■【炎舞ノ抄】白山羊亭■
深海残月
【3087】【千獣】【異界職】
 白山羊亭。
 子供と見紛う童顔な上に小柄な僧侶が、テーブルの席に一人で着いて、気も漫ろげに杯を傾けている。
 そのまま杯を干す。それからまた空になった杯を置き、銚子の中身を注ごうとするが、滴しか垂れない。
 空である。
 と。
 すかさず、中身が満たされたもう一本の銚子がテーブル上に――小柄な僧侶の手の届く位置にことりと置かれた。
 置いたのは、着物姿の上に、看板娘であるルディア・カナーズとお揃いの白山羊亭ウェイトレス用エプロンを着用した一人の少女。
 彼女は一人で杯を傾けている小柄な僧侶とそっくりの面立ちをしている。
 それも道理。一言で説明するなら――少女は、その小柄な僧侶の娘である。

 が、何やらそれにしては――この二人の間には複雑な何かがあるようだった。断じて嫌い合っている訳ではないようなのだが――奇妙なぎこちなさと厳格な遠慮、そして親愛と…何故か忌避の感情が同時にあるような節がある。けれど忌避の感情が見えるとは言え、それでお互いを無視してしまう事は避けたい、とお互い自分から進んで思っているようでもある。…但し同時に、絶対に壁越しの対応しか取ってはならない、ともお互い自覚して己に課しているようでもあり。
 とにかく、そんな奇妙な距離感がはっきりとある。
 小柄な僧侶――風間蓮聖がその娘――朱夏を見る目の中には、何故か憂いまで垣間見えている。

 蓮聖は自分の手許に銚子を置いた、己の娘の顔をじっと見る。
 朱夏は父親に見られると目を瞬かせている。
「余計な事でしたか」
「いや。…何でも無い」
 それだけのやりとりをして、二人の間にはまた――微妙に居心地の悪い沈黙が落ちる。

 と。
 二人の居るそこにすたすたとルディアが近付いて来た。
 そして持っていた数枚の紙――と言うより何やら書き込まれている書類を二人の間、蓮聖の着いているテーブルの上に当然のように置いて見せる。ちなみに置いたのは二枚で、それぞれ別の内容が書かれている。片方が依頼状で、片方が関連の詳細資料らしい。
 父娘二人は殆ど反射的にそれら書面をちらと見る。直後には二人とも内容把握。…そのそっくりな反応もまたさすが親子と言ったところ。

 ………………ルディアが持ってきたその紙は、白山羊亭の裏稼業と言うか副業と言うか二足の草鞋の片足分と言うか、とにかく冒険斡旋依頼状の形式を取った書類である。

「…ルディア殿?」
「最近蓮聖様朱夏さん目当てでうちの店に入り浸りっきりじゃないですか。お時間あるならたまにはお願いしますねっ」
 折角ですから朱夏さんと一緒にでも。
 勿論いつもお店に来て下さるのは嬉しいですけど、飲んでばっかりじゃ身体にも悪いですし。
「…」

 依頼内容:
 エルザードとその近隣で起きているごく局地的な気象災害に関する調査。
 被害と痕跡の状況からしてごく小規模な竜巻、もしくは限定された狭い範囲で超音波的な異常が起きた可能性が高いが、気象災害では無く魔法的・機械的な仕業による悪意ある攻撃である可能性も心配される。その為、関係各所に調査を依頼する。
 具体的な被害場所、被害状況は別紙に記す。
 もしこの気象災害の原因を解明し、今後の被害を止められる確信を得られたとしたら報酬は弾む――…。

「…これ、私と父上様で何とかなるようなお話でしょうか」
 むしろ他の方に回して頂いた方が…。
 と、朱夏がひとりごちている間にルディアはまたすたすたと移動、朱夏に言われるまでも無く別の客人――冒険者やら色々請け負ってくれそうな人々に同じ依頼状を宣伝のビラのように渡しては、頼んでいた。
 …何だか手当たり次第に、である。
【炎舞ノ抄 -抄ノ伍-】白山羊亭

 …。

 ……?

