■【炎舞ノ抄】彼方の嵐■ |
深海残月 |
【3654】【ステイル】【マテリアル・クリエイター】 |
――――――…夢と現の狭間の世界、聖都に届かぬ大地にて。
土色の炎を纏った凄まじい暴風が舞い狂う。
そう形容したくなる惨事が目の前で起きている。
あまりに突然であり、暴悪極まりないその所業。
まさかこれが、たった一人の人間の起こした事などとは思えぬくらい。…いや、これは人間か。人型をしてはいるが、既に人とは思えない。…既にその身は魔性のもの。
黒血の如き虚ろの瞳。
同じ彩りに濡れ汚れた袴姿の和装。
頭後上部で束ねられ垂らされた総髪の長い黒髪は、荒々しい風に煽られ靡いている。
手には、血刀。
柄を握り持つ腕、はためく袖口から見えるその手首には手鎖の如き鐡の環が嵌められている。その環に付いている何処にも繋がらぬ断ち切られた鎖。暴風は重みのあるその鎖すら軽やかに暴れさせ、鍔にかち合い硬い音を響かせる。
暴風と見紛うその者の佇まい。
荒々しく舞い狂う獄炎の鬼気は、場にあるすべてを圧倒する。
そんな異様な若者が何処からともなくこの場に降り立った事で、この場に唐突な破壊が――殺戮が齎された。
どれだけ壊されたかわからない。
どれだけ死んだかもわからない。
若者の持つ黒血の如き虚ろの瞳が、己で毀した周囲を舐める。
他者の姿が視界に入る。
入るなり、血刀の切っ先もまた、自然とそちらに向けられる。
次の獲物はそこにある、と。
――――――…他ならぬ、貴方に向けて。
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【炎舞ノ抄 -抄ノ壱-】彼方の嵐
状況に付いていけていない、と実感する。
今、俺は依頼の帰り道、休憩の為にこの小さな村に立ち寄ったところ…の筈だった。
何処か適当な店を見付けて一息吐こうと考えていたそこで、唐突に、『それ』、は起きた。
思えば、初めから俺はそいつの姿を確認していた。
その時はまだ、特にそいつを気にしていた訳では無いのだが――少なくとも初めからその存在がそこに居る事を認めていたのは間違いない。
何故か一瞬、見た通りの存在である――『人間』である事を疑った。…それはこのソーン世界は数多の世界から数多の種族が訪れてもいる。人間と呼ばれる存在で無くとも外見だけなら人間に見える存在も居る。…かくいう自分も動器精霊で元は物体――刀である以上、他者の事は言えない。けれどこの場合、そういう違和感では無く――上手く言い表せないが何かもっと異質な感覚を抱いてしまった。
けれど、その時はまだ――俺の気のせいだろうと思い、特に気に留めていなかった。
…後になって考えれば、刀の動器精霊である俺が、いかにも人間らしい『気のせい』などと言う微妙な感覚を持つ事の方が――余程有り得なかったのだが。…『気のせい』などと思うなら、何か原因や根拠があって初めてそういう感覚を抱いたのだと、その時点で気付いているべきだった。
…長年、自分は『人間』らしくは見えないのだろうなと一応自覚してはいたのだが――それでも俺は案外『人間』の感覚に馴染んで来てはいるらしい。
良きにつけ悪きにつけ。
――『そいつ』は悠然とした足取りで歩いていた。
そいつは、俺より少しだけ早くこの村に着いていた旅人か何かのように――いや、旅装でもないか――ともあれ、少なくとも村人の視点で見れば何処にでも居そうな単なる余所者のような姿で、そこに居たのだと、思う。
異界に於ける武家らしい風体、袴姿の和装。
総髪の長い黒髪を頭後上部で括ってそのまま垂らしている。
年頃はまだほんの書生程。…つまりは俺の通常時の外見――二十歳――と大して変わらない程度の年頃なのだが。
ただ。
その姿に、少し引っ掛かる事はあった。
――――――両の袖口から、それぞれ、断ち切られた鎖のような物が少し垂れている。
ファッションと言うには無骨かつ唐突過ぎるような、鎖が。
こういう言い方も何だが、まるで縛められていた手錠が切れた後、のような。
そんな風に見えてしまった。
それからもう一つ。
――――――抜き身の日本刀、打刀を持っている。
つまり、鞘にも納めていない状態の刃物を――『武器』を右手にぶら下げている。
ちょっと待て、と思う。
…日本刀は、鯉口を切った時点で戦闘状態に入ったも同然である。抜き身なら尚更。…手入れの時や刀剣職人に託す時でもあるならいざ知らず、他ならぬ道端で、鞘からほんの少しでも刀身を晒したらその時点でもう言い訳は効かない。
