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■真夜中の仮面舞踏会 第1章 《人形たち》・2■

工藤彼方
【7038】【夜神・潤】【禁忌の存在】
ある夜のことである。
都内にある、とある小さなオルゴール博物館が火が出た。
その時間帯は、当然、博物館は閉館しており、セキュリティも作動していたはずだった。防犯カメラのデータにも、不審者の姿は映らなかった。
火の手の勢いは強く、小さくも5階建ての建物は全焼。
100年から200年前に作られた、アンティークのシリンダーオルゴールやディスクオルゴールたちが悉く失われたのだった。
だが、その事件のあと、博物館の人たちは首を傾げたのである。
建物の焼け跡からは、黒くなった陳列台やドアが発見されるばかりで、炭になったはずのオルゴールたちの残骸はただの一片も発見されなかった。
木が燃えて灰になったというのはわかる。
だが、金属製のシリンダーやディスクまでもが姿を消しているのは何故だ?
まるで建物から忽然と姿を消したように。

そして消えたのは、オルゴールばかりではなかったのである。
博物館には、オルゴールを体内に仕掛けられた人形たちが陳列されていたのだ。

手紙を書く道化師。

物憂げな表情でアコーディオンを弾く男。

花籠を抱えて薔薇を売る花売りの少女。

そう、彼らもまた――。
真夜中の仮面舞踏会 第1章《人形たち》

【1】

不規則な曲線を描いた波紋の中に、ぽっかりと黒い口が開いていた。
壁があるはずの場所に開いた異様な空間。
その中には、オニキスのように黒く艶光る階段が浮かんでいる。
この階段は、潤がこれから進むべき道だ。
上へと続く階段の行く手は見えない。
だが、見上げる潤の目には、驚きの色も不安の色もなかった。
潤にはもとより空間を操る能力がある。歪められた空間の中に何が生まれていようが、何ほどのものでもない。
しかし、今、潤の胸の内には、不安や驚きといった感情の代わりに、一つの疑問が燻っていた。
自分に恭しげに礼を尽くす三人を、潤は不可解な気持ちで見つめる。
先刻まであれほど潤に対して殺意を向けていた者たちが、手合わせの結果負けたとはいえ、こうも態度を変えるものだろうか。
空間操作のレベルとしてはそう高くはないにしろ、彼ら人形たちは非力な人間とは違う。それ相応の能力者であるはずだ。
なるほど、ビルの中はまるで迷宮のようにややこしいことにはなっている。時折、遊園地の幽霊屋敷さながらに化け物が飛び出してもくるが、命を落とすほどの危険となると、少なくとも今のところは感じられない。
それが、自分が尋常ならざる能力を持つ者だから感じることなのか、ゆえに人並みの力しか持たぬ者には恐るべき状況であるのか、ケタ外れの能力を元来より持っている潤には皆目わからなかった。
だが、もうひとつ不思議なことがある。
なぜ、人形たちはこれほどに自分を崇めるのか。
たかが協力者の自分に対して、だ。
どうも腑に落ちない。
そんな心の内の疑いが、いつしか言葉の端々にも出ていたのかもしれなかった。
「おまえたちは言ったよな。俺の力を貸して欲しいのだと。謂わば力量を計るためにあのように襲いかかってきたのだということは、聞いた。だが、おまえたちにも力はあるだろう」
潤の言いたいことを言葉裏から察したのか、道化は畏まって面を伏せた。
「不思議にお思いですか。確かに、数々の無礼を致した我々です。赦せぬと言われても道理。ですが、我々にはいかな力を持っていたとしても、手出し出来ぬ領域があるのです。」
「手出し出来ない領域? それはなぜだ。なぜ手出し出来ない」
「我らは御覧の通り、人の身はございませぬ。無論、潤殿のような身にもございませぬ。」
