■真夜中の仮面舞踏会 第2章 《追憶》■
工藤彼方 |
【7038】【夜神・潤】【禁忌の存在】 |
ある夜のことである。
都内にある、とある小さなオルゴール博物館が火が出た。
その時間帯は、当然、博物館は閉館しており、セキュリティも作動していたはずだった。防犯カメラのデータにも、不審者の姿は映らなかった。
火の手の勢いは強く、小さくも5階建ての建物は全焼。
100年から200年前に作られた、アンティークのシリンダーオルゴールやディスクオルゴールたちが悉く失われたのだった。
だが、その事件のあと、博物館の人たちは首を傾げたのである。
建物の焼け跡からは、黒くなった陳列台やドアが発見されるばかりで、炭になったはずのオルゴールたちの残骸はただの一片も発見されなかった。
木が燃えて灰になったというのはわかる。
だが、金属製のシリンダーやディスクまでもが姿を消しているのは何故だ?
まるで建物から忽然と姿を消したように。
そして消えたのは、オルゴールばかりではなかったのである。
博物館には、オルゴールを体内に仕掛けられた人形たちが陳列されていたのだ。
手紙を書く道化師。
物憂げな表情でアコーディオンを弾く男。
花籠を抱えて薔薇を売る花売りの少女。
そう、彼らもまた――。
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真夜中の仮面舞踏会 第2章 《追憶》
古色蒼然とした重々しい鉄扉の扉。
そう形容するのが最も相応しかっただろう。
数百年も経たかのような扉の鈍く燻したような錆つきは、ちょっとした博物館の収蔵庫の扉としてはあまりにも年季が入りすぎている。
先へ進む、と決意した潤の意志に応えるように、それは忽然と現れたのだ。
傍らには彼の腿の半ばほどまでの背丈しかない少女の姿をした人形が、潤を見上げていた。共に歩んでみようと思ったのだ。
この先に待ち受けるのは、人形たちの思い出に関わる旅だ。
そう考えてみて、潤はふと思う。
「クリュティエ、君はさっき言っていただろう。古の炎に『何度も奪われた』のだと。あれは、どういうことだろう? なぜ、『何度も』奪われた?」
硝子の瞳を瞬かせてクリュティエは小さく頷いた。
「わたくしたちは、この火災に見舞われることは初めてではないのです。……それこそ、何度もこの炎に焼かれ、何度もこの炎の中からこの身体を取り戻し、今に至るのです。潤様、人間には仏教という考え方があるそうですが、ご存じですか」
この火災に見舞われることが初めてでないという言葉を理解出来ず、問い返そうとした矢先のことだった。あまりにも唐突な質問だった。
いや、唐突さに戸惑ったというのは少し違うのかもしれない。
この西洋風の面立ちをした少女の口から出てくるとは思ってもみなかった言葉だったから、なのかもしれない。
姿形こそ日本人並みである潤ではあるが、血脈を辿ればこの国の範囲には到底留まらない出自からして、仏教という考え方は遠い世界の話のようにも思える。
だが、長い間人間に交わるうちに、いくらかは人間の思想というものに触れあってきたことも確かだった。記憶を掘り返しながら、クリュティエへと曖昧に首を傾げて見せる。
「決して詳しくはないが、知らないこともない、かな。……なぜ?」
「仏教には輪廻、という考え方があるそうです。わたくしもよくわかりませんけれども、輪廻というのを、人はこう言っていました。何度生まれ変わっても同じ苦界を、また違う苦界をさまようのだと。それらの苦界のことを六道と言うのだと聞きました」
クリュティエは胸の前で指を組み合わせ、何かへと思いを馳せるように宙を見つめていたが、潤を見返ると言った。
「その話を聞きました時に、わたくし、思ったのです。わたくしたちに似ている、って。何度死んでも生まれ変わってもこうして何度も同じ結末を見る……。わたくしたちも、六道を輪廻しているのかもしれないと、思ったのです」
「待ってくれ」
言葉を継ごうとするクリュティエを潤は制した。
「少し待ってくれ。クリュティエ。君たちは何度もこの結末、つまりこの火災のことだな? それを見ているというのか。なぜ、そんなことになる?」
「潤様、お忘れですか。この階には火の手は及んでおりませんが、あの火はただの火ではございません」
「いや、覚えている。心を燃やして生まれた炎なのだと、イカルスたちが言っていた。――そう言えば、彼らはどこへ?」
「炭や油が燃えていずる炎なのではなく、心よりいずるものであれば、それが尽きるときとは、いかな時でありましょうか? ――イカルスたちは階下に残っております。この『場』を支えなければなりませんから」
もはや博物館内と言えるのかどうかすら怪しいこの場を保つために、イカルスたちが尽力しているらしい。そう理解しながら、もう一つ、潤は、「なるほど」と思った。
心を糧に燃える炎であれば、その糧が尽きねばこの炎は消えることがないのだろう。
では、誰の心がこの炎を生み出しているのだろう。
潤の脳裏に、ふとある思いが過ぎった。