なのにそいつは――その青年は、ごく平然と、抜き身の日本刀をぶら下げている。
よく見れば、鞘自体を所持していない。
が。
その姿が、何故か、あまりにも自然に見えてしまい。
何故か――それがおかしいのだと言う事にすぐ気付けなかった。
不意にその青年が立ち止まり、空を仰いでいる。
何か、祈っているようにも見えた。
暫くそうしていたかと思うと、今度は無造作に周囲を見渡す。
――――――その過程で、青年の瞳が妙に赤く見えた気がした。
初めはただ、髪と同じ黒い色の瞳だと思っていたのだが。
青年の視界には、当然のように人の姿が入っている…のだろう。
村人だったり、旅人だったり。…ここは街と街の間にある中継地点――最適な休憩地点にもなるので、小さな村ではあるがそれにしては人出は多い。
恐らく青年の視界に入った人数も、少なくない。
青年は右手でぶら下げていた日本刀を、ゆっくりと、無造作に――上段に振り上げる。
その過程で柄に左手を添えつつ、慣れた手付きで揮う形に。
刀身が振り上げられた時には、下半身も力が籠め易い形に踏み込まれていて。
気が付いた時には籠められたその膂力のままに、青年の持つ凶器は振るわれている。
俺は何故かその一部始終を黙って見ている。
――――――黙って見ていてしまった。
あまりにも現実感が無くて。
鬼気迫るような気配も一切無くて――闘気も殺気も何も無くて。
刀を振るったような気など、全く、しなくて。
白刃の軌跡と共に爆ぜるように大量の朱色が飛沫いても、まだ、今の状況に理解が届いていない。
何が起きたか。
この青年が何をしたのか。
…青年はまた次の動きに移っている。
ごく自然な所作で当然のように刀身の血振り。
その時点でこの青年が何をしたかなど明らかなのに、まだ俺はまともに動けていない――身体の方が対処しようと動いていない。
青年は、自分が今為した事など気にもしていないような態度で、歩を進めている。
構えている、と言う気はしない。けれど、すぐさま攻撃に転じる事が可能な形で日本刀を握っている事だけは見て取れた。
見て取れはしたが、動けない。
俺だけじゃない。俺以外の今ここに居る――青年の周囲に居る誰も、その動きに反応する事が出来ていない。
――――――なのにまた、青年の握る日本刀が振るわれる。
ごく無造作に。
簡単に。
それでまた、大量の朱色が飛沫く。
同時に、触れただけで焼けると思える程の、やけに黒く見えた灼熱の風が渦巻いた。
凄惨に。
…凄惨だと。
それが凄惨な状態なのだとやっと実感出来た頃には、周囲にはもう殆ど生きている者が居なかった。
やっと、足が動くと自覚する――身動きが取れるようになる。
…何だ、こいつは。
思っても答えが返る筈も無い。
今度は青年の視界に俺が入っている――こちらを見ているのが、わかる。
今度こそ、こちらを圧倒してくる鬼気を――明らかな灼熱の獄炎を、纏って。
それでいて、赤黒い瞳だけは何処か虚ろなままに。
こちらを見ている。
…否。
青年の視界に入っているのは俺だけでは無い。
『人』は俺の見ている側に――俺の視界の中に居ただけじゃない。俺の背後の側にも間違いなく居た訳で。
今、直に見てはいなくとも、こうなる前までに、俺は何度か視界に入れていた。声もしていた。気配もあった。
当然ここには、俺だけが居た訳では無くて――。
他にもまだ、たくさん人が居た筈で――。
――――――青年がゆっくりと日本刀の切っ先をこちらに向けてくる。
それで、俺は。
…何故そうしたのか自分でもよくわからない。
ただ、瞬間的な判断で――目の前の青年よりも、自分の背後に居た筈の者たちを気にしてしまう。こんな状況でこの青年から目を離す事自体が危険極まりないと理解しているのに、青年から逃げるでも青年に対峙する為身構えるでもなく、先にただ振り返る事を選んでしまった。
こうなる前までに背後から聞こえていた声が、まだ幼い子供の声に聞こえたからかもしれない。
視界の隅。案の定、その子供が言葉も無くへたり込んでいる。…他の奴。朱に塗れ、倒れている者が殆ど――恐らくはもう無理。誰も彼も絶命している――もしくはその寸前であると判断。思い付くのは青年の為した攻撃の――灼熱の、魔法的な威力まで伴っていた剣圧の余波。なら何故自分は無事なのか――正体が刀である事、それと意識するまでもなく感じられていた青年の気配が自身の属性と同じ方向――火と土――だったのがその原因だろうと後になって気付く。
