケニーを見た。
 ケニーは静かに、
「周りの魔の気配にあてられて、そういう錯覚に陥る人間はかなりいますよ。気にすることはないでしょう」
「……そうですか」
 フェレではなくケニーに言われたのが気になるが――
 ケニーはどうやら、フェレに全幅の信頼を置かれている。なら、その言葉を信じてもいいだろう。
 時々ではなく頻繁に、自分は何かおかしい――とぼんやりと思うことがある奏恵は、心底安心した。
「ありがとうございます」
 律儀に礼を言って、奏恵は笑った。のぞいた八重歯がかわいらしかった。
「お待たせしました、ホットサンドウィッチでございます」
 ウエイトレスのクルールがトレイを手にやってくる――

 奏恵はグルメではない。食事に関しては、美味しかろうが不味かろうが食べられればいいというほどに無頓着である。
 しかし、それでもこの店で食べたサンドウィッチは「美味しい」と思った。
 珍しい具材が入っていたような気がするが、詳しくは聞かなかった。別に、怪しいものを食べさせられているわけでもないだろう。
 最後に出てきた乳白色の髪を大きな三つ編みにまとめた柔らかな雰囲気を持つ女性が、
「お口に合えばよいのですが」
 と言いながらその繊手を頬に当てていた。
 彼女こそがケニーの妹であり、この喫茶店「エピオテレス」の店長、エピオテレスその人だと知るのはもう少し先のことになる。

 会計で取られた金額は、普通のサンドウィッチとカフェオレよりは割高だったかもしれない。
 しかし、特に気になることではなかった。奏恵は文句も言わずお金を払った。
 ――これは、フェレとケニーとの会話の代金だとでも思えばいい――
 彼らとの会話で自分は、他でもない安心感を得られたのだから。

 ■■■ ■■■

 瀬下奏恵。警備員。
 彼女が自覚のない人外であることは、喫茶「エピオテレス」の人間なら一目で分かることだった。
 だが実質的なリーダーのケニーがそれを黙っておけと言った以上――
 彼らは口を閉ざすのだ。
 それがいいことなのか、悪いことなのか。それは誰にも分からないけれど。
 少なくとも奏恵は安心感を得てその店を出た。

 退魔師たちの店、喫茶「エピオテレス」を――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【7149/瀬下・奏恵/女/24歳/警備員】

【NPC/フェレ・アードニアス/男/20歳/喫茶「エピオテレス」居候】
【NPC/ケニー/男/25歳/喫茶「エピオテレス」副店長】
【NPC/クルール/女/17歳/喫茶「エピオテレス」ウエイトレス】
【NPC/エピオテレス/女/21歳/喫茶「エピオテレス」店長】

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■         ライター通信          ■
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瀬下奏恵様
こんにちは、お久しぶりです。笠城夢斗です。
このたびは喫茶「エピオテレス」へのご来店ありがとうございます。お届けが大変遅れまして、申し訳ございません;
今回は様子見の内容となりましたが、いかがでしたでしょうか。店の面々は、奏恵さんに自覚させない方針でいくようですが……
よろしければ、次回のご来店、心よりお待ちしております。