■【楼蘭】薊・深刺■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
 確かに私を使えば天上の戸が開くだろう。
 だがそれが何になる。天人にでもなるつもりかい。
 それとも、冥下の戸も開き、天上に戦でも仕掛けるつもりかい?
 君のやっていることは無意味だ。
 それでも、君の気が済むのなら、好きにするがいいさ。







 黒に近い緑の髪と瞳の青年は、血相を変えて庵の戸を開け放ち、中を確認すると閉めることさえ忘れて外へと飛び出していく。
 庵に着てみれば、そんな青年の姿に眼をぱちくりさせて、うろたえる背中を見つめる。
 見ていると青年の瞳と視線がかち合った。
「尋ねたいのだが!」
 口調から青年が切羽詰り急いでいることが分かる。
「師父……瞬・嵩晃殿を見かけなかったか!?」
 彼ならばいつも神出鬼没で探しても見つかる御仁ではない。だが、これで完全に瞬の姿がここ最近見かけないのだと分かった。

【楼蘭】薊・深刺







 確かに私を使えば天上の戸が開くだろう。
 だがそれが何になる。天人にでもなるつもりかい。
 それとも、冥下の戸も開き、天上に戦でも仕掛けるつもりかい?
 君のやっていることは無意味だ。
 それでも、君の気が済むのなら、好きにするがいいさ。







 宝貝人間だからであろうか、蓮の姿はもう5歳児ほどに成長している。
 言葉もちゃんと覚えたけれど、どうしても濁音と半濁音の発音が苦手で、千獣のことをセンチュと呼んでしまうため、ある日酷い癇癪を起こし、センと呼ぶようになった。
 実際、千獣にとってはどんな呼び名を付けられようとも自分であることに変わりはないため、気にも留めていなかったのだが。
「もう、直ぐ、着く……から、ね」
 深い山道。仙術も巫術も使えない千獣は山道を歩くしかない。
 飛べばいいのだろうけれど、歩きたくなくなったら飛ぶ。と言うような思考プロセスは良くない気がして、険しかろうとも歩けるのならば歩くことを心がけていた。
 幸いにも宝貝人間は普通の人間とは違うため、体力も人並み以上にあるため、歩き難さを除けば山道程度へでもない。
 獣道を越えた先にあるのは、瞬・嵩晃の庵。
 里帰りとか、そういうわけではないけれど、生まれ大きくなった蓮を瞬に見せたいと思った。
 思った、のだけれど―――
「?」
 血相を変えて庵の戸を開け放ち、中を確認すると閉めることさえ忘れて外へと飛び出してきた、黒に近い緑の髪と瞳の青年――桃(タオ)。
 瞬の弟子でもある彼の様子が余りにも切羽詰っており、千獣は小走りで駆け寄った。
「尋ね――――」
 人の気配に気が着いた桃は、振り返りざま早口で言いかけて、止める。
「お前か、娘……」
 落胆に肩を落とし、桃は唇を噛み締めて額に手を当てる。
「どうか、したの?」
 千獣の問いかけに、大仰に溜め息をつく。
「お前に言ってどうにかなるものでもないが、師父が……瞬・嵩晃殿が居なくなった」
 あの、身体で。
 千獣は桃の言葉が告げるままに開け放たれた戸へと視線を向ける。そこには、戸棚と、そこに設えられた大量の薬を除けば、異様なまでに整えられた寝台が主を無くしてポツンと一つ置かれただけだった。
「探さ、ないと……!」
「分かっている!」
 苛立ちをそのまま口に乗せて、桃は低くうなる。
「だが、師父の気が殆ど辿れぬ。くそっ」
 そして、物に当たるほど子供ではなく、ただ拳だけをきつく握り締め、そう呟いて唇をかみ締めた。
 足で探すという行為はあまり得策ではない山の中で、気配がたどれないと言うのは致命的に近い。だが、千獣にとってその程度は致命的でもなんでもない。
「瞬が、好きそうな、場所、探して、みる」
 気や場所を辿り飛ぶような仙術よりも、純粋な翼を持つ千獣の方が今は散策に向いている。
 千獣の背から広がる翼。
 状況が把握できず、不思議そうに千獣を見ている蓮を抱え、空へと飛び上がった。










