■真夜中の仮面舞踏会 第3章 《幻像》■
工藤彼方 |
【7038】【夜神・潤】【禁忌の存在】 |
ある夜のことである。
都内にある、とある小さなオルゴール博物館が火が出た。
その時間帯は、当然、博物館は閉館しており、セキュリティも作動していたはずだった。防犯カメラのデータにも、不審者の姿は映らなかった。
火の手の勢いは強く、小さくも5階建ての建物は全焼。
100年から200年前に作られた、アンティークのシリンダーオルゴールやディスクオルゴールたちが悉く失われたのだった。
だが、その事件のあと、博物館の人たちは首を傾げたのである。
建物の焼け跡からは、黒くなった陳列台やドアが発見されるばかりで、炭になったはずのオルゴールたちの残骸はただの一片も発見されなかった。
木が燃えて灰になったというのはわかる。
だが、金属製のシリンダーやディスクまでもが姿を消しているのは何故だ?
まるで建物から忽然と姿を消したように。
そして消えたのは、オルゴールばかりではなかったのである。
博物館には、オルゴールを体内に仕掛けられた人形たちが陳列されていたのだ。
手紙を書く道化師。
物憂げな表情でアコーディオンを弾く男。
花籠を抱えて薔薇を売る花売りの少女。
そう、彼らもまた――。
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真夜中の仮面舞踏会 第3章《幻像》
降りそそぐ柔らかな銀色の雨は月明かりだ。
泉水のほとりには白薔薇が物憂げに咲き誇っている。匂いやかに開いた花弁のほの光るさまが悩ましい。
鋭い棘で身をよろう蔓茎がゆるやかに絡みあって、無防備な花々を守っている。そんな暗緑色の繁みのただ中を、細い小径が引き裂き、遠くへと真っ直ぐに伸びていた。径の果てには荘重な城郭が静かに横たわっている。
紅を施された作り物の唇をわななかせ、クリュティエは目を大きく見開いていた。
震える唇が、どうにかといった体で言葉を紡ぎ出す。
「まさか、こんなことが、ある、なんて」
潤の手を辛うじて握っている手も震えている。
潤の助けを借りて立ったものの、どうやら膝が笑っているらしく、潤が手を離そうものなら座り込みかねない気色だ。
「あの城が、王子さまの城が、なぜここに……」
血の通った人間であったならば、おそらく顔面蒼白という形容が相応しいのだろう。
「君はもとからここに俺を連れてくるつもりじゃなかったのか?」
つい今し方まではクリュティエが意図的に自分にこの世界を見せたのだと思っていた。だが、そうではないらしい。この事態は彼女にとっても予想外のものなのだと、なにより彼女の目が語っている。
クリュティエはしきりに首を振り、潤を見上げた。
「こんなはずではなかった、のです。わたくしは、柩へとご案内しようと思っていたのに。ただ、柩へと」
「柩?」
「先ほどお話ししたオルゴールのことです。ジオラマオルゴールの」
そういえば、と潤は思い起こした。
収蔵庫の中にある一台のジオラマオルゴールを壊して欲しい、とそう頼まれたのだった。
「あれが? だが、柩というが、いったい誰の」
クリュティエが、その澄んだ瞳を瞬かせた。
「わたくしたちの、です」
「君、たち……」
クリュティエの小さな顔に、ペアレスやイカルスの顔が重なって見えた。
あの薄暗い玉座に座っていた顔のない王と后の姿も次々に重なり、そして視界から消えていく。
唐突、潤の耳の奥に高い悲鳴が木霊した。
『火が! 王子さま!!』
