■月の旋律―第五話―■
川岸満里亜
【3677】【ルイン・セフニィ】【冒険者】
●テルス島領主の館
「侵入した敵兵を捕らえることに成功したもようです」
 兵士からの報告に、領主の執務室に集っていた者達から安堵のため息が漏れる。
 ガチャン――。
 しかし、突如カップが割れる音と共に、男性が1人崩れ落ちた。
「お父さん!?」
 ミニフェ・ガエオールが床に膝をつき、胸を押さえている父の前に駆け寄る。
「発作ですか? くっ、こんな時に……」
 ミニフェの夫、ギラン・ガエオールも心配気に領主、ドール・ガエオールに近付いた。
 顔色を見て、首に手を当てて脈を診る。
「あまり良い状態ではありませんね。大陸の医者に診ていただいた方がいいと思います」
「それは……」
 ミニフェが不安気にギランを見る。
 ギランは彼女に頷いてみせた。
「島を出ましょう。……降伏して」
「いかんっ」
 領主が苦しげに声を出す。
「こちらが優勢だと報告を受けている。全て、退けるまでは、なんとしても……ぐっ……」
「お父さん!?」
 領主ドール・ガエオールが意識を失い、床に倒れる。
 集っていた兵士達が、急ぎ領主をソファーに寝かせ、脈や呼吸の確認を行なう。
「急いで船を出す必要があります。わかるね、ミニフェ」
 ギランの言葉に、ミニフェは不安気な目で頷いた。

●交渉の場にて
 現れたのは10代半ばくらいの少年であった。
 少年は少し離れた場所で立ち止まり、言葉を発する。
「私は、ザリス様の護衛のルーア・パレハイナです。ザリス・ディルダ様の命により参りました。ザリス様は、ジェネト・ディア様がアセシナートにお1人で来られた場合、ファムル様が望まれるのならエルザードに帰還してもいいと許可を出すと仰っています」
 それでは交渉にはならない。
 ジェネトを引き渡せば両方奪われてしまうだけだと、誰もが察した。
「また、ザリス様は聖都エルザードにお願いがあると仰っています。ザリス様は、好きでアセシナートについているのではありません。幼い頃、父親に連れられてアセシナートの研究員となり、それ以来アセシナートの為に働かされているのです。この機会にザリス様は聖都への亡命を望んでおられます。そうすれば、聖都の為に働き、あなた方の望みをもザリス様は叶えることができるでしょう」
 それは、意外な言葉だった。
 しかし、実にザリス・ディルダらしい言葉だとも言える。
『ザリスちゃんの父親は賢者という地位に固執する人物だったけれど、ザリスちゃんは地位にはあまり興味がなかったかもしれない。だから亡命という話も本気かもしれないな。研究さえ出来ればどこでもいい。聖都にくれば、ファムル君も私も、ファムル君の記憶や、自分の父親の記憶も私により、得られるだろうと。そしてこちらが提示した全ての情報も得られる。そう考えたのかもしれない』
 ジェネトは、声を発せず魔法で仲間に語りかけた。
 この案を飲んだのなら、ザリスは聖都に現れるかもしれない。
 飲まずに、ザリスの側近であるこの少年、ルーア・パレハイナに近付き、罠の場所に飛んで捕らえる……ことも可能だろう。
 ルニナが無事であるのなら、入れ替わることも出来る。いや、ジェネトが彼の中に入ることも出来るはず。

 ――忘れてはならないのは、ザリスの性格。
 彼女は滅多に力に訴えてはこない。
 物理戦は極力避け、知略戦を仕掛けてくる女だ。 

「証拠として、ファムル・ディート様もこちらにいらしています。証言していただくこともできますが、アセシナートの有能な研究員であるファムル様に皆様が危害を加えないという確証が無いため、少し離れた場所に待機していただいています。お1人でよろしければ、ファムル様のところにお連れすることができます」
 少年は淡々と言葉を発する。
 彼の言葉は、機械のように抑揚がなかった。
『月の旋律―第五話―』