潤はあらためて、道化の姿を見つめた。戦いに敗れ、腹に黒々と開いた穴からは一滴の血も流れていなかった。
「我らの意志と力が通用せぬ世界では、潤殿、貴方は我々の運命を変える救世主に等しいのです」
道化の、一語一語には静かな熱意が篭もっていた。
「おまえたちはいったい何者だ? いったいどういう存在だ。名は。」
「何者かいかなる存在かと仰せられても、我らは先にも申しましたように今やオルゴールであるとしか申せませぬ。我らの名。古の名は……」
「……我らもとうに忘れました」
道化との遣り取りを聞いていたらしいアコーディオン弾きが口を挟んで言った。
自嘲するかのように笑う彼の顔はいくぶん疲れているように見える。
古に名を持っていたということは、古に因縁がある者たちなのだろう。そして、その因縁が、長く生きてきたらしい彼らに暗い顔をさせている。恐らくは。
ならば、「古」とはいつのことなのか。
潤の胸中に、薄暗い好奇心が火を灯した。
窶れた人形たち横顔を見ていると、彼らの過去の時間に闇色をした大穴が見える気がした。潤は、その暗い淵の中を覗いてみたいと思った。
潤はもとより心根の真っ直ぐな青年である。
ゆえに、けっして軽はずみな興味からではなかったが、口の重い人から昔の話を聞くときのような、胸のざわつく感覚があったことも否めなかった。
「おまえたちの今の身がオルゴールであるということはわかっているよ。だが、古に名があったのであれば、古には何者かだったんじゃないか? それに、古の名『は』忘れたのなら、今の名であれば覚えている、と考えてもいいのかな」
潤の問いに、アコーディオン弾きは押し黙った。
花売り娘は道化とアコーディオン弾きを交互に見上げて、眉を顰めている。
そんな沈黙がしばらくの間続いたが、やがて道化が鈍く口を開いた。
「他ならぬ潤殿の仰せでございます。我らも答えましょう。我らが今のオルゴールの身となる前は何者であったのか。その答えは、『人』、と。また、仰せの通り、このような身になり果ててからの名であれば、ございます。」
潤は彼らの表情からすぐさま、彼らにとって古の身と古の名を答えることがよほど苦痛であるらしいということを察したが、「答えにくいことなら答えなくてもいい」と制する前に、道化は言葉の続きを口にしていた。
「……人。人だったのか。」
「さようにございます。そして私はペレアスと申します」
道化はさらに続けた。。
「花売りの彼女はクリュティエ。アコーディオンの彼はイカルス」
クリュティエとイカルスが揃って頭を下げる。
「ペレアスにクリュティエ…それからイカルス、か。イカルス……イカロスのことか? 悲しい名だな。」
潤の言葉に、イカルスは小さく笑った。
「あくまでも、今の名であります。古にはこのような名では……。ですが、悲しい、ですか。滑稽な、と言われる方がよほど気が楽だ」
言葉の後半は、独白にも似た呟きだったが、低い声でのそれは自嘲めいた響きを帯びていた。
俯き加減に薄く笑ったイカルスの背を、ペレアスが宥めるように叩く。
「イカルス、君が滑稽というならば、私はどれほど滑稽な道化になるのだろうかね」
能面のように表情のないペレアスがほんのりと笑うと、イカルスは「は」と肩を揺らした。「そりゃあそうだ。いつもいうように、おれももおまえもとんだ馬鹿者だ。はは、とんだ馬鹿者だ」
ともに笑うイカルスとペレアスの後ろで、クリュティエというらしい花売り娘は一人黙り込み、花首の落ちかけた一本の造花を撫でていた。茎を撫でる焼け焦げた布製の白指は、不自然な方向に折れ曲がっていた。潤はそんな彼らを静かに腕を組んで見ていた。
自分たちのことを「滑稽だ」と言い、「馬鹿者だ」と笑う彼らは、恐らく「古」を思い出していっているのだろう。いったいどれほどの長い時間をそうやって回顧しながらやってきたのか。