絶叫だった。年若い少女の細い声が、泣き叫んでいる。
『誰か、誰か、助けて! あの方を』
声の質は少し違うが間違いなくクリュティエのものだと潤は悟った。在りし日のクリュティエのものなのだろう。
『助けて! あの方の火を消して! あの方の服の火を!』
腹の底から振り絞る叫びが、だんだんと裏返り、ひきつったものへと変わっていく。
『消して、消さなきゃ、消えないの!! 火が! 火が!! 誰かああああ!!』
身悶えする叫びが頭蓋に反響する。潤は耳を塞いだ。両耳に掌を痛いほど押しつけて唇を噛む。
『なんで消えないの……』
少女の声がだんだんと掠れていく。
『いやよ、王子さま、ね、目を開けて。熱い、熱い、……何か言って。私を呼んで、王子さま、もう少しで、もう少しで助けが、来ます……』
炎の爆ぜる音が聞こえた。何かがバキバキと音を立てて崩れる音も、ゴウ、と唸る熱風の音も。
『……消えてよ、消えて、消えなさいよ……』
無残に割れてガサついた声が、低く切れ切れに呟いていた。
『……返してよ、この人を、殺さ、ない……で』
頭の中で反響していた声が、ふつりと消えた。
目を開けば、庭園の静けさが潤を包んでいた。
潤の捉えられぬものを捉える感覚が聞かせた幻の声。
一瞬のサブリミナルのように、潤の目に、焼け爛れた少女の顔が映った。
「……クリュティエ、君もそうして」
死んだのか。
言葉の最後は飲み込んだ。
火の海に飲まれて死んだのだ。この少女は。おそらくは、愛しい者の亡骸を抱きしめながら。
肩に落ちる焼け縮れた人形の髪へと手を伸べる。
ざらりと引っかかる手触りのそれに指を通すと、焦げて白んだ髪は脆く千切れて潤の手に残った。
掌の中で崩れる灰と化した髪。
それへとそっと口づけて、潤は跪いた。
人形の壊れそうに細い肩を抱く。
肉体の重みは感じなかった。軽い、中はがらんどうの容れ物のような身体。
さもあらん、この身体は魂の容れ物なのだ。
王子とともに焼け死んだ少女の魂は、この人形の中にいったいどれだけ歳月の間、閉じ込められてきたのか。
「何度も奪ったとはこれか。繰り返されたのも……」
一人呟く潤を、クリュティエが不思議そうに見る。
溜息が出た。
人形たちの、いわば呪縛の火災に巻き込まれた人々も非常な災難だったろう。だが、今はそれ以上に、クリュティエが、クリュティエたちが哀れだった。ペアレスやイカルスにも同じような顛末があったのだろうから。
目の前で愛しい者を奪っていった炎の日が何度も再現されるという。幻に聞いたかつてのクリュティエの血を吐くような叫びが潤の脳裏によみがえる。繰り返し再現されるということは、あの思いを否応なしに果てなく味わわねばならないということだ。これまでの苦痛はいかばかりだったろう。
だが、と一方で潤は思う。
イカルスやペアレス、そしてこのクリュティエを、そしておそらく王妃や王妹や王子たちも、ひいては柩だというジオラマオルゴールを手に入れた人々をも巻き込んで、燃やし尽くしても燃やし尽くしてもなおその熾火を絶やすことがない『想いから生まれた炎』。
その炎は満たされないのだ。人の命と魂を喰らい喰らって、依然満たされぬ。渇き続け、飢え続ける炎の牙は空を虚しく噛んで、いまも咆哮を上げている。
その「想い」は誰のものだ?
王のものなのだろう、と潤は当初思っていた。あの顔のない王の幻像を見たときに覚えた感覚だった。
だが、その確信に近い推測が、新たに生まれた疑念という名の波にゆらぎはじめていた。はたして、王の想いだけなのだろうか?
