■召霊鍵の記憶 黒の頁■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
 アクラはあおぞら荘のホールで、豪華な辞典並に分厚い装丁が施された本をゆっくりと閉じた。
 様々な物語が記されたコールの本。
 この本に記載された物語は、霧散したコールの心と夢を繋ぎ合わせる力になる。
「色々な感情を吸収して、キミはキミを取り戻すんだ」
 一度閉じた本をアクラはまたゆっくりと開く。
 そこは、真っ黒に塗りつぶされ、何が書かれているのかさっぱり分からない。けれど、その黒は闇のような深いものではなく、様々な色が重なり合い黒へと変化したもの。
 そう、この黒は思いの集合だ。
 アクラはゆっくりと黒に手を伸ばすと、徐々に本の中へと入り込んでいった。

(そう危険はないと思うんだけど)
 トンっと上下のない空間に靴音を響かせ降り立つ。その音に気が着いたのか、銀髪の少年が振り返った。
「きみはだあれ?」
「翠なの…?」
「ぼくをみどりとよぶきみはだあれ?」
 アクラは大事そうに鞄を抱えた12歳ほどの少年に近づき、膝を折る。
「ボクはアクラ。お兄さんのお友達」
 アクラが自分の名前を告げ、少年に微笑みかければ、少年は嬉しそうにぱぁっと顔を輝かせ、何かを期待するような瞳でアクラを見つめる。
「おともだち、あそんでよ」
 少年は抱えていた鞄を開く。
「…っ!?」
 アクラの身に圧し掛かった脱力感。これは、翠の力じゃない!
 少年はそんなアクラを見やり、詰らなさそうに眉根を寄せて踵を返し、たったと走り去っていく。
「待っ!!」
 立ち上がろうにも足に力が入らず、アクラはその場に転がる。
「騙された……っ!」
 小さくなっていく背を見つめ、悔しそうに口元を釣り上げ舌打ちする。
 翠の姿をしているが、あれは幼い頃の――コールだ。


召霊鍵の記憶 20P











【カミツレの夜】







 神殿だけだと思っていたが、寺院の宿舎も白で統一され、清潔感を保っている。
 だが、そこはかとなく漂う高級感に、千獣は瞳をぱちくりさせた。
 神殿も確かに綺麗で、清潔感というよりは、聖域という雰囲気が先に出て、こんな形の人の気配はあまり感じない。
 物珍しそうな眼差しで部屋の中を見回し、ベッドに腰掛ける。
「…!」
 思いのほか深く沈む体に驚いた。
 寺院の宿舎というのは、どこもこんな感じなのだろうか。下手なホテルよりもいいものを使っているような気がする。
「…この街の癒しは、重症度ではなく、寄付の額によって順番が決まっているのですよ」
「……え?」
 どの家がどれだけ寄付をしたか。それによって癒しの順番が決まるのならば、競うようにして人々は寺院にお金を落とすだろう。
「……そんな…!」
 癒しの順番は各町の寺院の寄せられたものを神殿が回収し、巫女を派遣するか、神殿に呼ぶかを決め、癒しの儀式を執り行う。
 神殿は寺院を取り締まることはしない。
 だからこそ、人々の願いを集める寺院が、神殿の知らぬ所で、独自のルールを用い、こうした歪んだ形の癒しが行われる結果も生まれた。
 特にこの街は神殿か近いという利点もあり、少しの穢れであろうとも神殿に頼る人々が多い。
 落ち込む千獣に、侍女長はすっと眼を細め、荷物を整理する手を止めて顔を上げた。
「良いですか。世は綺麗事だけでは済みません。生きていくには決め事も必要なのです」
「……だからって………」
「良い方法とは言えないでしょう。ですが、効率の良い方法であることは否めません。全てを同じように受け入れていては、寺院の機能は回らぬのですから」
 また荷物の整理を始めた侍女長に言葉を返せるほど、千獣は世の中を知らなかった。
 千獣の中にある反論は、侍女長がどれも“綺麗事”と一まとめにしてしまうことばかり。
 人は際限のない救いを求める。それをコントロールしているのは、他でもない寺院に勤めている僧や、神殿のコール、そして巫女付きの侍女長。
 神殿の巫女は千獣だけではない。他にも巫女は居る。
 顔を合わせるどころか、お互いの存在を認識する機会さえもないけれど、彼女たちはこのことを知っているのだろうか。
(…………)
 千獣はそのまま顔を伏せる。
 普通は知ろうとは、いや、知りたいとさえ思わないだろう。
 それは、自分の立場を、役目を、力を良く知っているから。
 そっと両手を開いた。
 儀を行わなければ、普通の娘と変わりない両手。けれど、千獣の気持ち一つで、この手は癒しの腕に変わる。
 コールは癒しを制限すると言っていた。その制限とはどれだけのレベルなのだろう。
 少しの穢れを癒す程度? それとも、穢れを感知できる程度?
 そっと侍女長に向けて顔を上げる。
 侍女長は荷物の整理を負え、神殿との連絡用クリスタルに手を伸ばし、なにやらボソボソと話し込んでいた。
 話す内容は千獣に聞かれないように小さくではなく、クリスタルが拾い易い音量のため、聞き取れなかっただけなのだけれど。
 暫くその姿を見つめていると、話し終わったのか、クリスタルから手を離し、侍女長は徐に立ち上がり、千獣に振り返った。
「食堂へ参りましょう」
 そう言えば、今日の夕飯はまだだった気がする。






