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■鳥籠茶房―風切羽―■

蒼樹 里緒
【7969】【常葉・わたる】【中学生・気脈読み】
 鈍色の雲が空を覆う中、竹林でムクは頭上を見上げた。風が生ぬるい。雨が降り出しそうな予感がした。竹の葉がさらさらと鳴る。
「……ムク、そろそろ戻ったほうがいいわよね」
 そばで筍を採取していたツグミも、不安げに呟く。そうだな、と頷いて立ち上がった瞬間、
「――危ねえ!」
「きゃっ!」
 高く伸びた竹が、何かによって切り裂かれた。即座にツグミを抱きしめて庇う。ムクは周囲の重力を操作し、落ちてくる竹の残骸を弾き飛ばした。上空を巨大な何かが飛び交っているが、動きが速すぎて姿を視認できない。
 ――なんだ、ありゃ。ヤベえな。
 舌打ちし、ツグミの手を引いて立たせる。長居は危険だ。
「筍採りは一旦諦めるしかねえな。逃げるぞ」
「うん」
 自分たちにも『翼』がある。飛ぼうと駆け出すが、凄まじい風が二人を襲った。鎌鼬じみた突風が、頬や腕を傷付けていく。咄嗟にツグミを抱きとめたムクは、そのまま衝撃で竹に背中をしたたかに打ちつけた。
「ぐっ……!」
「ムク!」
 ツグミの深緑の双眸が光を宿す。周囲の景色が色を失い、音も消え、時間が停止した。
 そうして初めて、『何か』の正体を知る。半透明な三対の赤い翅を持つ、蜻蛉のような怪物だ。細い胴体は竹の色と似ていた。
「わたしの力、長くはもたないから、今のうちに」
「ああ……」
 ツグミに支えられて立ち上がり、ムクはどうにか自力で宙に浮かんだ。

 ▼

「いてっ! おい、カナリア、わざとやってんだろ!」
「うっさい! 生きてるだけマシだと思いなよねッ。ツグミに何かあったらどうするつもりだったわけ!?」
「ふたりとも、落ち着いて……」
 茶房の奥から聞こえてくる喚き声に、客は怪訝に目を細める。微苦笑したアトリが説明した。
「騒々しくて申し訳ございません。今朝方、この付近の竹林に筍を採りに向かった店員二名が、怪物に襲われまして。今、手当てをしているところです」
 怪物という単語に、客は表情を改める。
 アトリは、着物の袂から紐綴じの書物を取り出した。頁を捲りながら告げる。
「先程調べたのですが、その怪物は『セイロウ』というそうです。とにかく動きが異常に速く、獲物を切り裂いて食すのだとか。この山は様々な異界へ繋がっておりますから、たまにそういった怪物の類が入り込んでしまうのですよ。困ったものです」
 困ったというわりには他人事のように微笑むアトリ。客は訝しみつつも言葉の続きを待つ。
「弱点は……あぁ、雷と書いてありますね。もうすぐ雨が降りそうですし、頃合いかもしれません」
 確かに、遠くでゴロゴロと雷鳴が聞こえ始めた。
 パタン、と書物を閉じてアトリは客に依頼する。
「本来、山での事件は我々が片付けるべきなのですが、店員が負傷している上に店を空けるわけには参りませんので……あなたにセイロウの退治をお願いしたいのです。勿論、相応の報酬もご用意致します。いかがでしょうか」
 怪物がいては、茶菓子も楽しめないだろう。
 客はアトリをまっすぐ見つめて頷いた。
鳥籠茶房―風切羽―

 常葉・わたるは、アトリの言葉を聞いて表情を引き締めた。
 ――またここに来たのは偶然じゃなかったんだ。俺なりに役に立ちたいな。
 店の奥へ歩み、畳の上で休んでいるムクとツグミに声をかける。
「ツグミさん、ムクさん、怪我は大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかな」
「……お気遣い、ありがとうございます」
 床に三つ指をついて一礼するツグミの片手と、悔しげに視線を逸らすムクの腕に巻かれた包帯が痛々しい。
 木製の救急箱の蓋を閉じたカナリアが、わたるに振り向いて微笑んだ。
「ツグミはともかく、ムクはちょっとやそっとじゃ死にませんから大丈夫ですよー」
「おまえに言われると妙に腹立つのはなんでだろうなぁ」
「あたし、別に変なこと言ったつもりはないけど。自意識過剰なんじゃない?」
「ふたりとも、お客様の前で喧嘩しないで……」
 ムクとカナリアが火花を散らし合ってツグミが宥めるのは、どうやら定番らしい。わたるは思わず小さく吹き出した。
「皆さん、仲がいいんですね」
「ムクとカナリアの場合は、喧嘩するほど何とやら、ですけれどもね」
「「アトリ!」」
 後から入ってきたアトリが笑顔で補足し、ムクとカナリアが鬼のような形相で同時に抗議の声を上げる。その様子もまた微笑ましい。
 それにしても、一見腕の立ちそうなムクが負傷したということは、セイロウは相当手強い怪物なのだろう。わたるはアトリに切り出した。
「えっと、お話を聞いたところによると、そのセイロウ、この山へ迷いこんで混乱してるような気もします。俺、ちょっと行ってきますね」
「ありがとうございます、どうぞお気をつけて。危険も伴いますし、形勢が危うくなりましたら、いつでもこちらへお戻りくださいね」
「はい、気をつけます」
 茶房の面々にぺこりと頭を下げ、わたるはセイロウのいる竹林へと急いだ。