ドォン。

潤の思考を断ったのは、天井の辺りから聞えた遠い爆発音だった。
爆発の振動で落ちてきた砂埃が顔にふりかかる。
「いかんな。我らが救世主殿をお連れしなければ」
顔色を変えたペレアスが潤の前に進み出た。
「潤殿。これから我らのあとについて来ていただきたい」
潤は、眼前に膝を突いたペレアスの頭を見下ろした。
「俺をどこへ連れて行く?」
「先にも申しましたように、収蔵庫にございます。」
「収蔵庫……ああ、言っていたな。扉が開かないのだと。だが、その前に聞きたい。その収蔵庫には何がある?」
「それは。無論、オルゴールでございます。ただ、」
潤の表情に一瞬過ぎった、結局オルゴールなのか、という色を察してか、ペレアスは言葉を一度切り、そして続けた。
「ただ、当然ながら、ただのオルゴールではございませぬ。我々の『世界』ともいうべきものでございます。そして、我らの『棺』、とも。」
「『世界』で、『棺』? オルゴール仕掛けの棺桶とか……まさかな」
「いえ、そのようなものでは。ですが、ある意味においては正しくもありましょうか。いずれその目で御覧になればおわかりいただけるものと。ですが、――最前から申しておりますように、その前に収蔵庫の扉を開けねばなりませぬ。そればかりは我らの手に負えませぬゆえ……」
「俺に開けろというんだな」
「さようにございます。詳しいことをお聞きになりたいのであれば、またもお話いたしましょう。ともかくも、お急ぎを。我らもあの"道"をそう長くは維持することが出来ませぬ」
ペレアスが示した"道"こと壁に生まれた階段、その周りを取り囲む歪みの波紋が徐々に狭まっていた。
イカルスが先に立ち、閉じはじめた歪みの中へと踏み込んでいく。
その後を小走りに花売り娘が追いかけ、ペレアスは潤を促した。
「ささ、早く」
潤は歩み出す。
「おまえたちの『世界』、おまえたちの『棺』、か。……行こう。」
潤の足が階段を二段、三段と昇りだす。
その背を覆い隠すかに、空間の裂け目が口をつぐむよう閉まりゆき――。
わずかの後。
いよいよ燃えさかる炎の中には、塗り固められたコンクリ壁が以前と同じ姿で立ちはだかっていた。



【2】

階段を昇る潤と人形たち四人の周りで空間は、様々な色が混ざり合い、油を垂らしてかき混ぜた水面のような様相を呈していた。
空間の狭間からふつふつとわき上がる大小の泡の中に、炎が見え、柱が見え、大きな壁掛け時計が歪んで回転している。それらの空間を内包した泡たちは、時々気が狂ったように荒々しく混ざり合い、そうかと思うと、不意に静かに上へ下へと流れていき、新しく生まれる泡の中に飲み込まれて消えてはまた別の所から現れた。
空間の入口が閉じた今、本来の秩序を崩された空間が泡状になり渦巻いているのだったが、それらの泡は、階段を上る四人を隙間なくぎっしり包むはずだった。それを、空間の泡の中をかき分けかき分け泳ぐことにならずにすんでいるのは、ひとえに潤の力のなせる業である。潤の行く手5メートルの間、空間の泡沫たちは、モーセの前に開いた海原の潮のごとく、両脇に次々に退いていくのだった。