先ほどペアレスやイカルスたちから、遠い昔にあった出来事を聞いているうちに、思ったことがあったのだ。
宮廷道化師イカルスは王の后と心で結ばれ、どこかの国の間諜であったペアレスは王の妹とおそらくただならぬ仲になった。王子は貴族の身に窶して城を抜け出そうとしていたらしい。
では、王はどうだったのだ。
后も王の妹も王子も見たことはないが、どのような気持ちを抱えていたのかだけは、僅かであれ想像が付く。それなのに王の顔だけが潤には見えない。
いや、見えるのだ。
王冠を冠した老年の男が薄暗い広間の玉座に一人深々と腰を下ろしている。
だが、顔の目鼻があってしかるべき場所には黒々とした穴が空いているばかりだ。
冷徹な王の顔がそこにあるのか、享楽に溺れる狂王の哄笑がいましも聞こえて来そうな口元があるのか。老いた目に涙しているのか、怒りに鬢を震わせているのか、それすらもわからない。
潤はしかし、思うのだ。
そこには何事にも心を動かされない王がいるのではないだろう、と。
后に、妹に、息子たる王子。
彼らと心を通わせたイカルスやペアレス、そしてクリュティエたちに必ずしも非があるわけではない。非がないわけでもない。
だがいずれにしろ、王は信じていた者に悉く裏切られたのではないのか。
王の妹が烙印を押されていたというあたり、王が身近な者を信じる男だったのか少し気になるところではある。
それでも、今の潤にとって、王は「裏切られた者」に思えるのだ。
そんな自身の考えが、自然と呟きに出た。
「どんな王だったか知らないが、彼は…近しい者に裏切られたとは思わなかったのか……」
「裏切り。……裏切り」
クリュティエが小さく呟いた。オルゴールのように繰り返し小さく呟いた。
「王のことは私もよくは存じません。王子様から聞いた話では、たいそう御心の冷たい方だった、と。それは王子様が父王のことを快くお思いになっていらっしゃらなかったからだろうと、思いますが」
「……心の冷たい王、か」
潤の想像の中で暗く深い穴を開けていた王の顔に、ほんの僅か、目元の表情が生まれたように思った。
「ならばクリュティエ。――イカルスの言っていた后は王のことをどう思っていたのだろう?」
「それは……。生憎、わたくしはお后さまに直にお会いしたことはないのです。イカルスから聞いた話で多少知っているというまでで。イカルスであれば、お后さまのご真意も知っているかと思いますが」
「ということは、王の妹についてもその人となりを知るのはペアレスばかりということになるのだろうか」
「さようにございます」
クリュティエが小さな頭を頷かせた。
たしかにペアレスとイカルスは階下にいるとクリュティエは言っていた。この「場」を維持するために、と。
ならば話を聞きに戻るよりもまずはこの先に向かうべきなのだろうと潤は思う。なにせ、恐らく時間はそうない。クリュティエから聞いた話からすれば、彼らはいずれ燃えてしまうのだ。たとえまたいつか再び形を為すことがあるのだとしても。この博物館の火災がどれほどの影響を外に与えるのかも、今の潤には推し量ることができない。
そこまで考えて、ふと潤は思った。
「なあ、クリュティエ。今、俺は不思議に思ったことがあった。なぜ、君たちは、君の言葉を借りれば輪廻することが出来る? 心の炎に焼き尽くされて朽ち果てても、君たちは再びこの世界に帰り、そしてまた焼かれるのだろう? いわば呪いを掛けられているようなものだ。呪いの指輪、呪いの箱、たとえばそういった物があるのだろうか。たとえば君たちの身体に直接刻まれている、とか」
クリュティエが神妙な顔で、「呪い」と小さく呟いた。
「呪い……。そうとも言えるのでしょうね。潤様、呪いの品はあるのです。――そこに」そう言ってクリュティエが指さしたのは、潤の傍らに立ちはだかる鉄扉だった。
「開かない扉があるから、と君は言っていたが……」
潤はしばらく間、扉の表面を見つめていたが、やがてひとつ息をついて少女へと向き直った。
「この奥にあるものを、君ははなから知っているのだろう? 知っていながら、俺には知らせず、この中にいる何かに向かわせようとしている。……違うか」
静かで穏やかな口調ではあったが、否定を許さない口調でもあった。
クリュティエはその瞳を瞬かせもせずに、潤を見上げる。
じっと潤を見つめる作り物の睫を咲かせた瞳が、かすかに揺らいだように潤には見えた。「……ごめんなさい。潤様が仰る通り、黙っていました。ごめんなさい。その収蔵庫の中には、一台のジオラマオルゴールがあるのです」
「ジオラマオルゴール?」
聞き慣れない言葉だった。思わずそう聞き返すと、クリュティエはその細い両腕を横に広げて見せた。
「ガラスケースの中に町並みの模型が入っていて、ゼンマイの仕掛けで町を歩く人や動物が動いたり、空の雲や川の水が流れたり、家の明かりが点いたりするように出来ているオルゴールのことです。そんなジオラマオルゴールの大きなものが一台あるのですけれど、何度も火災に見舞われながらその都度火難を免れたと、そんな風にこの博物館では言われていた品なのです」
