■人形博物館、見学■
伊吹護 |
【7348】【石神・アリス】【学生(裏社会の商人)】 |
ぺこり。
そんな音が聞こえたかと思うくらいに深く、目の前の少女は深く頭を下げた。
いや、少女というのは少々失礼かもしれない。
幼く見えるが、おそらく二十歳は越えていると思われる。
染めていない艶のあるまっすぐな黒髪は額で切りそろえられて。
切れ長の瞳に、よく言えば落ち着いた雰囲気を、悪く言えば地味な顔立ち。
典型的な和風な面差し――だが、美人ではある。
「いらっしゃい、ませ――」
顔を上げた彼女はか細い声でそう言うと、そのまま止まった。
動き、どころか――表情さえも、そのまま時間が止まってしまったかのように身動ぎもしない。
どれだけの時間だったろうか。
数分間にも感じたが、実際は十数秒だったのかもしれない。
薄暗い、しかも静寂に満ちたこの館では、過ぎる時間が妙に長く感じる。
場が持たなくなる。
「ご見学、です……か?」
唐突に。
彼女は再び言葉を発した。
無機的に唇を動かすと、またぴたりと静止する。
「五百円、です」
どうも、会話がしづらい。
こちらからも反応すればいいのだが、どうもテンポがつかめない。言葉が彼女の沈黙に吸い込まれてしまうような、そんな感覚。
だけど、ここで物怖じして帰るわけにはいかない。
今日の目的は、この『人形博物館』。
怪しげな洋館『久々津館』内に設けられた小さな博物館だ。
展覧してあるものは、からくり人形を中心とした、多種多様な人形。
でも、それだけではない。
この博物館、奇妙な噂が耐えない。
それは、管理人をしているらしいこの炬と言う女性もしかり。
展示物も、曰く付きのものばかりだという。
入ったきり、戻ってこない者がいる、だとか。
突然動き出した人形に襲われたとか。
人間になりたがっている人形たちが、心の弱い人間を見つけて、入れ替わろうとしているだとか。
その噂が根も葉もないものかどうか。
それを調べるために来たのだから、こんなところで帰るわけにはいかないのだ。
女性に硬貨を一枚手渡すと。
薄暗い館の中、尚闇が濃く見えるその奥へ、一歩、足を踏み出す。
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人形博物館 -視線-
まとわりつくような空気。
服の隙間から染み込んでくるような湿気。
じめじめ、じとじと。
雲は灰色を濃くし、雨が今にも降り出してきそう。
ああ、鬱陶しい。
こんな日は、エアコンの効いた部屋で、ゆっくりと自分の集めた品々でも眺めて過ごしていたいのに。
石神アリスは、そんなことを考えながら軽くため息をついた。
身も心も重たい。
気は進まないが――それでも、仕方ない。道を急ぐ。慌てるかのように、歩を速める。
あんな噂を聞いたら、出向かないわけにはいかないのだから。
それを聞いたのは、学校でのことだった。
――知り合いの友達でさ、行方不明になった子に……なんか、そっくりな人形があったんだって。
他愛もない会話の途中に出てきた、よくある怪談話。だけれどその話は、アリスにとって聞き捨てならないものだった。
気にしているとは気づかれない程度に、慎重に、話の詳細を確認する。
そして、確信する。
目の前のクラスメートは『知り合いの友達』と言っているが。
それは、つい一ヶ月前までこのクラスにいた少女だった。しかも、話している当人とは親友といっていい仲だったはずの。
忘れているのだ。
正確には、忘れさせられた、というべきか。他の誰でもない、石神アリス、この自分に。
それだけではない。
行方不明の少女も、自分が『そう』したのだ。自らの力で。
魔眼。
それがアリスの持つ能力だった。瞳の持つ魔力。眼を合わせたものを従わせ、その記憶を乱し、また、石化させることすらできる。そんな人外の力。
人々から忘れられたその少女は、アリスのその力の一端を偶然にも見てしまった。だから、石化させたのだ。そして、丹念に周囲の皆の記憶からその子に関することを消した。その上で、足のつかないところに石像を売り払った。はずだった。
なのに、こうして話にあがっている。幸いにして、周囲の記憶は呼び覚まされていないのだろう、見も知らぬ少女の話にはなってはいるが。
実際に確認しにいく人間などが出てきてしまっては、かなりよろしくない。万が一ということもある。
その日のうちに、アリスはその人形があったという場所――久々津館に向かったのだった。
さっさと片付けてしまおう。
そんな気持ちに逸っていたといえば、そうなのかもしれない。
蔦が絡まった門柱に『久々津館』という看板を見つけたときには、大きく肩で息をしている自分に気づいた。
――わたくしとしたことが……ちょっと、冷静にならなくては。
大きく息を吸い込む。吐き出す。深呼吸。
