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■江戸艇 〜舞台裏〜■

斎藤晃
【1252】【海原・みなも】【女学生】
 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だが、彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。

 その艇内に広がるのは江戸の町。
 第一階層−江戸城と第二階層−城下町。
 まるでかつて実在した江戸の町をまるごとくりぬいたような、活気に満ちた空間が広がっていた。

【江戸艇】江戸見世物体験記


 ■Opening■

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だが、彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。

 その艇内に広がるのは江戸の町。
 第一階層−江戸城と第二階層−城下町。
 まるでかつて実在した江戸の町をまるごとくりぬいたような、活気に満ちた空間が広がっていた。




 ■Welcome to Edo■

 うららかな春の日差しがきらきらと水しぶきに跳ねていた。一面の水平線に大地は遠い。
 穏やかな波間をたゆたうようにみなもは腕を伸ばして更に沖へと進んだ。
 一転水中に潜ると美しい珊瑚礁が広がる。海水浴にはまだ寒い水温だがウェットスーツに身を包むでもなくみなもは水中を散策していた。1分……2分……3分……。普通の人間なら息が続かない時間だが、彼女は大して気にした風もない。今の彼女に足にあたるものはなかった。下半身は魚のそれ、彼女は人魚の末裔である。
 そうして静かな海を魚のように進む。
 ―――!?
 と。
 突然、強い海流がみなもを襲った。多少の流れには逆らう事も出来るが、ただの流れではない。バキュームポンプが一気に水を吸い込むような速さにみなもは抵抗する余裕もなかった。
 上下がわからなくなったような浮遊感にぐるぐると目が回る。
 やがて―――。
「……親の因果が子に報い、なんて申しまして……」
 軽快な誰かの声が鼓膜を叩いた。
 やっと収まった目眩にみなもはそっと目を開く。
 薄暗く、辺りがよく見えないと思っていたところに光が射し込んだ。目の前の扉が開いたのだ、と思った時には奇異の目が自分を注視していた。
「えぇっと……」
 状況を把握するのに、みなもはたっぷり1分を要し、それから条件反射のように悲鳴をあげていた。