●熟考の末
「少し、時間が欲しい」
 その申し出に、ルーア・パレハイナと名乗った少年は静かに頷いた。
 クロック・ランベリーは千獣に目配せをして、キャトルのいる岩陰へと向かった。
 ルーアから口が見えない位置に立つと、千獣は心の中の声に頷いた。
「ジェネト、魔力の、干渉、ないって、言ってる……魔法、で、声、聞かれ、ること、は、ない」
「私……行ったらだめだよね? ファムルのところ」
「当たり前だ」
 キャトルにそう答えた後、クロックは小声で語り始める。
「厄介な手だな。向こうの提案を飲むということは、奴の思惑通りに事が進むということだ。つまり、ファムルもジェネトも……そして、手駒として欲している聖都の人間や、ここにいるキャトルをも、手に入る案なのだろう」
「聖獣王が、許して、くれなかったら、無理、だから……聖都に、ファムルと、ザリス、両方、来て、もらって、王の、前で、その話、してもらうの、どうかな」
「王城に入れてしまえば、好きに出来るかもしれんが。俺は、強攻策に1票だな。奴の策にあわせるということは、奴の得意分野で戦うということだ。知略戦ではこちらに勝ち目は無い。こちらの土俵で戦わねばならん」
 クロックの意見は尤もだ。しかし……。
「こちらの、土俵に、つれて、くる、方法が、あれば……」
 ザリスはこの場に姿を現さなかった。
 しかし、彼女は欲しているモノが確実に手に入るのならば、姿を現すことを厭わないようだ。
「クロック、は……現れたら、戦う、の?」
 千獣の言葉にクロックは重々しく頷いた。
「生かしておけば、情報は得られるかもしれんがな……これからの奴の実験や、これまでの実験で犠牲になる者、なった者のことを考えると、そうも言ってられん。討てる状況が揃えば、強攻策に出る」
 でもそうしたら……カンザエラの人達を治す薬は出来ない?
 ルニナは思いを果たせない。
 千獣は大切な友達と、カンザエラの仲間達を思い、クロックに賛成することは出来なかった。
「でも、話……して、近く、呼んで、チャンス、見つけよ? ザリス、現れなきゃ、強行、も、できない、し」
「まあ、そうだな……」
 クロックが顔を顰める。
 ザリス・ディルダの策に乗りたくはないのだが、引き摺り出す方法がこれ以上出てこないのだから仕方が無い――。
 千獣とクロックは頷き合うと、岩陰から姿を現し、再びルーアと対峙した。
 息を付き、クロックが話し始める。
「まず、ジェネト・ディアがそちらに単独で向かうことはない。また、貴様の認識は知らんが、ファムル・ディートはそちらの研究員ではない。ザリス・ディルダにより拉致された聖都の住民だ。危害を加えることはない、本人かどうか確認がしたい。こちらに連れて来てくれ」
 ルーア・パレハイナは静かに首を横に振る。
「ファムル様はザリス様の有能な助手です」
「亡命、の、場合、ファムルも、一緒……?」
 千獣の問いには、首を縦に振った。
「お2人は、今後も共に研究を続けることを望んでらっしゃいます。亡命が果たされた場合には、必ず聖都エルザードの為になる薬や、魔道具を作り出し、平和と人々の健康の為に尽くされることでしょう」
 笑い飛ばしたくなるほど、馬鹿げた話だ。
 あのザリス・ディルダという人物に限って、そんなことはあり得ない。
 ――と思いはするが、クロックも千獣も、ザリスと深い会話をした事があるわけではないため、実際他人から聞いた彼女の人物像しか知らないのだ。
 父親に連れられてアセシナートに向かい、国の指示の下、非道な研究を仕方なく繰り返していた――それが本当であったとしても、彼女の研究により沢山の人が亡くなっている。強要されていて仕方なかったという弁明を受け入れることはできない。
「ファムルと、一緒なら、私は、来て、欲しい……。でも、保護、必要、なら、王の、許可が、必要……ファムルに、亡命の、使者として、聖都に、来てもらって、王と、話、してもらう。それで、いいなら、王に、お願い、してみる」
「……では、お2人一緒に。但し、これはザリス様の指示ではありませんが……お2人に何かがあった際には、ザリス様をお迎えする為に聖都エルザードに潜んでいる同士が許しはしないでしょう」
「脅しか」
 クロックは深いため息をつく。
 ザリスの指示ではないと言っているが、ザリスの指示に間違いないだろう。
 千獣もまた、拳をぎゅっと握り締め――だけれど、首を縦に振った。
「危害、加えない。だから、ファムルと、一緒に」
 ルーアは、千獣の言葉に頷き、クロックを見る。
 クロックは腕組みをしてしばらく考えた後、観念して息をついた。
「王への謁見の際には、全ての装備を外してもらう。謁見できるのは、ファムルとザリス、その2人だけだ。……亡命を乞う立場であることを忘れるなと伝えろ」
「分かりました。……実は、ザリス様は既に聖都エルザードに滞在しています。直に帰還し、王に話を通していただけますか?」
 これ以上考える間も、聖獣王と相談をする間も与えないという、相手の考えが伝わってくる。
『大丈夫、自分の周りにいる者くらいどんな力からも守れるさ』
 千獣は脳裏に響いたジェネトの声に、声を出さずにこう答えた。
『お願い、私も、物理、的な、力には、負けない、から』
 それから、ルーアに首を縦に振った。

●館
 行き先を決めた後、ルイン・セフニィは水槽に近付いた。
「やっぱり、コレは没収しておいた方が良いですよね」
 光を放つ石――キャンサーの力が凝縮されたものと思われる石を手に取る。
「……っ」
 軽く痺れを感じた。石の中に、強い力が不安定に流れている。生物を死に至らしめるものであるのなら、不安定な状態で持ち運ぶのは良くはない。だが、ここにおいておき、ルインが離れた後に何者かに利用されてしまうより、自分が持ち、その力を抑えていた方がいいだろう。
 石を布で包んで道具袋に入れる。
 それから、ルインは白衣を纏った壮年の男に、もう一度近付いて、朦朧と虚空を見つめている男の頭に再び手を当てた。
「こちらで行なわれていたのは、キャンサーに関しての研究だけですか? どのような成果が望めそうでしたか?」
「今は、キャンサー、のみ。制圧したら、所長、何か始めたかもしれない……」
 所長の名は、フラル・エアーダ。聞いたことの無い名だった。
「フラル・エアーダという人物も、既に島にいるのですか? どのような人物なのでしょう?」
「この上に、いる。優れた研究員。ザリス・ディルダ様の片腕」
 ザリス・ディルダ。その名はよく知っている。
 ファムル・ディートを攫った人物だ。
「それから、アセシナートについて色々教えてくれますか?」
 アセシナートは聖都エルザードの隣に位置する国だ。
 人とは相容れないほどの邪悪な存在や、強大な力を持つ魔物を取り込み、かの国は勢力を増大しているという。
 聖都エルザードへの侵攻はまだ本格的ではないが、大規模な侵攻も近いと多くの者は予想している。
「……政治や軍のことについては、まるで知らないようですね」
 その男からは、一般的なアセシナートの都市の情報や、関わっていたキメラや人体実験などの非人道的な研究についてのみ、得る事が出来た。
「では、行きましょうか」
 領主の傍にアセシナートの手の者がいるとなれば、この場所に長居はしていられらい。
 ルインは男を解放し……殺しはしなかったが、鳩尾に一発入れて、意識を奪うと上り階段の方へと向かう。