ただその時は、考えるより身体が動く方が先だった。
振り返った時に見付けた幼い姿。
和装の青年が纏う異様な鬼気。
今この場で彼が為した、これまでの所業。
自分の属性と、正体と耐性と…まぁその辺諸々。
刹那の間、考え合わせての判断。
気が付いたら地面を蹴っていた。振り返った時に見付けた子供を庇う形に――子供のその身に一気に跳び付く。殆ど同時に背中に斜めに――袈裟掛けに灼熱を感じた。あの日本刀で直接斬られたと理解。…青年からは切っ先は向けられていても、そんなすぐにこの身に届く間合いでは無かった筈――本当に一気に間合いが詰められている事も同時に理解する。
…こうなってしまえば痛いとか熱いとか言ってる場合でもない。次の行動を選択――火属性を刻み込んだ短剣と土属性を刻み込んだ短剣。片腕で子供を抱いたまま、空いた片手でその二本を抜き一気に魔力を籠める。籠めたその魔力をこれも一気に練り上げて背後に放出――相手の獄炎の剣圧と似た形になる炎の壁を擬似的に造り上げ巻き起こす。威力の強弱、効果があるかどうかなど考えている間は無い。ただ、一番手っ取り早かったからこその行動。一番の目的は目晦まし。
自分が跳び付いた先――今俺の片腕の中に居る子供。余程の恐怖だったのか殆ど反応は無いが、少なくとも生きている事は確認。どうやら奇跡的に負傷も無いらしい。内心、ほっとする――同時に、何か声を掛けるべきだとも思うがやっぱりそんな間が無い。炎の壁で自分と子供を庇ったまま、倒れるように物陰に転がり込む。…この村の建物は主に土を使われ作られているらしい。…ならば閉め切って蒸し焼きにでもされない限りは恐らく大丈夫。ただ物陰に居るだけでもそれなりの盾にはなる。
思い、子供を解放すると、宥めるように――あやすように、その子供の頭を軽く一度だけ掻き混ぜた。
それで、こちらの言葉を聞かせようとする。
「ここで待て。絶対動くな。口も開くな」
それだけ残しすぐに物陰から転がり出、出たところですかさず地を蹴り駆け出す。後ろを――子供の事は一顧だにしない――見ない方がいい。もし万が一、相手の興味が向こうに行ったら困る。思いながら先程の短剣二本に再び魔力を籠め練り上げる。同じ形の炎の壁。今度は敢えて目立つように――下方から上方の広範囲、自分を庇う形にまで巻き起こす事をした。これで相手はどう出る。思い、様子を窺おうとするが――様子を窺うまでも無く、その炎の壁を突き破る形で勢いよく人影が躍り掛かってきた。和装の青年。こちらに躍り掛かる形で空中に居るままに、通常の脇構えより深く引いた独特な形で日本刀が斜め後方に大きく振り被られている――次の瞬間には、その刃は勢い良く俺に叩き込まれていた。
殆どコマ落としのスピード――受けられたのが奇跡。元々抜いていた火属性と土属性の短剣。その二本の鍔の部分でぎりぎり受けられていた――速さもだが、力の方でもぎりぎりに近い。まぁ、抜いてから持ち替える間も無かった為に片手で受けていたのだから当たり前と言えば当たり前だが。思った時にはもう押し切られ肩口が斬り込まれている――元々そうなると思っていたので、空いたままだったもう片方の手を和装の青年に向けて鋭く振り抜く事をした。鍔が押し切られ肩口に斬り込まれたのと殆ど同時の事。空いた手に装っていた金属ブレスレット二つが勢い良く腕から抜け、青年へと真っ直ぐ飛んで行く――その途中でブレスレットは二つとも投擲用の短剣に変化し、勢いのまま殆ど時差無く青年の身に到達し突き刺さる。
途端、少しだけ、肩口に斬り込まれている力が緩んだ気がした。
かと思うと、和装の青年は何故か――不思議そうに首を傾げている。自分が短剣を受けた事そのものが不思議、と言う仕草には見えない。それとは別に、ただ純粋に、俺を見て。俺に対して何か不思議に思ったようで。…むしろその投擲したブレスレット――結構切り札的に使ったつもりの短剣でのダメージは全然無さそうな辺りが若干空しい。
和装の青年は、何処か虚ろな赤黒い――古びて乾いた黒血の如き色の瞳をじっとこちらに向けている。
その状態で、不意にその口が開かれた。
「…汝は」
「?」
「刀の精か」
「――」
まさか、看破されたのか?
