■【楼蘭】菫・黒怨■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
 黒い灰が舞う。
 まるで火山灰のように足元に降り積もり、踏みしめればきゅっきゅと音が鳴る。
 近くに山はない。ここは開けた平野のはずだった。
「最近晴れないわね」
「それに…なんだか息苦しいわ」
 まさに井戸端で女たちは語り合う。
 洗濯物を洗おうにも、桶や樽にも灰は降り積もり、まずそれを洗うだけで一苦労。
 このまま晴れなければ作物だって育たない。育たないだけではない。枯れてしまう。
 加えて、弱い老人や子供から変な奇病にかかり始めた。
 最初は水疱瘡かと思っていたが、徐々に赤黒い痣に変わり、最後には真っ黒となって死んでしまうのだ。
 少しでも病の拡散を防ぐため火葬すれば、一片の欠片さえも残らず灰と化してしまった。





「お願いがあるんだ」
 遠い空を見つめ、瞬・嵩高が振り返る。
「あの村を囲う4つの場所に、呪符が埋められていると思う。それを探し出し、燃やしてほしい」
 そうすれば、この空は晴れ、病の源も消えるだろう。
「私かい? 私は、今病にかかっている人々に薬を届けるさ。それが、薬師たる私の仕事だからね」
 いい分業だろう? と瞬は気弱に微笑む。
 ほぼ東西南北に埋められているだろう符には、それぞれ符を守る何かしらが有る(居る)はずだ。それを退けなければいけない。
「手に負えないと判断したならば、逃げるんだ。いいね。無理はしちゃいけない。逃げるんだよ」
 そう言って瞬は何かを手渡すと、村へ向かって軽く駆け出していった。





 来るだろう。あやつは来るだろう。
 人々の病を治すために。
 それが罠だと分かっていても―――



【楼蘭】菫・黒怨






 黒い灰が舞う。
 まるで火山灰のように足元に降り積もり、踏みしめればきゅっきゅと音が鳴る。
 近くに山はない。ここは開けた平野のはずだった。
「最近晴れないわね」
「それに…なんだか息苦しいわ」
 まさに井戸端で女たちは語り合う。
 洗濯物を洗おうにも、桶や樽にも灰は降り積もり、まずそれを洗うだけで一苦労。
 このまま晴れなければ作物だって育たない。育たないだけではない。枯れてしまう。
 加えて、弱い老人や子供から変な奇病にかかり始めた。
 最初は水疱瘡かと思っていたが、徐々に赤黒い痣に変わり、最後には真っ黒となって死んでしまうのだ。
 少しでも病の拡散を防ぐため火葬すれば、一片の欠片さえも残らず灰と化してしまった。


「お願いがあるんだ」
 遠い空を見つめ、瞬・嵩高が振り返る。
「あの村を囲う4つの場所に、呪符が埋められていると思う。それを探し出し、燃やしてほしい」
 そうすれば、この空は晴れ、病の源も消えるだろう。
「私かい? 私は、今病にかかっている人々に薬を届けるさ。それが、薬師たる私の仕事だからね」
 いい分業だろう? と瞬は気弱に微笑む。
 ほぼ東西南北に埋められているだろう符には、それぞれ符を守る何かしらが有る(居る)はずだ。それを退けなければいけない。
「手に負えないと判断したならば、逃げるんだ。いいね。無理はしちゃいけない。逃げるんだよ」
 そう言って瞬は何かを手渡すと、村へ向かって軽く駆け出していった。


 来るだろう。あやつは来るだろう。
 人々の病を治すために。
 それが罠だと分かっていても―――















 この惨状に嫌な感じを覚え、千獣は村へと向かう瞬の背中に声をかける。
「あなたは、大丈夫、なの……?」
 その問いに瞬は足を止め、ふわりと微笑んだ。
「そうそうの病や呪で私は倒れないよ」
 それは人ではなく、仙人だから? いや、聞きたいことはそんなことじゃない。けれど、上手く言葉に出来なくて。
「無理、しないで、ね……」
「君もだよ」
 千獣は小さく頷く。瞬はその頷きに満足したように、村の中へと駆けて行った。
 さぁ、ここからは分担作業だ。
 千獣は村の入り口に背を向けて、瞬が言っていた4箇所へ呪符を燃やすために駆け出す。
 向かうはまず北の地。
 村を囲うように立っている尖塔の真下で寝そべる黒い獣。虎だ。
 千獣の瞳が鋭くなる。
 こんな風に村1つに災いを降り注ぐような力を持った呪符だ。その無効化、又は守るために何かしらの呪がかけられていてもおかしくは無い。
 ならば、あの虎は、呪符の守りか。
 虎は千獣の気配に気が付き、その頭をゆっくりと持ち上げた。
 黒い虎は鋭い牙で千獣を威嚇する。その様は、昔生きていくために対峙した獣たちの行動によく似ていた。
 けれど、たった一つだけ―――違っていた。
「……造り、もの…」
 そう、あの虎は生きていない。生き物ではない。呪で作り出された架空の動物。けれどその牙や爪は本物。油断していたら、こちらがやられる。
 千獣は臨戦態勢を取る。
 態勢を取りはするが、目的は呪符を焼くこと。
 瞬が渡してくれた道具は、どんな効力を持っていたとしても呪符を焼ききることが出来る。そういったものだった。
 簡単な宝貝である。
 千獣は地を蹴り、獣が守っているであろうその背後へと回り込む。
 見た目に比べスピードは千獣とは比べ物にならないほど遅い。
 虎は振り返りざまその身を消していった。