 ぎゅっと慣れた手つきでしがみつく蓮を支えながら、千獣は辺りを見渡して飛ぶ。
(何…? あれ……)
 きらきらと光を受けて反射している細い糸のようなものが、空から伸びているのが見える。
 千獣はその糸をたどるように視線を動かし、驚愕に目を見開いた。
「……瞬!?」
 空から、糸を辿って地面へと降下する。
「!!?」
 全身を駆け抜けた電流のような衝撃。千獣はかすかに顔をゆがめ、糸の先を見つめる。
 その傍らに立つ、一人の仙人―――
(あの人、は……!!)
 忘れもしない。
 蓮が蓮となる前、最初に生まれ出でたときに道具と切り捨てた、あの邪仙だ。傍らに立つ青年は見たことが無いが、初めてあったときとは違う別の部下か何かだろう。
 瞬の傍らに降り立とうにも電流のようなものに阻まれ近づけない。ならばと千獣は邪仙が立つ開けた台地へと降りた。
 地面に足がついた蓮は、千獣が邪仙に向ける眼差しに、ぱちくりと目を瞬かせている。
 邪仙をどうにかすれば、瞬は解放される。
 獣化した腕で蓮を包み込み、千獣はそのまま地を蹴った。
 が、駆け込み振り上げたもう片方の腕は、邪仙の傍らに立っていた青年によって阻まれる。
 その攻防に、邪仙はゆっくりと振り返り、扇子で口元を隠し、目だけを細めて笑った。
「おや。あなたでしたか」
 着ていたことなど当に気がついていただろうに、その仕草があまりにもわざとらしく、千獣は不快感に目を細める。
 千獣はそのまま打ち込まれた剣を獣化させた腕で弾き、数歩飛びのく。無表情に、瞬きさえも忘れて剣を振るう姿は、まるで人形のようだ。
「まさか……」
 人の形を取り、傷を負えば血を流す。けれど、そこに心は無い。まさに、人の形をした道具。千獣はぐっと唇をかみ締める。知らぬところでまた同じことが起こり、今度はそれが成功してしまった結果が目の前にある。
 その事実がどうしようもなく悔しく、そして歯痒かった。
「どう、して……」
 その言葉だけが千獣の唇から漏れて落ちていく。
 蓮と初めて出会ったときから、どうして? ということばかりが起こる。
 人の命を犠牲にしてまで、人の形をした“何か”を生む必要なんてどこにもないのに。道具が欲しいなら、普通に道具を作ればいい。なのに、どうして?
 苛立ちのまま千獣は腕を凪ぐ。
 宝貝人間の剣が手から弾け飛び、地面に音も無く落ちた。
 それでも、宝貝人間は落ちた剣に一瞥を向けただけで、今度は印を組みながら走りこんできた。
 千獣の肩が爆ぜる。が、そのまま走りこんできた宝貝人間を、獣化した腕の重量を使い、地面に押さえつける。
 姿は青年だけれど、この子はもう一人の蓮。
「辛かった…ね……」
 感情を育むことなく、それが常識として身についた人を殺す術。だから、きっと辛いなんて感じていないだろうけれど、そんなの悲しすぎるから。
 このまま力を込めて核を潰せば、本当に“死ぬ”。
「……ごめん、なさい」
 あなたが生まれる可能性を考えなかった自分に、あなたを救えない自分に。自分はもう救いを求められない。二度目は無い。
 ピシッ! と、何かが割れる音が小さく響く。
「っぁぐ!?」
 千獣の腹部に走った鈍痛。これは、いつも蓮が受ける痛みを肩代わりするときに感じる痛みと同じ。
「なぜ、あなたが苦しんでいるのでしょうね?」
 苦悶に奥歯をかみ締めた千獣に、面白いものでも見たかのように邪仙が首をかしげた。
 邪仙が生んだもう一人の宝貝人間を傷つけることで、なぜ千獣が痛みに悶えるのか。
 予想外の痛みに拘束が緩んだ隙に、宝貝人間は邪仙の元へ戻る。
「瞬憐が何かしたのですね。ふふ、面白いことをしてくれる」
