■インスピレーション・ドロウ■
藤森イズノ |
【7764】【月白・灯】【元暗殺者】 |
「どしたの。らしくないね」
「うん? どうして、そう思った?」
「だって、変だもん。この絵」
「はは。そっか」
キジルの自室空間にて。
紅茶とクッキーを運びに来たヨハネ。
第一声に、らしくないと言った、その理由は、キジルが手掛けている絵にある。
今日も今日とて、キジルは自室に篭って絵を描くことに没頭していた。
よくもまぁ、毎日毎日、飽きないものだ。
加えて、日々、完成する絵のクオリティが高い事にも感心させられる。
だが、一体どうしたことか。本日の作品は……何とも不出来だ。
決して下手なわけじゃない。寧ろ、完成度は高い。いつもどおり。
けれど、随分と荒れているのだ。色もタッチも、乱れている。
いつもと違う、一風変わった、アジのある作品と言えなくもないけれど……。
持ってきた紅茶に砂糖を入れながら、ヨハネは笑って言った。
「久しぶりだね。スランプ」
「……そうだねぇ」
ヨハネの言葉に苦笑を返したキジル。
どうやら、彼は今、アーティストとしてスランプに陥っているようだ。
ヨハネが言うように、久方ぶりの状況だ。二年ぶりくらいだろうか。
厄介なもので、スランプというものは一度陥ると、なかなか抜け出せない。
かと思えば、些細なことで、フッと復活したりもする。実に厄介な症状だ。
そんなスランプ状態に陥った場合、キジルはどうするのかというと。
彼は、筆を持つことを止める。
しばらく、絵を描くという行為自体を封印するのだ。
少々強引な手段かもしれないけれど、彼は、いつもそうしてきた。
好きなことを我慢している。そんな状態のキジルを見て、
ヨハネもまた、いつも、同じことを考えていた。
確かに、いつかは回復するんだけど。
見ていられないのだ。我慢している姿を。
キジルの決断に口を挟むべきではないと、今までは見て見ぬふりをしてきたけれど。
それも、もう限界だ。また、辛そうな顔を見るのは……嫌だ。
うん、と頷いて、ヨハネは決意した。
キジル好みの甘さに仕立てた紅茶を差し出し、ヨハネは提案する。
「たまにはさ、人物画を描いてみたらどうかな?」
「人物? うーん……」
「風景画ばかりだと、飽きてきちゃうんだと思うよ」
「そうかな。 んー……。でも、そうなるとモデルが必要になってくるわけで」
「だいじょぶ、だいじょぶ。うってつけの人がいるから」
「うん?」
「ちょ〜っと待ってて。今、連れてくるから」
「あ、おい。ヨハネ……。……。行っちゃった……」
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インスピレーション・ドロウ
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「どしたの。らしくないね」
「うん? どうして、そう思った?」
「だって、変だもん。この絵」
「はは。そっか」
キジルの自室空間にて。
紅茶とクッキーを運びに来たヨハネ。
第一声に、らしくないと言った、その理由は、キジルが手掛けている絵にある。
今日も今日とて、キジルは自室に篭って絵を描くことに没頭していた。
よくもまぁ、毎日毎日、飽きないものだ。
加えて、日々、完成する絵のクオリティが高い事にも感心させられる。
だが、一体どうしたことか。本日の作品は……何とも不出来だ。
決して下手なわけじゃない。寧ろ、完成度は高い。いつもどおり。
けれど、随分と荒れているのだ。色もタッチも、乱れている。
いつもと違う、一風変わった、アジのある作品と言えなくもないけれど……。
持ってきた紅茶に砂糖を入れながら、ヨハネは笑って言った。
「久しぶりだね。スランプ」
「……そうだねぇ」
ヨハネの言葉に苦笑を返したキジル。
どうやら、彼は今、アーティストとしてスランプに陥っているようだ。
ヨハネが言うように、久方ぶりの状況だ。二年ぶりくらいだろうか。
厄介なもので、スランプというものは一度陥ると、なかなか抜け出せない。
かと思えば、些細なことで、フッと復活したりもする。実に厄介な症状だ。
そんなスランプ状態に陥った場合、キジルはどうするのかというと。
彼は、筆を持つことを止める。
しばらく、絵を描くという行為自体を封印するのだ。
少々強引な手段かもしれないけれど、彼は、いつもそうしてきた。
好きなことを我慢している。そんな状態のキジルを見て、
ヨハネもまた、いつも、同じことを考えていた。