 困惑した。
 何か、いっぱい文字が書かれているビラ。
 千獣さんもお時間ありましたら宜しくお願いしまーす――と、白山羊亭のお店に来て早々、ルディアのそんな明るい声と共に手渡されたものではあるのだが。
 …イマイチ、書いてある事がよくわからない。
 宜しくお願いします、と言う事は、これはきっと、何かを頼む旨が書かれたビラでもある訳だろうが。
 取り敢えず渡されたビラは、二枚綴り。
 …読めるところと読めないところ、読めはするけれど意味が取れないところがある。
 ええと…エルザード、と、その近隣で起きている…ごく局地的? 気象災害? に関する調査…。で、被害が…痕跡が…小規模な? 竜巻、……超音波的な異常?? 気象災害では無く……???
 やっぱりよくわからない。
 よくわからない一枚目をめくって、二枚目を見る。

 …。

 二枚目には、場所の名前が並べて書いてあった。
 全部、エルザードの中にある場所になる。

 ……え……と……。

 取り敢えず。

「ここ、行って、調べれば、いいの、かな……?」
 そんな気はした。
 そうしたら。
 誰か近付いてくる気配がした。
 ビラを見ていたところから顔を上げる。
 …近付いてくる人の気配が誰のものだか、その時点でわかっていたから。
「そういう事らしいですよ」
 こちらの呟きに答えるみたいに、その人から声も掛けられた。
 蓮聖。
 前に、夜に、黒い炎を纏う人、の、噂、追ってた、時に、道で、遇った、子供みたいに小柄な、白い人。
 …龍樹の、師匠。
「いずれまた、と慌ただしく別れたきりで。御無沙汰しております。千獣殿」
「うん……久し、振り。で……」
 そういう事、って事は。
 思った時点で、私の持っているビラを蓮聖が指先で軽く叩いてくる。
「これ。その気がおありでしたら、御一緒しませんか?」
「やっぱり……調べれば、いい……って、事、なんだ」
「はい。何が起きたか調べて欲しい、と言う依頼です。勿論、強制ではありませんけれどね」
「でも、困ってる、人、居るから、依頼に、なってる……だったら」
 強制ではなくとも、私で出来る事なら、したい。
 困っている人を助けたい。
 そこまで言葉には出さなかったけれど、蓮聖はやっぱり、前の時みたいに察してくれたみたいで。
 頷いてくれた。
「…で、お邪魔で無ければ?」
 にこりと笑い掛けてくる。
 お邪魔で無ければ――それは、一番初めの『御一緒しませんか』と言う問いについての、答えを促している科白でもあって。
 その事に少し遅れて気付いて、少し慌てた。
「あ……うん。一緒に……調べる」
 邪魔なんて事は無い。
 …むしろ、人間の――『ひと』の側に居るひとたちの事も、私みたいなどっちつかずの存在の事も、どっちも色々わかってる人みたいだから、助かる。
 今の言い方でそこまでわかってもらえただろうか。思いつつ、蓮聖の顔を見る。
 そうしたら、蓮聖に近付いてくる――蓮聖にそっくりな、でも髪とか瞳の色はもっと濃い茶色で、多分女の人らしい人に気付いた。
 ちょっとびっくりする。
 蓮聖は近付いてくるその人の事にもやっぱり気付いていたみたいで、自分を見返して来る私に、その人の事をさりげなく示してくる。
「朱夏と言います。…私の娘なのですが、彼女も一緒に構いませんか?」
「……。いい、けど……」