内心で動揺する。
もし万が一銘まで知られてしまったなら、それこそ最期。
思っていると、黒血の如き色の瞳が、嗤う。
こちらの目が覗き込まれている気がした。
何となく、理解した。
――――――俺の瞳の色は、元の刀そのまま。
肩口から重みが消える。力が緩められたどころか、刀が引かれた。
…驚いた。
思わず目を瞬かせる。
何のつもりかと思う。…いや、そもそも普通に歩いているところでいきなりこんな凶行に走る方が余程「何のつもりか」だろうが、既にこれだけの事をしている状態で、俺に対して刀の精か、と呟くなり退かれては――それこそ混乱する。
刀が引かれたところで、少し身体がよろめいた。
…背中に肩口、と結構深い負傷がある以上仕方は無いが。
と、思うが。
次の瞬間、本当にどうしようもないくらい驚いた。
よろめいたそこで、あろう事かこの傷を付けた当人、和装の青年その人に俺の身が支えられたから。
やけに優しい仕草で背が支えられる。
「…委ねろ」
間近で囁かれた、何処か、笑みが籠められた科白。
途端。
支えられた背中から押し上げられるようにして――自分の身が一気に浮遊した気がした。
同時に目の前が暗くなる――視界が利かなくなる。
身体が暴風に煽られるような強烈な圧力と、何も考えられなくなるような全身を苛む痛みと熱の感覚に襲われる。
何が起きたのかわからなかった。
後になってから、わかった。
――――――あの灼熱の獄炎に、巻かれた。
気付いた時には身体が地面に崩れ落ちていた。
何だったんだ、と思う。
身体の節々が酷く痛む気がする。けれどそんな気がしていると言う時点で俺はまだ人間形態のままで生きている訳で、これからどうするにしろまずは今の状況を把握する必要がある。…そもそもあの青年はどうなった。俺が庇った子供は。この村は。…色々気懸かりな事はある。
青年の操る炎に巻かれていたらしいとは理解したが――どういう原理だか、俺の身は本当の意味で焼かれてはいない。手を見れば火傷も無く服を見ればそのまま。特に焼け焦げている訳でも無い。
身体の方は焼かれたように悲鳴を上げている気がするが、それでも何とか身を起こす。
まず、周辺の様子を確認。
やや離れた位置、青年が無造作に家屋の壁に寄り掛かっていた。
何か、待っていたように。
こちらを見ている。
――――――俺が起きるのを待っていた?
