■広場の薬屋■
川岸満里亜
【3087】【千獣】【異界職】
「いらっしゃい!」
 元気な声と共に、ドアが開いた。
「ごめんね、先生出張中なんだ。でも、薬の調合だけなら、あたしがどうにかするから、どーんと任せてよ!」
 診療はしばらく休みのようだ。
 しかし、診療室には変わらず様々な薬が並んでいる。
「実はあたしが調合してるんじゃないんだ。あたしのお姉ちゃんに有能な薬師がいてさー、だから、ちゃんと薬の手配はできるから、なんなりと申し付けてよね!」
 そう言って、少女ばバンと肩を叩いてきた。

 ここは錬金術師の診療所。
 しかし、錬金術師ファムル・ディートの姿はない。
 “自称ファムルの娘”のキャトルと、ファムルの元弟子ダラン・ローデスが交代で店番をしているようだ。
『広場の薬屋〜堪えきれない想い〜』

 身の丈ほどの雑草に埋もれた先に、ファムル・ディートの診療所はある。
 診療所周りの草は刈られているようなのだが、街の方からは雑草が邪魔し、診療所を見ることさえできない。
 千獣は子供の隠れ家のようなその場所に、足を進めた。
 客は少ないかもしれないけれど、今は隠しておいた方がいい場所に思えて――千獣はあえて草を刈ることはしなかった。
 古びた小屋のような建物に辿りつき、木製のドアを叩いてドアを開いた。
「キャトル……いる……?」
 軽く物音が響いた後、奥の部屋のドアが開き、キャトル・ヴァン・ディズヌフが顔を出した。
「あ、千獣〜! いらっしゃい」
 キャトルが笑みを見せる。
 明るい笑み。だけれど、何かちょっと足りない笑み。
 キャトルはそんな笑みを見せる娘だった。初めて会った時からずっと。
 千獣はキャトルの心からの笑顔をまだ見たことがない。
「話し……しても、いい……?」
「ん? うん、なあに〜」
 キャトルは千獣を診療室に招き入れる。
 蒸し暑い部屋だった。
 2人は、小さなソファーに向かい合って座った。
 キャトルはグラスに水を入れて、千獣と、自分の前に置いた。
 千獣はグラスを受け取って、水を一口飲む。
 あまり冷たくはなかったけれど、喉が渇いていたので美味しく感じた。
「何、話って? もしかして、千獣の強さの秘密、教えてくれるの? あたし、武術ももっと学びたいんだ」
 千獣は軽く、目を伏せた。
 そう、キャトルのこの思いが気になっていた。
 “千獣のように皆を庇える存在になりたい”
 先日、キャトルが言っていた言葉だ。
 キャトルの気持ちは分かる。
 彼女にも、守りたい人がいるのだということが。
 だけど……。
「……キャトルは、守りたい、ん、だよね……? 体で、なきゃ、だめ、なの……?」
「え?」
「……私が、体で、守る、のは……それしか、できない、から、だよ……? リミナ達、や……キャトル達、には、魔、力、が、ある……私、には、そっちの、方が……うら、やま、しい……」
 千獣の言葉に、キャトルは何かを考え込むように、沈黙した。
 千獣もまた、思いをめぐらしながら、黙り込んでいた。
「だって……あたしは、皆に傷ついて欲しくないんだよ」
 キャトルは思いつめた瞳で言った。
「うん、それ、は……分かる」
「だけど皆、色々なことに巻き込まれていくんだ。立ち向かって行くんだ。だから、あたしは皆の前に立って、出来ることなら全ての力から皆を守りたい。千獣のような強さが欲しいんだッ」
 また少し、2人は沈黙をして……千獣は小さく苦笑をした。
「なか、なか……上手、く、いか、ない、もの……だね……」
 頷いたキャトルの目はとても暗かった。
 なりたいけれど、そうなれない。
 その葛藤とずっと戦っているのだろう。
 千獣も、今、抑えきれないほどの感情と戦っている。
 今すぐにでも、アセシナートに突入したい気持ちは、恐らくキャトルと同じだろう。
 だけれど、大切な者を守るために。
 自分ができることをするために、仲間達と共に在る。
 負傷にしても自分が受けた方がダメージが少なく、治療も早いということが分かっているから。
 自分の役割というものを、仲間と行動している時には感じ取って動いている。
「だけどね、千獣」
 キャトルが淡い笑みを浮かべながら、語り始めた。
「千獣が、皆の前に立つことが、適任だっていうのなら……あたしもやっぱり適任なんだよ。あたしは死なないんだ」
 初めて聞く話に、千獣の体がピクリと震えた。
 千獣とキャトル。
 出会いは、フェニックスの聖殿であった。
 それから、何度か行動を共にし、会話をしてきたけれど……。
 まだ互いのことをよくは知らなかった。
 キャトルは千獣が何故、強いのか、何故獣化が出来るのか、どれだけの時を生き、どんな風に生活をしているのか、その一切を知らない。
 千獣もまた、キャトルの魔力が何故高いのか、どんな能力を持っているのか、彼女の実家がどこにあり、どんな暮らしをしてきたのか……一切知らなかった。
「あたしのこの肉体は、仮初の肉体なんだ。この肉体が滅びた時、あたしは別の世界で、欠陥のない体で生活ができるようになるんだよ」
 言葉の意味がよくわからなかった。
 千獣はそれでも黙ってキャトルの話を聞き続ける。
「簡単に言うとね、ここの世界で死んだ後、天で生きられるってこと。そこには先に行ってるお姉ちゃん達が沢山いるんだ。あたしの本当の世界はそっちなんだよ」
 この聖都には、異世界から訪れる人々が多く存在する。
 キャトルもまた、異世界の人物で――その世界に渡る手段が、この世界での死だというのだろうか。
 漠然と、千獣はそう理解していった。
「だから、あたしは死んでもいいんだ。死ぬことは怖くない。でも、皆は死んだらそれで終りだから。だから、絶対皆には怪我をさせたくないし、命を落とすかもしれないような真似させたくないんだ。そういう時には、死んでもいいあたしがッ、皆を庇わなきゃいけないんだよ!」
 キャトルの激しい感情を受けて、千獣は何も言葉を出せなかった。
 だけれど、彼女の感情を否定する気持ちだけは、千獣の中に強く生まれていた。
 上手く言葉にできない自分に、苛立ちを感じながら、千獣は思いを、力を込めて、ゆっくりと語り出す。
「できること、できない、こと、ある……したい、こと、したくない、こと、ある……してほしい、こと、してほしくない、こと、ある……キャトルが、それで、よくても、誰も、それで、いいとは、思わ、ない……ッ」
「……それもね、わかってるんだ」
 キャトルは、また少し顔に笑みを浮かべた。
「あたしと、一緒にいたいといってくれた人がいる。この世界にいてほしいって言ってくれた人がいるんだ。だから、あたしは、自分のこの命を粗末にしないって決めたんだ。あたしも、その人と、皆と一緒にいたいって思ってるから。でも……その人達が命を失うというのなら、絶対あたしは自分が代わりにならなきゃダメだと思ってるし、それは譲れない思いなんだよ」
 キャトルの気持ちは、分かるようで分からない。
 千獣にも、愛する人がいる。帰るべき場所がある。大切な人達がいる。彼等に命の危険が差し迫ったら、代わりに自分が――と思うだろう。
 だけど、何かが違う。何かを忘れている。忘れている……? 違う、理解できていない?