 しみじみ、そっくりな気がした。
 朱夏、と言う名前らしい、蓮聖の娘。
 いつもではないが、白山羊亭で働いている、らしい。
 …私は今日が初対面だったけれど。
 蓮聖に言われて、取り敢えず一緒に調べに行く事にはなった。ビラの二枚目を見――まず何処の被害場所に向かうかを三人で考える。…と言うか、蓮聖がここ行ってみて良いですか、とビラに書かれている一つの現場をまず示して来た。
 コロシアムの外壁――抉られたみたいに削られた、って書いてある場所だった。
 その場所を確かめる事について特に否やは無い。ただ、その場所を選んだ理由が何かあるのか気になったので、蓮聖に直接確かめてみる。
 確かめてみたら――何故か、何だか微妙な態度を取られた気がした。
 口の上では、ちょっと気になる事がありまして、と普通に返されただけ。朱夏の方も特に異論は無いみたいだったけれど…何だろうと思う。…私は今何が引っ掛かったんだろう。
 考えながら蓮聖を見返してみるけれど、よくわからない。
 微妙な態度の気がしたのは、蓮聖と朱夏。二人の間に何かそんな感じの違和感があるように思えたのかもしれない。
 二人の間と言えば、初めから…白山羊亭に居た時、私に話し掛けてくる前から、何だか少し妙だった気もする。…きっと仲が良いのだろうけれど、同時に凄く遠いような、すぐ側に居るのに、突き放しているみたいな。だけどお互い、凄く気遣ってもいるような。
 二人とも、全く反対の気持ちが同時にある感じ…なんだろうか。
 凄く難しい感じがした。
 人間はそういうものなのだろうか、と思う。
「……蓮聖も、朱夏も、難しい」
 目的の場所に向かう途中で、思わず、そう言ってしまった。
 言った途端に、二人の視線がこちらに集中する。
 …その時点で、またこちらの伝えたい事が上手く伝えられていない話し方をしてしまったかもしれない、と少し焦る。…焦ると余計言葉が出て来ない。出て来ないと更に焦る。
 と、蓮聖に苦笑を向けられた。
「今もまだ、それ程に見えてしまうのでしょうかね、朱夏」
「…すみません。千獣さん」
 朱夏の方も蓮聖に頷いて、私に謝って来る。
 また、ちょっとびっくりした。
 なんで、と思う。
「え……? それ程、に、見える、って……すみません、って……えっと……? 何、が……?」
「拙僧らの事ですよ。白山羊亭で拙僧らが遠巻きにされていた事に気付きませんでしたか? どうも最近皆に気を遣わせてしまっているようで。人によっては御不快にさせてしまっている時まであるようなのですよ」
「私たちにしてみれば全くそんな…気を遣って頂く事など無いと…そう思っているのですがそれでもやっぱり皆様は気遣って下さって…。…本当に申し訳無い限りなのですけれど」
「それで気分転換にどうかとこの依頼をルディア殿に勧められた、と言う成り行きで今に至る訳なのですが。…ですが拙僧ら二人きりでは依頼を受けよう受けまいと気分転換にも何もならない事はわかっていまして。さりとてルディア殿の御厚意を撥ね付けるのも心苦しい…はてどうするかと考えている時に千獣殿をお見掛けした。それも今拙僧らがルディア殿に渡されたのと同じ依頼について困ってらっしゃる様子で。ですから先程、一緒にどうかと声を掛けてみた次第なのですよ。どなたか一緒ならばまた違ってくるかと思いましてね」
「……。……何か……あったの?」
 蓮聖と朱夏の間で。
 訊いてみる。
 と、蓮聖と朱夏が困ったように顔を見合わせていた。
「…さて、どう説明するべきでしょうか」
「…それ以前に。説明出来るのですか。父上様」
「さぁ。私にしてみれば、お前が真実朱夏であるのか信じ切れていないが故の事に付きるからな」
「私は私だとずっと申し上げていますし、父上様も認めてはいらっしゃるのに、それですからね」
「言葉の上知識の上認識の上ではな。だが、過去のあの時にお前が喪われた事も事実だ。そしてお前がソーンに現れた事で龍樹が『人』である自分を手離した事も事実」
「私も龍樹様を取り戻したい気持ちは同じです。何度言ったら信じて頂けるのですか」
「その言葉に偽りが無いとは信じているがそれでもお前の存在自体がどうしても信じられぬ以上どうしようもない。許せ」

 …。

 何となく、わかった。それは細かい事情はわからないけれど…周りから気遣われている理由、くらいは何となく察しがついた。…二人の会話、聞いていて、痛い、気がする。
 …でも。
「蓮聖、何だか、酷い」
 気がした。
 そう言ったら、蓮聖はまた苦笑。
「…既に喪われた筈の者が有り得ない形で戻ってくれば信じ切れなくもなりはしませんか。私とて信じたいのは山々ですが、ただ信じるには…今の状況は不安要素が多過ぎる」
「でも、朱夏……寂しそう」
「…」
「…」
 言ったら、蓮聖と朱夏はまた顔を見合わせていた。
「寂しいですか」
「はい」
「…。…千獣殿をお誘いして正解でしたね」
「…そうですね」
 そこまで続けると、蓮聖と朱夏はよく似た笑顔で、静かに笑う。
 …何だかよくわからない。