先ほどのクリュティエの絶叫がまたも蘇る。
愛しい者の姿を熱に焼かれた肉塊へと変えていく炎に、凄惨なまでの怒りの呪詛を吐いていた。
『消えてよ』。
『殺さないで』。
『返してよ』。
まるで目の前で刃を振り下ろす敵に訴えるかのような。
耳の底にこびりついて離れない、しわ嗄れきったクリュティエの声。唸り声にすら似ていた。
炎の犠牲になったのは、クリュティエだけでなく、ペアレスもイカルスも。そして彼らの愛しい者たちも。であれば。
ぶあ、と、眼前が真紅に染まった。それは分厚い布地のように何枚も何枚も次々に折り重なり、カーテンのように波打ってそれは見る間に渦をなし、漏斗状に奥へと引き込んでいく。延々と渦を巻くそれは、どこまで続くともしれない漏斗の底へと凄まじい勢いで沈み込んでいく。果てもなく。
(うぅ!!)
耳鳴りと同時に、ぐうん、と平衡感覚が狂うかの感覚が襲ってきた。
自分が見ている映像が幻だということはわかっている。正しく言うならば、この場を浸す心的エネルギーを潤の力でイメージとして見ているということだ。
あくまで「見ている」だけであり、いまは干渉しているわけではない。なのに、だ。
(この俺の五感にまで跳ね返ってくるというのか!?)
かたく目を瞑る。
「潤さま!」
目を開くと、クリュティエが顔を覗き込んでいた。
「もしやどこかお怪我をなさって」
石畳の冷えた感触が掌に伝わってくる。いつの間にか倒れかけていたらしい。
「……いや、大丈夫だ」
腕を摩ってくるクリュティエの手を取り、ほほえんでみせる。
人形の瞳は、月明かりを宿した夜露のように澄んでいた。あの非業の最期を遂げたときの絶叫とは程遠く、見えるのに。
(もしも俺のこの考えが間違っていないのなら)
解放してやりたい、と潤は思った。
みなの想いを解放してやりたい。
たとえ、すべてを丸くおさめることが無理であったとしても、少しでもそれぞれが胸の内に抱えつづけているのだろう過日の想いを開放できればいい。
(そのために俺に出来ることがあるとすれば、なんだ?)
力を貸すことだ。いまこの目の前にいる少女に。
思念を封じることだってやろうと思えばできる。
いましがたの目眩からしても、封じることは容易でないだろうが、できないとは思わない。だが、力を使いたくはない。
力で押し込めて封じることは、長年ジオラマオルゴールという名の柩に囚われてきた彼らをまたもや囚われ人にすることとそう大差ない。たとえ輪廻を断って欲しいと望むクリュティエたちが納得すると言ったとしても、潤の納得がいかない。
そうではなく、彼らの消え尽きることのなかった想いを昇華させてやりたい。そのために力を使いたい。この悲劇に幕を下ろすことができるのは、自分ではなく、この悲劇の当事者たる彼らであるはずだ。
だが、みなの想いを昇華させてやりたくても、いまはイカルスたちがいない。
(どうしたらいい……?)
