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■【楼蘭】楮・天雅■ |
紺藤 碧 |
【3087】【千獣】【異界職】 |
どこか雰囲気が瞬・嵩晃と似ている青年が、清廉なまでの眼差しでその傍らに立ち、寝台に横たわった彼を見下ろす。
「限界だったのですよ。兄上」
どう考えても青年の方が年上に見えるのに、青年は瞬を兄と呼ぶ。瞬は薄らと眼を開け、青年の気配だけを感じながら焦点の定まらぬ視線を天井に向ける。
「人の世に降り人に触れたとて、消え行く人の血は仕方の無いこと」
青年の言葉に瞬はただ無言だった。
「謳華神天仙 瞬憐。それが兄上の」
「木綿(ゆう)」
「その名で呼ばれたのは久しぶりです」
青年――木綿の言葉を遮るために呼びかけた名だったが、余り功を示さなかったようだ。
「…………」
虚ろだった天上の戸。無理矢理固定されたことで、今まで不干渉だった二つの大地はまた干渉し始めた。
その一端を担ったのは、自分だ。
同じ境遇でありながら、天号を持つか、持たないか。それがこれほどまでに大きな溝となるなんて。
瞬はゆっくりと瞳を閉じる。
そもそも調子は殆ど戻っていないのだ。
口と共に瞳も閉じた瞬を見て、木綿は薄く眼を伏せ、息を吐く。
そして、音も無く庵から外へ出た。
木綿の気配が庵の中から完全に消えたことを感じて、瞬はゆっくりと瞼を開ける。
悠久を緩慢に過ごすことは、生きているとは、言えない。
「だからこそ、私は―――」
人を愛し、人を――憎むのだ。
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【楼蘭】楮・天雅 −決−
瞬・嵩晃の庵を離れ、千獣と蓮は、あの宝貝人間の核を埋めた樹の根元に戻ってきた。
きっともう眼を覚ますまで桃が瞬には会わせてくれないと思うし、自分たちが来たことで瞬に気を使わせてしまったのかもしれない。
それに、これからのことを蓮と相談するには、桃が近くに居る庵よりも、二人っきりになれる場所のほうがいいと思ったのだ。
千獣の気持ちは決まっている。けれど、その気持ちを蓮に押し付けてはいけない。
千獣自身も蓮が自分で選ぶことが一番いいと分かっているから、樹の根元で蓮の顔を真正面から見つめ、問うことにしたのだ。
「……あの、人、に…会うつもり、だけど、どうする……?」
瞬が言っていた言葉だけじゃ足りない。蓮の問題だから会いたいわけじゃない。
この心に深く楔を突き立てた、「どうして」の気持ちを晴らしたい。これは、千獣のわがままだ。
「……ん…」
蓮は考え込む。
その姿を見て、千獣はふわっと微笑んだ。
即答するよりも、いっぱいいっぱい考えることはいいことだ。時には瞬時の判断が必要になることもあるが、導きだした答えに後悔しないよう、今はいっぱい考えたほうがいい。
「急が、なくて……いい、から……」
邪仙にもう一度見えるまでどれだけの時間が残されているか分からないけれど、一日二日で閉じるものでもないはずだ。
蓮が答えを出すまで待つ時間は充分ある。
つかの間の平穏。
今はこの時を楽しもう。蓮の選択によっては、これが最後になってしまうかもしれないのだから。
千獣は蓮を抱え、近くの村に降り立つ。
まだ思考も容姿も幼い蓮が地上に残ったとき、安心して預けられる場所を探さなくてはいけない。それに、山ではなく、村や町もちゃんと蓮に知って欲しかった。
土に生えているものでも、畑は他人のものだから、抜いてはいけないということ。
何か物が欲しくなっても、貰うものではなく、お金と交換だと言うこと。
千獣自身が、森が好きということもあってか、あまり蓮と一緒に町に来た記憶はあまり無いため、そういった一般的な常識も教えておく。
生きていくということがどういうことか、それもまた答えを導き出すための材料としたかったから。
千獣は蓮に人の住む場所を経験させ、時に考える仕草を見せる姿を見守り、過ぎ行く穏やかな日々を過ごした。
「セン」
そして、そんな生活が幾日か過ぎた日。蓮は千獣の足をぎゅっと抱きしめて、そのまま固まってしまった。
「……どう、した…の?」
顔さえも千獣の足に埋めるようにして、上げようとしない蓮の淡いピンク色の頭を撫でる。
「レン。きめた」
千獣の目が一瞬大きくなる。いつか、この時が来ることはもう分かっていたし、決めていた。
「行く。レン、センといっしょ」
「蓮……」
純粋に嬉しかった。
本当は一人であの邪仙と対峙することができるのか心配だった。
知識や知恵の差然り、力でさえも敵わない相手。
ただ、千獣がただ一つ彼に勝っているものがあるとすれば、それは、人を――誰かを思う心だけ。
「うん…行こう……蓮……」
頷き返した千獣に、蓮はぱぁっと花が咲くように顔を綻ばせた。
その瞬間、蓮が内側から輝きだす。
「……蓮…!?」
あまりの眩しさに千獣は腕で影を作り、眼を細めて光の先を見ようと瞳を凝らす。
が、世界を白く包むような強烈な光に、まぶたは耐え切れずその蓋を閉じた。
視界は淡く、未だチカチカと星を飛ばす。
その淡い視界の中から朧げに浮かび上がってくる影。