 道すがら、被害現場を選んだ理由が蓮聖から聞かされた。
 曰く、この現場は自分以外にも見て確かめて欲しかったから、との事。
 蓮聖本人は、実は依頼になるより前の時点で、全部の現場を既に見て回った後であるらしい。色々と気になる事があったから。…気になる事。それは――龍樹とこの被害とには、何か関係あるのか、調べる為に。
「……前の、『炎を纏う人』、の、噂の、時にも……龍樹、エルザード、に、来てた、から……?」
「ええ。…慎十郎と舞姫から聞いています。貴殿があの時…拙僧に遇った後ですね。龍樹に遇い、話をしたと言う事も」
「だから、今回も?」
 龍樹が来ていて、何かの理由で、これをした可能性があると?
「わかりません。ただ、拙僧の見る限りは被害箇所に『獄炎の気』は感じられないのですよ。その時点でこれを為したのが龍樹とは違うとは思っています。…ですが何かしら、関係はあるような気がしてならない」
「関係……ある……」
 じゃあ、調べる事で、龍樹を止められる事に繋がるだろうか。
「調べて、何があったかわかれば、龍樹、止められる……?」
「わかりません。今の時点では何とも。…朱夏も居る事ですしね」
「…父上様」
「……。……なんで?」
 そういえば、さっき、朱夏が現れた事で龍樹が『人』である事を手離したとか蓮聖が言っていた。
 どういう事だろう。…そう思って、今、なんでと訊いてみたのだが。
 …実際に訊いてみてから、また経過を素っ飛ばしてしまった気がして少し焦る。
「えっと……さっき……蓮聖が……朱夏の事……龍樹」
「ああ、一番初めの話の事ですね」
「一番、初め」
「あの莫迦が今の道を選んだのは、ここソーンで、この朱夏と顔を合わせたその時の事らしいのですよ」
「……え」
「朱夏は龍樹の許嫁でしてね」
「?」
 いいなずけ?
「後で祝言を挙げる…ここでは結婚と言った方が通りが良いのでしたか。とにかくその約束をした仲だった、と言う事です。龍樹や拙僧がソーンに来るより五年前、までの事になりますが」
「五年、前……」
「ええ。その五年前の時点で、朱夏は故郷世界で死んでおりまして」
「……え」
「それもただ死んだのではなく、魂すら、生きていた証すら喪われている状態でした。そうなると、ソーンの摂理――聖獣の加護により魂が導かれた具象心霊であると言う説明も効かない。五年前当時の故郷世界からこの朱夏が訪れたとするにしては、その後の我々の事を初めから知り過ぎている。慎十郎の力を借りて生死を確かめてみれば死者と出る。…今ここに居る朱夏は、存在自体が何処か不自然なのですよ」
「…それでも今私はここに居るのですが」
「ええ。然りです。…それだけで済むならば、ここがソーンであるが故の、理屈で計れぬ不思議と受け容れる事も吝かではありませんでした」
 そこまで言った時点で、蓮聖は朱夏の顔を意味ありげに見る。
「恐らくは、龍樹が先に気付いたのでしょう。ただの一言も交わさぬまま、ただお前の姿を認め顔を合わせた途端にお前の違和を感じ取った。その結果がこの選択。あの莫迦は魔性に身を任せ狂い舞う事を選び取った」
「……どうして」
「それがわかれば苦労はしませんよ。…ただ、喪った筈の許嫁が目の前に現れたショックで、だけの選択とは考え難い。…あの莫迦はそれ程弱くない」
「……うん」
 頷く。
 私も、そう思う。
「……龍樹、理由、探してる、って、言ってた、し」
「その理由が朱夏にある。…そう思いたくなる。…だがそれならば何故姿を消し、遠き彼方で荒れ狂う。…遠き彼方で千獣殿と殺し合う必要が何処にある。理由が朱夏であるならば龍樹がここから離れる必然は無い。朱夏の前に居れば良い。それだけで済まない何かがある。そのままの自分で叶わぬ何かがある。…だから龍樹は選択した」
「父上様の仰る事はわかります。けれど私にも…本当に、その理由に全く見当が付きません」
「お前に問うてわかるならばそれが一番容易い。だがそれは叶わない――本当に知らぬのか隠しているのかすら私には判断出来かねる。お前が私のよく知るお前であるのかすらわからない。心を記憶を読める、力ある者に託したとしてもそれで私の求めるところが叶うかすら判然としない。今のお前が真実何者であるかがわからなければお前に何を試みても試みて何らかの結果が出ても私にはそれを信じ切る事は出来ない。だからこうやって、別の事――関わりを感じる数多の事柄を見付けては調べる事にしている。それで結果が出るかどうかはまた別の話。…拙僧にはそれしか出来ませんのでね」
 そこまで続けると、蓮聖は瞼を閉じる。
「拙僧に出来る事はあまりにも少ない。…異界を渡れる力があったとて何だ。朱夏も龍樹も救えていない」
「蓮聖……」
「さて。この話はここまでとして。…現場はあそこのようですね」
 それまでと気分を切り換えるように言いながら、蓮聖は瞼を開けて前方を見直す。
 確かに、あった。
 私たちの視界に入る真正面。大きな闘技場。コロシアムの頑丈な外壁、その筈なのに――まるで大きな口の誰かが齧り取ったみたいに、大きく抉られている。



