■【炎舞ノ抄】夜陰■
深海残月
【3087】【千獣】【異界職】
 何でもない夜道の筈だった。
 ただ、その黒い影さえそこに居なければ――その影がこれから何をするつもりなのか気が付きさえしなければ。

 音も無く、夜道を歩く黒い影。
 張らずとも声が届く距離。ふと足を止め、その影は何でもないように声を発してきた。

「…どちらさんだい。おれに何か用かな」

 静かな声が闇の中響く。
 その黒い影の手の内には、密かに人様を殺める為の武器がある。一見そうは見えずとも、それが可能な物がある。こちらはその事に気付いている。
 研ぎ澄まされたその場の空気。例え常を演じようとも。わかる者ならわかる事。

 こちらの位置を計る影。
 それはこちらも同じ事。
 影が兇手を振るうか否かは、こちら――闇の中からの返答次第。

 ――――――…夜道を歩く黒い影は、これから依頼の標的を屠りに行くところ。
【炎舞ノ抄 -抄ノ参-】夜陰

 …最近、あんまりしないことをよくしている。
 それは昔は――周囲を警戒する必要上、夜に確り起きていた方が良い時とかもあったから、そうすることも結構多かったけれど。
 最近は他の、普通に町で生きている『ひと』たちと同じ生活サイクルで活動していることが多くなっている。…つまりは朝に起きて昼に活動して夜に眠ると言うことなのだけれど。
 けれどそれでも。
 夜に活動することが全然ない訳じゃない。
 この間の、どうしても気になってしまって、『炎を纏う人』の噂を確かめに――自分から牙を持つ相手を捜しに出るような真似をしてしまった時とか。
 またそれとは別に――その話に関わらない時でも、何か依頼を受けて夜に動くこともある。
 黒山羊亭とか、夜に開いているお店に用がある時とかもある。…特に用がある訳じゃなくても、エスメラルダのところに立ち寄りたくなったりすることもある。
 夜に一人で歩いていると多分私のことを心配して、道すがら危ないから気を付けてねとか言ってくれるひともいたりするけれど…その気持ちは有難いものであることは確かなのだけど、現実として私当人は滅多に危ないことなどない訳で。
 だから結局、私はそんな忠告もあまり気にせず、夜に歩いていることは多くなってしまっている。
 …今日もまたそれで、私はそこに居た。

 暗い路地。
 何でもない夜道の筈だった。
 人がいた。
 人…だと思った。
 ここソーンでは色々な種族の『ひと』が居るから、どういう風に生きている『ひと』なのだかははっきりとは言い切れないけれど。
 でも、単にそれだけのことの筈だった。
 なのに。
 その人の歩いている姿に何か、ぴりぴりと肌を刺す気配がした。
 狩りに出る時の、牙を剥く前の獣みたいな。いつでも剥けるようにその牙を隠しているみたいな。何か事があればいつでもすぐさま動けるように、力を蓄えてその身を撓めているみたいな。…でも、そのことを極力表に晒していないような。
 狙った獲物に気付かれないように――同時に周囲から狩りの邪魔をされないように、隠し通しているような。
 そんな気がして。
 思わず立ち止まってしまった。
 …立ち止まる必要なんかないのに。
 私が気にすることじゃないのに。
 …この人は私を狙っている訳じゃない。
 なのにどうして、私は立ち止まってしまったんだろう。
 …私が立ち止まったら、その人も立ち止まった。
 気付かれた。
 声が、響いた。
「…どちらさんだい。おれに何か用かな」
 響いたその人の声。
 …何となく、聞いたことがある声だった気がした。
 匂いにも何処かで覚えがある気がした。
 だけど。
 だからこそ。
 …あ、駄目だ、と思った。
 何がどう駄目なのかまでは、すぐに出て来ない。
 ただ、駄目だと直感的に思う。