 侍女長について施設の1つである食堂へ足を運ぶ。千獣はキョロキョロと物珍しそうに辺りを見回しながら後を着いていった。
 手続きを済ませた人数分だけ用意されている食事。
 千獣と侍女長は自分達の名前が書かれたプレートのあるテーブルを見つけ、腰を下ろす。
 大鍋に作られたスープをよそい、他の料理は席に着いたのを確認して、給仕の人が持ってきてくれた。
 半分セルフで半分ホテルのような対応。
 何処でもこんな風なのだろうか。
 しかし、これだけの持成しをしてくれるならば、修行僧や巡礼僧にとっては、とても助かるかもしれない。
 料理は流石に野菜中心だったが、それでも満足できるほど美味しいものが出てきた。
 食事をしながら楽しい会話。というのも少しだけ憧れていたけれど、目の前で黙々と食べる侍女長にそれを望むことは出来ず、千獣もただ同じように黙々と料理を頬張った。
 先に戻るよう促され、千獣は一人部屋で待っていると、侍女長は大きなたらいとお湯を持って戻ってきた。
 寺院にも大浴場はあるが、利用するには呪符を外さなくてはいけない。
 そんな事をしたら、千獣が巫女だとばれてしまう。
 そのため、侍女長はお湯とタオルを借りて、戻ってきたのだ。
「…ありが、とう……」
 巫女だと知れてしまった時点で、千獣は神殿へと逆戻りだ。
 侍女長に短くお礼を告げ、タオルを受け取ると、湯浴みの変わりに自分の体を拭き始めた。
 最初は侍女長が世話を焼こうとしたのだが、自分でできるからと、それを断った。
「……ねぇ、ここ、だけ…違う、の……?」
 千獣が体を拭く間、神殿の聖典を読んでいた侍女長の顔が上がる。
「そうですね。ここだけ、少々特殊でございますね」
 お金が入る寺院だから――いや、お金が入るように仕組んだ寺院だから、設備や待遇が良いのは当たり前。
 もし、それを寺院付きの高僧が全て懐に入れていたならば、街の人に不振がられていただろうが、寺院の建て直しや増築・改築を行うことで、多少懐に入れていても怪しまれない状態を作っている。
「他の寺院……特に、神殿への定期連絡が一番遅く届く地域などは、とても過酷な生活を強いられている場所もございます」
「…………」
 不公平だと、やっぱり思う。
 お金を集められるならば、他の寺院にも回してあげればいいのに。
「良いですか。世は金銭によって動いているというのは事実です。例え神殿であれど、多少の金銭を得なければ、立ち行いていきません」
 侍女長は手に持っていた聖典を閉じ鞄に片付けると、千獣と真正面から向き合い、瞳に強い色を込めて言葉を続けた。
「ですが、神殿はそのような俗物に左右されていると、思われてはならないのです」
 神殿が個々の寺院の経済にまで口を出したら、窓口である寺院ではなく神殿に直接寄付をしようする輩が必ず出る。
 それは、神殿を一気に俗物に落とす行為だ。
「……あなた、は…何でも、知って、る、のね……」
 感心して告げる千獣に、侍女長は瞳を伏せる。
「外の世界に触れたいと仰られたのは、あなた様です。不用意なことを口にされては困りますのでね」
 世間一般の人々にとっては常識的な内容でも、神殿に勤めている者が知らないことは沢山ある。
「いっぱい……勉強、した……?」
 神殿での生活に余裕が生まれ、周りを見ることができるようになった時には、この侍女長はもう千獣の側に居た。そのころまはだ、侍女長ではなく侍女だったが、それを思えば、この女性は早々長く神殿に居ることになる。
「私は元々、外の出でございますから」
 侍女長の見た目は、30もそこそこと言ったところ。10代で神殿に勤め始めたと考えれば、知識も今の地位も納得できる。
「本来ならば、我らは知らずとも良いことです。補佐様は存じておられるでしょうしね」
「コール…知って、るの?」
 一瞬驚きはしたものの、外と話し合うことが多い立場だけに、知らない方がおかしいと納得して、千獣は顔を伏せた。
「……そう…」
「識る。知りたいと思うことは、悪いことではないでしょう」
 侍女長は、あからさまに気落ちした千獣の隣へ移動する。
「補佐様が何を心配しておられたか、分かりますか?」
 神殿という場所で護られ、力を使うからこそ巫女は巫女たりうる。
 千獣ははっとして、そっと自分の手を見つめた。
 先日、人の姿を保てなくなった自分。もしそのまま――いや、その瞬間を知らない者が見たならば、人の身に戻る可能性があったとしても、魔物と言われ、斬って捨てられる。
 もしかしたら、神殿へと引き取られず、癒しの力を持った子供は沢山いて、そうやって死んでいっているのかもしれない―――大人と、お金の都合に振り回されて。
「………わた、し……」
 苦しむ人が居たら、直ぐに癒してあげたいと思っていた。
 コールは、癒しを禁止したとしても、それを行ってしまうことを見越して、制限をかけることにしたのだろう。
 それは、結果として千獣の身を護るために。
「さあ、もうよろしいでしょう。お湯を返してきます。ゆっくりとお休みください」
 拭くために捲くっていた服を直し、ふかふかのベッドに身を預け、天井を見つめる。
 神殿を出てまでも、いろいろな人に護られている自分。
 この旅から帰ったら、護られるだけじゃなく、護れる自分になっていたい。
 そう思いながら、千獣はすっと瞳を閉じた。




