 側に行って、被害箇所を見る。
 崩れるかもしれなくて危ないからか、近付けないように周辺にロープが張られている。でも蓮聖はそんなの気にしないでロープを越えていた。朱夏も。…確かにもっと側で直に見ないと、調べるも何も無い。
 私も続く。
 …断面をよく見ると、本当に綺麗に抉り取られているみたいだった。
 どういった力で壊されたのか。
 考える。
 …今まで生きて来た自分の経験から、何か思い当たるものは無いか。
 人としてでも、獣としてでも、魔としてでも。
 さっき思ったみたいに、大きな口の誰かが齧り取ったとか。
 凄く、強い力な気はした。
 余程の力を一気に一点にぶつけないと、こんな綺麗には取れないで、周りごと崩れてしまうと思う。…私が考えてる程強い力じゃなくても、鋭い力だったらこの箇所だけを抉り取るような事も出来るかも知れない。例えば私の召喚出来る聖獣装具の疾風刃――スライシングエアだと、鋭い方の風の力になるから、そういう感じの。…でも、鋭い力だと、力の掛かる場所は細くて小さくなるもの、だと思う。もし、これだけ大きい範囲であって、既に細くて小さい…のだとすると、元々籠められていたのはとんでもなく凄い力なんじゃないかと思う。
 私の中にあるたくさんの命の中に、同じような事が出来るものは居るだろうかと考えてみる。…出来る事。牙で裂く。爪で抉る。顎で齧り取る。咆哮で崩す。…ただ獣、では難しいかもしれない。魔獣、なら力の桁が違うから、何とかなるものも居そうか。
 でも、それにしては――周辺の被害が無さ過ぎる気がする。例えば魔獣がこれをしたのなら、そう動く時の踏み込みとかがもっとはっきり痕跡になっていたり、もしくは誰か戦っている相手が居たとか――もう少し現場周辺も何かしら荒れていそうな気がする。
 魔法使いが、風の魔法とか使った場合。…多分、簡単だろう。その方が…ここだけを狙うのも難しくないのかもしれない。…なら、魔法と考えた方が自然? でも魔法だとして、何でこんな事するんだろう。…わからない。
 偶然が重なりあった自然のいたずらで、こうなった可能性。…ビラの一枚目、依頼状にその可能性――局地的な気象災害の可能性――もあるかもと書いてあると蓮聖に説明してもらってはある。…確かにそれもあるのかもと思う。森に居ると、誰がしたのだとも思えないような、よくわからない、不思議な事が時々起きている事もあるから。
 …でもやっぱり、言い切れない。
 思い当たるような匂いが無いか確かめてみる。
 さっきから話に出ている龍樹の匂いとか――他にも何か、私で覚えのある匂いは無いか。
 あった。
 龍樹の、匂い。
 …でも、凄く薄い。
 前の、炎を纏う人、の噂の時にエルザードに来ていたのだから、その時に偶然この現場にも来ていて、その時の匂いな可能性もあるかもしれない。…そのくらい、薄い。
 別の匂いもする。
 そちらの方がずっと濃い。
 被害箇所そのものからも、その匂いがする。
 …何処かで知ってる匂いの気がした。
 でも、何処で遇ったんだか、よく思い出せない。
 何処、だったっけ。
 何の匂い、だったっけ。
 …思い出せなくて、もどかしい。
 この場所の壊れ方と関係しているのか、違うのか、考え込む。
 壊された場所を改めて見直す。

 ……何、だろう……この、壊し、方……。
 ……獲物、仕留め、ようと、狙った、ような、壊し、方、なのかな……?
 ……凄く、強い、風の、力、が、まとめて、固められて、ここに、撃たれた、よう、な、感じ……?