「しかし、ペレアス。俺には気になっていることがある」
階段を昇る4人の間に落ちていた沈黙を破ったのは、潤だった。
「収蔵庫はおまえたちの『世界』であったり、『棺』であったりするのだろう? だとすれば、なぜ開かない。もっと言わせてもらうならば、なぜおまえたちが閉め出されているんだ?」
イカルスとクリュティエは黙ったまま先を行く。
ペレアスだけは足を止めぬまま、潤を見返った。
「それは、我らを阻まんとする者がいるからでございます。潤殿もすでに御覧になっているのでは。」
「阻もうとする者、を……? 俺が?」
潤は思い出した。
迷宮と化した一階でエレベーターに乗り込もうとした時に、扉の内側から飛び出してきた仮面を被った貴人たち。そして、潤を追いかけてきた巨大な火炎の塊。
「待てよ。」
潤はペレアスの肩を掴んだ。
「あれは、あいつらはおまえたちが仕組んだことじゃなかったのか? 俺の力を試すために。」
肩を力任せに掴まれ、一瞬身をぐらつかせたペレアスは静かに首を振った。
「いいえ。誤解なきよう。あれらの者たちは我らと組した者ではありませぬ。私の仲間はイカルスとクリュティエのふたりのみ。あれらの者たちこそが、我らを阻まんとしている者にございます」
「あいつらが……」
潤の瞼の裏に蘇る、貴人たちの哄笑。そして――
「じゃあ、あの王と女王……いや、もしかしたら姫かな。あいつらも、おまえたちのやることを阻もうとしている者なのか?」
そう呟いた潤の言葉に、ペレアスの白い顔がこわばった。
それまで一切口を開かず、振り返りもしなかったイカルスとクリュティエが足を止める。
「王と女王を御覧になったのですか。いつ。どこで。」
イカルスが階段を二段ばかり下がり、潤の胸元へとつめより、迫った。
彼らの剣幕に、さすがの潤も一歩下がる。
「いつ、と言われても、おまえたちに会うだいぶ前だ。一階の、ホールのあたりだったかな。」
「ホール……」
考え込むように眉間に皺を刻んだイカルスへと、潤は少し慌てて訂正する。
「ああ、だが、見かけたと言っても、おまえたちが想像している意味とはちょっと違うかもしれないぞ。俺は場が記憶した時間をリーディングすることが出来る。俺がこの目で見たのは厳密には玉座のみだ。つまり、玉座の周りをリーディングして、王と女王……女王でいいんだな? その二人の姿を見たということであって」
「ああ、そういうことでしたか。」
イカルスが納得したように頷いた。
「ですが、時間の記憶を読まれたのであろうと、彼らの姿を御覧になったのならば話は早い。潤殿が御覧になった者がまさに、阻む者、です」
「王と女王が――。なるほど、彼らとおまえたちが敵対しているというわけなんだな。」
「――まあ、簡潔にご説明するならば、そういえましょう。」
そう答えたイカルスの隣で、ペレアスが俯き唇を引き結んでいた。
「おい、ペレアス? どうしたんだ」
潤がペレアスの陰鬱な表情に気付いて声をかけると、彼は首をひとつ振って背を向けた。
「何でもございませぬ。」
「いや、何でもないという顔ではなかった。」
怪しんだ潤が間を置かずに言い放つ。
「なぜ、そう苦しげな顔をするんだ。」
ペレアスは背を向けたまま、はは、と乾いた笑いを漏らした。
「苦しげな顔と仰いますが、これは長い時を過ごす内に自然と私の顔に住みついたものでございます。人で言えば皺のようなもの。醜くございましょう。それゆえに、私はこのように顔を白く塗って……」
「何に苦しむ」
ペレアスの言葉を遮った潤の声に、そばで見ていたイカルスもクリュティエも沈黙した。やがて、は、と笑いとも溜息ともつかない吐息をこぼして、ペレアスは肩を落とした。
「……奪われた、ことに。」
痛いほどの沈黙が潤を包んだ。
ペレアスのあまりな消沈ぶりに、潤の心がちくりと痛んだ。
「奪われた……? 悪い、ペレアス。もしかしたら、いや、おそらくおまえの踏み込んではならない領域に踏み込んでいるのだろうということはわかった。すまない。だが、俺にはおまえの話が必要だ。」
時間が無い以上、得られる情報は得たかったのだが。
つい急いて詰問口調になってしまったことに、潤の良心が痛んだ。