 ◇◇◇ ◇◇ ◇



 どうやら再び江戸の町に連れてこられたらしい、とは、着物姿に髷を結った人々で理解した。またか、と思うが段々、それにも慣れてきた。
 次に確認すべきは自分の役回りである。
 今回は、“町娘”でも“花魁”でもないらしい。
 奇異な目で自分を見つめ、或いは歓声を挙げ、楽しむ人々。どうやら江戸時代の見世物小屋の見世物になったらしい。見世物といおうか、その小屋の一員といおうか。
 きっとそれは貴重な体験に違いない。ネットなどで調べただけでは今一つ実感も沸かないのだ。となれば実体験に勝る学習はないのだから。
 しかし、だけど、それにしたって。
 みなもは傍らにいた、蛇女にチラリと視線を馳せた。全裸姿に蛇を纏わせ、下半身に蛇の尾をくっつけた女がみなもを心配げに見つめている。
 そうなのだ。全裸、なのだ。
 先ほど、人魚として見世物に出ていたとき、衆人環視の中、みなもは上半身裸で木桶の中にちゃぷちゃぷ浮いていたのである。
 心の準備とか、気持ちの準備とか、結婚前なのにとか、そんなものはへったくれもなかった。
 唯一の救いは、お客が少なかった事と子供メインだった事だろうか。それにしたって、ありえない。
 だけど。
 みなもは再び蛇女に視線をやった。のっぺりとした顔の女は怪訝そうにみなもを見返している。
 これが江戸時代の現実なのだろう。
 口上を述べていたこの見世物小屋の荷主のお小言を、みなもは俯いたまま聞いていた。
 とっさの事とはいえ、見世物を台無しにしてしまった事は間違いない。それは申し訳なく思う。
 と、荷主はお小言をやめてため息を吐いた。
「今日は見世仕舞いにしよう」
 そう言って立ち上がると、片づけ始める。
 自分のせいでとみなもは慌てたが、どうやらそれだけではないらしい。
 今一つ、客が少ない。
 言われてみれば、確かに多くはなかった。江戸時代の見世物といえばそれこそ江戸中の人間が詰め掛けたという話を聞いていたので、ちょっと意外な感じもする。
 すると蛇女が蛇の下半身を脱いで着物に着替えながらみなもに声をかけた。
「片づけておくから、あんたは他の見世物小屋でも見てくるといいよ」
「でも……」
 みなもは逡巡したが蛇女の人はいいから、とばかりに柔らかい笑みを返しみなもを促した。暗がりのせいで先ほどは蛇に似ていると思ったが、改めて見ると30代前後といった感じの優しそうな女性である。
 そうしてみなもは、自分のものらしい着物を着込むと、背中を押されるようにして見世物小屋を出た。
 夏の日差しが八つ刻の道に降り注いで眩しさに目を奪われる。
 だが。
「え……」
 思わず驚きの声が漏れていた。
 道を歩くのも一苦労なほどの人また人の波に飲まれそうになったからだ。あちこちの見世物小屋から威勢のいい呼び込みの声が飛び交っている。
 道なりには「大坂下りかるわざ」などと書かれた幟がいくつも連なっていた。
 これだけの人がいるのなら、確かに自分のいた見世物小屋の客は少なすぎだ。どうしてだろう、みなもは不思議に首を傾げてみた。他の見世物小屋を覗いてみたら、その理由がわかるだろうか。
 見世物小屋が並ぶ通りを歩く。
 後で知った事だが、見世物興業は神仏開帳に合わせて各地を転々と回るらしい。参詣のついでに見世物を見てまわったのか、見世物を見に来るついでに参拝したのか。とにもかくにも、両者の利害が一致して見世物は江戸でも一大ブームを巻き起こしたようである。
 みなもは中でも一番賑わっている見世物小屋を覗いてみる事にした。
 木戸番で木札をもらって入口札銭と呼ばれる入場料を支払う。
 みなもが木札をもらったところで札止め満員となった。本当に人気のある見世物小屋だったらしい。
 札銭は32文。高くても24文で、みなものいた見世物小屋が8文だった事を考えるとこれはかなり高い。それでも満員になるほどの人気なのだ。客層はといえば、子供よりも遙かに大人が多く、文字通り老若男女から、町人だけでなく武士に至るまで様々だった。
 軽業といえばサーカスなどを連想する。蛇女や鬼女などは現代にもわずかながら残っている。象や駱駝の珍獣見世といえば動物園がある。
 しかし、みなもが入ったのは細工見世物とやらだった。美術館や博物館のようなものだろうか。そんな事を考えながら奥へと進む。
 狭い通路に見事な籠細工が並んでいる。麒麟に鳳凰、孔雀に赤鬼etc.しかも、小さな細工ものかと思えば自分と同じくらいかそれ以上に大きい。
 しかし、それだけではなかった。そこに添えられた口上話芸が秀逸なのだ。
 ただ、籠細工が展示されているだけなら本当に現代の博物館となんら変わらないだろう。口上がガイドと変わらなければ、ここまで人を集められはしなかったに違いない。そもそもここまで人で賑わっている博物館をみなもは見たこともなかった。
 そして小屋の奥に、それはあった。高さ7mはあろうかという巨大な関羽の籠細工。それだけでも圧巻である。
 だが勿論、それだけではない。
 その傍らに紋服袴姿の男が座っていた。男は扇子で床を軽く叩いて注目を集めると膝立ちになって軍談を始めた。もちろん、物語は関羽の登場する三国志伝。それもただの軍談などではなく、みなもの感覚では上方独特の節回しが漫談のように聞こえた。
 或いは無声映画の活弁士のようでもある。
 紙芝居、ならぬ籠細工芝居は、美術館などとは全く違い、今で言うなら映画館か芝居に近いのでは、とさえ思った。
 わくわくした何とも楽しい余韻を胸にみなもは小屋を出ると、また別の細工見世物小屋に入ってみた。
 今度はからくり細工らしい。
 みなもが連想したのは、千葉にある巨大テーマパークのお化け屋敷だった。ただ、からくりを見せるのではない。からくりや細工の素晴らしさをふまえた上で、そこには確かにストーリーがあり、口上話芸で楽しませてくれるのだ。
 なるほど、老若男女問わなかったわけである。
 みなもは半ば放心状態で見世物小屋を出た。
 外は既に薄暗くなっている。
 まだまだたくさんの見世物小屋が並んでいるが、それらを回る時間はなさそうで、みなもは自分の見世物小屋へ戻った
 見世物小屋の並ぶ通りを歩いていて気づく。人の畸形や扮装を見世物にした見世物小屋は思ったより少ない。珍獣を扱う見世物小屋も多くはないが、鎖国中のこの日本に於いて、珍獣を入手する難しさを考えればわからなくはない。
 それにしても、見世物小屋の大半を細工見世物と軽業見世物が占めていた。
 後に知った事だが、江戸時代見世物の8割近くを細工と軽業が占めており、人の畸形や扮装などを見世物にしたものは時代にもよるが江戸末期には5%ほどしかなかったようである。