 邪仙は傍らに戻った宝貝人間を目を細めて見つめ、そっと手を伸ばす。
「コレを創るには、些か苦労したのですが。仕方がありません」
 わざとらしく息を吐いて首を振る邪仙。
「何、して……?」
 がくん。と、宝貝人間がその場にひざを着き倒れる。邪仙の手にあるのは、見覚えのある核。
 擬似的な肉体から取り出された核は、微かにひびが入っているものの、まるで宝石のように赤く輝いていた。
 邪仙がなぜわざわざ宝貝人間から核を取り出したのか分からず、千獣は目を瞬かせる。
 が、その理由は直ぐに分かった。
「あああああああっ!」
 邪仙が握り締めた核に、さらに深く穿たれていく罅。痛みが千獣の中を駆け抜けた。
「あなたは何故そんなことを引き受けたのでしょうね? 何の得も無いのに。理解に苦しみますよ」
 邪仙の宝貝人間が受けた痛みは、蓮へと移り、蓮の痛みは千獣が受けている。だから。
「やめて! センをくるしめないで!!」
 千獣の腕から這い出すように顔を出し、邪仙に向かって蓮が叫んだ。だが、それを待っていたかのように邪仙は笑う。
「それをさせているのは、あなたですよ? “計都”」
 びくっと蓮の肩が震えた。痛みは、感じないはずなのに。
「あなたの名ですよ? 計都」
 蓮は目を見開き、がくがくと震える。千獣は人の手で蓮をぎゅっと抱きしめた。
「大丈、夫……あなた、は、蓮……蓮、だよ」
 邪仙は口元を扇で隠して尚いっそう昏く嗤う。
「計―――っ!?」
 言いかけた邪仙の言葉が切れる。
 瞬間、千獣の悲鳴が地を揺らした。
「――師父を、帰してもらう」
 邪仙がゆっくりと視線をおろせば、樹で出来た剣の刃が胸の辺りから生え、掌の上に乗っていた核を粉々に砕いていた。
「……ずいぶんと、早い登場でしたね」
「師父の気は辿れずとも、娘の気を辿ることは容易い」
 桃聖樹で背中から貫かれた邪仙だったが、物理的な傷を負わせるものではないため、血は一切流れていない。
「ふふ、ですが、もう私の目的は達したのですよ」
「何――――!?」
 突然辺りを包み込む閃光。
 全てを多い尽くす光は、視界を白く染める。
 光が収まった時には、貫かれていたはずの邪仙はその場におらず、桃は貫いた体勢のまま立ち尽くしていた。
「セン! セン!?」
 響く幼い声に一瞥をくれる。そして、背を向けて倒れた瞬に駆け寄った。
 千獣は、意識こそ飛ばなかったものの、1つの命が終わった反動で、倒れたまま動けずにいた。
「セン?」
「……良かった」
 蓮が、蓮のままで。
「……瞬、は?」
 千獣はよろよろと身を起こし、瞬が立たされていた場所へと視線を向ける。
 視界に入った桃の背中。これで、瞬は大丈夫だ。
 邪仙の目的は分からなかったけれど、蓮は蓮のままで、瞬も無事取り返すことが出来た事に、千獣はほっと息を吐いた。



























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】薊・深刺にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 瞬を見つける話でしたが、登場人物の関係上そちらよりも、邪仙が創った宝貝人間の核のお話になってしまいました。結構良い方向に進んでいるかと思います。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……


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