 獲物を仕留めようとしてかわからないけれど、とにかく凄い力が、一点に、ぶつかった結果。
 何か、風の、魔法。
 気まぐれ、な、精霊、の、いたずら。

 挙げてみた可能性を、また改めて考え直してみる。
 …確かに、直接誰か生きてるものを傷付けたとか、そういう被害は今のところ無いらしいと蓮聖から説明されはしたけれど。
 けれど、この力がもし、直接生きているものにぶつかったなら。
 そう思ったら、余計、放っておけなくなる。
 それは自然の力でこうなったのなら、仕方無いのかもしれないけど。
 もし、そうでないのなら。

 ……これが、自然の、力で、壊されたん、じゃ、ないの、なら……それが、人、でも、獣、でも……誰か、が、壊した、のなら……何か、こう、した……こう、しなきゃ、いけなかった、理由、が、ある、と、思うん、だけど……。
 ……その、理由、何、だろう……。

 考え込んでいると――いつの間にか、蓮聖と朱夏の両方から顔を覗き込まれている事に気が付いた。
 ちょっとびっくりする。
 思わず目を瞬かせた。
「……な、に」
「いえ、随分と考え込んでらっしゃる様子だったので」
「うん……こう、した、理由……何、だろう……って」
 その手段が何であっても。
 何者がこれをしたのであっても。
 ここの――コロシアムの外壁を抉り取るみたいに壊したのは、どうしてだろう。
「自然、の、力、なら、理由、無い、だろう、けど、そう、で、ない、の、なら……何か……無い、か、って」
「思い当たりませんか」
「うん。心当たり……匂い、だけ。壊された、場所、に、じゃ、なくて、近くで、微かにだけ、龍樹の。それと……何処か、で、遇った、匂い、が……する、ん、だけど、何処、で、だった、か……」
 思い出せない。
 そう返してから、蓮聖を見る。

 ――――――思い出した。

「あ。……あの、夜、の、炎を纏う人、の、噂、追って、前遇った時の、蓮聖が、凄く、気にしてた……」
 気配。匂い。
 私はあまり気にする事は無いと思った、あの時の。妙に虚ろな、不安定な感じもした、あの気配――あの匂い。
 殆ど印象に無くて忘れていた。
 ただ、蓮聖が凄く反応していた相手――たぶんあの気配を追って、あの時に蓮聖は慌ただしく行ってしまったのだと言う事だけが、一番の印象として残っていて。
 だから今蓮聖を見て、思い出した。
 蓮聖はすぐに切り返してくる。
「千獣殿もそう見ましたか」
「…?」
「二人目です」
 それだけ言うと、蓮聖は不意に元来た方向を見返る。
 さりげないその仕草の途中で、私も気が付いた。
 少し離れたところから誰かに見られている。…と言うか、私たち三人が誰なのかを考えようとしているようなそうでもないような、とにかくぼーっとした感じでこちらを見ている、くすんだ青い髪のひとが――蓮聖が見返ったその先に居る。
 そのひとは足を止めて、何も言わないでこちらを見ている。
 私たちが気付いたからと言って、別に隠れようとするでもない。
 ただこちらを見ているのは、相変わらず。