 アセシナートの魔術師、スリン・ラグサルの傷の具合を見て、さほど酷くはないと判断するとフィリオ・ラフスハウシェはテーブルクロスを引き裂いて、更にきつく縛り付ける。意識が戻った後も、一切身動きができないまでに。
「ルニナさんは……そうですね、シーナ・ラシルカと入れ替わってはどうでしょう? ある程度彼女の傷を塞いでからですが」
「うん、わかった」
「回復しますね」
 ルニナが疲れきった顔で頷くと、山本建一はまずルニナの体に手を当てて、彼女に回復魔法とかけ、魔力を分け与えた。
「ありがと……少し楽になった」
 ルニナの言葉に頷いた後、建一は目をシーナ・ラシスカに向ける。床に倒れたままの彼女の表情は見えない。
 フィリオと同じように、テーブルクロスを引き裂いて、彼女に撒きつけ、動きを奪っていく。
 息はあるが、意識はない。
 完全に回復させ、意識が戻ったのなら、ルニナの魔力など跳ね返すだけの力があるだろう。
 しかし、あまり酷い状態では、ルニナが酷く消耗しそうである。
 自分はしばらくここを離れることは出来なそうだ……。
 建一は顔を上げて、ウィノナ・ライプニッツを見る。
「ここは任せて行ってください、領主様のところへ。ミニフェさんは恐らく惚れ薬を飲まされています。夫のギラン・ガエオールが新の潜入者です。この女性やディラ・ビラジスは僕達の目を欺くための囮の役割も担っていたようです」
「分かった」
 その言葉を聞くや否や、ウィノナは食堂を飛び出した。
「お願いします」
 ファムル・ディートは薬を専門とした錬金術師であった。特に惚れ薬の調合は好んで行なっていたと聞く。
 薬で意のままに操り、弱らせる――判断材料はあったのに、こちらまで手は回らなかった。
 二重三重の手を打ってくる。実にザリス・ディルダらしい。
 建一は1人密かに苦笑した。
「……それじゃ、私のこと縛ってくれる?」
 ルニナが苦しげな息の下、そう言った。
 リミナは不安気に、姉や執務室へと向かったウィノナに目を向ける。
「分かりました」
 フィリオはテーブルクロスの切れ端で、ルニナの体を縛っていく。体に極力負担を掛けないように気をつけながら。
「私が見張ってますので、大丈夫です」
「私も何かあったら、ルニナのこと無理矢理にでも引き戻すから」
 フィリオとリミナの言葉に頷いて、ルニナは建一に近付き、彼の前に倒れるシーナ・ラシスカに手を伸ばした。
 一瞬で、2人の体が入れ替わる。
 フィリオはルニナを目隠しし、念のため身体を押さえつけておく。
 建一はいつでも魔法が発動できるよう、細心の注意を払いながらシーナの体を見守る。
「あー……なんか、色々と企ててたみたい。あと、あの女の性格の悪さが物凄く分かる。んー、どうもこの女性も、ザリス・ディルダも生い立ちが原因して性格捻じ曲がったみたいだね。元々そういう気質ではあったんだろうけど」
「ザリス・ディルダは今何処に?」
 建一が問いかけると、シーナに入ったルニナは目を開いて彼の顔を見た。
「本部。こちらの戦争が治まったら、こっちに来てここの所長から成果を見せてもらい、指示を出すつもりだったみたい。現在の状況はアセシナートにとって予想外らしいけれど、ザリスにとってはさして大きなことではないんじゃないかな。フェニックスの卵ほどに直に欲していたものではなかったみたいだから」
「こっちの所長とは?」
 フィリオがルニナの身体を押さえながら顔を向ける。
「ギラン・ガエオール。本名フラル・エアーダって男。大陸で勉学に励んでいたミニフェさんに近づいて薬で落として、結婚し、彼女の夫としてこの島に入り込み、暗躍を続けていたみたい。短期ではなく長期的な作戦だった。……アセシナートの研究施設は離れの地下にある。キャンサーの力を凝縮して、兵器を作り出そうとしていたみたいね。島の制圧に成功したら、生き残った人々は多分、実験台に使われる。このシーナという女性には研究に関する知識はないから、そっち方面は良く分からない」
 ルニナはふうと大きく息をつく。
「もう、戻る」
 そう言ったかと思うと、シーナの身体は意識を失った。
 代わりに、ルニナの身体に反応がある。
「ルニナさん?」
「うん。私」
「はい、確かに姉です!」
 リミナがルニナの身体に触れ、魔力を探ってそう言った。
 フィリオは頷いて、ルニナの身体を解放し、縛っていた布を解いていく。
「急ぎましょう」
 建一はシーナの身体を壊れた机の下に隠すと、執務室の方へと駆け出す。
 フィリオはスリンを同じように隠し、ルニナとリミナを気遣いながら、執務室へと向かう。

「待って! ボク、ファムル先生の薬を持ってるから、それを飲ませて! 病気は治せないかもしれないけど、それで体力は回復出来るはずだから!」
 執務室に飛び込み、交わされている会話を聞いてすぐ、ウィノナはそう叫んだ。
 途端、ギラン・ガエオールが鋭い目を向け、ウィノナの前には領主を守る島の警備兵が飛び出した。
「なぜ、そのようなものを持っている」
 ファムル・ディートの名は、この島ではアセシナートの騎士団の研究員――この島に作る研究所の所長となる人物の名だ。
「お父さんから聞いてるわ、確かその人は攫われた他国の人だ、とは……」
 ミニフェは疑いを含む目でこちらを見ている。
「そう、ボクの知り合いなんだ。とってもお世話になった大切な人! ファムル先生の薬、絶対役に立つから!」
 ウィノナは道具袋を手にして、兵士に警戒されながらも領主へと近付いていく。
「得体の知れない薬を飲ませるわけにはいきません。それよりも、すぐに船を出し、大陸へ連れていきましょう」
 ギランが前に立ちふさがった。
 途端、ウィノナは兵士の脇を素早くすり抜けて、ギランに向けて止刻の印を発動する。
 術はいとも簡単にかかった。
「この男は潜入者だよ。月の騎士団の一味なんだ。降伏させ、この島を手に入れるのが目的なんだ」
「ギラン? ギラン!?」
 倒れた父そして目を開いたまま動かなくなった夫に、ミニフェは激しく動揺をする。
「そんなわけないでしょ! この人はこの通り、魔法もなにも使えない非力な一般人なんだからっ!」
 信じてもらえない――ウィノナは拳を握り締める。
 だけど。
 ウィノナは冷静にゆっくりと語る。
「タリナ・マイリナって人のこと、知ってるの? 父親の親戚なら、ミニフェさんの親戚でもあるんでしょ? ……あの人も、アセシナートのスパイだったんだ。本当の名はシーナ・ラシルカ。彼女から聞いて、全て知ってる」
「確かに私はよく知らない人だけれど、父が信頼している人よ!? 彼女をどうしたの? まさかあなたが……っ」
 ウィノナを兵士が取り囲んでいく。……その時。
 ドアが開き、兵士達とともに、建一とフィリオ、ルニナ、リミナが現れる。
「彼女が言っていることは本当です。その男はスパイです」
 建一が鋭い目でそういい、部屋に入ってくる。
 ウィノナはほっと息をつく。どうにか時間稼ぎに、成功したようだ。

●戦場
「打て!」
 ミッドグレイ・ハルベルクの掛け声と共に、波状に一斉に放たれた矢が新たに現れた敵魔術師達に向かっていく。
 弓兵の協力を得られなくなった本隊の方も、どうにか凌げそうではある。
「くっ……」
 魔術師が放った風は殺傷力はないが、台風以上に強風で、息がつまりそうになる。
 だが、その攻撃は敵兵をも苦しめている。位としては魔術師達の方が上位のようだ。
「左翼5人、魔術師を打て!」
 指示を出し、傭兵5名を魔術師の元に向かわせつつ、魔術師の気がそちらに向かった途端に、弓兵に一斉攻撃をかけさせる。
「私も向かっていいか? 気になることがある」
 アレスディア・ヴォルフリートが、槍を薙いで敵兵を1人打ち倒すと隊長のミッドグレイに確認をとる。
「構わない。アイツが心配だしな」
 分隊から敵兵――ディラ・ビラジスを追っていったケヴィン・フォレストが気掛かりだ。
 彼が向かった方向から、魔術師が現れたのだが、ディラとケヴィンは未だ戻らない……。