「千獣!」
影は明るい少女の声音で駆け出し、そのまま千獣に抱きついた。
「……え…?」
淡いピンク色のグラデーションがかった長い髪。
この頭は、紛れもなく―――
「蓮……?」
にぱっと笑った顔は、まだまだ幼いものの、蓮の笑顔だ。
「うん! 不思議。蓮おっきくなっちゃった!」
中性的だとは思っていたが、心の成長を果たしたためか、それに追随して身体も成長し、男女の別が出てきた。
まさか、瞬が蓮を少女としていたとは思わなかったが。
「……どんな、姿、でも…蓮、は、蓮…だから」
人とは違う流れだとは何となく気付いていたため、別段驚くことでもない。自分だって、姿と実年齢は比例しないのだし。
だが、蓮が成長したのならば、余計に伝えておくべきだ。
分からなくても、覚えていてくれるだけでよかった時は終わった。これから言うことを、理解してもらうこと、それが必要だ。
「一緒に、行く、なら…聞いて……」
最初は嬉しそうな表情だった千獣の、あまりにも真剣な眼差しに蓮は、はしゃいでいた様子を正し、頷く。
「あなた、には……二つ、の、名前が、ある……一つは、蓮……もう、一つ、は、計都……」
千獣の口から出た計都の名に、やはり蓮の肩がびくっと震える。千獣は安心させるように蓮の手をぎゅっと握って続ける。
「でも、ね……どう、呼ばれ、たいか……どう在りたいか、は、誰か、に、押し付け、られる、もの、じゃない……自分の、心で、選ぶ、もの……」
蓮の顔が少しだけしかめられた。
身体も心も成長したみたいだが、やはりまだ難しかっただろうかと頭の隅で考え、それでも告げなければと言葉を続ける。
「私と、過ごす、中、で、あなたは……もやもや、する、もの……いいな、と、思うもの、を、見つけた」
それは、千獣が選んで教えたものではなく、蓮が、今まで千獣と共に成長してきた蓮が、自分で選んできたものだ。
誰かに与えられるだけでは、成長は望めない。蓮は、ちゃんとそれを吸収し、こうして今、成長している。
「名前、も、一緒……もやもや、する、なら、受け入れなくて、良い……」
例え、それによって、蓮の名を捨てられたとしても、悲しみは心に生まれるが、それを押し付けることはしない。そう、決めたから。
蓮は言われた言葉をかみ締めるように俯く。
「……蓮は、蓮が好き。蓮で、いたい、よ……?」
蓮はぐっと拳を握り締め宣言する。けれど、その語尾は弱々しく消えていく。
身体だけではなく、核に刻まれた知識も引き出されたのだろう。その身に深く穿たれた銘が持つ影響がどれだけ大きいのか、蓮は気が着いた。
けれど、千獣がくれた“蓮”という名が、その穿たれた穴を優しく埋めてくれているのも分かる。
「蓮…負けたくない」
頑張れって、大丈夫って言ってあげるべきなのだろうか。
頑張って無理だったら?
大丈夫なんて保証、ない。
「…うん」
千獣は少し考え、穏やかな笑顔を浮かべると、ただ、小さく頷いた。
「そう……もう、一つ……これ、も、忘れない、で……」
付け加えるように口を開いた千獣に、蓮は目を瞬かせて見つめる。
「私、は…あなたの、笑顔、が、好き……」
だから、この先、蓮が笑顔を向けて、それを返してくれる人がたくさんできるように、これまでも、これからも、行動していく。
そこに後悔なんてどこにもない。
力強く、けれど優しく微笑んだ千獣に、蓮はほっとしたような安心した笑顔を浮かべ、再度千獣に引っ付く。
「蓮も、好き。千獣が笑うの見るの好き!」
とても明るくて、可愛い笑顔。
誰であろうとも、蓮から笑顔を奪うようなことは、絶対にさせない。
どんな風に邪仙と対峙すればいいのかは、まだ分からない。けれど、守りたいものがあれば、強くなれるもの。
しかし、邪仙を追いかけるとは言ったものの、正確にその扉というものはどこにあるのだろうか。
「……もう、一度、会わなく、ちゃ……」
瞬でも、桃でもいい。
千獣も蓮も答えを出したから、天上界の扉がある場所を教えてもらいに。
何時ものように手を広げて、蓮がしがみ付くのを待つ。
少しだけ感じた重み。
それは成長の重さ。
「千獣、飛ぶの、重い? 蓮、重たい??」
飛び上がり、口を閉ざした千獣に、蓮は怪訝そうに眉根を寄せる。
「…ううん……違う、よ……嬉しい、だけ…」
けれど、これから向かおうとしている所――いや、人は、危険極まりない人物。
気を引き締めるように、千獣はぎゅっと唇を引き絞った。
☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆
【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】
☆――――――――――ライター通信――――――――――☆
楮・天雅にご参加ありがとうございました。ライターの紺藤 碧です。
蓮に答えを求めた結果、蓮が少しだけ成長しました。これからの蓮はちょっとおしゃべりで、おしゃまな女の子になると思います。
それではまた、千獣様に出会えることを祈って……
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