 …私にとっては、見た目にも匂いにも覚えのある人だった。

「ケヴィン……?」
 確か名前は、ケヴィン・フォレスト。
 森、と同じ響きの名前を持つ賞金稼ぎのひとだった。



 ケヴィンもロープの内側に入ってきた。
 曰く、彼も彼で、私たち三人と同じ依頼を受け、調べて回っていたらしい。と言うか、そもそもケヴィンもさっき白山羊亭に居たとか蓮聖が言い出した。で、私たち三人がビラを見ながら色々話しているところに、ケヴィンの方は白山羊亭店内に訪れて――ルディアにビラを渡されるなり、一度も店内で腰を落ち着けないまま、報酬目当てですぐさま先に一人で調査に出掛けたよう…だったらしい。
 そこまで蓮聖に話されたところで、ケヴィンはその話を全部肯定しているような気がした。
 言葉では一言も話してくれていないし、態度でも何も示してくれていないのだけれど。…でも、何となくわかる。
 で、ここで遇ったのも何かの縁、とばかりに蓮聖がケヴィンにも訊いていた。
 壊されていた場所についてどう思うか。ここについても、ここ以外の別に見て来た場所についても。…調べたり聞いてみた情報からしてソニックブーム系の強い魔法な可能性が高いらしい、と言いつつも、ケヴィンは何か気懸かりな事があるようだった――と言うか、蓮聖からそんな風に気にされていた。
 ソニックブーム系の魔法。それは例えば、魔獣の咆哮、に近いって事だろうか。風の魔法との違い。…よくわからないけれど、似ているものだとは思う。…スライシングエアだと同じ風系でも鋭い力になるけど、ケヴィンの言う事も合わせて考えると、もっと圧力のある風の力、と言う事だろうか。
 …さっき、千獣殿もそう見ましたか、と蓮聖に言われた。私が嗅ぎ取った匂い。蓮聖の心当たりと、合ったって事なんだろうか。…二人目です、と続けられた。…私以外にもそう思ったひとが居た?
 …朱夏?
 そう思い、朱夏を見る。
「朱夏も、そう思った、の?」
 そう言ったら、ゆっくりと首を横に振られた。
「私ではありません。ですが、秋白では無いのか、と仰っていた方はいらっしゃいました」
「……とき、しろ?」
「朱夏」
 咎めるように強い声がした。
 蓮聖。
 私が朱夏に名前らしきその言葉を問い返した途端の、その声。
「それは徒に広める必要の無い名だ」
「徒に広めている訳ではないでしょう。今、この件に関わっているかもしれない存在で、父上様が承知している名。何者であるのかも、父上様は察してらっしゃると。ならばこの依頼を果たす糸口になるかもしれない。その名を存在を伝える事が、その者を辿ろうとする事が何故いけないのですか」
「お前では辿れない」
「私でなくとも今ここには千獣さんもケヴィンさんもいらっしゃいます。…無論、父上様も」
「確証が無ければ追う訳には行かない」
「何故ですか」
 と、朱夏が切り返したところで。
 ケヴィンが不意に蓮聖の肩を掴んでいた。
 一瞬置いて、蓮聖が頷いている。
 と、ケヴィンは肩から手を離していた。
 何だかよくわからない。
 が。
「――…貴殿もあの莫迦を御存知でしたか」
 蓮聖はケヴィンにそう言っていた。
 え、と思う。
 蓮聖が、『あの莫迦』って言うのは…だいたい、龍樹の事。
 ケヴィンも、遇ってる?
「…それから、貴殿の御懸念は無用とだけお返ししておきますよ」
「…御懸念?」
 話している横から鸚鵡返しに訊いてしまったところで、私の方にもケヴィンから視線が来る。
 どうやら、さっき蓮聖が言っていたケヴィンの気懸かり――何か心配していたらしい事について、心配無いと言われた…と言う事らしい。
 ただ、蓮聖にそうは言われても――ケヴィンはまだ半分しか信じられていないみたいで。
 少し疑っている感じで、また蓮聖を見ている。
 その時点でまたすぐ、蓮聖の声。
「拙僧以外にも既に二人、被害箇所に同じ存在の気配を、風の痕跡を見ています。…龍樹以外の、もう一人を。そしてその存在は拙僧と同郷ですから、恐らく貴殿の知人とは…無関係と思われます。貴殿の仰る知人と言うのが拙僧と同郷の者ならばわかりませんが」
 言ってすぐ、ケヴィンからは、何処かほっとしたような感じが見えている。
 蓮聖は頷いた。
 …それで、ケヴィンに対して、龍樹と遇った時の事を確かめ始める。遇った時に何があったのか、大事無く済んだのか。それから、どうやら私に知らせているのと同じところ――龍樹の今の状況や、龍樹と蓮聖の関係、それからここに居る朱夏と龍樹の関係――まで、ケヴィンの方にも全部伝えていた、らしい。
 そして、伝え終わったその流れで――蓮聖は、何か諦めたみたいに瞼を閉じていた。
 そのままで、口だけを開く。
「――…被害箇所から感じられた気配、匂い。その痕跡の持ち主が秋白と言う名であるのなら、その名を持つ者がこれらの所業を為したのでしょう。…あくまで仮定の話ですがね。秋白が私が思う通りの存在ならば、こんな派手な痕跡は本来残したがらない筈――直接手を下す事など望まない筈です。それでもこうしてしまったのは、千獣殿の仰る通り、こうせざるを得ない理由があったから」
「理、由……」
「その理由が、恐らくは龍樹――あいつの理由もまた、秋白」
「え」
「あいつが追っているのが元々秋白であったなら、秋白とて反撃の一つや二つしてもおかしくない――秋白が反撃の必要を感じる程の相手は『今の』龍樹くらいしか思い至らない――例え薄くとも千獣殿の嗅覚であって匂いがあると言うのならその時に龍樹が居た事を否定は出来ない。その結果が、この被害。そう見る事も出来なくはありません。…但しあくまで全て仮定の話。検証しなければ言い切れない。…そして龍樹も秋白も、現段階で検証出来るような相手でもない。よって止められるかどうかなど判断も出来ない。
 現場から見出せる情報もそろそろ限界でしょうし。…依頼を果たすのは無理そうですね」
 言いつつ、蓮聖は何処からか依頼のビラを取り出し、ひらひらと振って見せる。
 振って見せたそこから、指を離した。
 ひらひらと木の葉みたいに、蓮聖の手からビラが落ちる。
「戻りましょうか」
 そう言うと、当然みたいに蓮聖は被害箇所を囲っているロープを越えて、言った通りに本当に元来た方へと戻り出した。
 置いていかれて、私と朱夏とケヴィンは思わず顔を見合わせる。
 その間にも、蓮聖は足を止めない。