「羨ましいのなら、真似してもいいぞ」
 ケヴィン・フォレストがぽつりと言った。
 目の前には、アセシナートの騎士……騎士だった青年、ディラ・ビラジスの姿がある。
 上手い言葉など思い浮かばないが。とりあえず、迷いがあるというのなら好機、なんだろう多分。
 考えることを得意としないケヴィンではあったが、彼のことは心の片隅に引っかかってはいた。
 羨ましい――そう生きたいのならば、そう生きればいい。ケヴィンにとっては、それだけのことだった。
「聖都の奴等を見て、答えを出せばいい」
 眉間に軽く皺を寄せているディラの前で、ケヴィンは背に下げていたソニックブレイカーを抜いた。
「とりあえず、来い」
 全てはここを切り抜けてからだ。
「……どっちにつくかは分からないぞ?」
 2人の視線が合わさる――だが、空気は緊張していない。
 もう、戦場で剣を交えることはないだろう。そんな確信が互いの中にあった。
 それ以上互いに何も言わずに、2人は横穴から抜け出す――。

 敵の気配がないことを確認しながら、ケヴィンとディラは崖を上り井戸の場所へとたどり着く。
 海岸から少し距離はあるが、戦いの音はこの場所まで届いている。
「中に何が?」
 ぼそりと尋ねると、ディラはしばらく沈黙した後、同じようにぼそりと言葉を発する。
「研究所」
 領主の館である程度の情報を得ていたため、その言葉だけで多少の状況は把握できた。
 井戸に近付き、ケヴィンはかかっていた縄梯子に足をかけて、中へと下りていく。
 ……ディラはついてはこなかった。
 井戸の下には、薄暗いが明りがともされていた。
 通路の先にドアが見える。走ってドアに辿りつき、中を確認してみれば――機材や水槽が並んでいる。
 そして、倒れた白衣の男達。
 魔術師達が地上に出た後に、誰か島側の者が発見し打ち倒したらしい。
 情報も得ただろう。もう残しておく必要はない。
 そう判断し、ケヴィンは駆け込んでソニックブレイカーを振り、機材を破壊して回る。
 壁にも柱にも剣を叩き込み、瓦礫を作り上げていく。
 隣室も、生活できるスペースも不要。この島には全く必要のない施設だ。
 剣を振り回し、駆け回り破壊の限りを尽くすと、そのまま通路に戻り縄梯子の元に戻る。
 急ぎ井戸の外に出れば、ディラは無言でその場に佇んでいた。
 特に声は掛けず、軽く首を振って海岸の方に促し、ケヴィンが走り出せば、その後についてくる。
 彼は以前は使えなかった魔法を使ってきた。アセシナートの正規騎士でもあった男だ。
 味方にできればかなりの戦力になる。
 期待を込めて、僅かに後ろを気にしながらケヴィンは海岸へと急ぐ。

「ディラ殿は?」
 海岸付近にて、ケヴィンはアレスディアと遭遇する。彼女の黒装束や槍は、血の色に染まっており、戦いの凄まじさを物語っていた。
「後ろ、迷いがあるようだ。誘ってみたが、どう動くかは知らん。あと、研究所を壊してきた。こっちの戦況は?」
「五分といったところだが、騎士が加勢した場合は一気に不利になる可能性もある」
 アレスディアの言葉に頷いた後、ケヴィンは戦場へ。アレスディアは姿を現したディラの元へと駆ける。
「!?」
 アレスディアがディラの前に立ちふさがり、ディラが足を止める。
「……アセシナートに恩義を感じているなら、今からでもさっさと軍へ帰るがいい」
 目を鋭く光らせ、アレスディアは低く言い放つ。
「そうすれば次見えるときは心置きなく戦おう」
 ディラは何も答えず、目を逸らす。
 仏頂面のその顔は――なんだか叱られた子供のようだと、アレスディアは感じた。
 外見は立派な青年なのだが、良く見れば彼はかなり若い。
 若いから今までのこと全てが許されるというわけではないが……まだ、変わることは……いや、人の道を歩み始めることは出来るかもしれない。
 アレスディアは深くため息をついた後、槍で地を叩きディラを振り向かせ語りかける。
「何もないと言っていたな。アセシナートのために戦う理由もないということか? ならば、今より私と共に戦え。アセシナートから命じられたことなど、果たし終えたかもはや果たせぬだろう」
 彼が浮かべたのは戸惑いの表情であった。
 アレスディアは言葉を続ける。
「理由がいるなら私がそう言ったからで構わぬ。まずはこの戦い、領主殿、ならびに島に生きる人々のためにアセシナートを退けよ。アセシナートのような国のためにしか戦ったことがない者には、なかなか目にできぬものができる。それからだ、何かとは何か、考えるのは」
「誰かの為に、とか……そんな風には考えられない」
 人の為に戦うということが、愛する人のいないディラには分からない感覚だった。しかし……。
「けど、お前がそう言ったからでいいなら、そうすることにする。そういう理由で剣を振るってもいい」
 その言葉に、アレスディアは頷いた。
 今はそれでもいいだろう。
 戦いを終えた時、彼の目には新たな景色が映るだろうから。
 アレスディアは身を翻し、戦場へと走る。
 ディラもまた、同じ速度で駆けてくる。

 一足先に港付近に戻ったケヴィンは、背後から魔術師達に斬り込んだ。
 突然現れた敵――更にそれが崖から落ちたケヴィンであったことに、魔術師達は動揺を見せる。
「打て!」
 そこに、ミッドグレイの指示が飛び、弓兵達が一斉に矢を放つ。
 矢を風のバリアーで防ぐ魔術師に、ケヴィンが更にソニックブレイカーを叩きつけていき、1人1人打ち倒していく。
 駆けつけたアレスディアもまた、槍を突き出し、挟まれた魔術師は魔法の抵抗もむなしく全て打ち倒される。
 ディラはちらりとアレスディアを見た後、その場から駆け下り、混戦が続く戦場へと飛び込んでいった。
 落ちていた剣を拾い、向けた先は、アセシナートの兵。ミッドグレイも彼の剣の先がアセシナートに向かっていることに逸早く気付き、何も言わずに彼の参戦を認めた。
「隊を指揮している者は既に倒れた。雑兵の一人二人倒したところで戦況は変わらぬ」
 アレスディアは辺りを見回すが、敵軍を指揮している者の姿はない。
 戦場へ駆け下りて、捕虜として後方部隊に預けられている敵兵に近付く。
「確かグラン・ザテッドといったな。将はどこにいる」
 槍を向けて言うと、アセシナートの兵は目を船に向けた。
 アセシナートの軍艦から、時々爆発音が響いてくる。
 船上で、激しい戦いが繰り広げられているようだ。
 敵の大将を足止めしている人物がいる。
「一刻も早く、倒さねば」
 アレスディアは即座に駆け出し、槍を振るい敵を退けながら軍艦へと向かっていく。