 ▼

 生ぬるい風が竹林を吹き抜け、わたるの黒髪も撫ぜていく。重たい鈍色の雲の下をセイロウが飛び続けているようで、時折強風が吹き荒れた。竹の陰に隠れながら少しずつ移動する。
 ――この世界に来れるってことは、悪いやつじゃなさそう? でも、茶房のみんなを二度と襲ったりしないように、お仕置きしなくちゃ。元いた世界へ帰れたほうがいいかも。
 空を見上げると、確かに巨大な影が行き来しているのがわかるが、迂闊に手を出すのは危険だろう。
 ――雷が鳴ったときにセイロウが動きを止めたり、怯んだりするんだとしたら、チャンスだ。
 竹の一本にそっと手で触れてみる。草木と意志を交わすのも、わたるの能力のひとつだ。目を閉じて念を送る。
 ――今、この辺で暴れてる怪物がいるんだ。ちょっとお仕置きしたいから、協力してくれないかな。
 わたるの願いに呼応するように、周囲の竹の葉がさざめいた。きちんと通じたようでほっと息をつく。
 風と雲の流れ方を読む限り、数分後には雨が降り出しそうだった。雲の上でゴロゴロと雷が轟けば、風が緩やかになる。セイロウが完全に動きを止めるまで、じっと身を潜めた。
 やがて、ぽつりと頬に雫が当たった。竹の葉にもこぼれ落ちた雨は次第に勢いを増す。そして、ついに空に鋭い稲光が走り、数秒遅れて劈くような雷鳴が響き渡った。山のどこかに落ちたのかもしれない。
 その時、わたるの頭上でセイロウが怯えたように停止した。アトリの書物に載っていた絵の通り、蜻蛉のような姿をしている。
 ――今だ!
 髪や服が濡れるのも厭わず、わたるは一気に走り出してセイロウの真下に着き、竹に触れて気を注ぎ込んだ。
 気脈を操作された竹はぐんぐん伸びていき、セイロウの腹の辺りに直撃した。わたるは笑みをこぼす。
「やった!」
 甲高い悲鳴を上げて怪物が落下してくる。わたるが急いで回避すると、竹が何本か折れ、地響きと共に怪物は地面に伏した。
 雨でぬかるむ土を踏みしめながら、わたるは慎重にセイロウに近付く。成長した竹三本ほどの全長だろうか。確かにかなりの大きさだ。三対の長く赤い翅は雨に濡れて透きとおり、同じ色をした複眼がわたるを見つめた。けれど、その眼差しには敵意は感じられない。
 セイロウの頭のそばに屈み、わたるは優しく問いかけた。
「おまえ、この山に迷いこんじゃったんじゃないのか? 不安になるのはわかるけど、暴れてだれかに怪我させちゃダメだよ。だからこれはお仕置き」
 セイロウは弱々しい泣き声を漏らす。反省しているのかもしれない。よしよし、と頬の辺りを撫でてわたるは笑った。
 アトリがこの山は他の異界へ繋がっていると言っていたけれど、セイロウが元の世界へ帰れる『道』もあるのだろうか。山自体も広大で、探すのも途方に暮れそうだ。
「帰り道、わかる?」
 尋ねれば、セイロウはゆったりと翅を動かした。飛ぶ元気はあるようだ。
「じゃあ、俺が案内しなくても大丈夫かな」
 微笑むと、不意にくしゃみが出た。雨に当たり続けていると流石に寒い。雷もまだ鳴っている。
 ――せめて、雷が鳴り止むまではセイロウのそばにいよう。
 折れてしまった竹を気で治癒することも考えながら、わたるは怪物に寄り添った。

 ▼

 茶房に戻った頃には身体がすっかり冷え切っていて、逆に店員たちに心配されてしまった。わたるは苦笑しつつ経緯を説明し、借りた手拭いで髪や肌の水滴を拭いた。
 服は茶室の衣紋掛けに干されている。乾くまでは時間がかかるだろう。自分が店員と同じ翡翠色の着物を着ているのは、なんだか不思議な気分だった。座布団のふかふかとした感触が心地好い。
 アトリが畳に漆塗りの盆を置いて微笑む。
「常葉様、本当にご無事で何よりです。セイロウは自分の世界へ帰れたのですね」
「そうみたいです。雨が止んでからはすぐ飛んでいったし、もうここでだれかを襲うようなことはしないと思います」
「へぇ。ただのガキかと思ってたが、意外とやるじゃねえか」
「ムク、失礼だよ」
 あくまでもにこやかに諌めるアトリに、壁に凭れかかって佇むムクはぐっと気圧されて押し黙る。それでも悪い気はしなくて、わたるは小さく笑った。
 すり足で寄ってきたツグミが、盆に置かれた小皿を取ってわたるに差し出す。
「……筍をお召し上がりになりたいとのことで、わたしがこしらえました。筍の味噌炊きです。どうぞ」
「わぁ、ありがとうございます!」
「ツグミの料理はほんと絶品ですよー」
 彼女の隣でカナリアも微笑む。
 筍と味噌の風味と香りが絶妙に混ざり合った煮物で、美味しいあまりあっという間に食べてしまった。おかわりもございます、と付け足されて、あははと照れ笑いをする。
 ――やっぱり、平和な時間に食べる料理はおいしいなぁ。
 ツグミの用意するおかわりを期待しながら、わたるはセイロウの無事を祈った。


 了


■登場人物■
7969/常葉・わたる/男性/13歳/中学生・気脈読み
NPC/アトリ/男性/23歳/鳥籠茶房店長代理
NPC/カナリア/女性/20歳/鳥籠茶房店員
NPC/ムク/男性/24歳/鳥籠茶房店員
NPC/ツグミ/女性/16歳/鳥籠茶房店員

■鳥籠通信■
ご来店、誠にありがとうございました。
これにてシナリオクリアとなります。
常葉様の鳥籠手帳の判子は、現在二個です。
常葉様のまたのお越しをお待ちしております。