 2人の少女が理解していないのは、“自分がどれだけ愛されているか”ということ。
 千獣は、自分が愛する者達や、リミナ、ルニナに大切に思われ、愛されている。
 こうしてキャトルと交わり、助けようとすることで、キャトルにも慕われて、愛されていく。そしてキャトルの、庇いたい人になっていくだろう。
 キャトルにも、彼女を好いてくれている人達がいる。
 だけれど2人とも、人間と交わるようになって、まだ日が浅い。
 だから、理解出来ずにいる。
 いや、キャトルの方はある程度は分かっている。
 だから彼女は、薬を常に持ち歩いている。
 いつ、自分が最後の時を迎えてもいいように。
 だれも、悲しまずにすむように。
 ずっと前。他人に心を開くと決めたときに、ファムル・ディートに作ってもらった薬を。
 今も、肌身離さず。

 互いに、長い間沈黙をした後――。
 千獣は気持ちを切り替えるように、大きく息を吐いた。
「ねぇ……キャトル……約束、しよう……? キャトルは、キャトルの、大切を、守る……ルニナは、ルニナの、大切を、守る……私は、キャトルと、ルニナを……二人の、大切を、守る……だから……あの、人、取り、戻し、たら……カンザ、エラ、の、こと……お願い……」
 キャトルはこくりと頷いた。
「守ろうね、千獣。ファムルは絶対、カンザエラの人達の力になってくれるよ。……多分、そういうことも分かってたのに、ファムルにそういう知識があるって分かってたのに、あたしは、ファムルをこの件に関わらせないようにしてたんだ。あたしの、我が侭で。ごめん、ね。ほんとに、ごめん……」
 千獣は首を左右に振った。
 悪いのは、キャトルではない。
 悪いのは――。
 千獣は、ふと顔を上げて、その赤い瞳で遠くを見た。
 記憶の中のかの地。
 遥か遠く、国境の先を。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3087 / 千獣 / 女性 / 17歳 / 異界職】
【NPC / キャトル・ヴァン・ディズヌフ / 女性 / 15歳 / 魔力使い】

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸満里亜です。
千獣さんも、キャトルもルニナも、似た思いを抱えて生きているのですね。3人だけではなく、もっと沢山の人も、きっと……。
発注、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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