 ――――――この人をこのまま行かせては駄目だ。
 そう思う。

 思うけど。
 この人をこのまま行かせない為に何をどうしたら――何をどう伝えたら良いのかまでは、すぐには出て来ない。
 どう言葉を返すべきか、考える。
 少し、考えて。
 それから、口を開いた。
「……あなた、は……今、から、狩りに、行くん、だよね……?」
 まずは、確かめることを選ぶ。
 狩り。
 邪魔する気は、なかった。
 元々単なる通りすがり。誰が誰を狩ろうが――殺そうが、自分や身内が狙われない限りはどうでもいいことの筈だった。必要な狩りだって幾らでもある。私だって必要な狩りならする。…それぞれの獣の生き方に横合いから口を出す必要なんてない。
 そのくらいは弁えている。
 …だけど、今は。
 理由は上手く言えないけれど、私は――この人を行かせちゃ駄目だと思ってしまった。
 確かめる私の言葉を聞いて、その人の警戒度が上がった気がした。
 狩り、の言葉で理解している。
 ならばこの人も、獣。
 …ならやっぱり本当は、止めるなんて余計なことなんだろうな、と思う。
 でも。
 そう思う気持ちと同時に、行かせちゃ駄目だと思う気持ちがあることは何故か変わらない。
 この人は『人間』、だと思ったからだろうか。
 それとも、この人が、この人だからなのだろうか。
 それとも、何か、私の中に違う理由があったりするんだろうか。
 …何処で嗅いだ匂いだろう。聞いた声だろう。
 自分の記憶を探る。
 探っているところで、その人の声が返って来る。
「…狩りね。そういやそろそろ桜狩りの季節かもしれねぇか。夜桜見物にいい場所でも知ってるかね?」
「?」
 夜桜?
「…」
 何の話だろう。
 思っているとまた、声が続いた。
「そういう話じゃねぇか。…じゃ、何の話かな?」
「何の…って、だって、『そう』、だよね…?」
 狩りに――何者かの命を屠りに行くのだと。
 私にはその人の佇まいがそんな風にしか見えないから、そう訊いた――疑問に思っての質問と言うより、ただ確かめてみただけのことで。
 それ以上に何の意図も含めたつもりはない。
 ただ、今のこの人の科白の中にあった「桜狩り」って何だろうと思うけど、これは私の意図した「狩り」ってことじゃない気だけはした。何か、誤魔化す為に出した例えのような。
 …答えを待っている間に、雲が動いてその合間から月明かりが届く。
 その人の後ろ姿が確り見えた。
 背丈はそれなりに高い。体格は、背丈から見れば筋肉の付き方とか骨格とか適度にバランスが取れているように見える。…太っても痩せてもいない。人間の形の生き物ならば、一番活動し易そうな体型。
 項の辺りで適当に括られた、背の中程までの長さの黒髪。
 服装は、腰の辺りが一本の紐で締められている、一枚布で作られたような――袖の下部分がたっぷりと垂れていて、裾部分の足捌きも良さそうな異界風の黒い服。
 こちらを振り返ることはしていないからそれ以上の容姿の特徴はわからない。わからないが――その服装と同じ形だろう服装には覚えがあった。…きっとこれは右左と前身頃を合わせる形の服。そう気付くなり、この人の匂いと声に何処で遭遇していたのかも思い出す。