――いざとなれば、石にするなり、記憶を操作するなりしてやればいいんだし、ね。
少しでも落ち着こうと、そんな風に楽観的にも構えながら、敷地内に入る。
庭は、意外にも小奇麗に整えられていた。
建物は、古風な洋館。人形を取り扱った博物館と聞いていたが、ほどなく見えてきた観音開きの大きな扉に『人形博物館―ご自由にどうぞ』という札が掛けられていなければ、とてもそうとは思えなかっただろう。
扉を押し開ける。見た目に反して、滑るように簡単に開いていく。その先は、ホールになっていた。結構広い。
人気はないようだ――いや。
いた。
正面奥。カウンターと思しきところに、こちらを向いて一人の女性が立っていた。
「いらっしゃいまセ。人形博物館へようコそ。見学、ですか?」
たどたどしい、感情のこもらない声で出迎えられる。ストレートの黒髪に、切り揃えられた前髪。美人だが、どこか印象の薄い顔立ち。
まるで、日本人形のよう。それが、最初に抱いた印象だった。
見学であることを告げると、入館料を告げてくる。500円。そんなに高くはない。
支払うと、黒髪の女性はカウンター脇にある通路を指した。どうやら、そちらが入り口らしい。
――まずは、一回りしてみましょうか。
心の中で呟く。見つかれば、それでよし。その場で対処してしまえば良い。後はなんとでもなるのだから。
「なるほど、人形博物館、を名乗るだけのことはありますわね……」
小さくだけれど、独り言が漏れてしまう。
博物館の品揃えは、それほどに充実していた。親が美術館を経営し、自分もそれに加わっているのだ。審美眼には自信がある。ここに置いてある人形たちの価値も、なるほど、質量ともにたいしたものだった。
ただ、それがゆえに。
当然、目的の石像を探すのも一苦労だった。なかなか見つからない。それぞれの部屋は地域や、種類や、時代でうまく分かれている。探しやすいとは言える。それでも、見つからない。館内は、外から見た印象よりもだいぶ広かった。
いや――広すぎる、か。
頭の中で警告音が響く。ここはやはり、自分の異能と同じ匂いがする。異常な空間。
そうは思っても、まだ甘く見ていたのかもしれない。
順路、という吊り看板に従って、数十分。いや、一時間は越えていただろうか。もう数も覚えていないその看板の向こうには、『関係者以外立ち入り禁止』と貼られた扉があった。
展示物が、ここの人形の全てではないだろう。既に、入れ替えられた可能性はないとは言えない。
辺りを見渡す。人の気配はない。
まあ、もし見られたところで、見られた、という記憶を消してしまえばいい。
そう思いながら、静かに、身体を扉の向こうに滑りこませる。
扉の向こうは、通路になっていた。
展示室とは違い、装飾も何もない無機な廊下。その両側の壁には、一定間隔で、同じく無愛想な扉がついている。
通路そのものは、しばらく先で折れ曲がっているようだった。
ここにも人の気配はない。
遠慮なく、手前から扉を開けていく。鍵はかかっていなかった。
中は、倉庫になっていた。大量に、しかし整然と並ぶ人形たち。
そしてその部屋は――マネキンで埋め尽くされていた。
さすがに不気味だ。石像も無さそうにない。すぐに閉めた。
続いて、向かい合わせの扉も開ける。こちらは、縫いぐるみで占められていた。まあ、人形と言えば人形とは言えるだろう。
どうやら種類ごとにまとめてあるらしい。ならば、石像の部屋もあるのかもしれない。
期待しながら、扉を開けていった。
そして。
数えて五つ目の部屋。
そこが、当たりだった。床一面に、大小さまざまな石像が並んでいる。
さっそく、探し始める。等身大の石像、見知った顔の石像を。
――あった。
すぐに、それは見つかった。
驚いた表情を正面に向けている。自分だけがはっきりと覚えている、あの不運なクラスメート。その顔、姿をした石像が、部屋の隅に佇んでいた。
噂は本物だったらしい。どうしてこんなところに流れてきたのか。それも気にはなるが、まずは事態の収拾だ。こいつを処分しなければならない。
――ちょっとだけ、もったいないけれど。
手を伸ばす。そっと、押してやるだけでいい。
「そこで、ナにをしているのですか?」
と、そこで。背後から、誰何の声。
――落ち着け。
咄嗟に、自分に言い聞かせる。表情を作る。
「あ、ごめんなさい。なんだか、迷ってしまって」
申し訳なさそうな顔をしながら、振り向いた。
視界に入ってきたのは、先ほど受付にいた女性だった。
その表情は読めない。
「ここは、関係者以外、立ち入り禁止デす」
その平坦なイントネーションは、まるで合成音声のようだ。
「ごめんなさい。出口は、どちらでしょうか?」
そういいながら、近づく。少しだけ、上目遣い。相手もこちらへ歩み寄る。
視線を、合わせた。