「でも、潤さま、お顔の色が心なしか悪く見えます……」
大丈夫、と言ってもまだ案じ顔で見つめてくるクリュティエに、笑って首を振った。
「それはきっと月の光のせいだ。ほら、見てごらん。青く輝いていて、美しい。君こそ先ほどは怪我をしなかったか」
「いいえ。わたくしは潤さまの後に隠れておりましたから」
「だといいんだが。そういえば、ペアレスたちにも酷い傷を負わせた。彼らにも詫びたい。彼らは無事だろうか」
「……きっと、大丈夫ですわ。たとえもしもがあっても、わたくしたち、慣れていますもの」
そう言っておどけて見せるクリュティエが痛々しかった。
と、後ろに蹄の音を聞いたと思った。
カツカツという規則的な硬い音からして、どうやら聞き間違いではないようだ。
目を懲らしてみると、栗毛の馬に跨がる青年の姿が見える。
「あれは……」
誰だ、と潤が言い終わらないうちに、傍らから声が上がった。
「まさか!! 王子さま!?」
クリュティエが目を瞠っていた。口元に手を押し当てて、それ以上は声が出ない様子で立ち尽くしている。
あれが王子なのか。近づき来る青年は緩いウェーブがかった黒い髪と優しげな面立ちを持っていた。
クリュティエが「王子さま」と呼んだ青年は、馬上で首を傾げるふうに潤たちを見つめると、にわかに手綱を扱い、馬の脚を早めて近付いてきた。
そして軽い身のこなしで馬から下りると、足早にクリュティエの身体を抱いた。
「いったいどこにいたんだい? 君をずっと探していたのに。いつもの泉にはいなかっただろう? ずっと待っていた」
「ほんとうに、王子さま、あなた、なのですね……」
掠れた声が涙声へと変わるのにさほど間はなかった。
「いつになくどうしたの。ぼくはぼくだ。本当も嘘もない」
王子は少し笑ったが、すぐに跪き、クリュティエの髪を撫でて目元を覗き込んだ。
「……けれど、泣いているね。いつまで経っても来ない君を待っていたぼくの方が泣きたかったのに」
おそらくは涙しているのだろう目元を拭って、肩を抱きしめる。
不思議なことに、王子はすぐ傍にいる潤を見ない。いや、見ないというより気付いていないようだった。
ふと、王子の顔が曇った。
「ああ、けれどぼくはもう行かなければ。城で舞踏会が始まってしまう。君にせっかくこうして会えたというのに……。また父に叱られてしまう」
「行かないで!!」
クリュティエが叫んだ。必死の形相だった。
「絶対だめ! 行ってはだめです! でないと」
とっさにクリュティエの口を塞いだのは潤だった。
今夜のそれもいまから舞踏会が始まるのならば、きっとあの悲劇が起こるに違いない。だが、この王子はどうやらそれを知らないようだ。クリュティエは知っていることを、王子は知らない。
これはチャンスだ。
ここで王子に知らせたとしても、悲劇はとうの昔に起きてしまったことなのだ。目の前の王子は、どのような類のものかはしれないがおそらく幻のひとつあたりだろう。むろん、過去にタイムワープしている可能性も捨てきれないが、今ここで王子に忠告をして目前の難から逃れさせることが出来たとしても、その先ずっと起こらないとは言い切れない。であればむしろ、これを機に王子の近辺に食い込んで悲劇の根源に近付いたほうが得策だ。
「あれ? 君は?」
口を塞がれてもごもごと唸るクリュティエを見た王子が、そこではじめて潤の顔へと視線を上げた。潤の身なりへと目を向けながら怪訝そうに首を傾げる。
潤は恭順の礼を取り、
「これは王子でいらっしゃいましたか。こちらのお嬢様が森で道に迷っていらっしゃるのをお見かけしましたもので、こちらまで案内させて頂きました。名は、……潤、と申します」
王子の顔を窺った。
「そうか、町外れの森は深い。彼女の危ないところをよくぞ助けてくれた。ジュンと言ったか、大儀であった」
クリュティエと話していたときとは違い、その態度からは王族の風格がのぞいている。
そんなふたりをこっそりと見比べていたクリュティエが、王子の袖口を引いた。
「王子さま、わたくし、一度、舞踏会というのをこの目で見てみたかったのです。連れて行ってくださいませんか」
クリュティエは潤の嘘から何かを察したらしい。
不思議な顔をしたのは王子のほうだ。
「つい今しがた、行ってはならぬと聞いた気がしたけれど……?」