 ふっと力が抜けた指先からカツーンとフォークが皿に落ちる。
 あまり大きな音というわけではなかったが、千獣がはっと瞳を見開くには充分の音量。
「……また…」
 予期せずに物語に入り込んでいた。
 千獣は皿の中に落ちたフォークを広い、思い耽るように白山羊亭の木の天井をそっと見上げる。
 今まで外の世界へ出たことが無かった物語の自分は、森でしか生きてこなかった自分とどこか重なる。
 物語はまだまだ其処まで行っていないけれど、きっと物語の自分もその内知るのだろう。理論だけではない。理解し難い人間の欲望。そして、自分の限界。
 外に出たいと願ったのは自分自身。けれど、きっと物語の自分も大丈夫だと思う。
「千獣さん、フォークかえる?」
 落としたフォークに気を使って、話しかけてきたルディアに千獣は首を振る。床に落としたわけではないのだから、汚くはない。
「……ありが、とう」
 誰かが居てくれる。それだけで、人は強くなれるから。
 早く、コールに目覚めて欲しい。話したいことたくさんあるから―――


























☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 召霊鍵の記憶にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 プレイングの方で彼女と会話することを望まれていたので、物語的には時間軸ともにニゲラの続きとなっています。
 それを仕方ないとするかどうかは、人それぞれかと思います。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……


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