思ったところで青年が家の壁から背を離す。…どうやら思った通り俺が起きるのを待っていたらしい。こちらに向かって歩いてくる。何故か手に得物は無い。
身体が重くまだ確り立ち上がれていないながらも、俺は今度こそ反射的に身構えた。…よく考えればこの相手に対してまともに身構える事が出来たのは今が初めてな気がする。…何だか情けないがまぁ仕方無い。俺は戦いが本分では無い。…この状況では何の言い訳にもならないが。
ただ。
立ち上がりつつ身構えようとしたそこで、違和感に気が付いた。
自分の身体。
元々、依頼帰りで些か疲労していたところなので――余計な魔力消費を抑える為に幾らか外見年齢を下げて――あくまで下げていたのはほんの少し、十五歳程度だが――いたのだが。
何故か、その必要を感じない。
身体のあちこちが重いし痛みはするが、どういう訳か、魔力の方は戻っている手応えがある。
負わされたばかりな筈の背中や肩口の傷も、何故か、特に気にならない。触って確かめてはいないが、何だかそこに傷があるような気がしない。そして恐らくは、その通りなのだろうなと思う。
…。
理由。今の状況で思い付くものは一つしかない。
――――――今の、炎。
ダメージを与えられるどころか、回復させられた、と言う事なのだろうか。
若干混乱しながらも、今回復させられた自分の中にある魔力、相手の魔力の質と組成を分析、見極めようとする。青年が操っている――オーラの如く纏っている獄炎。黒い――否、良く見ればやや赤茶けている。むしろ土の色と言っていい色の炎。初めは一見しての黒さと禍々しさから闇属性の強い炎かと思ったが――これは良く見れば土属性の方が強い。土属性を多く内包した火属性、と言う方が近いかもしれない。初めの印象通りの闇属性を全く含んでいない訳でもないが――それでもどうやら、邪悪の、マイナスの、負の力とは違う気がした。どちらかと言うともっと根源的な、何か。…原初の闇、とでも言うべきか――何となく、普段自分が取り扱っている魔力の属性とは違う基準で測るもののように思えた。
次に己の身に流れる魔力を分析――しようとしてぞっとした。俺の持つ元々の魔力の中に何か、得体の知れないものが暴れている気がする。…これが俺の身に補われた、相手の魔力かと暫定的に判断。更に分析を進める――身体が重く痛みがある理由に納得が行く。…これは恐らく補われた魔力の荒々しさで逆に身体に負荷が掛かってしまっているのだろう。ただ、それ以上に狡猾な意図は感じられない。…純粋な、ただ、力。わかった時点で呼吸を整える。俺で扱い切れるか。わからないがやるしかない。やらなければそもそもまともに動けない。
青年が近付いてくる。こちらに向かって歩いてくるのは変わらない。今とさっきで青年が居る場所も変わっていない――分析を始めてから今に至るまで殆ど時間は経っていないに等しいとそれで気付く。殆ど意識せずウエストポーチの中に手が入っている。ポーチに入っているのは咄嗟の時用に予め任意の魔力を籠めてある球体――依頼用に余分に用意していたのでまだ未使用が残っていた筈。思いつつ指の感覚だけで選んだ球体二つを拾い上げる――指先の感覚だけで籠めた魔力の区別は付くようにしてある。選んだ球体をポーチの中から取り出し様、手の内で武器形成。その二つの球体を融合させ、反属性に当たる水と風の属性を付与した薙刀を造り出し、構えた。…相手の得物が打刀ならば、相対するには長柄武器の方が良いと判断。
とは言え、これをまともに揮えるだけ自分が動けるかの方が問題で。
補われた魔力――殆ど暴れ馬を御する感覚。…それは炎の精霊ならば元々荒っぽいものが多いが、この魔力はそれどころでは無い――それでもまぁ、冷静にやれば何とかなるかと思えはする。
改めて、薙刀の長柄を確り握り直す。
青年が足を止めた。
まだ、間合いは結構ある位置。
「…少しは慣らせたか」
何処か面白そうに言ってくる。
その科白と共に、青年の右腕が、す、と横に翳された。翳されたそこで右腕を獄炎が――土色の炎が包み、燃え上がる――かと思ったら、その炎の中から抜き身の打刀が現れ、当然のようにその手に柄が握られた。召喚したのか生成したのか――後者だと判断。打刀の日本刀自体が、青年の操るこの獄炎から造り出されているのだとすぐに看破出来た。…出来たからと言ってそれで互角に相対せるかと言うと全然別の話だが。今までの状況に、この身に青年から補われた魔力の質からして、元のレベルが違い過ぎる気がする。例え反属性の得物を――通常有利だとされる長柄の得物を使っても、あまり期待は出来そうにない。
それでも、黙ってやられるつもりは無いのだが。
と、思ったところで。
…はっきりと、先程と同じ声がした。
青年の声。
「我を試せ」
言われて、一旦思考が止まる。
何?