 …けど、蓮聖はずっと、朱夏に意識を集中させている気がした。
 特に視線を向ける事が無くとも、直接声を掛けていなくとも、気にしているような、そんな素振りすら全然見せていなくとも。
 それでも何か、ずっと朱夏の方を気にしている風だった気がした。
 朱夏が、秋白と言う名を出した、直後から――蓮聖が咎めるように朱夏の名前を呼んだ、その時から。
 少し、何か――上手く言えないけれど、空気みたいなものが、また変わっているような気がした。
 蓮聖と朱夏の間で。
 初めに遇った時の、何だか難しい感じに戻っている。

 …なんでだろう、と思う。
 朱夏に、何かがあるのかな。
 秋白って名前と、二人のこの態度に、関係があるのかな。

 わからない。
 わからないけど。

 朱夏は、蓮聖の娘だって言っていた。
 信じ切れないとか、言ってもいたけど。
 でも。
 それじゃ、寂しい。
 朱夏が寂しいって言ってたの、蓮聖も認めてた。
 認めてたんだから、もう、それで良いと思うのに。
 ちゃんと一緒に居られる親子なら、それだけで、もっと近くて、寂しくなくて、良いと思うのに。

 それは、私なんかが傍からどうこう出来る事じゃないんだろうけど、それでも。
 ………………なんだか、すごく、もどかしい。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■視点PC
 ■3087/千獣(せんじゅ)
 女/17歳(実年齢999歳)/獣使い

■同時描写PC
 ■3425/ケヴィン・フォレスト
 男/23歳(実年齢21歳)/賞金稼ぎ

■NPC
 ■風間・蓮聖
 ■朱夏

 □ルディア・カナーズ

 ■佐々木・龍樹(名前のみ)
 ■秋白(〃)
 ■夜霧・慎十郎(〃)
 ■舞(〃)

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          ライター通信
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 いつもお世話になっております。
 今回は【炎舞ノ抄】五本目の発注、有難う御座いました。
 そして日数上乗せの上に納期当日のお渡しになっております。大変お待たせ致しました。

 で、ノベル内容ですが…今回も他PC様と同時描写になっております。と言う訳で同時描写の方――ケヴィン・フォレスト様版のノベルも見て頂けると、千獣様がケヴィン・フォレスト様からどう見られていたかが描写されていたりもしますので、合わせてどうぞ。

 PCの千獣様には難しかったのかもしれない依頼状なビラにまで一所懸命反応して頂けて有難う御座いました。
 今回は今までの【炎舞ノ抄】関連ノベルの中でも情報量がやけに多い方になると思います…そして一番他のノベルと絡む要素が多い話にもなっているような気がしています。特に千獣様の場合二本目になる「聖都奇談」との絡みが多いような…言わば今回は「聖都奇談」の後編…のような感じになっていると言えるかもしれません。
 ただ、その割には謎だらけでもある気はしますが(汗)

 …如何だったでしょうか。
 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。

 では、また機会を頂ける時がありましたら、その時は。

 深海残月 拝

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