●大陸へ
「ミニフェさん、あなたは薬で感情を操られているのです。長きに渡り、惚れ薬によってその男に心を奪われている。そして、領主の方は、タリナ……いえ、シーナ・ラシルカの魔術により同じように心を奪われていました。また、その男に薬も盛られていたようですね」
「貴様等……ッ、アセシナートの手の者か! 食堂に侵入した者の仲間だな」
 怒りの感情を向けるギラン、そして剣を向けてくる警備兵達に、建一は冷静に首を横に振る。
「そんな言葉に騙されてはいけません。侵入者は彼女達が倒しました」
 言って健一は、ウィノナを見、ウィノナは強く頷いた。
「確認が必要なら、食堂に行って確認してください。もし仲間ならば、一緒にここに攻め込んでいるとは思いませんか? 敵軍を退け、1人館までたどり着くような手練れですから」
 建一の言葉に、どよめきが起こる。
「食堂の壊れた机の下に身体を隠してありますが、決して縄は解かないで下さい」
 フィリオはそう付け加える。
 兵士達は顔を見合わせて戸惑う。無理もない、彼等を指揮する人物――領主ドール・ガエオールは意識を失っており、副官であるはずの婿ギランが疑われているのだから。
 焦りの表情を浮かべるギランに、ミニフェが不安気な目を向ける。
「私、あなたを信じてるから、ね」
 そうミニフェが声をかけると、ギランは軽く笑みを浮かべて頷いた。
「ミニフェ、肩を」
 ギランとミニフェは領主の腕を自分達の肩にかけて立ち上がる。
「早く大陸へ連れて行こう。お義父さんが亡くなったら、戦いに敗北したも同然。ならば、早く降伏し、被害を最小限に抑えるべきだと思うんだけどね。さ、港へ行こう」
「港にはアセシナート軍がいますよ?」
 外から響いた声に、皆が振り向く。
 兵士の1人が窓を開けると、ふわりと飛んで声の主は部屋の中に舞い降りた。
「降伏すれば生き残れるとでも? アセシナートがそんな情けをかけるはずが無いでしょう……」
 そう微笑んだのは、ルインであった。
 兵士達は彼女への警戒も怠らず、剣で制し、彼女をそれ以上ギランとミニフェに近づけようとはしなかった。
 ルインは気にする様子も見せず、淡く微笑みながら――こう続けた。
「それとも、貴方なら大丈夫なのでしょうか、ねぇ……地下研究所所長のフラルさん!」
 直後、強烈な光が弾けた。ルインは光脚を発動し、瞬時にギランに接近するとその腹に拳を叩き込む。
「しっかり!」
 領主は兵士を振り切って駆け寄ったウィノナが抱きとめる。
 建一はギランに体当たりを食らわせて、領主から剥がす。
 詳しい症状は分からないが、体力を回復させる魔法、病気に効果のある魔法を領主に施していく。
「本当だから。ボク達の言ってること! とにかく領主様を助けよう」
 ウィノナは剣を向けてくる兵士に、真剣に切実な目で話す。
「……っ、このままでは非常に危険です。大陸に出ましょう。ただし、降伏はしません」
「わかりました。先に向かい、出航の準備をします」
 建一の言葉に、頷いてフィリオが館から飛び出す。
「お父さん、ギラン……っ!」
 ミニフェはただただ動揺し、呼吸を荒げていた。
「彼の名は、フラル・エアーダ。アセシナートの研究所が既に、ここの地下にありました。思い当たる節、少しはありませんか?」
 気絶したギラン――フラル・エアーダを縛り上げながら、ルインがミニフェに問うと……。
 ミニフェは酷く動揺し、首を左右に振りながら、拳を握り締めたのだった。
「行こう! 領主様を助けたいって気持ちは、皆一緒だよね?」
 ウィノナがそう問いかけると、島の兵達が……顔を合わせて頷きあった。

●港
 リルド・ラーケンが繰り出した剣は、容易く受けられ、時には打ち込む前に空間が削り取られ剣は空を斬る。
 だが、グラン・ザテッドの攻撃もまだリルドに一度も当ってはいなかった。
 リルドが放った氷撃は、グランが放つ炎の魔法で相殺される。
 互いに小手調べといったところであった。
 くすり、と。
 リルドの顔に笑みが浮かんだ。
 憎しみの目を向けているグランの眉が軽く反応を示す。
「ハナから本気でヤりゃ良かったんだ、そうすりゃ地位を失う事も亡くす事も無かっただろうよ!」
 敗北した相手だ。真っ向勝負では到底敵わなかった相手である。
 だが、リルドの中に湧き上がる感情は、恐怖ではない。
 熱く激しい欲求。戦いの中に深く深く、引き寄せられ、のめり込んでいく。
 軽く身体が震えるのは、武者震いだ。
「ああ、そうだ。あの日――貴様の戦いを求める目と、竜に変わった貴様に俺は魅せられた、とでも言っておこうか。自分の落度だ。あの場で貴様を殺さなかった、な」
 来る――。
 身体に感じる波動に、強い力の収束を知る。
 リルドは身構えて、皮膚を竜化し高速で呪文を唱える。
 そして、怯まずグラン・ザテッドの元に駆け、剣を横薙に振るう。途端、重い衝撃が肩に走る。空間術で空間を縮めたらしい。
 グランの打ち下ろした剣が、リルドの肩を切裂いていた。意識して表面を竜化しておいたおかげで、ダメージは軽い。
 リルドの剣が到着するより早く、グランはもう一方の手から爆発系の魔法を繰り出す。魔法発動後に、空間術で空間を広げ、リルドと距離をとる。
 熱い衝撃と爆風に飛ばされながらも、リルドは笑みを浮かべる。
 部分竜化を施しておけば、一撃で倒されることはないようだ。手の内が少しずつ解ってくる。
 風の魔法を発動し、叩きつけられる衝撃を和らげる。
 負傷はしたが、骨は無事だ。
 勝機はまだ見えないが、戦いの中へ、戦いの中へと狂おしいほどの感情がリルドを急き立てていく。
 しかし、身体を共有するもう一つの存在は別なようで――。
 リルドの中に相反する感情をも、渦巻いていた。
 動物的感覚。敵わない相手に対する恐怖心。
“逃げよう、今なら間に合う。死ぬぞ”
 そんな思いが、リルドの心に響く。
「うるせェ、「俺」は死なねぇよ。「俺」は生きる」
 湧き上がる感情に、そう答えてリルドは立ち上がる。
「テメェも俺なんだからこっちに来て力を貸せ」
 その言葉に、竜の感情はノーと答える。
 だが、リルドが絶対に退かないということも、もう竜も解っているはずだ。
「活きようぜ!」
 そう言葉を発し、返答の感情を感じる前にリルドは駆け出す。
 グランは呪文の詠唱をしている。
「今度は船ごとふっとばすつもりか? それほど俺が憎いかッ!?」
 雷撃を飛ばし、詠唱が一瞬止まったその瞬間に、右手で剣を振り下ろしながら氷撃を繰り出す。
「はあああっ!」
 魔法を繰り出した後、剣に左手を添えて両手でグランに剣を叩き込む。
 グランは術を完成させ、リルドに向けて発動する。
 瞬間、2人の視界が、同時に朱色に染まった――。

