■玄冬流転・伍 〜小寒〜■
遊月 |
【2703】【八重咲・悠】【魔術師】 |
『封印解除』は順調だ。
自分に課せられた役目は、もうすぐ終わる。
それは多分、『喜ぶべきこと』のはず、なのに。
――…どうしてか。
役目を終えることを考えると、心に空洞が空いたような気持ちになる。
彼の人の『願い』を叶えることだけが自分の存在意義で。
それが当たり前で、そういうものだと思っていた。疑いなど持っていなかった。
自分は何か、おかしくなってしまったのではないだろうか。
ただの『道具』であるはずの自分がこんなことを思うなんて、あってはならなかったのに。
ああ、それでも。
思うだけならばいいのではないか、と考えた自分はやはり、どうかしてしまったのだろう。
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◆玄冬流転・伍 〜小寒〜◆
慣れ親しんだ、と言っても過言ではない『結界』の気配に導かれ、八重咲悠は歩いていた。
これまで幾度か触れた――クロが『封印解除』の際に展開する『結界』。悠が向かっているのはそれが展開されている場所だった。
(――…おや、)
ふ、と、感じ取っていた気配が消える。目指していた場所へは、もう導がなくとも辿り着けるだろう。しかし、『封印解除』の前にクロの元へと着いておきたかった悠としては、少々都合が悪い。
そして幾らも経たないうちに、悠は目的の場所――人気の無い公園――に辿り着いた。
「やはり、間に合いませんでしたか」
目に入った光景――病的なまでに細密な魔法陣の中心に立つクロと、その腕から滴り落ちる紅を確認し、僅かに残念そうに呟く。クロが、そんな悠を見て首を傾げた。
それに常のように笑みを向け、挨拶をする。
「こんにちは、クロさん。……本日も、手当てをさせて頂いてもよろしいでしょうか」
一瞬、クロはどこか迷うような、戸惑うような――それでいて縋るような色をその瞳に浮かべた。それはまるで、寄る辺の無い子供にも似て。
しかしそれは瞬きの間に消え、彼女は常と変わらぬ淡々とした口調で言葉を返した。
「……こんにちは。……手当て、は…別に、構わない…」
「それでは、こちらへ」
傷口を水で洗い流すため、公園にある手洗い場へと誘えば、クロはやはり抵抗することもなくそこへ着いて来る。
慣れた手順で傷の処置をしながら、悠は先程のクロの様子について思い巡らせた。
少しずつ、クロが変化しているのには気づいていた。恐らく先程垣間見えたものも、その一環だろうと考えられる。
けれど。
(何故……?)
迷いや戸惑いは、今回のように色濃くでなくとも、その仕草などから感じ取ったことがある。しかし、『縋るような』――そんな視線を向けられたことは、悠の記憶にある限り、無かったように思う。
(『縋る』ようなことが、在る――否、起こるのでしょうか)
しかしこれから先クロに起こるであろう出来事は、クロの今までの言動からして、初めから決まっていたことだろう。『封印解除』を経て、『降ろし』を行い、『玄冬』になる。『当主』の――式の願いを叶えること。その目的――『願い』の内容が今更変わることは無いだろう。
(だとすれば、)
これまで以上に、クロは迷い――そして、今まで感じることのなかった感情に、目覚めたのではないだろうか。それは希薄な……希薄すぎる『自我』の変化をも指し示すのではないか。
僅かな間考え、手当てを終えると同時、悠は口を開いた。
「――…クロさん」
「……?」
悠が取り出し、クロに差し出したのは、夜闇を閉じ込めたような色合いの、一対のイヤリングだった。雫を模した装飾に、金属部は漆黒の光沢を放っている。
先日悠が『黙示録』を使い作り出したそれに、手を重ねるように促す。
言われるままに手を重ねたクロはしかし、首を傾げて問いかけた。
「これ、何…?」
「御守りのようなものでしょうか」
言えば、クロはますます首を傾げる。
「御守り……?」
「ええ。――先日のメールに、『相性が良い』者との接触によって、クロさんの『不安定』な状態が軽減されるのではないか、と書かれていたでしょう。確か、ご当主からのお言葉だったと思うのですが」