「い、言いましたけど、その」
クリュティエはとっさの嘘が思いつかないらしく、口ごもって目を忙しなく動かしている。
それを見ている潤の方がハラハラとして、いてもたってもいられなくなった頃。
「え、ええと。だって舞踏会ということは、王子さまも女性と踊られるのでしょう? 私、気になりますもの。とっても」
「ああ、なんだ。そういうことだったのか。物凄い剣幕だったから、驚いたじゃないか。……妬いているのかい? 可愛いひと。ぼくはたとえ誰と踊っていても、いつも君のことを考えているよ」
王子の疑いは意外にあっさり晴れたようだったが、クリュティエは食い下がる。また今は食い下がらねばならないところだ。
「でも、私、とっても気になるんですもの。お邪魔はしません。連れて行ってくださいませ」
いくぶん強引な押し方をしたクリュティエだったが、王子は惚れた弱みなのかとうとう折れた。
「そうか。そこまで言われてはしかたがないな。では、君にぼくの気持ちのありかを証明する意味でも――ジュンだったな、彼と共にいらっしゃい。パートナーのふりをしていれば、城の中でもそうは浮かない。ぼくからも君たちを通すように衛兵と侍従に言っておく」
「王子さま!」
クリュティエが王子の頬にキスの雨を降らせる。
演技は危うかったが、クリュティエのいまの気持ちはわかる。
なんとしてももう繰り返したくないのだ。目の前で動き、語り、ほほえむ王子をもうこれ以上失いたくはない。そんな彼女の気持ちが潤には見えるような気がした。
「――ただ」
ふと、クリュティエを抱きしめていた王子の声が低いものに変わった。
「ただ、父に知れるのだけは避けたい」
王子の眉の間には深い皺が刻まれている。厳しい表情だった。
「クリュティエ、それに、ジュン。ぼくの父がいるときだけは、どこかに隠れていてくれ。今日の舞踏会は招待している客人が多いし、仮面をつけてもいるから、他の者たちはそう気付かない。今日はもともと無礼講の宴でもあるから、堂々と振る舞っていれば、知り合いの知り合いだろう、ぐらいに思ってくれる。ぼくの側近ですらね。だがあの人は、父だけは違う。客人という客人の顔をすべて覚えているんだ。一度会ったら忘れない人だ。見たことのない人間が紛れているとなったら、どんな恐ろしいことになるか……」
そこまで言うと、王子は口を噤んだ。苦しげに唇を噛みしめている。
それは「恐ろしいこと」に思いをいたしているというよりも、何かに耐えているかの表情だった。
「王子さま……あの」
クリュティエが申し訳なさそうに王子を見つめた。
「王子さま、あの、わたくし、ほんとうは」
言いかけたのを阻むよう、王子は決然と顔を上げた。
「いや、君をこれ以上不安にはさせたくはない。行こう」
振り切るように言って、王子はふたたび馬上の人となる。
そして鞍の上からふたりを見下ろした。
「ジュン、彼女を頼む」
舞踏会の会場にはマスケラのような仮面をつけた貴族たちがひしめいており、愉しげなさざめきやら笑い声やらが天井高い広間に反響している。
宮廷楽師たちがめいめいに楽器を抱えて調弦している中を、ドレスの裾を握る女性たちが衣擦れの音を立てて優雅に歩いていく。
傍らから同じく仮面をつけた紳士たちが顔を寄せ、大人の冗談を囁いては、高らかな笑い声を上げていた。
真珠色の壁に凭れながら、潤とクリュティエは貴族たちの様子を観察していた。
不自然に見えないようにと、王子は衣装を用意し、クリュティエには化粧も施させた。不思議なことに王子や侍従たちはクリュティエの肌や関節が作り物であることに気付かなかった。至近距離で接しても、だ。その点をひそかに案じていた潤としては、これをクリアしただけでほっと胸を撫で下ろしたのだったが、さらにタイミングの良いことに、舞踏会の玉座に王の姿はなかった。
化粧を施してくれた者の話によれば、王は昼に行った狩りの疲れで休んでいるとのことで、舞踏会は王子に任せるようにということと、明日の朝まで起こすなということを命じて床に就いたらしい。最も恐れていたことだけに、それを聞いた時は召使いの言葉を何かの罠かと疑いもしたし、その一方で安堵に心底から脱力したのだった。
