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■青春流転・伍 〜清明〜■

遊月
【7401】【歌添・琴子】【封布師】
 自分を取り巻く空気が変わる。もう慣れたといっても過言ではない現象。
 広がる青い空間と、ひらりひらりと舞う花びら。
 満開の桜の下、振り返った人物――ソウは、青銀の髪を揺らして悔いるように呟いた。
「時は戻らないと、わかっているのに。願ってしまうのは、弱さ故なのでしょうね。――貴方でなければ、よかったと」

◇青春流転・伍 〜清明〜◇




 歌添琴子の眼前を桜の花弁が過ぎったのと、彼女を取り巻く空間が青に染まったのとは同時だった。
 驚きはしなかった。五度目ともなれば慣れるというのもあるが、何よりもその際に会える人物のことを思えば、喜びが勝る。
 琴子は導かれるように視線を動かした。その先には、咲き誇る桜と、その下に佇む人物――ソウの姿。
 声をかけようと口を開いた琴子はしかし、振り返ったソウの瞳に息を呑んだ。
 深い、深い悔恨を秘めた瞳が琴子を映す。そして浮かべられるのは自嘲するような笑み。青銀の髪を揺らして、彼は呟いた。
「……時は戻らないと、わかっているのに」
 何処か遠くを見るように目を細め、ソウは淡々と言葉を紡ぐ。
「願ってしまうのは、弱さ故なのでしょうね。――貴方でなければ、よかったと」
 唇は笑みの形に歪められ、瞳には潤んだ様子など微塵もないのに、琴子は彼が泣き出すのではないかと思った。
 それほどに、悔恨と悲しみに満ちた声音だった。
 琴子は一度目を伏せ、拳に力を込めた。心を鎮めるために深く息を吸う。
 そして顔を上げ、静かな声ではっきりと言葉を放った。
「本心でおっしゃっているのですか?」
 ソウが僅かに目を見開く。その様に、言い様のない感情が己の内に湧き上がるのを、琴子は感じた。
 まるで琴子がそんなことを言うなどと思いもしなかったとでもいうような――これまで伝えてきた自分の想いをわかっていない反応だと琴子は思う。
「どのような縁であれ、ソウ様と過ごした時間はかけがえのないものです。とても大切に思うから……あなたが背負っているものを、私にも背負わせてください」
 一歩、琴子は足を踏み出した。微動だにしないソウとの距離が、その分縮まった。
「教えてくださいませんか、すべてを」
 また一歩。
 ああ、以前にもこんな風に近づいたことがあった、と過去を思い返して、琴子は何だかおかしくなった。
 近づいても近づいても、幾度想いを伝えても、真の意味で彼に近づけたことはなかったのかもしれないと思う。
「あなたが当主様と何を約束されているのか、私は知りたい」
 距離は零。睦言を囁き合うような距離で、琴子は真っ直ぐにソウの瞳を見つめた。
「ただ、ひとつだけ……お願いがあります。お話の間、手を握っていてください」
 ふ、と琴子は笑みを浮かべる。ソウが戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「あなたの手の暖かさを拠り所にしたいのです。……私だって弱い。でも、ソウ様がいてくだされば……」
 そこまで言って、琴子は目を伏せて苦笑した。
「……私、あなたの気持ちを聞いていませんでしたね。私の心を伝えられれば、それだけで構わないと想っていました。……なのに、ソウ様に想われたらどんなに幸せだろうかと――応えてもらえたらと、望んで。これからもずっと、一緒にいたいと……願うようになってしまいました。……それは、あなたには辛いだけなのでしょうか」
 再び、琴子は何の感情にか揺れているソウの瞳を見据える。暫しの沈黙。
「――貴方は、」
 ぽつり、とソウが呟いた。
「私に心を向けるべきではなかった。貴方のような人には、もっと良い縁が幾らでも有り得たのですから。――その可能性を絶やしたのは、私ですが」
 その口元に笑みが浮かぶ。昏い、笑みだった。
「全てを知りたいと、そう望まれるのですね」
 ソウは琴子の痣の浮かぶ手を取り、両手で包み込んだ。まるで祈るようにそれを額に当てる。見上げた琴子の耳に、微かに震える声が降ってきた。
「――…申し訳、ありません」
 何に対しての謝罪なのかと、訊くことはできなかった。代わりに琴子は、違う問いを言の葉にのせる。
「……桜の痣が咲いたら、苗床――私の中で育った何かがあなたに喰われるのですか」
 額に当てられていた手が下ろされる。けれど、琴子が望んだとおり、その手が解放されることはなかった。伝わるぬくもりが、琴子の言葉を後押しする。
「どのような答えでも、覚悟は決めています」
「……その、『心』こそが――私に向けられた、この『器』に向けられた『心』こそが、必要だったのです」
 視線を外し、目を眇めるソウ。舞い散る桜の花弁と相俟って、まるで消えてしまいそうだと琴子は思った。無意識に、繋がれた手に力がこもる。
「我が一族は、当主によってつくられ、当主のために――彼の願いのためだけに存在するものです。『降ろし』のための『器』であることこそ、私の存在意義。何度も何度も繰り返しました。苗床を得て、『印』を咲かせ、『儀式』によってそれを喰らい――記憶だけを継いで、私は存在し続けた。……『青春』の器はひとつきりです。『儀式』の度に全ては白紙に返り、記憶によって再構成される。多少の差異はあれど、『私』は同じような意識を、心を持って当主に仕えました。――ただひたすらに、彼の願いを叶えようと」
 ソウは小さく息をついた。紫水晶の瞳が琴子を映す。
「今回も、同じように『私』は終わるのだと思っていました。例え他の季節が全て、あの方の悲願を叶えることなく過ぎ去ったとしても――いえ、だからこそ、私だけは、と。……そう、思っていたのに」
 そこで一度言葉を切って、ソウは目を細めた。そしてその双眸が閉じられる。
 再び彼がそれを開いたとき、その色彩が深く濃く変化したように見えた。彼が何らかの決断をしたのだと、琴子は直感する。
「私に、『儀式』を止めることはできません。きっと、貴方に同じだけの想いを返すこともできない。共に居たいと仰る貴方に私ができるのは、私に残された僅かな時間を捧げることだけです。……それでも良いと仰るのなら、いらっしゃいますか。我が一族の本邸へ。あの方のためだけにある、あの方が夢にまどろむための閉じた世界へ。一歩踏み込めば、外界へ連絡を取ることもかなわず、望んだとしても『穀雨』までは出ることすらできない。決して快適とはいえない場所です。……それでも、貴方は私と共に居たいと、それを選ぶと仰いますか?」
 微笑を浮かべるソウの、触れた手から伝わる温度に、何故だか切なさがこみ上げる。
 彼を真っ直ぐに見つめ返して、琴子は「……はい」と頷いたのだった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【7401/歌添・琴子(うたそえ・ことこ)/女性/16歳/封布師】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、歌添さま。ライターの遊月です。
 「青春流転・伍 〜清明〜」へのご参加有難うございます。

 ソウとの五度目の接触、如何だったでしょうか。
 今回のシナリオ内で、ソウはソウなりに色々考えていたりするのですが、次回に繋がることが多いためにまだ不透明な感じとなってしまいました。その辺りは最終話にて明かされることと思います。
 そして、本当にいいのかな、と思いつつ、本邸にご招待、ということになりました。これから『穀雨』までの間、本邸で過ごして頂くことになります。

 ご満足いただける作品に仕上がっているとよいのですが…。
 リテイクその他はご遠慮なく。
 それでは、書かせていただき本当にありがとうございました。