それにしても、たかがオルゴール人形とは思えぬほどに人間らしい表情を見せるペレアス。潤は、古に人間であったといった彼らの姿をぼんやりと想像した。
彼らは毎日をどう暮らしていたのだろう。
また、オルゴールになったあともどうやって、おそらくは長い年月を過ごしてきたのだろう。毎日何をして。
そんなことを考えていた潤はペレアスの項垂れた横顔を見るうちに、ふとあることを思い出した。
「奪われたのは、――手紙か?」
一階のホールで玉座を見つけた時に見た、台座の数々。
花籠の載った台座もあれば、アコーディオンの据えられた台座もあった。そして、手紙とインク壺の置かれた物書き机のある台座も。
ペレアスがゆっくりと顔を上げた。
「ああ、あれも御覧になったのでございますか。手紙、私の手紙……そう、奪われましてございます」
「手紙を、奪われたのか。ここからは答えられるならで、いい。誰への手紙だった?」
今度は静かに問うた潤の言葉に、ペレアスは覚悟を決めたようだった。
「はい、あれは、愛しい人への恋文でした。」
彼はもう俯いてはいなかった。ただ自分を勇気づけるかのように何度も頷いた。
「私はその昔、とある城の道化にございました。王と女王に仕える身。大方のことは許されましたが、その代わり、私は人として扱われることはなかった。これは王と私の間での取り決めでございました。私の命は保証されるかわり、人並みに生きることは許されないのでございます。それが、王の道化であることの代償にございますれば。――ましてや、恋などあるまじきこと。――ですが、私は恋をしてしまいました。いや、頭ではわかっていたのです。自身を何度も止めようと努めもしました。許されないことだ。王と諸侯の激怒を買うことになる。私の身の破滅である以上に、想いをかける人にも咎を負わせることになる。とんでもないことだ、と。でも……」
その続きは聞かずとも予想がついた。
潤も知らず知らずのうちに重い溜息をついていた。
「恋とは……恐ろしいものでございますね……。止められないのです。止らない。届かぬ想いだ。届けてはならぬ想いだ。あの人に知られてはならぬ。知られては生きていられぬ。だが、私が密かに見るだけならば。見るだけならば許されないか。あの人の姿をたった一目見ることさえも、神は赦したまわぬのか。一目一瞬で良いのだ。一目見て、そしてもしも運良く……たった一言でもかの人と言葉を交わすことが出来たなら、私の想いはきっとかならず昇華される。残りの私の半生が、たとえ砂を噛むようなものだったとしても、私はかの人が掛けてくれた言葉を耳の奥に大切にしまいこみ、夜ごと思い返すだろう。私の耳の中で繰り返し響くかの人の優しい声音が、私を支えてくれるだろう。それを支えに生きていけるだろう。――ええ。私の禁忌の恋心は、日ごと、いや、一刻一秒のごとに、募っていきました。そして、私の貪欲で分別を忘れ果てた恋心は、一目間近に見ることがかなっても、一声を聞くことがかなっても、満ち足りることを知りませんでした。……心臓が、裂けるかと思いました。」
「ペレアス、もういいわ。もう、いいのよ」
少女らしい高い声が、見るに見かねたように言った。
クリュティエがペレアスの袖を引いている。
「いいのだよ。クリュティエ、君たちにも何度となく話してきたことだ。そして、うるさいほどに何度話しても飽かず私は悔い続けたし、憤り続けたし、悲しみ続けた。もうそろそろ、終わりにしたいんだ」
ペレアスがクリュティエの髪を優しく撫でて言い聞かせる。
「潤殿。私はその恋しい人への想いを手紙にしたためてございました。恋しい人はやがて、――いかなる奇跡が働いたのか、はたまたいかなる悪魔の謀であったのか――愛しい人となっても。手紙は、私がかの人と愛を語る唯一の手段でありました。いいえ、私は幸せだったのです。途方もなく幸せでした。『私は今はじめてこの世に生きている……!』、『いや、本当に生きているのか……?』――毎日が夢のようでした。目眩がしました。私の身体という身体に信じられないほどの熱い力が満ちていました。――でも、道化に人並みの生は許されぬのです。」
当時をペレアスの声が遠くを仰ぐような目をした。
「私は、王の怒りを買いました。私が愛したのは、王の后でした」