 ◇◇◇ ◇◇ ◇



 みなもが見世物小屋に戻ると、片づけは済んで夕餉の支度がされていた。小屋の隅で何とも質素な膳を皆で囲む。
「楽しかったかい?」
 隣に座る蛇女だった女性に声をかけられ、みなもは素直に「はい」と応えた。楽しかっただけではなく終始圧倒されてきた。
 しかし、それにしても。外の賑わいが嘘のような閑古鳥だったな、と改めてみなもは自分の見世物小屋を見回した。
 5つに仕切られた薄暗い部屋。それぞれ順に、少し蛇に顔が似た蛇女、首が少し長いだけのろくろ首の女、額の上に瘤のある鬼小僧、毛深いだけの狼男、そして人魚を展示するのである。
 少し人と違っただけで見世物にされ笑い者にされるというのはどうなのだろうと思ったが、本人たちからは卑屈さを感じられない。それでお金が貰えるのだからと割り切ったところがあるようだ。そこには確かに可哀想という言葉では片付けられないしたたかさがあった。
 こういう前向きさは、前回の花魁体験の時と変わらなかった。江戸時代を生きる人々は、みなもが想像する以上に強く、そして明るいのだ。
 そう思うと、ますます、もっと客が増えればいいのに、と思わずにはいられなくなった。
 みなもは夕餉を終えると考えるように自分の部屋を見つめた。何とかこの見世物小屋を人でいっぱいにしたいと思う。
 からくり……細工……今から準備するには時間がない。
 芝居……漫談……自分なら水中ショーだって出来るが、それを見せるための水槽はもちろん、それこそ巨大金魚鉢なんてものもない。
 軽業……付け焼き刃の今日明日で出来るようになるものでもない。水芸とうのもあるが、自分の場合種があるわけでもはないから、他の人に教えるという事も出来ない。
 これといっていいアイディアが全く思いつかないまま、仕方なくみなもは先に明日の興業の事を考える事にした。
 上半身裸には抵抗がある。とはいえこの時代にブラジャーだのビキニだのがあるわけではない。かといって人魚がサラシを巻いていたのではいろいろ興ざめだろう。
 何かそれに変わるものを考えなくてはならないのだ。この時代の下着ともいえる肌襦袢は長すぎる。
 ならば胸の下のあたりで切ってしまったらどうだろう。
 みなもは肌襦袢を畳に広げて帯の辺りで折り返してみた。そうすると、帯は届かないから合わせを止めるために紐がいる。
「肌襦袢じゃ寂しいかしら?」
 みなもは自分の着物が入った籐籠を開いて一番派手なデザインの着物を出した。
 実際に着物の裾をばっさり切って羽織ってみる。
 こうしてると、なんだか文化祭の準備をしているような気分になってきた。たくさんのお客さんを楽しませたい。
 針と糸を借りて軽く裾をまつり、さっそく試着してみる。合わせを端切れで作った紐で止めてみた。
 誰が見ているわけでもないがモデルのようにくるりと一転、袖をそっと片手で巻きとった。
「あ……」
 これならいけるかもしれない。
 脳裏をよぎったのは前回、吉原で学んだことだった。見よう見まねでなんとかなるかも。もちろん、あんな風には出来ないだろう、だが、それを人魚がやるからそこに可笑しみが加わるのに違いない。
 みなもは出来た衣装を枕元に置いて、夜四つの鐘を聞きながら眠りについた。