「参る」
その一言と共に、いつの間に動いていたのか青年が異様に低い位置から肉迫。下方から凄まじい勢いで斬撃が繰り出される――速い。そして並の剣術でここまで低い位置からの斬撃はまず無い。剣術を知っていればいる程受けるのが難しいかもしれない。けれど今造った薙刀の方が先に『気付く』。殆ど自動的に長柄の先端でその攻撃を受け、剣先をいなす形に持って行く――身体の方も薙刀の『声』に従い、斬撃に籠められた膂力をダイレクトに受けないよう動いている。その間殆ど意識はしていない――それでも己の正体と同系統の武器を使うなら結構何とかなるもので。
…我を試せ、とはどういうつもりなのだろう。そうは思うが実際そんな疑問を抱いている場合では無い。目の前の状況で精一杯。青年は初手の斬撃がいなされたところ、そのまま退く事もせず返す刀で一気に俺の前に踏み込み、殆ど真正面から斬り込んで来ている。俺は咄嗟に薙刀の長い柄を取り回し、斬り込んでくる相手を薙刀の刃で払おうとする――払おうとするが、やはり遅い。こちらが狙った太刀筋は――幾ら振るったその時その瞬間のその軌跡は的確だったとしても、相手の動きがそれより速ければどうしようもない。
何処か冷静に己が身を眺めてしまう。先程とは逆の肩口に灼熱。…また、斬られてしまった。けれど死ぬつもりは取り敢えず無いのでそれであっさり倒れてしまう訳にもいかない。体内の魔力が暴れる感覚が落ち着いてくる――純粋に斬られたダメージ故か、無理に補われた魔力が零れたからかはわからないが、どちらにしろ身体に力が入らない事には変わりが無い。
これでは結局、魔力を回復させられる前と同じ事になる気がするのだが。相手の意図がわからない。何だろう。…いざ尋常にで立ち会いたかった、とでも言う事だろうか。…そのくらいしか思い付かない。
真正面、こちらの肩口を斬ったところでそのままぐっと下方に沈み込んでいる青年の身体。次の動きを待つ前に、俺は思うように動かない身体を叱咤し、跳び退りつつ重い薙刀の刃を青年の頭上に叩き下ろした。が、やはりと言うか何と言うかその刃は受け止められてしまう――青年の握る打刀。切り結んだところで眩しいくらいの火花が散る。薙刀と打刀。普通に考えるなら薙刀が圧倒的に有利な筈なのだが、この場合は軽く互角。それも刃自体の重量と梃子の力、持てる限りの膂力を込めた薙刀での攻撃と――完全に受けの状態での打刀で互角だと言う辺りで力量は歴然。一拍置いて互いの刃を弾いたところで、互いに次の一手に移る。
薙刀の技量のみでは無理。ならばと弾かれた勢いも利用し薙刀を旋回させる。その過程で薙刀に籠めてある魔力と首から下げた聖獣装具・蒼龍珠の水を用い術を練り上げ生成、旋回の勢いも乗せた舞い狂う鋭い水の刃を青年に向け一気に撃ち放つ――殆ど同時に、青年はただそのまま突っ込んで来ていた。渦を巻く水の刃も全く気にしていない――その刃が青年のその身に触れた側から獄炎が湧いていた。そちらの土色もこちらの水に呼応するように渦を巻く――水の刃が荒れ狂う土色の炎に呑まれている。…文字通り焼け石に水と言うか何と言うか。これでは、蒼龍珠の水でさえ対応し切れそうにない。この相手と地力比べになれば明らかに負ける。
先程庇った子供の事を考える――自分がここでやられては拙いと思う。他の手。…咄嗟に思い付けない。すぐ目の前に青年が肉迫している。白刃の光と獄炎の熱波。薙刀を持つ手が反射的に上がりかけるが、中途半端に上げていたその長柄が、土色の獄炎を纏う打刀に一気に叩き折られた。長柄を握っていた手の方が一気に頼りなくなる。態勢が崩れる。目の前。この距離で打刀が再び振るわれる――ヤバい。これで最期か――――――。
思ったところで。
その時白刃の向こうに見えた、青年のその黒血の如き色の瞳は。
何故か。
とても満足そうに笑っていた――ように見えた。
■
…気が付いたら、隠れてろと言った筈の子供が俺の顔を見下ろしていた。
かと思うと、うわあああああん生きてる人が居たよー、と泣き付かれた。
一時停止。
ひとまず目の前の子供と、自分、それから周囲の状況を確認。
自分の手を上げ目の前に持って来てみる――相当小さくなっている。恐らく年の頃は八歳程度。俺が取れる外見の最低年齢。となると、取り敢えず人間形態のままではあるらしいが。
斬られたのだろうか。
それとも、あの獄炎に巻かれ今度こそ焼かれたのか。
意識を失う直前、自分がどうなったのかを思い出そうとしても、いまいちはっきりしない。恐らく斬られたか焼かれたかどちらかだろうが――今自分がどんな状態になっているのか良くわからない。