【3】アコーディオン弾き(スパイ)の話

「王の怒りを買ったのであれば俺も同じだ」
そう言ったのは、それまでペレアスの昔語りを黙って聞いていたイカルスだった。
「おまえも……? おまえは何やって怒りを買った?」
潤がイカルスに話の続きをと促すと、イカルスは眉間に皺を刻んだ顔に似合わず豪快に笑った。
「俺はその昔、楽士でしてね。城から城を渡り歩いては、やんごとない身分の方々に音楽を披露していたのですよ。無論、楽士とは建前で、実際のところはとある国の間諜でした。楽士は身軽な身の上。街中を歩けばその国の噂は嫌でも耳に入ってくるし、城に入れば尚更だ。もちろん、下手に動き回ると俺の身が危ない。城では大人しくして音楽以外には興味がない、という顔を通していましたがね。――ですが、ある時、俺にも焼きが回ったのですよ。……俺もペレアスじゃないが、護りたい人が出来た。ペレアスのいた城で出会ってしまったのです。囚われの身の婦人に。」
「囚われの身の婦人……?」
「ええ。ある夜、王の前で演奏を披露したあとに、俺は一人の侍女の世話になったのです。お恥ずかしいことに、王から振る舞われた葡萄酒にすっかり酔いつぶれてしまいましてね。服は汚すわ、呼んでも返事をしないわ。前後不覚といった塩梅になっていたらしい。彼女に世話してもらって目を覚ましのは、城中の人々もとうに寝静まった真夜中のことでした。かいがいしく世話をする彼女に俺は礼を言いました。彼女は一日中めまぐるしく立ち働いてたいそう疲れていたのだろう。着ているものも乱れていて――俺は見てしまったのですよ。彼女の肩に焼き印が押されているのを。」
「焼き印が、侍女の肩に? 焼き印といえば――」
訝しげに問い返した潤にイカルスは頷いた。
「ええ。潤殿の仰りたいことはわかります。その焼き印は罪人を表す焼き印でして。俺も正直不思議に思いました。焼き印を押されるような罪人がなぜ、城中の侍女としてとりあえずの自由を許されているのだろうかと」
「普通の罪人ではなかった、ということだろうか」
「そうなのです。私がそのことを知ったのは随分とあとになってからで……その時はただ、曰く付きの不憫な女性なのだろうとしか思っていなかったのですが。――彼女は、王の妹でした。」



【4】

「王の怒りを買ったということでしたら、わたしも一緒ですわ」
ふふ、と笑ってイカルスの言葉を引き継いだのはクリュティエだった。
「私は古では町の娘でした。こんな風に花を持って、お城の――そう、ペレアスがいたお城の周りの町中を歩き回って。お花が好きな方たちに、買っていただいて暮らしていましたの。」
彼女の手の中で折れた白い造花がゆらと揺れた。
「花を摘んで、それを愛でてくださる人たちに買ってもらって。それほどお金にはなりませんでしたけど、わたし、しあわせでしたわ。でも――わたしにはひとつだけ、夢がありましたの。」
「夢?」
問う潤の言葉に、縮れた髪の下の煤に汚れた少女の頬に、うっすらと赤味がさした。
「一度でいいから、お城の中を見てみたいって。わたし、ほら下々の人間でしたでしょう? お城の門の前は毎日のように通るのですけど、遠目に門を見るばかりで、全然見えないんですもの。時々、お城の行事があるときに門が開いても、お城の中までは見られませんし。」
おどけた風に唇をちょっとだけ尖らせて小首を傾げてみせるクリュティエの姿に、潤は思わず笑った。
「なるほどね。いかにも女の子の夢らしい。わからなくはないよ。」
「ふふ、なんだかうれしい。わたし、お城でお祭りなんかの行事がある日が特別大好きでした。だって、お城に入っていったり、出てくる人たちが見られるんでもすもの。ああ、こんな美しいドレスに身を包んだ方々が、きれいで上品で、格好いい素敵な方々がこのお城で暮らしていらっしゃるんだ、って。そう思ったらその日一日はとても眠れないほどでした。……大好きでした。だから、お城で何かがある日は、全部覚えていたんですよ。すごいでしょ。」
そう言って笑ったクリュティエはぽんと手を叩いた。
「でね。お城のお祭りの中でも私が一番好きだったのが、仮面舞踏会。」
「仮面、舞踏会――」
潤の脳裏を、仮面を被ってけたたましく笑い、飛び回って去った貴人たちの姿が過ぎっていった。
そんな潤の低い呟きを余所に、クリュティエはまた手を叩く。
「仮面舞踏会って、みなさま、いつにも増して素晴らしいドレスをお召しになるんです。それはもう目も覚めるような……。仮面を付けたらどなたがどなたかわからなくかもしれませんけど、でも、それはそれでドキドキですわよね。わたし、一度でいいから、仮面を付けて、手に手を取って踊る貴い方々を見てみたかったんですの。そうしたら――」
「誰に会ったんだ?」
ペレアスとイカルスの話からして予想を付けた潤が水を向けると、クリュティエは笑みの表情はそのままに、かっくりと肩を落とした。
「王子様、でした。――ごめんなさい。わたし、王子様だって知らなかったの……」
仮面舞踏会の日、王子は王子の衣装を脱ぎ捨てて、舞踏会への招待に預かった貴族たち、紳士たちに紛れてもわからないような姿をしていた。
そうして王子は、真夜中に人目を盗んで町へと繰り出そうとした。
そんな時に城門の前に張り付いていたクリュティエは、身をやつした王子に出会ったのだという。
「……わたし、あの王子様を助けたかった」