 ◇◇◇ ◇◇ ◇



 翌朝、明け六つの鐘で目を覚ます。見世を出す準備だ。裸ではなく衣装を身につけたみなもに荷主は『親の因果が子に報い裸を晒す〜』といった謳い文句をどうするんだと嫌な顔をしたが、みなもがそっと扇子を振るってみせると、それで納得したのか、或いはどうせ客も少ないしと諦めたのか、あっさりと引き下がった。
 朝餉を終えて見世が開く。
 今日も浅草寺の四万六千日に朝から通りは大賑わいだった。
 ちらほらと入る客に舌耕芸人の切口上。
 みなもは明るくしてもらった部屋で客を待つ。
 扉が開いて通路には10人ほどの客がいた。興味津々の子供が半分を占め、後は付き添いらしい親たちがつまらなそうにしている。
 それでも、本物の人魚には少しは驚いたのか、或いはばっさり切った衣装の奇抜さに驚いたのか。
 みなもは柔らかく一礼するとゆっくり息を吸い込んだ。
 前回、吉原で椛から少しだけ教えてもらった舞と、楓に教えてもらった小唄を披露する。木桶でちゃぷちゃぷ。水面を漂うようにしながらチントンシャン。
 ぎこちなさはご愛敬。
 舞妓や芸妓が踊っているわけではない。とても人様に見せられるようなレベルのものではないのかもしれない。しかし、つたなくとも、つたないなりに一生懸命。
 木桶が小さすぎて躓いたり、人魚の下半身ではバランスがとれなくてよろめいたり、そのたびに、客は冷や冷やしたり、ホッとしたり、笑ったり。最後まで無事舞いきった時には思わずみなもの方がホッとして拍手してしまったり。
 それに客が更なる拍手を送ってくれた。
 頑張れなんて励ましの言葉を残して第一陣の客が小屋を出ていく。
 扉が開いた時はつまらなさそうだった大人の客も、扉が閉じた時には笑顔に変わっていて、みなもはホッと安堵の息を吐く。
 続く第二陣には、みなもの舞を見ていた舌耕芸人が、口上を変えて更に舞を煽った。
 人魚が一生懸命、人を真似る。
 最初の客の好評っぷりが、四万六千日に訪れる参拝客たちに広まったのか、その後は二十人・三十人と客が増えていった。
 結局、その日は午前中2回、午後3回を舞って閉幕となった。
 どうやら、人魚―――畸形の者が舞を舞うというのがウケたらしい。その盛況ぶりに今までは口上にまかせきりでただそこに立っているだけだった者たちは、ならば我もと名乗りをあげた。
 夕餉の後、皆で舞の練習をする。
 下手でもいい。失敗すればそれだけで笑いを提供出来るのだ。
 チントンシャン、チントンシャン。
 夜通し練習が続いて翌日からは、皆で順に舞を披露した。
 それは噂が噂を呼び、話題になって江戸の町を駆け抜け、大盛況の後に50日という興業を終える事になるのだが―――。

 残念ながらみなもがそれを見届ける事は出来なかった。

「みなものおかげでうちの見世物小屋にも客が集まるようになったよ。ありがとう」
 見世物小屋の者たちが口々に言った。

 ―――ありがとう。


 それが東京に帰るキーワード。



 夢か現か現が夢か。
 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だけど彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。
 たまたま偶然そこを歩いていた一部の東京人を、何の脈絡もなく巻き込みながら。
 しかし案ずることなかれ。
 江戸に召喚された東京人は、住人達の『お願い』を完遂すれば、己が呼び出された時間と空間を違う事無く、必ずや元の世界に返してもらえるのだから。



 春のうららかな光を水しぶきがきらきらと跳ね返している。
 まだここは夏には遠い春になったばかりの海だった。





■大団円■


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1252/海原・みなも/女/13/女学生】

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■         ライター通信          ■
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。