 まず1つ。次は東だ。



 東の守りを勤める獣は、やはり黒かったが鳥だった。
 大きな翼で羽ばたき、千獣に向かってそのスピードを生かした風と重力をぶつけてくる。
 千獣は両手で頭を守るようにクロスさせて鳥の滑空を防御すると、その背後にあるだろう呪符に視線を向けた。
 鳥から受けた両手の傷はもう癒えている。それに、あの鳥は、スピードはあるが攻撃力は低い。
 千獣に少しのダメージも与えることが出来ない。ダメージが蓄積されないということは、その歩みを止めることも出来ないということ。
 千獣はただ時々突っ込んでくる鳥をガードするだけで、呪符までたどり着き、その呪符を燃やすことが出来た。
 呪符が灰になると同時に消える鳥。
 ここまでは千獣の敵ではなかった。
 ふと村の空を見る。
 呪符を二つ燃やしたというのに、村に降り注ぐ灰の空は一向に晴れる気配がない。
 きっとまだ鍵となる呪符を燃やしていないのだ。
 急ごう。
 千獣は3枚目の呪符。南の地へと急いだ。



 やはり、3匹目の獣も黒かった。
 だが、大きさは前の二匹と比べると小さい。
 3枚目の守りの獣は猿。
 猿に似合わぬ牙と爪で、千獣をただ見据えていた。
 先ほどの二匹と違い、どうもこの猿は格段にレベルが上がっていそうだ。
 理屈で分からなくても、感覚で理解して千獣は自然と警戒に眼を細める。
 どちらが先に動くか。絡み合う視線がその間合いとタイミングを計る。
 動き出すならば同時。遅れれば負け。
 それがはっきりとしている瞬間がやがて来る。
 けれど、千獣は負けるつもりは無い。たとえ戦った場合不利だったとしても、結果的に呪符を焼くことが出来れば千獣の勝ちなのだ。
 だから戦いの勝敗はどうでもいい。
 いかにあの猿をやり過ごし、その背後にある呪符に近付くか。
 頭を使う人ならばここでいろいろ策を練るのだろうけれど、千獣にはそういったことをする回路は無い。
 ただ純粋に真っ直ぐに。
 黒い灰が舞う。
 その欠片が、足元に落ちた。
 千獣と猿は同時に地を蹴った。
 牙を剥き長い爪を振り上げる猿。そのスピードは先ほどの2匹の比ではない。
 防御した千獣の皮膚から鮮血が噴く。だが千獣はそれにも顔色一つ変えることなくただ前に進んだ。
 もしこれが生身の撃退者だったら、この千獣の行動に戸惑いを見せたかもしれない。けれど、猿には感情も生気も無い。ただ単純に突っ込んでくる千獣を排除することだけを忠実に実行した。
 どれだけ切り傷を作っただろう。だがその傷は受けたそばから回復していく。だから、千獣の身に残っているのは、血で赤黒く染まった服や身をくるむ布のみ。
 ボッと千獣の目の前で呪符が焼き捨てられる。
 猿は断末魔の声さえも鳴く、消えうせた。
「……あと、1、つ」
 千獣は踵を返す。
 最後、西の地に向けて。