「それがこの事件の鍵、ということなんだな?」
「はい……」
それで、と潤は言葉を継いだ。
「それで君たちは、そのジオラマオルゴールというのをどうしたい?」
潤の問いに、クリュティエは扉を見つめた。
「壊して欲しいのです。わたくしたちにあれを壊すことは出来なかったのです。……そして、人間たちにも壊せなかった。幾度もの火難を免れたというのも、つまりはそういうことなのです」
「なるほど……」
潤は扉へと、片手を向けた。
眼前に掲げた手の指先に赤橙色の光が滲み出す。
その光は徐々に強さを増し、黄味を帯びて、やがて白く、青白く変化していく。
夜光虫の光の如き燐光を纏いだした掌を突き出したまま、潤はクリュティエを見返ることなく問うた。
「クリュティエ、多少手荒だが、この扉を破壊してもいいだろうか」
どうせなまじなことでは開くものでもないのだろう。そういった意味合いも篭めた問いだった。
人形がドレスの裾を摘み上げて頷く。
「どうぞ、潤様のご随意に」
「……わかった。この辺りの空間を突破する。クリュティエ、俺の後ろで、伏せていてくれ」
潤の声に応えるように、手首までを覆いはじめていた白光が渦を巻きより鋭さを増した。その光は一度小さく凝縮し、一呼吸おいたと思いきや、超新星爆発を起こすように膨張しした。視界を白く焼き尽くす、苛烈なまでの光。
風の唸りとは違う、地響きのような鈍く重い音が空気を揺るがす。
潤の足下に駆け寄り、頭を抱えて地面に伏せたクリュティエが小さく悲鳴を上げた。
辺りの光景を丸呑みするほどに膨張した光が、潤が手の形を変えるに従って形を為していく。潤が開いていた掌を握る形に握り込みだすと、白光はその手の中に細長く伸びて、光線を収め、稲妻を発する暗紫色の槍へと変じた。
<アイン・ソフ>と潤が呼ぶそれは、普段は人の視界に捉えられぬ彼の得物だ。
潤が望めばその姿を現し、潤が望むままにその姿を隠す。
今は、潤の手から伸びる闇色の長大な槍となり――
扉を貫くよう腕が振りかぶられたと同時の、大音響。
クリュティエが甲高い悲鳴を上げて身をいっそう縮めた。
空気を裂き空間をも裂く大槍のそれは、鼓膜を破らんほどの轟音を起こして、鉄扉へと突き立てられる。槍の穂先が、熱い鉄にめり込むように沈んでいく。
「クリュティエ、もう少し、もう少し耐えてくれ……!」
槍先がじりじりと溶かす扉の表面が、潤の得物が帯びる暗紫色に徐々に侵食されていき、「解けた……!」
何かの閾値を超えたのか、眼前に立ちはだかっていた大質量がふっと音もなく掻き消えたのだ。
それまでの雷光や轟音も嘘のように消え、静寂が落ちた。
「――なんだ、これは……」
そう呟いたのは潤だった。
収蔵庫を封印する扉が開いたのだから、そこには倉庫の内部が広がっているはずだったのだ。
群雲に抱かれて見え隠れする満月が見えた。
月明かりを注がれて濡れたように光っているのは背丈の高い噴水だった。
その上に立つ彫像は、どうやら神話の時代の女神らしい。優美な笑みを湛えて潤たちへと気怠げな眼差しを送っている。
水盤から落ちる水飛沫は銀糸のように煌めいていて、それを透かした向こうに、広大な庭園と数多の尖塔を抱えてめぐる城壁が見えた。
ふたりは、いまや城門の下にいたのだった。
足下を見ればクリュティエも押し黙ったままに目を瞠っていた。
彼女にとってもこれは予想外の状況であるらしい。潤はそんな彼女の手を取り、埃を叩いて立ち上がらせる。彼女の縮れた髪を優しく撫で、そして。
「――クリュティエ、これが、かつての君が生きていた世界なのか?」
鈍い動きで潤を見上げたクリュティエの瞳は、大きく見開かれたままだった。
<2章 了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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7038/夜神潤 /男性/ 200歳/禁忌の存在
NPC /ペアレス /男性/???/オルゴール人形
NPC /クリュティエ/女性/???/オルゴール人形
NPC /イカルス /男性/???/オルゴール人形
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■ ライター通信 ■
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たいへん、たいへんお待たせいたしました…!!
ご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。
前回今回と対話続きであまりアクションはなかったかと思いますが、
次章は城突入でもう少し動きのある話になると思います。
また、今回頂いたプレイングは(次章にも参加くださいますようなら)
引き続き反映させていただく予定です。
今回もご参加くださいましてありがとうございました!
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