コミュニティトップへ



■居間にて■

川岸満里亜
【6029】【広瀬・ファイリア】【家事手伝い(トラブルメーカー)】
「お母さんも苑香さんも出かけています」
 玄関に現れたのは、ゴーレムの水菜だった。
「部屋で待っていてください。お菓子と紅茶用意します」
 水菜はとても嬉しそうだった。
 出直すと言ったら、きっと寂しそうな顔をするのだろう。
「居間にどうぞ」
 水菜に導かれるまま、居間へと入った。
「今日はどんな用事で来たんですか? お母さんとどこかに行くのですか?」
 一緒に行きたいといわんばかりの表情で水菜が訊ねてきた。
 さて、どう答えようか……。
『居間にて〜動き出した時間〜』

 広瀬・ファイリアが呉家に戻ってきた時、悪魔契約書は既に呉・水香の手を離れていた。
 しかし、水菜の魂を連れて来たことを告げると、急ぎ水香は悪魔契約書を所持している人物の元を訪れ、契約書を借りてきたのであった。
 水香は悪魔と再び契約を交わし、魂をゴーレムの水菜の中に戻した。
 ゴーレムの水菜は、水槽の中で、目を閉じていた。ただ、眠っているだけのように見えた。
 トラックに轢かれた時にできた傷は、全て消えている。水香が丁寧に治してくれたのだ。
 ちゃんと、治してくれる。
 水香は決して冷たい母親ではない。
 ちゃんと喜んでくれている。
 だから、魂を再び入れてくれた――。
 ファイリアは胸を詰まらせながら、水槽から担ぎ出された水菜の手を握り締めた。
「水菜ちゃん、水菜ちゃん、目を覚まして下さいです」
 壁に寄りかからせるが、水菜の体はそのまま倒れてしまいそうになる。
 ファイリアは水菜の体を支えながら、何度も何度も水菜の名前を呼んだ。
「大丈夫だよ」
 水香が水菜の前に立った。
「水菜、起動しなさい」
 強い口調で言い放つ。
 すると……。
 ファイリアが握り締めていた手が、ぴくりと動いた。
 そして、凭れかかっていた肩が、ファイリアの肩から離れる。
 眼を何度も瞬かせて、水菜はまずファイリアを見たのだった。
「水菜ちゃーん!」
 即座にファイリアは水菜を抱きしめた。
 自分でもわけがわからないほど、無我夢中に。
 涙がぼろぼろ眼から溢れ出る。
「水菜ちゃん、水菜ちゃん、水菜ちゃん……っ」
 しがみつくように泣くファイリア。
 水菜は不思議そうに顔を上げた。
「そんなに泣かれたら、困っちゃうわよね……水菜」
「お母さん……」
 水香を見て、水菜は戸惑いの表情を浮かべた。
 自分の置かれている状況が全くわからなかったのだ。
 だけれど分かるのは、ファイリアが自分の為に泣いているということ。
 この涙が悲しい涙ではないということ。
 だから水菜は、ファイリアをそっと抱きしめ返した。
「ずっと、また、話が出来るかどうか、不安だったですっ」
「はい」
 はいという水菜の声に、ファイリアは顔を上げて、水菜を見て、ぼろぼろぼろぼろ涙を落とすのであった。
「水菜ちゃんの声です。声が聞こえるですっ」
「はい。私は喋っています」
 水菜の真直ぐな返答も、懐かしく感じてしまう。
「ファイ、本当に不安だったですよ」
「はい。すみません」
 ファイリアは首を左右に振って、涙を拭い精一杯の笑みを見せた。
「だから今水菜と話が出来る事がすごく嬉しいです」
「はい、私もファイリアさんとお話できて、嬉しいです」
「えーん、水菜ちゃーんっ!」
 ファイリアが再び水菜に抱きついたその時。
 荒々しくドアが開かれ、一人の少年が姿を現した。
「ファイリア! ……水菜」
「お兄ちゃんっ」
 ファイリアは現れた人物、阿佐人・悠輔を見て、またまた涙を落とした。
 今まで抱えていたものが、涙とともに流れ落ちていく。
 辛かった数日間。不安だった日々が、全て解消されていく。
 会いたかった人、大切な人が、再び揃った。
 悠輔もまた、泣いているファイリアと、困惑している水菜の姿を見て、思わず鼻が痛くなる。
 眼を逸らし、後ろを向いた。
「お兄ちゃん!」
 ファイリアが悠輔の腕をぐいっと掴んだ。
「もっとこっち来て」
「わかったわかった」
 顔を背けたままそう言って、ファイリアの手を離すと、悠輔は両手で自分の頬を叩いた。
 零れ落ちそうになる涙を、衝撃で抑えたのだ。