確かに、いつかは回復するんだけど。
見ていられないのだ。我慢している姿を。
キジルの決断に口を挟むべきではないと、今までは見て見ぬふりをしてきたけれど。
それも、もう限界だ。また、辛そうな顔を見るのは……嫌だ。
うん、と頷いて、ヨハネは決意した。
キジル好みの甘さに仕立てた紅茶を差し出し、ヨハネは提案する。
「たまにはさ、人物画を描いてみたらどうかな?」
「人物? うーん……」
「風景画ばかりだと、飽きてきちゃうんだと思うよ」
「そうかな。 んー……。でも、そうなるとモデルが必要になってくるわけで」
「だいじょぶ、だいじょぶ。うってつけの人がいるから」
「うん?」
「ちょ〜っと待ってて。今、連れてくるから」
「あ、おい。ヨハネ……。……。行っちゃった……」
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貰ったの……。灯だけの空間……。
ここは、本当に静かだね……。
こうして目を閉じると、世界で一人ぼっちになった気分……。
あ……ごめんね。三月。一人ぼっちだなんて……そんなことあるわけないよね。
だって灯には、三月がいるもの……。いつでも、一緒だもんね。ね。三月。
ヒヨリに頼み、用意してもらった自室空間。
何度も足を運ぶ内に、自分の空間もあったほうが便利だと思った為に与えて貰った。
オネやヒヨリのように、ずっとここで暮らすわけにはいかないけれど。
こうして自分だけの空間があれば、動きやすい。
与えられた空間は、とても広い。
けれど、灯は、空間の片隅しか使わない。
今までも、これからも、彼女は片隅しか利用しないだろう。
今日も今日とて。その片隅で、灯は膝を抱えて座り、目を伏せてジッとしていた。
具合が悪いわけではない。瞑想しているわけでもない。
ただ、こうして目を伏せて。流れる時間を感じている。
時なき空間に流れる、不思議な時間を感じている。
今日は少しだけ……冷たい感じがする。
嫌な冷たさじゃないよ……ひんやりと……心地良い冷たさ。
流れる時間への感想を抱いていた、そのとき。
ストン、という音が聞こえた。
ふっと目を開け、顔を上げる灯。
「あ。ごめんね。何か邪魔しちゃった?」
目に映るのは、申し訳なさそうな顔をしたヨハネ。
誰かが、この空間に向かってきていることは、数分前から感じ取っていた。
小さく無邪気な、その足音が、おそらくヨハネのものであろうことも感じ取っていた。
「ん……。大丈夫。どうしたの……?」
灯が尋ねると、ヨハネはニコリと笑って言った。
「灯ちゃんにね。モデルを御願いしたいんだ」
「……もでる?」
「うん。絵のモデル」
「ヨハネって……絵、描くっけ?」
「あ、ううん。僕じゃなくてね。キジルが描くんだ」
「ふぅん……」
ヨハネの兄であるキジルが絵を描くことを好むことは知っている。
その完成度が高いことも、何度か作品を見ているから知っている。
けれどキジルは、人物の絵は描かないはず。
彼がいつも描いているのは、風景画。
とても綺麗な森や街、お城や海をキジルは描き出す。
聞いたことがあった。これは、どこにある景色なの? と。
返ってきた答えは 「わからない」
彼は、実際に存在する景色を絵にしているのではなくて。
頭の中で、こんな景色や風景が、どこかに在れば良いなと思った上で筆を走らせる。
想像力豊かで、温かく、優しい人。灯のキジルに対する印象は、そんな感じだ。
キジルが描く絵の柔らかさが好きな灯は、首を傾げた。
そんなキジルが、どうして人物画を描く気になったのか。
首を傾げている灯に、ヨハネは詳細を明らかにした。
キジルが、ちょっとしたスランプに陥っていること。
そこから抜け出させる為、気分転換に人物画の描画を薦めたこと。
事情を聞いた灯は、そういうことならば、と立ち上がり、モデルを引き受けた。
「ん……。わかった。いいよ」
「本当! ありがと! じゃ、キジルの部屋に行こ」
「ん……」
*
キジルの自室空間。絵の具の香りに満ちた空間。
あちこちにある植物のお陰だろうか。空気が澄んでいるような気がする。
空間に入り、ゆっくりと頭を下げて挨拶をした灯。
ヨハネが言っていた "モデルにうってつけの人" というのが灯だと知ったキジルは、
ソファへ灯をエスコートしながらクスクスと笑った。
「そっか。灯ちゃんか……」
呟くように言ったキジルへ、ヨハネがフフンと笑って言う。
「どう? うってつけでしょ?」
「ふふ。そうだね」
うってつけ……というのは、どういうことだろう。