その話が召使いの聞き間違いでない証拠に、舞踏会の広間の王の姿がない玉座の傍らには王子一人のみが立っていた。
王子の表情も心なしか明るく見える。
しかし、王子は何かを探しているように見えた。何か、いや、誰かを、だ。
ざわつく満場の貴人たちを眺める視線が広間中を廻り廻って、潤たちを見ると、ひたと止まった。
クリュティエを見つめている。
そして手招きした。
「え……?」
目を疑うようにクリュティエが瞬く。
潤を見上げた。目が「どうしよう」と言っている。
潤にはわかった。王子の意図するところが。
王子は言っていた。「君をこれ以上不安にはさせたくない」と。「ぼくの心のありかを証明するために」とも言っていた。
動揺を隠せず、しきりに潤と王子を見比べておろおろとしているクリュティエの肩へと手を置く。
「さ、踊っておいで」
クリュティエはしばらく目を丸くしていたが、潤が「大丈夫」と頷き、ほほえんでみせると、真っ白なドレスにつつまれたクリュティエは白百合がの花がほころぶように笑った。
「潤さま、うれしい」
裾から覗くレースを跳ね上げて、身を翻し、仮面を付けた貴族たちの間を縫って、広間のただ中を駆けていく。
彼女の行く手に、仮面を外した王子が両手を広げていた。
「ぼくと踊ろう、おいで!」
「王子さま!!」
軽やかに飛びついて王子の首にすがるクリュティエの背中はとても小さかったが、いまこの瞬間、その小さな身体はあふれんばかりの至上の幸福につつまれているのだと、その後ろ姿からでも知れた。
弦楽器の奏でる舞曲が柱と柱の間、仮面の人垣の間を流れていく。
ふたりは手を取りあい、絡めた指に想いを込めるように、ターンを踏みはじめる。
華やかな調子の曲にあわせて、脚が交わり、ドレスのフリルが舞い、颯爽と身を翻す王子の胸元に巻き毛がなびく。
扇を片手に、ほう、と溜息をつく仮面の貴族たちの様子を後ろから眺めながら、潤は小さく吐息した。
おそらく、生前のクリュティエがこうして王子と踊ることはまずなかっただろう。決定的な身分の違いが、彼らを引き裂いていたはずだ。だからこそ、人目を忍び、泉でひっそりと会わねばならなかったのだろう。
(クリュティエの想いの火が、これで少しでも鎮まるならば……)
そうして奏でられるヴァイオリンの心地良い調べに浸って目を瞑った矢先だった。
「火事だあぁぁッ!!」
背を預けている壁越しに、いくつもの悲鳴が聞こえた。
(始まった……!)
いよいよだ。
終幕への火蓋が落とされたのだ。
潤は知らず唇を噛みしめた。
広間ではまだ何も知らない客人たちがたのしげに喝采をおくっている。
彼らの先で、幸福そのものといった様子の王子と少女は、水面に浮かんで回る葉と花房のように、くるくるとステップを踏んで熱く見つめあっていた。
<第三章・了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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7038/夜神潤 /男性/ 200歳/禁忌の存在
NPC /ペアレス /男性/???/オルゴール人形
NPC /クリュティエ/女性/???/オルゴール人形
NPC /イカルス /男性/???/オルゴール人形
NPC /王子
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■ ライター通信 ■
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いつも、私がうっかりするような所を深く読んでくださる
プレイングをくださいましてありがとうございます。
今回も、私がこれっぽっちも考えていなかったところに
素晴らしく突っ込んだプレイングをくださいましたので、
どーんと当初の設定を大幅変更してみました。
あ、私としましては実は潤さんにも踊ってもらいたかったです(ぼそ)
次回はいよいよラスボス戦でありますが、その前に。
今回もご参加くださいまして、誠にありがとうございました!
【次回プレイング】
シナリオ公開ページに掲載させていただきます。
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