辺りは、石像だらけ。これほど都合の良いことはない。一体くらい石像が増えたところで、すぐには気づかれまい。この館から出るまでの間だけ、時間が稼げれば十分だ。
瞳に力を込める。ほどなく相手は、その指の先すらも動かせなくなる、石化の呪。
……。
「どうか、いたしましタか?」
小首をかしげ、こちらを見返す相手。
――おかしい。そんなはずはない。
もう一度、強く相手を射抜く。
何も起きない。効いていない。抵抗された風もない。嘘だ。こんなことは、今までなかった。一度たりとも、なかった。ありえない。まったく効かないなんて。
嫌な汗が頬を伝う。
「どうかしたの? 炬」
呆然と立ち尽くしていた、そのとき。
声をかけながら、もう一人、誰かが部屋に入ってきた。かがり、と呼ばれたのが、目の前の黒髪の女性だろう。
「あら、お客様? こんなところに入ってきてはいけませんよ? こちらは展示室じゃありませんよ?」
打って変わって、こちらは優しげな声だった。女性にしてはかなりの長身に、金髪碧眼。整った、いき過ぎない程度に彫りの深い顔立ち。絵に描いたような美女だった。
――こちらだけでも、操れれば!
咄嗟に判断し、視線を向けた。
相手の顔が歪む。効く! いける!
さらに力を込めようとする――いや、した時だった。
突然、目が――眩む。焦点が合わなくなる。蠱惑的な表情を浮かべた相手の碧い瞳が、集中力を削いでくる。
これは。
「魔眼――ね。しかも、相当強力な。でもね。残念ながら、私も似たようなものを使えるのよ。私のは、魅了ってくらいだけど、ね。でも、貴女の力を削ぐくらいは、なんとか」
そんな台詞が聞こえた。
「泥棒さんかしら? いえ――ああ、ひょっとして、あの石像かしら。最近手に入ったけど、どうもおかしいなと思ったら。貴女が、やったの?」
さらに瞳が剣呑な輝きを帯びる。まるで自分の瞳を鏡映しで見ているようだ。
焦点を結べない視界の中、脱力する身体をなんとか保たせながら、いったん目を逸らす。
「さあ、どうでしょう、お姉さま? お名前は?」
意識で負けないよう、相手を見下すように言葉を捻り出す。
「レティシア。レティシア・リュプリケよ。こっちの子は、炬。この子はね、人じゃないの。分かる? 人形に近い、もの。だから貴女の視線が効かないみたいね」
余裕一杯の、子供をあやすかのような口調。気に食わない。
隙を見て。
再び、目を合わせる。渾身の力を込めて。怒りに近い感情を込めて。
相手の顔が歪む。膝をついた。隣の、炬と呼ばれた女がレティシアを気遣うように手を伸ばそうとする。
今だ。
全力で走る。肉体労働は得意じゃないのに。そう思いながら。
炬を突き飛ばすようにして、扉から飛び出て、一目散に走る。展示ルートに戻る。一瞬の判断で、先へ進む。
幸いにも、出口はすぐそこだった。玄関ホールを走りぬけ、一気に外に出る。
追いかけてくる様子はなかった。
敷地から少し離れたところでそれを確認すると、その場に座り込む。
さすがに、息が切れた。
にしても。
予想以上だった。危なかった。油断――も、あっただろうし、相手が分かっていたとして、万全の準備をしていっても、果たしてうまくいっただろうか。それほどの相手だった。
それでも。
あの石像は、なんとかしなければいけない。気づいていた様子だし、相手がどう出てくるか分からない。
でも、準備と計画がいる。
まあ、にしても、取り合えずは――
今日のところは、帰ろう。噂の方はは、少しずつ消していけばいい。そうする手段はある。かなり面倒だけれど。
焦る心をなんとか落ち着けて、家に向かって歩き出す。
なんだか。
あれだけのことがあったというのに。
アリスは、少しだけ。上機嫌になっている自分がいるのも感じていた。
久しぶりに、やりがいのある相手。
だからだろうか。
今回は、痛み分け、というところにしておこう。
次は――負けない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【7348/石神・アリス/女性/15歳/学生(裏社会の商人)】
【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
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■ ライター通信 ■
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伊吹 護です。
初めてのご依頼ありがとうございます。
アクションがはっきりしていて、私も特に今回は楽しく書くことができました。ご満足いただければ、幸いです。
もしよろしければ、今後ともよろしくお願いいたします。
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