感覚の方で確かめようとしても、自分が感じているのが痛みだか何だか区別が上手く付けられない。
ただ、どうも動く事自体が酷く億劫で。
何だか身の裡の魔力も心許無い。ガス欠に近い。
一度無理やり回復させられはしたが、結局それも使い果たした事になる…らしい。
この事態を引き起こした当の和装の青年も、どうやら見当たらない。…だからこそ、この子供もここまで出て来れたのだろうが。
――――――結局、どうなったのだろうか。
自分に泣き付いている子供に聞いてみようとするが――わんわん泣きじゃくっていて要領を得ない。
…まぁ、仕方無かろうが。
思いながら子供の頭を軽く撫でるように掻き回す。
と、今度はその子供が目を見開いて――心底驚いたような顔で俺を見た。
…。
一拍置いてから、ああ、と気付く。
つまり、今の俺と、自分を助けたのが同一人物だと思ってない、と言う訳だろうか。それでいて、今の仕草で同じ人物のように感じてしまった、と。
説明するべきか放っておくべきか、結構本気で悩む。
…例えば説明を試みたとしても、俺の口で上手く説明出来るような気がしない。
仕方無いので、誤魔化すがてら(?)またその頭をくしゃくしゃと掻き回してやったりする。
俺の手は結構平気で動かせる状態にあるらしい。
子供の頭を掻き回しながら考える。
周辺のこの惨状。
あの和装の青年の事。
この子供の事。
――――――俺が考える事でもないかもしれないが、この後始末はどうしたものだろうか…。
【了】
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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■整理番号/PC名
性別/年齢/職業
■PC
■3654/ステイル
男/20歳(実年齢560歳)/マテリアル・クリエイター
■NPC
■和装の青年(=佐々木・龍樹)
×××××××××××××××××××××××××××
ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××
ステイル様にはシチュエーションノベル(ツイン)の同意者様としてお世話になりました。
今回は【炎舞ノ抄】の方にも発注頂け、有難う御座います。
納期当日のお渡しになりました。
…当方こんな感じで作成日数目一杯上乗せした上に納期ぎりぎりもしくは少し超過したり(汗)&長文になりがち(特に依頼系)なライターだったりします。それでも宜しければ以後お見知り置きを。
また、今回、ライター通信を書くのは初めましてになるので一度も伺っていない訳で…PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、出来る限り善処しますのでお気軽にリテイクお声掛け下さい。…他にも何かありましたら。些細な点でも御遠慮なく。
内容ですが…当方の場合、結局依頼系でも発注者様のご希望重視な場合が殆どなので、別に丸投げに近くても大丈夫ですよー、と言うかこのシナリオの場合価格上乗せがあるのでむしろこちらの方がそれで良いんですかーと思うのですけれども…(汗)。ちなみに場所については特にちょうど良さそうなところが思い付かなかったのでそれっぽい中継地点的な小さな村、と言うだけで特に何処とは設定しておりません。
で、今回ちょっと気になったのは、ステイル様は刀の動器精霊さんと言う事ですが…その場合、刀で攻撃されて普通に傷を負うのかな、と言うところで。それに加えて龍樹と属性も同じ方向(火と土)、となると、重傷そうでも案外本質的なダメージは少ないのではと思い…ボッコボコにされる方向で、との事でしたが案外平気そうなまま終わっております。…と言うか、ステイル様の場合…重傷そうでもそれをあんまり気にしないのではと何となく思ってしまったのですね。なのでそんな描写になってしまっています。
ちなみに途中で龍樹の態度が何か変わっていますが、これはステイル様のPCデータ内の何処かの設定が理由です。意味深な割には結局何だかよくわからない行動でもあるのですが…。
…如何だったでしょうか。
少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。
深海残月 拝
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