灯はソファに座り、うん? と首を傾げた。
「あぁ、ごめんね。ちょっと前にさ、ヨハネに言ったことがあるんだ」
「うん……?」
「もしも人物を描くなら、灯ちゃんを描いてみたいなって」
「ふぅん……。そうなの……」
「うん。で、さ。灯ちゃん」
「うん……?」
「人物を描くなら、ヌードを描いてみたいんだ。俺」
「ぬーど……」
「あ。嫌だったら、断ってくれて構わないよ」
描くのなら、ヌードを描きたい。その要望を伝えたキジル。
要するに、裸を描きたいということか。
そういえば、誰かが言っていた。
絵画の追求、その終着の一つに、ヌードはある、と。
絵は好きだけど、観る専門。描き手の気持ちは把握しきれないけれど。
何も身に着けていない、まっさらな状態を……芸術と呼ぶのかもしれない。
アートへの追求を続ける人が、一度は通る道ならば。
キジルの画家としての可能性を広げることに役立つのならば。
灯は、しばらく考え込んだあと、小さな声で返答した。
「別に……いいよ」
ヌードモデルを了承したことに、キジルは喜ぶが、ヨハネは驚いていた。
別に、おかしなことをするわけじゃないけれど。
年頃の女の子が、男の前で素っ裸になるなんて。
恥ずかしいとか、そういう感情はないのだろうか。
適当な位置に座って、腕を組んでいるヨハネは、そんな疑問を抱いた。
モデルの機嫌を損ねてしまっては台無しだ。
了承してくれたのなら、すぐさま作業に取り掛からねば。
そう判断したキジルは、いつもの席にそそくさと移動し、
灯に、じゃあ、服を脱いでくれるかなと告げようとした。
だが。
「全部……脱いでいいんだよね……?」
キジルが言うより先に、灯は次々と服を脱いでいった。
「あ。えーと。うん」
拍子抜けしつつも頷いたキジルとは反対に。
「うわわわわわわ……」
躊躇なく服を脱いでいく灯に、ヨハネは困惑した。
大きなクッションに顔を埋めて、耳まで真っ赤に染めている。
脱いでいる灯は、至って普通。いつもどおりのポーカーフェイスだ。
脱ぎながら、時々、誰かと会話しているかのように言葉を口にした。
大丈夫だよ、別に減るもんじゃないし、それらの発言から、
灯は、自身に憑いている、例の天使と話しているのだろうと理解したキジル。
恥ずかしいなら、外に出てろよとヨハネに助言しつつキジルは笑った。
けれどヨハネは、そんな逃げるような真似できないよと踏ん張る。
どうやら、ヨハネもまた、いつかは絵描きとして生きていきたいと考えているようだ。
未来の為に……とはいえ、15歳の少年に、歳の近い女の子の裸は刺激が強い。
キジルのように平然としていたくとも、なかなか難しい。
そうしてヨハネが奮闘している間に、灯は素っ裸になっていた。
「これでいい……?」
首を傾げて確認する灯。
普段から身につけている長いマフラーや腕輪も全て取っ払った状態。
生まれたままの姿となった灯を見て、キジルは、いてもたってもいられなくなった。
準備していた筆を置き、スタスタと歩み寄って、灯をギュッと抱きしめる。
「ん……?」
キジルの抱擁を理解できずに、また首を傾げた灯。
あどけない、幼い顔に不似合いな……無数の傷跡。
普段は隠れていて見えないけれど、灯の身体は傷だらけ。
彼女の身体に刻まれている傷は『傷移し』の能力によるもの。
他人の傷を、自分の身体に移す、特殊能力だ。
灯の身体にある傷は、今まで、彼女が人を救った数とイコールで結ばれる。
目を凝らさねば見えぬほどに薄く小さな傷も多いが、
思わず目を逸らしたくなるほど、大きく深い傷もある。
ほとんどが 『傷痕』 なのだが、中には『生傷』 もある。
おそらく、自分の身体に移して、まだそれほど時間が経過していないのだろう。
刻まれた傷は、どんなに小さく浅くとも、決して消えることなく、痕になって身体に残る。
とても綺麗な肌をしているのに。どうして、こんな不釣合いな……。
辛そうな顔をしているキジルを見て、灯は理解した。
そして、小さな声で呟く。
「……気にしないで。絵……描かないの?」
「あっ、うん。ごめんね。それじゃあ……」
灯を腕の中から解放し、席へと戻って筆を手に取ったキジル。
どんなポーズを御願いしようか……そう考えたときだった。
「あれっ?」
ようやく、裸の灯を直視できるようになったヨハネが、何かに気付いた。
どうした? と尋ねるキジルへ、ヨハネは耳打つ。
ボソボソと、灯には聞き取れぬ声で。
何かを耳打たれた後、キジルは少し神妙な面持ちで、灯へポーズの指示を飛ばした。