 赤い瞳で不思議そうにこちらを見るファイリアに、軽く笑ってみせる。
「夢じゃないな」
「うん、夢じゃないですっ。へへへっ」
 兄の目に薄っすらと浮かんでいた涙を、ファイリアは見逃さなかった。
 兄の腕と、水菜の腕、両方を掴んで引き寄せる。
「ただいまとおかえりです」
「ファイリア、水菜、お帰り」
「はいです!」
 ファイリは元気に答える。
 水菜は軽く首を傾げた後、こう言った。
「ファイリアさん、悠輔さん、いらっしゃいませ」
 悠輔とファイリアは顔をあわせて笑った。
 水菜の魂は遠くを旅していたけれど、水菜はずっと水菜だったのだと。
 ミレーゼに戻ることはなく、彼女の心は留まったままだったのだ。
「はい、こんにちはです、水菜ちゃん」
 ファイリアは涙を拭い、嬉しそう笑った。
「ファイリア」
 悠輔が優しく声をかけた。
 数日間、自分の元を離れていた義妹と、眼を閉じたまま動くことの無かった水菜。2人の瞳を見て、安堵の吐息をつき、悠輔はこう訊ねた。
「この状況に、後悔はないか?」
 ファイリアはまず、水菜を見た。
 水菜は状況が把握できていないようだが、水香の機嫌がいいことや、ファイリア、悠輔といった親しい人物が近くにいることもあり、落ち着いた表情をしていた。
 そして、ここにはいないけれど……。
 水菜の前世の兄だった人の魂も、この世界に戻ってきている。自分の意思で。
「水菜ちゃんは、水菜ちゃんのまま帰ってきました。時雨さんはちょっとお休みしなきゃダメですけど、フリアルさんも戻ってきてくれました。向こうの事も皆で出来る事はやってこれたと思うです。だから、何も後悔はないです」
「そうか、頑張ったな。無事に戻ってきてくれて、ありがとう」
 悠輔はファイリアの頭をそっと撫でてあげた。
 ファイリアは少し照れながら笑った。
「フリアル……」
 水菜はドアや窓の外を見回した。
 魂と化していた数日間の記憶はないが……水菜には前世の記憶はあるようだ。
「大丈夫です。ここにはいませんけれど、こっちの世界に帰ってきてるですよ!」
「はい!」
 水菜は元気よく返事をした。
「千羽鶴の願いが叶ったですよ、ほら、3人で折った!」
「はい!」
 出発前、水菜が悠輔の家に泊まっていた時、3人で願いを込めて鶴を折ったのだ。
 完成前に出発することになってしまったけれど、東京に残った悠輔が折ってくれていたはずだ。
 しかし……。
「あ……」
 悠輔は誤魔化そうかどうか少し迷った後、やはり正直に言うことにした。
「ごめん、まだ完成してないんだ」
「ええっ!?」
 随分と長い間留守にしていたのだから、当然出来ていると思ったのだけれど……。
「すまん」
 ばつが悪そうに謝罪する悠輔の姿に、ファイリアは何か事情があったのだと察する。
「それじゃ、残りを折って、もう一度お願いしなおすです!」
「私も折りたいです」
 水菜が発した彼女の意思に、悠輔とファイリアは顔をあわせて微笑みあう。
「それじゃ、また3人で折るか」
「はいです!」
「はいです!」
 ファイリアと水菜が同じ返事をした。
「なんか、姉妹みたいね、あんた達」
 微笑ましげに見ていた水香がそう声を発した。
 その言葉にも。
「はいです!」
「はいです!」
 満面の笑顔で、2人同時に答えたのだった。
 その後……ファイリアは少しだけ、真剣な顔をして、水香に尋ねた。
「水菜ちゃん、ずっとここにいられるですよね?」
 水香が、水菜を見た。
 水菜はとても不安そうな顔をしている。
「もう、問題は解決したですよ」
 ファイリアは水菜と水香を交互に見ながら、そう言った。
「水香さん」
 後押しするように、悠輔が水香の名を呼んだ。
「……かたないわね」
 水香は息を吐き出して、もう一度はっきりと言った。
「仕方ないから、置いてあげるわ。あなたがここにいたいっていうんなら、その間中、私がちゃんと面倒みてあげるわよ」
 水菜がもっと成長したら、面倒を看てもらうのは、あきらかに水香になりそうだが……。
 苦笑しながら、悠輔は頷いた。今は、それでいいだろう。
「やったです、よかったです、水菜ちゃんっ」
 ファイリアは水菜の両手をぎゅっと掴んだ。
「はい……嬉しい、です」
 水菜の声には、深い喜びと安堵が現れていた。