【5】

長い長い、いつ果てるとも知れなかった階段が、いつの間にかふつりと途切れていた。
四人はいつしか、平らな床の上に立っていた。
潤はあたりを見回したが、階段の名残のようなものはどこにもない。
「あの階段は役目を終えたのです。」
イカルスが言った。
「我らの古の時間に、潤殿、あなたを繋げるための役目を」
潤は呟いた。
「王の怒りを買った者たちの物語、か――」
クリュティエが小さく悲しげに笑った。
「わたくしたちが愚かだったのです。身の程知らずだったのです。ですが、わたくしたちには」
彼女は、ほんの少しだけ首を傾げて、自分の言葉を確かめるような間をおいた。
「わたくしたちには、助けたい人たちがいました。助けたくて助けられなかった人たちが。……みんな、炎に奪われてしまった……」
思わず潤は聞き返す。
「炎だって? 待ってくれ、助けられなかったのは昔の話だろう? とすれば、今このビルを飲み込んでいる火災の炎とは、違うのか?」
彼女は笑った。
「ええ。ペレアスの愛しい人も、イカルスの護りたい人も、私の慕わしい人も、――みな、古の炎に奪われたのです。また、これまで何度も奪われました。そして、いまもまた奪われようとしている……」
クリュティエの言葉に頷いたペレアスが、潤へと向き直った。

「私たちは、もうそろそろ終わりにしたいのです。……潤殿。」

三人三様に悲しい笑みを浮かべる人形たちが潤を見つめていた。
彼らの後ろには、鋼鉄製を思わせる重厚な扉が――収蔵庫の扉が静かにその姿を現していた。





<了>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 7038/ 夜神・潤 /200歳 /禁忌の存在

 NPC / ペレアス / ??? /オルゴール人形
 NPC / イカルス / ??? /オルゴール人形
 NPC /クリュティエ/ ??? /オルゴール人形

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■         ライター通信          ■
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シナリオへの参加、本当にありがとうございました!工藤です。
予告しましたとおり、本っ当ーに人形の昔話で終始しましたが…。
しかし、手を打ちたくなるようなプレイングをありがとうございました。
このあと章が続く関係上、お返し出来たところもありますし、
また、まだお返しできていないところやら、行間に隠れているものもありますが、、
私個人としましては、「ありがとうございます!」と思いながら
書かせて頂きました。
以降の章で全てお返しできる……と思います。

次章のプレイング内容につきましては、以下の通りです。
よろしければご参加くださいませ。
今回は簡潔明瞭でございます。

★もしも!一緒に行動するとしたら3人のNPCの内、だれを選びますか?
そのNPCの名前をお書き添えください。

その他としては、潤君がNPCそれぞれに対してどう思っているのか、
どういう態度を取りたいか、どんなことを聞いてみたいかなどをお書きください。
(質問系の場合はお答え出来る場合と出来ない場合があります。)