 禍々しい気が渦巻いていた。
 最初の二匹と比べれば猿も相当な攻撃力を持っていたが、それさえも赤子のように感じられるほど大きな気が。
 鍵の符は、この西の地―――だったのだ。
 4つの符によってバランスを保っていた呪が、他の符を失くすことによって鍵が活性化されてしまった状態。
 危ない。
 本能がそう告げる。
 逃げても良いと言っていた。
 無理そうならば、逃げろと。
 仙人の力はシンプルでありながら強大。そんな仙人と呼ばれる人達に比べれば千獣の力なんて小さなものかもしれない。けれどそんなことは些細なことでしかない。
 誰かが自分の後ろに居てくれる。それだけで大きな力を貰ったような気がした。
 瞬は自分を頼って任せてくれた。その思いに答えたい。
 千獣はゆっくりと瞳を閉じ、決意を込めて開く。そして、肌にピリピリと突き刺さるようなプレッシャーを感じながら、ゆっくりと歩を進めた。
 視線の先、俯いて立つ最後の砦に、千獣は眼を見開いた。あまりの驚きに唇が薄く開く。
 目の前。待ち構えるように立っていたのは、二本足で立つ狼。その姿は、千獣の統一体としての姿によく似ていた。
 狼はゆっくりと顔をあげる。そして、輝きの無い漆黒の瞳に千獣の姿を映すと、グルル…と喉を鳴らした。
 まるで合わせ鏡だ。相手も自分の間合いを知っている。この手の罠には良くある話だが、かといって楽になるわけでもない。相手の動きを捉えながら、視線の端で呪符が隠されている場所を探る。
 千獣の注意が狼から外れた一瞬だった。
「………っ…!!」
 ズズズズ…と、踏ん張った自分の足が、地面に筋を作る。
 重たい一撃だった。
 受け止めた両手はなぜか火傷のように爛れている。
 どうやら姿は千獣の統一体とほぼ同じだが、持っている能力は呪の力がある分あちらが上か。
 千獣はぐっと足に力を込め、地面を蹴る。走りながら背から翼を生やし、流れる風の如く迎え撃とうとした狼の拳を空に向かって避ける。
 第一打が外れた程度で狼の態勢が崩れるわけも無く、すぐさま後ろに降り立つ位置にいる千獣に回し蹴りを仕掛けてきた。
「…っく……」
 お互い背中合わせの状態から繰り出された蹴りにガードが遅れ、千獣は側面を激しく強打する。吹き飛ばされてはここまで近付いた距離が水の泡だ。
 何とか踏ん張り、千獣は瞳を鋭くすると、蹴りの反動で動きが鈍った隙を付いて、腕を伸ばし狼の頭を掴むと、その身体を思いっきり投げ飛ばした。
 反動を利用して狼はバランスよく地面に降り立っていたが、少しの時間が稼げればいいのだから、相手のダメージなんて今は気にするところではない。
 千獣は懐から呪符を燃やす宝貝を取り出す。
 そして、それを使おうとした瞬間だった。
「かはっ!!」
 真後ろからの突き。手から宝貝が落ちる。
 態勢を崩した千獣を畳み掛けるように、狼はその頭を掴んでそのまま地面にたたきつける。
 不自然な破壊音と共に千獣の身体が地面にめり込む。
 負けない。
 負けられない。
 千獣はよろよろと立ちあがる。そして、ただ一点、呪符に向かって歩き出す。
 絶対に、助ける!
 繰り出された蹴りを掴む。そして、先ほど自分がやられたように今度は千獣が狼を地面に叩きつけた。
 深くめり込めばそれだけ戻ってくるのに時間がかかる。
 千獣は走った。
 宝貝を拾い、そして――――

















 雲は晴れた。
 晴れた、けれど!
 千獣は嫌な予感がして村に走る。
 灰の雨が止んだことに人々が喜び合っているはずが、村人はただ静かに一箇所に集まりおろおろと不安そうに顔を見合わせていた。
「師父!!」
 師父というのが誰をさしているのか分からなかったが、通り過ぎようとした人だかりの隙間から見えた人影に、千獣ははっとして人を掻き分けた。
「……通、して…!」
 見知らぬ青年に抱えられた瞬は、青白く、下手をすれば直ぐにでも土色に変わってしまいそうな顔色で、倒れていた。
「…どう、して!?」
 呪符は全部燃やしたのに、村から病気を降らす黒い雲は消えたのに、何故今、瞬が倒れているの?
 しばし呆然と倒れた瞬を見ていた千獣だったが、はっと我を取り戻すと瞬に駆け寄った。
「――お前は?」
 青年は駆け寄った千獣に怪訝そうな視線を向ける。それは千獣も同じだったが、先ほどの叫びと同じ声だと気がつき、自分のことを青年に話した。
「そうか。すまなかった。私が遅れたために世話をかけた」
 青年はそれなりに重さもあるだろう薬箱を腕にかけ、軽々と瞬を抱き上げると村の外に向かって歩き出す。
「……待って……!」
 千獣はそのまま去ってしまおうとする青年を追いかけ、その服のはしを掴んで歩みを止める。
 眼を細めて振り返った青年は、きつい眼差しで千獣を見下ろす。それでも千獣は聞かずにはいられなかった。
「…瞬、は――…」
 どうしてしまったの?
「お前が知る必要は―――」
 小さな声が青年の名を呼び、冷たく言い捨てようとした言葉が止まる。薄らと意識を取り戻したらしい瞬の視線を受け、青年――桃(タオ)は、一度悔しそうに唇を噛み締め、ゆっくりと口を開いた。
「反呪だ」
 そう言われても千獣は楼蘭の民ではないため、それが何なのか分からない。けれど、目の前の現実はそれが良くないものだと告げている。
「娘。お前を責めはしない。だが、赦すこともしない」
 桃はきつく言い捨てると、印を組み、瞬を連れて一瞬でその場から消えてしまった。
 千獣は眼を瞬かせる。訳が分からなかった。なぜ、そんな事を言われなければいけないのか。問い返そうにも二人はもうこの場には居ない。
 だが、一つだけ分かっていることがある。青年は瞬を思い、自分には知らない絆があるのだということ。
 だから、
「……きっと、大丈、夫……」
 瞬はもう心配ない。
 その確信だけが、千獣にとって救いだった。

























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】菫・黒怨にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 桃との初対面となりましたが、かなりギクシャク状態です。桃と関わるようなシナリオを用意しておりませんのでどう改善できるのか当方も予測が付かないのが申し訳ないです。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……


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