「館の侵入者は全員捕らえました。研究所のメンバーもです!」
 女天使の姿をしたフィリオは、港に出るなり大声でそう叫んで回る。
 既に指揮官を失っている敵軍は動揺し、その隙に自軍の傭兵達が飛び掛り、斬り伏せていく。
 アセシナートの兵士に逃げ場はない。
 フィリオは風を操り、茂みに潜み自軍の兵を狙うアセシナートの兵を自軍の方へと飛ばす。
 港が戦場と化している所為で、直には出航できそうにない。幸いここまでの道で、アセシナートの兵に遭遇することはなかったが……。
 後方の木蔭で、領主を支えながら港を見守る仲間を気遣いながら、フィリオは戦いを終わらせるために、風で援護を続ける。

「領主様、大丈夫?」
 ウィノナのその声に、領主はうめき声で答えた。
 館にアセシナートの騎士やフラルを残してきたことが気がかりであったが、館には建一が残ってくれたため、多分大丈夫だろう。
「早めに出航したいところですが……」
 港は混乱の極みにあった。
 船の準備は操船の技術がある島の人に頼むより外ない。
 彼等を港に出せる状態ではなく、出航に成功したとしてもアセシナートの魔術兵に狙われたら船を守れる確証はない。
「つ……っ」
「薬、飲んで。病気の薬じゃないけど、身体を強める薬だから」
 ウィノナは建一から受け取った薬を取り出して、苦しげな息の領主に飲ませた。
 薬は全て領主の口には入らず、口の端から少し流れ出てしまう。
 その後、領主は再び意識を失った。
 戦場に目を向ければ――また1人、人が倒れていく。
 敵とはいえ、人が倒される姿なんて……見たくはない。
 早く倒れてほしいなんて、思いたくはない。
 だからどうか、どうかもう終わって。
 皆が、助かるために――。
 ウィノナとリミナ、ルニナは戦場を見ながら、切に願っていた。
「強行突破も視野にいれなければならなそうですね……」
 港の視察に出ていたルインが戻り、吐息をついた。

 島側が完全に優勢だ。
 ミッドグレイは殲滅を目指さず、隊を前進させ、アセシナート兵を港へと押していった。
 敵軍は指揮者を失っており、敵陣といえる母艦も戦場と化しているため、敵兵達に逃げ場は無かった。
 投降すれば捕縛したいところだが、誰一人投降する者はいない。
 敵がここに残った兵だけならば、もはやこちらの勝利は間違いがない――のだが。
 船上から響く爆音、強風、大地の揺れが、強大な力の存在を知らしめている。
 ミッドグレイは歯噛みしながら、トンファーを目の前の兵に打ちつけ、気絶させる。
 ケヴィンはディラと隣り合わせで戦いながら、ふと同時にアセシナートの母艦を見た。
 グランとは、ケヴィンは顔を合わせたことはないが、2度ほど接近をしたことがある。魔術と剣、両方に長けた人を超える力の持ち主だと聞いている。
 ディラは――グランを尊敬している。
 その強さも、生き方も。
 だが彼のようになりたいかといえば……やはりわからない。わからないのだ。ディラにはグランのような野望がないから。
 ケヴィンがソニックブレイカーを振り、敵兵の両足を裂いて倒す。
「隊長!」
 フィリオが空から舞い降り、ミッドグレイの後ろに立つ。
「領主はアセシナートの潜入者――婿養子に成りすましていた男により、毒を盛られていたようです。至急船を出す必要があります」
 手短にフィリオは館側の状況を話して聞かせる。
「見ての通り、こっちが優勢なんだがなっ!」
 言いながら、ミッドグレイはトンファーで敵兵の腹を打ち払う。
「劣勢だってのに、退きやしねぇ!」
 船上から響く爆音に、アセシナートの兵達が喊声を上げて、突撃してくる。
 ミッドグレイはトンファーを、ケヴィンとディラは剣を構え迎え撃つ。
 フィリオは再び空へ舞い上がった。
 アセシナートの兵は、船上に残る大将が敗れない限り、退きはしないだろう。