「灯ちゃん。背中をこっちに向ける感じで、斜めに座ってくれるかな」
「うん……。顔は……どっち向けばいい?」
「顔はね。少しだけ俯いて。そのまま、動かないでね」
「うん……。わかった……」
描画開始から、どのくらいの時間が経過しただろう。
静寂の中、キジルが筆を走らせる音だけが、響いていた。
キジルは真剣そのもの。隣で描画工程を見ているヨハネも神妙な面持ち。
描かれていた灯は……俯いたまま、微動だにしなかった。
動かないで、と確かにそうは言ったけれど。
ピクリとも動かない。呼吸すら、していないんじゃないかと思わせるほどに。
時折不安になって、キジルは筆を走らせることをやめ、灯を見つめた。
しばらく見つめていると、可愛らしく睫が揺れる。
そうして、灯の瞬きを確認すると、またキジルは筆を走らせた。
その繰り返し。何度も何度も繰り返されて……遂に、絵が完成する。
「灯ちゃん」
キジルが少し、声を張って名前を呼んだ。
そこでようやく、灯はハッと我に返り、顔を上げた。
ズキンと首の裏に痛みが走ったのは、ずっと俯いたまま動いていなかったから。
「……できた?」
「うん。おつかれさま。はい、これ」
淡く微笑み、キャンバスを差し出したキジル。
受け取ったキャンバスには、とても美しい少女の姿が描かれていた。
全体を黒で塗りつぶした後、その黒が乾き切らぬ内に、
上から、滲ませるようにして、白で描いた絵。
閉じ込められた闇の中、翼を休める天使のような姿。
描かれている自分の姿の美しさに驚きを隠せない。
だが、それと同時に、首を傾げさせられる点も一つあった。
描かれている灯は、背中を向けた状態で俯いている。
真っ白な、吸い込まれそうなまでに美しい背中。
その背中に……蝶のようなものが描かれているのだ。
自分の背中に、蝶なんていない。
そう思うが故に、灯は指摘した。
「……灯の背中に、蝶々さんはいないよ……?」
灯の言葉に、顔を見合わせてクスクス笑うキジルとヨハネ。
キジルに言われて、ヨハネは大きな鏡を空間の隅から持ってきた。
その鏡で、灯の背中を映す。
「灯ちゃん。鏡。振り返って、見てごらん」
「……?」
首を傾げながら、言われるがままに振り返ってみる。
鏡にうつる自分の背中を見て、灯は、思わず息を飲んだ。
刻まれた傷が、蝶のように見えるではないか。
浅い傷と深い傷、それがコントラストを生み、立体感さえ表現している。
自分の背中を見るなんて、そうそうしないことだ。
そうか。移した傷は……こんなところで、蝶へ姿を変えていたのか。
灯の背中の傷が、蝶のように見えることに気付いたのはヨハネだ。
これは錯覚の一種。見えない人には、どう足掻いても蝶には見えない。
そこに気付いたヨハネを、キジルは褒めた。
アーティストとしての才能があるんじゃないか、と。
*
素敵な絵を描かせてくれて、ありがとう。
キジルが言った、その言葉を思い返しながら、自室空間へと戻る灯。
プレゼントされた絵を、何度も何度も見やる。
灯の背中には……蝶々さんが、いたんだね。
ねぇ、三月。灯ね、ちょっとだけ、おかしなことを考えてるんだ……。
三月のように、大きくて綺麗な白い翼ではないけれど……。
いつか、一緒に飛べるかな。蝶々さんの羽で。
灯も、一緒に飛べるかな。
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■■■■■ CAST ■■■■■■■■■■■■■
7764 / 月白・灯 / ♀ / 14歳 / 元暗殺者
NPC / キジル / ♂ / 24歳 / 時守 -トキモリ-
NPC / ヨハネ / ♂ / 15歳 / 時守 -トキモリ-
シナリオ『インスピレーション・ドロウ』への御参加、ありがとうございます。
灯ちゃんの背中に、蝶のトリックアート。という感じでした。
自然と描かれた、その蝶を宿す綺麗な背中を描けたことで、
キジルは自分のスランプが、いかに小さく憐れなものか…と悟ったようです。
キジルが描いた絵は、アイテムとしてプレゼント致しました。
どうか、大切にしてやって下さい。
以上です。不束者ですが、是非また宜しくお願い致します。
参加、ありがとうございました^^
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2008.10.31 / 櫻井かのと (Kanoto Sakurai)
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