    *    *    *    *

 ファイリアは呉家の居間で、水菜と談笑をしながら、呉姉妹の帰りを待っていた。
「水菜ちゃんは、最近何してるですか?」
「お母さんと、苑香さんと、お買物によく出かけています。お母さんがよく連れて行ってくれるようになりました」
 とてもとても嬉しそうに水菜はそう言った。
「ファイもお兄ちゃんとたまにお出かけするですよ」
「私も一緒に行きたいです」
「それじゃ、今度三人で出かけるですっ」
「はい! お母さんに聞いてみます」
 チャイムの音が鳴り響いた。
 水菜はぱたぱたと駆けていった。
 ファイリアも彼女の後を追って、玄関に駆けつける。
「よっ」
 現れたのは悠輔だった。学校帰りだ。
「悠輔さん、いらっしゃいです」
「ははは、ファイリアの口調が移ってるぞ、水菜」
「はい……です」
 水菜はにこっと笑ってみせる。どうやら気に入って使っているようだ。
「入ってもいいか?」
「はい、どうぞです」
 水菜が手を伸ばし、鞄を持とうとする。
 そういう気遣いは不要というように、悠輔は自分で鞄を持ったまま、靴を脱いで、家に上がった。
 水菜はお茶を淹れに、台所に駆けていく。ファイリアも水菜の後に続く。
「ファイリアも水菜に似てきたぞ、走り方とか」
 悠輔は2人の後姿を、微笑ましげに眺めていた。

 今日は、呉家で鶴を折った。
 3人で一緒に、鶴を折った。
 あの時と、同じ願いを込めて。
 だけれど、3人の心はあの時とは違う。
 未来に不安を感じていたあの時とは違い。
 今は、未来に希望を抱いている。
 明日もまた、一緒に笑い合えますように。

 時折、3人は顔をあわせて笑い合う。
“皆で一緒にいられるよう、これからも、ちゃんと頑張るですっ!”

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5973 / 阿佐人・悠輔 / 男性 / 17歳 / 高校生】
【6029 / 広瀬・ファイリア / 女性 / 17歳 / 家事手伝い(トラブルメーカー)】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

ライターの川岸満里亜です。
ファイリアさんと水菜は、仲の良い姉妹……いえ、それ以上に近しい存在に、見えそうです。
帰る場所を守ってくれた悠輔さんは、水菜にとって、“お父さん”のような存在かもしれません。
後日談の発注、ありがとうございました!
また何かありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。