「……うん」
「『触れる』というのが物理的な意味でなく、存在との接触という意味ならば、離れていても『繋がり』さえ持てば、効果が期待できるのではないかと思いまして――互いの存在の繋がりを持つことの出来る道具を、作ってみたのですよ。このイヤリングを片方ずつ持てば、互いが互いの存在を知覚出来る――そういう道具です」
幾度か悠の顔とイヤリングとの間で視線を往復させていたクロは、そっとイヤリングの片方を手に取る。そうして伺うように悠を見上げた。
「……貰って…いい、の?」
「ええ、勿論です。貴女のために作ったのですから」
そう悠が答えた瞬間、クロは一瞬、その相好を崩した。――それは間違いなく、『笑み』に分類される表情だった。
しかし次の瞬間には常と変わらぬ無表情――否、どこか己を戒めるような、そんな硬い表情へと変わっていた。
「……あり、がとう……。安定しない、の、困ってたから……助かる」
少し思案し、今はその表情の変化について言及しないことにした悠は、笑みを深めて告げた。
「多少離れていても、これで安定させることが出来れば良いのですが」
夜闇色のイヤリングが持つ、もう一つの効果については伝えない。『強く願うことで相手にその願いを伝えられる』――その効果についてはもとより伝えるつもりは無かった。
(――…貴女が願うのであれば、私はそれを叶えましょう)
そっと想いを籠めて、対になる――己の身につけるイヤリングに触れる。顕著になっている彼女の変化が、もし何かを『願う』までに至ったとき、その助けとなれるように。
束の間思い耽っていた悠は、ふとクロがイヤリングを硬く握って、思い詰めた雰囲気を纏っていることに気づいた。
手当て前の様子といい、これは確実に何かあるだろうと考えられる。しかし、どうやらクロから何かを言い出す気配は無い。――否、それらしき気配はあれど、実際に行動に移すには至らないらしい。暫しその様を見つめていた悠は、率直に尋ねてみることにした。
「何かお悩み事ですか?」
ぴくり、とクロの肩が揺れた。それは言葉で聞くまでもない、明白な肯定。
しかしその内容を口にすることに何らかの躊躇を抱いているのか、それとも他の理由があるのか――口を開く様子のないクロに、悠はさらに言葉を紡ぐ。
「先程、手当ての前――クロさんが、迷子の子供のように、私には見えました。もちろん、そのようなはずはないのですが――それに近しい雰囲気を、感情を、抱いていらっしゃるように見えたのです」
気のせいでしたら良いのですが、と続けた悠を、恐る恐ると言った体でクロが見上げた。その瞳にはありありと『不安』が映っていて、悠はそれを和らげようと、安心させるように笑んだ。――そう、自然と考えたことに、己自身も驚きながら。
クロはそれでもやはり迷うように幾度か口を開閉し、それからぽつりぽつりと話し始める。
「……最近、変、で。よく、わからない……けど、――考えると、」
躊躇するように一度口をつぐんで、視線を下に落とした。
「全部、終わった後のこと、考えると……何か、変な気分に、なって。…『考える』こと自体、おかしいのに……わたしが、『封破士』が、そんなこと、考える…なんて、」
「――それは、」
口を開いた悠に、クロが視線を上げ、首を傾げる。
「……?」
「どのような意図のお言葉でしょうか。『おかしい』と思われるのは何故ですか?」
「だって、…わたしは、『封破士』だから。『封破士』で、『器』で……『願い』を叶えるためだけの、存在――『道具』、だから」
それはどこか、己に言い聞かせるような声音だった。何かに迷い、戸惑い、それを打ち消そうとする、そんな意思の垣間見える声。
「……もし、ご自分の事をただの『道具』だと思っているのなら、哀しいですね」
前回彼女の一族の『当主』――式とも会うことが叶ったが、その際に彼はクロが滅多に頼みごとをしないことに言及し、故に悠のおかげでそれが為されたことに感謝していると言った。