『炎を纏う人』の噂を確かめに出た時。
 ――――――あの時遇った、舞と一緒に居た。舞と一緒に龍樹を捜していた人。

 どうして駄目だと思ったのかわかった気がした。
 …わかった気がしたけど。
 なら、どうしてこの人は狩りに行くなんて真似をしているんだろうって、逆に新たな疑問も浮かぶ。
 龍樹のことを心配している――止めようとしている人ならば、そうすることが駄目だ、って思われるってことはわかっている人なんだと思うから。
 それとも。
 この人はわかっているんだろうって思う、私の方が間違っているんだろうか。
 …私には、『人間』の考えることは、まだよくわからないことがあるから。
 この人はあの時はたまたま舞って人と一緒に居ただけで、たまたま付き合っていただけで――この人はそういう人じゃない?
 そういうことなんだろうか。
「……あなた、には……大切に、思う、人、いる……?」
 確かめる。
 すぐに答えは返って来ない。
 暫く無言が続く。
 でも、足は止めたまま。私の問いを無視して歩いて行ってしまう訳じゃない。
 こちらの言葉を聞いているのはわかる。
 大切に思う人。
 …居る、とわかった。
 そんな風に見えた。
 無言のまま、ゆらりと小首を傾げるのが見えた。
 それから、こちらを振り返る。
 …その顔はやっぱり、舞と一緒に居た人だった。
「あぁ、どっかで聞いた声だと思ったら。あの時の姐さんか」
「うん…私、千獣」
「…そういやおれァあんたに名乗ってなかったな。慎十郎だ。夜霧慎十郎。…あん時ァ色々助かった」
 …。
 そういう答えが返ってくるなら、この人――慎十郎は、わかっている人になるんじゃないんだろうか。あの時の私の話を聞いて、助かったって言ってくれるような人なら。
 私は、人間と関わりを持つようになってから、人間が――私と関わりを持った人たちが、私のする「狩り」をよくないこと――と言うか、野生で生きてきた私の立場では別によくないことじゃない、ってことはわかってくれるんだけど、でも、できれば止めた方がいいこと、あまりやらせたくないこと、やって欲しくないこと――それもただその人たちが嫌がるってことだけじゃなくて、その人たちがちゃんと私のことを見て、私のことを思った上で、そんな風に止めたがるってことを知っている。
 なら、きっとこの人だって同じじゃないかと思う。
 …あの時慎十郎と一緒に居た舞は、きっと、私と関わりを持った人たちと同じように考える人の気がするから。
「舞、とか…あなたの、狩りの、こと、知ってる……?」
 訊いてみる。
 はぁ、と軽く溜息が吐かれた。
 その溜息は、少しだけ、何かを諦めての溜息だったような感じがした。
「…ったく。姐さんに腹芸仕掛けても意味無ぇみてぇだな。…知ってるよ連中は」
「そう、なの?」
 知ってて、それで舞とかが止めないなら、私がどうこう言うことじゃないかもしれない、けど。
 でも。
 …前に二人に遇った時の様子から考えると、何だか、腑に落ちない。
 あの人は――舞は、そういう人じゃ、なかった気がする。
 そう思いつつ慎十郎を見ていると、そう思ったのが顔に出ていたのか――ぽつりともう一言付け加えられた。
「気が付いちゃいる」
「…」
 それは。
 知っていると言っても。
 具体的に今慎十郎が狩りに出てると言うことを知っていて、認めていると言うことじゃ、ない?
 なら。
 やっぱり。
 私が思った通りなのかもしれない。
 言葉の付け加え方とその時の何処か後ろめたそうな雰囲気からして、そんな気がした。
 …きっと、気が付いているなら、舞は、狩りそのものは止めたがる人で。
 慎十郎の方は、狩りに出る時は――舞に知られないように密かに出ているとか。
 そういうことなのかもしれない。
 …ひょっとすると、慎十郎だって本当は、よくないことだって思っているのかもしれない。
 でも、もし、そうなら。
「…どうして?」
 訊いてみる。
 …訊く形で口に出してから、あ、と思う。
 聞いている慎十郎の方にしてみれば、私の科白が――前に言った言葉と続かない話し方に聞こえてしまったかもしれない。…このままじゃ意味を汲んでもらえないかも。
「あ…っと…えっと…」
 そう思って少し慌てて説明をしようとしてみるが、咄嗟に言葉が出て来ない。
 と、慎十郎が、ふ、と微かに笑ってくる。
 その笑いは、どう見ても楽しくてとかそういう明るい笑いではなくて。
 ほんの微かな。
 何か諦めたみたいな、寂しげな。
 けれど何処か、怖いような。
 冷たくも、あるような。
 威嚇でも、あるような。
 …何かの覚悟も、あるような。
 そんな色々な見方が出来そうな、複雑なものを湛えた、口許だけの笑みだった。
 慎十郎はそんな笑みを見せつつ、一言だけ、返してくる。
「仕事だ」
「…仕事」
 仕事――糧を得る手段、ってことだろうか。
 他に意味があるんだろうか。
 考えてみる。
 …でも。
 だったら。
 それこそ、後ろめたく思う必要なんてないと思う。糧を得る為なら――食べる為の狩りなら必要なのは当たり前だから。
 それに、今の笑み。
 何か、違う気がした。
 けど、慎十郎はそれ以上説明する気はなさそうで。
 こちらに向かって軽く手を上げると、それで話を切り上げて――それまで向かっていた方向に向き直り、歩いて行こうとする。
「…あ、待って」
 咄嗟に、呼び止める。
 けれど。
 まだ声は届いているだろうに、慎十郎はもう足を止めない。答えてもこない。
 結局。
 初めにその気配を認めた時と何も変わっていない。
 離れて行こうとする後ろ姿。
 …慎十郎は、止める気はない。
 何だか、幾ら言葉を尽くしても狩りを止める気はない気がした。
 だからこそ、私も直接、止める為の言葉は言い出せなかったんだと思う。
 意味がないと思ったから。
 それどころか、言葉に出したら逆にこちらに牙を剥かれると思ったのかもしれない――そして同時に、慎十郎の方でもこちらに牙を剥きたくはないと思っているような気がしたのかもしれない。私は勿論必要以外のことで牙を剥きたくはないし剥かれたくもない。でも、今の場合は――私だけじゃなく慎十郎の方でも、私とはやりたくないと思っていたような、気がした。狩りの邪魔だからとかそうじゃなくて…ううん、今の場合はそれもあるけどそれだけじゃなくて、ここに居るのがあの時話をした私だからやりたくない。慎十郎はそんな風にも思っている気がした。

 …その言葉は、境界線。
 だから、直接は言えなかった。
 …「狩りを、止める気はないのか」と。
「止めて欲しい」、と。
 言ってしまったら。
 この人は心を殺して私に牙を剥く。
 そう、思った。
 …それは、避けたいと思った。