 アレスディアは先陣を切り、敵船へと向かっていた。
 何人かの傭兵が付いてきたが、あまりの揺れに、タラップを上ることが出来ない。
 アレスディアは縄梯子を上るように、這うような姿勢でゆっくりと上り、船上へとたどり着く。
 ――船上では、2人の男が剣を交えていた。
 1人は、リルド・ラーケン。聖都から来た仲間だ。
 もう1人。リルドより一回り体格の良い男がその場にはいた。
 豪華な鎧を纏った30歳くらいの男性。この男が、軍を率いてきた将、グラン・ザテッドだ。
 アレスディアは即座に槍を構え、グランに突撃をする。
 同時にリルドも氷撃を繰り出しながら、突きを放っていた。
 グランはリルドの攻撃をかわす為に唱えていた空間術を突如現れたアレスディアの方に向けて発動をし、アレスディアの攻撃を逸らす。
 リルドの氷撃はその身に受け、剣は己の剣で受け止めた。
「俺の相手だ。俺がやる」
 リルドは、アレスディアに言い放ち、狂気に近い目を見せた。
「急げ。こうしている間に、命がいくつも消えている」
 言いながら、アレスディアは軽く距離を取る。
 先ほどの突きをかわした魔法――空間を操作したのだと、漠然であったが解った。
 迂闊に飛び込めば串刺しにされるのはこちらだ。
 アレスディアは隙を窺うことにする。
 リルドの氷撃で受けた傷を、グランは回復魔法で手早く治す。次の瞬間にはリルドが雷撃を繰り出していた。
 グランは身を逸らし、剣で防ぐが、剣を伝い身体に衝撃が走る。
 軽く顔を歪めた彼に、リルドは斬り込んだ。
 だが、その剣は彼の手甲に防がれる。そして、もう一方の手から放たれた真空の刃がリルドの身体を貫いた――。
 それは針のように細い刃だった。
 後方に跳んで、片膝をついたリルドの元に、空間術で空間を削りグランが一気に迫った。剣がリルドの頭上から振り下ろされる。
 ガキン――。
 左手で、リルドはグランの剣を受けた。その腕は竜の腕である。
 グランの一瞬の戸惑いを見逃さず、リルドは右手の剣をグランの鎧の継ぎ目、下方から腕を斬り上げる。
 鮮血が飛び散った。
 リルドの竜の腕も無傷ではない。
 アレスディアが槍を手に飛び掛る。
 グランは魔力を放出し、アレスディアとリルドを飛ばした。
 船体に身体を打ちつけられ、深い傷を負っているリルドの意識が薄れていく。
 アレスディアは苦痛に歯を食いしばりながら立ち上がり、再びグランに向かっていく。
 魔法を唱え、グランが剣を振る。
 放たれた凄まじい波動がアレスディアを襲う。
 咄嗟に、槍を盾に、更に身を屈めてやり過ごすが――直撃を食らっていたら、絶命していただろう。
 多分これが、警備兵を一撃の下、全滅させた技だ。
 そして、この技はリルドも受けたことがある。竜の姿で。
 腕の回復を始めたグランに、よろめきながらリルドが近付いていく。
 意識があるのか、無意識なのか。
 リルドは剣を振り上げて、無防備に斬り込んだ。
 グランは軽く笑みを浮かべて、リルドを叩き斬ろうとする。
 だが。
 リルドにグランの剣が触れる直前、リルドの目がギラリと光る。
 リルドの肩に振り下ろされた剣は、竜の皮膚により阻まれる。そして、肩から腕を竜化したリルドの渾身の一撃がグランに叩き込まれた。
 一瞬見せた驚きの表情。
 グランの片腕が落ちた途端。リルドは高速で唱えた鋭い風の刃を鎧の継ぎ目から彼の体内に突き刺す。
 続け様に、剣を首へ打ち込んだ。

 ――リルドが飛ばされた場所には、瓶が二つ転がっていた。1つはファムル・ディートに作り出してもらった薬、もう一つは清水を入れてあった瓶だった。

「敵大将を討ち取ったようです!」
 アレスディアが船上から発した報告に、逸早く気付いたフィリオは港近くの岩陰に隠れるウィノナ達の元に舞い降りた。
 まだ混乱の続く港へと皆を率いて出て、風の魔法で敵を追いやりながら小型の客船に皆を誘導していく。
「しっかり」
 ウィノナは領主に声をかけながら、ルインと共に領主の肩を支えて客船へと向かう。
「退却する者は逃がしても構わん。剣を引かない者は全て捕らえろ!」
 ミッドグレイの声が飛び、喊声で傭兵達は答え、アセシナート兵を次々に捕らえていく。
 兵として残った島の民の1人――普段は漁業を営んでいる男が、船に飛び乗り、タラップを下げて準備を急ぐ。
 ウィノナとルインが領主を引き上げて乗り、その後からもう1人島の男性が乗り込む。
 フィリオはこちらに被害が及ばぬよう、アセシナート兵に風の魔法を放ち続ける。
 ――しかし。
 海の中から1人、女が姿を現した。
 最後の騎士。
 取り逃した女魔術師だった。
 海上に姿を現した魔術師は旅客船に向かい手を向ける。
 ウィノナは瞬時に領主に覆いかぶさる。
 ルインは魔力による防御壁の展開を試みる。
 気付いたフィリオが駆けつけようとしたその時。
 1本の槍が飛び、女魔術師の身体を貫いた。
 全く警戒をしていなかった方向からの攻撃に、女魔術師は一切の防御をすることなく討たれ、海の中へと沈んでいく。
 敵母艦から槍を投げたのは、アレスディアだった。
「行け!」
 詳しい事情は分からないが、ぐったりした領主と信頼の出来る仲間達の姿に、アレスディアはそう叫んだ。
「ありがと!」
 ウィノナはそう言葉を発して、出航を補佐するために操縦室へと駆け込む。
「う……っ」
 船上で横たわる領主がうめき声を発して、目を開いた。
 ルインは領主の背に手を回して、軽く起き上がらせると港に手を向ける。
「島の地下には、アセシナートの研究施設がありました。この島が狙われた理由は地下に聖獣キャンサーの力を有するキャンサーの住処があったためです。アセシナートの大将は倒されたそうです。戦いはじきに終わるでしょう」
 そして、領主に顔を向けて微笑する。
「貴方の勝ちです。領主さん」
 テルス島領主、ドール・ガエオールは苦笑とも言える笑みを見せた後――ゆっくりと穏やかな表情を浮かべ、眼を閉じた。