その言葉からは、彼がクロをただの『道具』と思っていないように感じられた。それは推測ではあるが――恐らく間違いではないだろう。
「…で、も……わたしが『封破士』で、『器』で――当主の、『願い』を叶えるためだけに、作られた……『道具』なのは、事実、だから。『大寒』に、『儀式』を――『降ろし』を、して……この『器』に、『玄冬』を、降ろして……それが、わたしの、役目……なの、に」
それに気づけたのは、クロの変化を見落とすまいと意識を傾けていたからだと、――それほどに、彼女のことを気にかけていたからだと、自身でもわかった。
僅かに震える、思う通りにならない感情への苛立ちのような、それでいて差し出される手を切望するかのような、声。頑なに上げられない目線。顔。
「……最後、なの……もう、『最後』なのに……だって、本当は、あるはずが、なかった、から。…一族以外の、誰かに会うことなんて、言葉を交わす、…ことなんて、あるはず、なくて。無い方が、当然で……もう、こうやって、外に出ることなんて…出来ないってわかって、るのに……なのに、どうして、」
か細い、風に吹かれれば消えそうな小さな声でありながら、それは不思議と、はっきりと悠の耳に届いた。
「もっと、一緒にいたいって…思うの……?」
渡したイヤリングから、伝わってくるのは――クロの、願い。
『最後』は嫌だと、もう二度と会えない、その事実が、寂しいと。だから共に――もっと共に。……せめて、自分の『最期』まで。
――…彼女の願いを叶えたいと、そう思ったのに、偽りなどあろうはずもない。だから悠は、未だ波紋のようにクロの『願い』を伝えてくるイヤリングに手を添え、口を開いた。
「女性と男性、どちらの姿もクロさんであることに変わりは無いとはいえ、今現在女性の姿である貴女に言うべき言葉では無いと思うのですが――」
そう、前置きをして、悠は告げる。
「貴女方が――貴女の一族が住まう場所へ連れて行っては下さいませんか?」
「……え…?」
「これが、『最後』の邂逅というのでしたら、このまま別れなければ、その邂逅は続くのでしょう?」
泣きそうに顔を歪めたクロが、悠を見た。
「一度、入れば……『大寒』まで、出れない、よ」
「構いません」
「……外と連絡も、とれないし」
「そうでしょうね」
「もしかしたら、出られる保証だって、ないかもしれない、」
「覚悟の上です」
「……ど、して…、そこ、まで……」
悠は笑みを浮かべた。いつも浮かべる『愉悦』のみによるものでない――それは一体、何の感情によるものだったのか。
「そんな表情をした友人を、放って置く事など出来ませんから」
「……やっぱり、八重咲さんは――悠、さんは……変わったひと、だね……」
言って、クロは――泣きそうに、笑ったのだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2703/八重咲・悠(やえざき・はるか)/男性/18歳/魔術師】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、八重咲さま。ライターの遊月です。
「玄冬流転・伍 〜小寒〜」へのご参加有難うございます。 お届けが大変遅くなってしまい、申し訳ありませんでした…!
クロとの5度目の接触、如何だったでしょうか。
クロと八重咲様、双方に変化が…?と感じたので、その辺りに気合を入れさせていただいたのですが…や、やりすぎたかもしれません。
クロの変化の度合いが予想以上で、書き手としても驚きました。1話に比べるとすごく人間らしく、感情を表すようになったと思います。
そして本邸にご招待…というかは微妙ですが、訪れていただくことになりました。これから『大寒』までの間、本邸で過ごして頂くことになります。
ご満足いただける作品に仕上がっているとよいのですが…。
リテイクその他はご遠慮なく。
それでは、書かせていただき本当にありがとうございました。
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