 でも。
 なら。
 どうしよう。
 考える。
 慎十郎は歩いている。
 少しずつ、離れて行く。
 考え込んでいる時間はない。
 思考を巡らす。
 狩りを止めてもらえるように、でも丸く収まるように、今、できること。
「……誰かの、狩り、邪魔、する……良くない、と、思う、ん、だけど……」
 多分、言葉に出ていたと思う。
 慎十郎にまで聞こえたかどうかはわからないけれど。
 ごく小さく聞こえた、自分の言葉を自分の耳で聞いて、心を決める。
 溜息。
 …ごめんなさい。
 思いながら、口を開いて大きく息を吸う。肺に空気を――酸素を溜める。出来る限り。思い切り。木々を枝葉を震わすくらい。敏感な生き物たちが惑うくらい。
 それから。
 息を止める。
 ごく僅かな、静止。
 周辺の気配すら静まり返る。
 慎十郎もその静けさに違和感を感じて足を止めたような、気がした。
 けれどそれはほんの僅かな間のこと。

 次の刹那。
 意図を持って思い切り、腹の底から吸った息を吐き出した。
 ただ息を吐き出すだけじゃなくて、獰猛な獣の威嚇の手段として、吼えることをした。
 喉から身体中に響かせる。
 私の中にいる獣の力も借りて――獣たちの骨身にも響かせて。
 咆哮する。
 受けて、夜の向こう側から少しずつ届く、どよめきとざわめき。
 人の気配。
 怯え、警戒する獣たち。
 私の咆哮を聞いて、何事かと顔を出して来る人たち。

 …その人たちの目に留まってしまう前に、私は力を借りた獣の気配を消してその場から逃走する。
 逃げる途中、一度だけ振り返る――慎十郎が居た筈の方を確認する。
 慎十郎もこちらを見た気がした。
 少し驚いたような顔をしていた。
 視線がぶつかる――私と目が合った。
 目が合ったら。
 驚いたように見えた顔から、何かを切り換えたように、元の何でもないような表情にすぐ変わった。
 私を見る目の光り方も、少し違っていた気がする。
 慎十郎はそれから、すぐに身を翻していた。
 これもほんの僅かな間のこと。

 きっと、今の咆哮の主が――邪魔をしたのが私だと、わかったんだと思う。
 ただ、その方法が――思いもしなかったやり方で。
 だから私の方には来れなかった。
 来れる余裕があったら、多分、来た。
 吼えた場所から離れながら、思う。
 …取り敢えずの邪魔はできたけど。
 でも。
 あれで、慎十郎を「本当に」止められたことには、ならない気がした。

 …腹の底から声を上げた。
 対象を定めず、辺り一帯を威嚇した。
 だから多分、暫くの間は――今晩の内は、この近くにいる生き物は誰も彼もが敵の存在を考えに入れ、警戒すると思う。
 効果はあった。
 逃げる途中で確かめた。あちこちの気配。これなら。…少なくとも今は、慎十郎は誰も殺せない。

 でも。
 もし次に遇ったなら、慎十郎はきっと私に牙を剥いて来る。
 …そうならなければいいなとは、思うけど。
 それは虫のいい話だろうな、とも思う。
 こうなってしまえばもう、牙を剥かれるのは、仕方ない。

 ………………狩りの邪魔をしたのは、私だ。

【了】

×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

■NPC
 ■夜霧・慎十郎

 ■舞(名前のみ)
 ■佐々木・龍樹(〃)

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 いつも御世話になっております。
 今回は【炎舞ノ抄】三本目の発注、有難う御座いました。

 で、ノベル内容ですが…よく考えると前回【炎舞ノ抄】二本目、「聖都奇談」の最後で千獣様は夜霧慎十郎と遇うだけは遇っているんですよね(舞の連れとして。本文中で名前も出ていない状態でですが)。そしてやはり「聖都奇談」での千獣様の佐々木龍樹についての個体識別能力からして、千獣様ならば慎十郎についても「聖都奇談」と今回ので同一人物である事はまずすぐに気付かれるだろうと言う気はしまして…と言う訳で、頂いたプレイングでは初対面風に感じはしたのですが、その辺も絡めて描写してみました。
 何やら敵対フラグが立ったような終わり方にはなっておりますが…実際この先、千獣様に対する慎十郎の反応がどうなるかは、その時にならないとわかりません。結構複雑怪奇な奴なので。

 ノベル本文、ややプレイング外の方向にいじらせて頂いてしまった気がしておりますが、如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける事がありましたら、その時は。

 深海残月 拝

窓を閉じる