●聖都エルザード
 エルザードに帰還した千獣とクロック、そしてキャトルは城の応接室で報告を待っていた。
 探し求めていたファムル・ディートの姿は、ちらりと目にすることができた。
 ルーア、それからエルザードに潜んでいたと思われる、ザリスの配下の者が数名付き添って控え室に入る。
 こちらの指示通り、面会前には衣服や装飾品を全てこちらで用意したものに着替えさせての面会だった。
 その後――ファムルは残され、他のメンバーが街へと戻っていき、1人の女性を連れて城へ再び現れる。
 そのザリス・ディルダと思われる人物は、変装をした上で頭から布を被り顔を隠していたため、確認をすることはできなかったが、多分彼女本人だと思えた。香水などで紛らわせてあるが、千獣の鼻は薄っすらと彼女の匂いを感じ取っていた。
 王には事情の殆どを話してある。ザリスという人物についても、理解してくれているはずだ。
 キャトルを見せるわけにはいかないので、彼女に付き添って千獣はこの場を離れることはしなかった。
 もし……面会の場に、同席していたのなら。
 自分は、自分を止めることが出来ただろうか。
“誰も、奪われ、て、ない、誰も、失って、ない”
 キャトルの手を握りながら、千獣はそう何度も何度も心の中で繰り返していた。
 ……しばらくして、ドアがノックされ、エルザードの騎士が姿を現した。
「交渉が纏まりました。王はザリス・ディルダ殿を受け入れるとのこと。それから……」
「千獣」
 騎士が説明を終えないうちに、女性達が騎士を押しのけて応接室に入ってきた。
 リミナであった……。
「遅くなってごめんね。ルニナも無事だから安心して」
 千獣は一瞬びくりと震えた。
「無事、で、よかった……ほんと、に……」
 それは本心だった。
 本当に、2人が無事でよかった。
 ……だけれど、自分は――。
 2人の願いを叶えることが、結局出来なかったのではないか、と。
 漠然と、混沌と、様々な感情がぐるぐると頭の中で渦巻いていた。
「リミナ、休んで、て……私、話、きいて、くるから、あとで……ね……」
「私も、報告すること沢山あるの」
 リミナの言葉に頷くと、千獣はキャトルの手を放して応接室から出て行った。

 リミナはただ千獣の無事な姿を見たかっただけなので、その後すぐに城を出て、姉ルニナの元に戻った。
 ルニナは病院のベッドに横たわっていた。
 無理を続けた所為で、彼女の身体はかなり弱っていた。
 だけれど、あと少し。
 きっと、ルニナの思いは果たされるのだと、リミナは信じながら彼女に寄り添っていた。
「シーナと入れ替わって、あの人を捕らえるのなら……ボクも加勢するからね」
 領主のことはルインに任せ、ウィノナはルニナに付き添っていた。
 シーナ・ラシルカの身柄はこちらに引き渡してもらえるという。
 ウィノナはシーナの身体に入り、ザリスを捕らえることをルニナに提案していた。
 だけれど、ザリスはどうやら自ら亡命を願い出たそうで……。
 3人は複雑な思いを抱えたまま、静かにその場に在った。

●テルス島
 戦いが終り、数日が過ぎた――。
「館は後回しで構いません。港の復旧を急いで下さい」
 てきぱきと指示を出しているのは、領主の娘、ミニフェ・ガエオールであった。
 惚れ薬の効果は切れていないようだったが、領主の娘として、気丈に振舞っている。
 フラル・エアーダや、アセシナートの手の者は建一が監視しながら、護送の準備を進めている。
「お嬢さん、捕らえた兵士達はどうする?」
 ミッドグレイが尋ねると、
「研究施設を埋め、キャンサーを避難させた後、アセシナートとの国境につれていき解放します」
 そうはっきしとした言葉が返ってくる。
 どうやら、自分の役目は終わったようだ。彼女は指揮をとれる存在だ。
 ミッドグレイは口元に軽い笑みを浮かべると「了解」と答えて、館を後にする。
 港の整備を手伝うための土木作業用の道具を持って、ミッドグレイは丘に向かった。
 暖かな陽射しの下で、まずは昼寝に勤しむことにする。

「……どこでサボってるのでしょう……」
 港の復旧作業に勤しむフィリオは、隊長の姿が見えないことに、深いため息をつきながらも人一倍精力的に働いていた。

 アレスディアは島の民達を迎えに向かった。
 望む者は大陸の病院で養成中の領主と面会させようと思いながら。

「傭兵は半数近くやられたか。アセシナートの兵で生き残ったのは3割くらい、か」
 リルドは状況を確認して回っていた。
 警備兵や島の民兵で命を落とした者はいなかった。重傷を負ったものはいたが。
 避難した島の民達も、襲われたりはしていないと報告を受けている。

 ケヴィンは一通り復旧作業を手伝った後、エルザードへ帰還を果たす。
 ディラも一緒に。
 だけれど、それ以上面倒を見るつもりはなかった。無論、彼の今までの行いを国に報告するつもりもなかった。
 ディラは最初のうちは、ケヴィンと同じ宿に泊まったり、外出時にはついてきたりしていたが……そのうち離れていった。
 酒場で時々顔を合わせても、特に何を喋るわけでもなく。
 しかし、酒を飲めば、多少の武勇伝を語り合う仲になっていった。

●一月後、聖都
 キャトルは、診療所でファムル・ディートの帰りを待っていた。
 何日も何日も待っていた。
 聖都に帰ってきていることは知っている。
 姿もちらりとだけれど見た。
 見かけは何も変わっていなかった。
 別れた時のままのファムルだった。
 窓の外を見ながら、何日も何日も殆ど何もせずに待っていて……ようやく、明るい日差しの中、痩せた男の姿を目にしたのだった。
 立ち上がって飛び出して、テーブルにもドアにも身体をガンガンぶつけながら走って。
「お、かえり……」
 声とはいえないような、掠れた音を出して大切な人にしがみついた。

 ――咆哮が響いている。
 遠くの方で。
 毎日、時々響いてくる声。
 誰も知らなかったけれど。
 それは千獣の想い。
 堪えきれない想いが街の中に木霊していた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3087 / 千獣 / 女性 / 17歳 / 異界職】
【3601 / クロック・ランベリー / 男性 / 35歳 / 異界職】
【3510 / フィリオ・ラフスハウシェ / 両性 / 22歳 / 異界職】
【3368 / ウィノナ・ライプニッツ / 女性 / 14歳 / 郵便屋】
【3425 / ケヴィン・フォレスト / 男性 / 23歳 / 賞金稼ぎ】
【0929 / 山本建一 / 男性 / 19歳 / アトランティス帰り(天界、芸能)】
【3681 / ミッドグレイ・ハルベルク / 男性 / 25歳 / 異界職】
【3677 / ルイン・セフニィ / 女性 / 8歳 / 冒険者】
【3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳 / 冒険者】
【2919 / アレスディア・ヴォルフリート / 女性 / 18歳 / ルーンアームナイト】

【NPC】
キャトル
ルニナ
リミナ
ディラ・ビラジス
ドール・ガエオール
ミニフェ・ガエオール
フラル・エアーダ
シーナ・ラシルカ
アニアル・スディル
スリン・ラグサル
グラン・ザテッド
ファムル・ディート
ザリス・ディルダ

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸満里亜です。
まずは、全5回、お疲れ様でした。
どういった形で行なおうかまだ検討中ですが、後日談も書かせていただけたらと思っています。
真剣に取り組んでくださった方ほど、PLの負担が多いゲームノベルだったと思います。
ご参加本当にありがとうございました。深く感謝いたしております。

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