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■鳥籠茶房―桜狩―■

蒼樹 里緒
【7969】【常葉・わたる】【中学生・気脈読み】
 山中に存在する桜の森が、穏やかな春風に撫ぜられて花弁を散らす。満開の桜に囲まれる中、鳥籠茶房の店員達は花見用の縁台と赤い野点傘を設置していた。
「アトリ、こんな感じでいい?」
「うん、そうだね。ありがとう、カナ」
「明日の花見会、盛り上がるといいねっ」
 桜の咲く頃に花見会を催すのが恒例行事だった。茶房の来客も招いて杯を交わしたり芸を披露したりと、無礼講に近い盛り上がりで毎年好評だ。
 滅多に笑わないツグミも、この時ばかりは微かに口許に笑みを刻んでいる。
「……わたしも頑張って料理作らないと」
「ツグミの料理はいつも最高だからだいじょうぶ。あたしも楽しみ!」
「おまえはどんだけ食う気なんだよ。客に出すんだから、ちったぁ自重しろ」
「ムクこそ、手が空いた隙にお酒飲むのやめなよね。棚上げ反対!」
「んだと、こら!」
 仲間の楽しげなやり取りに笑みをこぼしつつ、アトリは最後の野点傘を設置してふと手近な桜の樹に触れた。

 ザァッ。

 瞬間、強い風が吹いて桜吹雪が舞う。瞬きをしたアトリの眼前には、見覚えのある人物が佇んでいて思わず息を呑んだ。
 藍染めの和服を纏った初老の男。周囲の者を威圧する厳格な面立ちと、あらゆるものを貫かんばかりの鋭利な視線。射竦められて逸らせないのは、昔から変わらない。血の気が引いていくのを自覚した。
「父様……?」
 頼りない声が己の唇から洩れる。指先ひとつ動かせないほどの畏怖が全身を縛りつける。
 ――どうして、ここにあなたが。
 もう二度と会うはずはないのに。
「――リ、おい、アトリ!」
 不意に、ぐっと肩を強く引き寄せられて我に返る。振り向けば、ムクが困惑の眼差しで見つめていた。
「ムク……」
「顔が真っ青じゃねえか。何が視えたんだよ」
「アトリ、だいじょうぶ?」
 カナリアとツグミも心配げに歩み寄ってくる。桜を再度見やっても、もう父の姿はない。アトリは微苦笑して謝った。
「ごめん、何でもないんだ。ただ、この桜は特殊な力を持ってるみたいだね」
「え、どんな?」
「相手に恐怖を植えつける幻覚を見せるっていうか……あんまりいい力じゃないのは確かかな」
「ヤベえんじゃねえのか、それ。なんでそんなもんがあるんだよ。前はなかっただろ」
「店長がまたどこかの異界から持ってきて植えたんだと思うよ。変わったものが大好きだからね、あの人」
「あんのバカ店長! 帰ってきたら絶対ブン殴る」
「……次はいつ帰ってくるかわからないのも困るわよね」
 ツグミの呟きに、一同はしみじみと深く頷く。旅好きな店長は、一度『外』へ発てば少なくとも数年は店に戻らない。土産として持ち帰ったものを山に活かすのも、彼の趣味の一環だ。
 とにかく、とアトリは桜を見やる。太い幹から何本もの枝が伸びて美しい花を咲かせているけれど、内側には何が潜んでいるかわからない。
「俺としてもこの桜は興味深いんだけど、お客様にも害を及ぼすようじゃ困るからね。処分も検討しないと」
「幻覚が出るのはこれ一本だけなのか?」
「そうらしいね。ほかのは触っても特に何も起こらないし」
「いっそムクの重力で根こそぎ倒しちゃえばいいんじゃない?」
「それでまるく収まるなら一番いいけどな」
「……でも、見た目は綺麗だし、壊すのももったいないかも」
 破壊するか、この場に残すか。
 ああでもないこうでもないと議論するうちに、森に誰かが足を踏み入れてきた。茶房によく訪れる客だ。
 アトリはほっと息をつき、客に相談を持ちかけた。
「――というわけで、あなたにもこの桜の処分にご協力頂きたいのです。せっかくお越しくださったのに申し訳ございません。何卒宜しくお願い致します」
 見る者を誘惑するかのように、桜はひらひらと優雅に花弁を風に乗せていった。
鳥籠茶房―桜狩―

 鳥籠茶房を訪れた常葉・わたるは、小首を傾げた。店員の姿が見当たらない。店内へ入ろうとするけれど、不可視の壁にぶつかって顔をしかめる。特殊な結界が張られているようだ。
 ――皆さん、どこに行ったんだろう。
 ひとまず森の奥へ歩を進めると、桜の花弁がふわりと風に運ばれてきた。どこかに咲いているのかもしれない。
 暫く進んだ先に、満開の桜の森が広がっていた。何かの催事の準備なのか、開けた場所には野点傘や縁台が設置されている。一本の桜の樹の元に、茶房の店員たちが集まっていた。ほっと息をつき、小走りで駆け寄って挨拶する。
「アトリさん、皆さん、こんにちは!」
「――あぁ、常葉様。こんにちは」
 アトリが安堵したように笑みを向ける。カナリアとツグミも、いらっしゃいませ、と一礼した。ムクは相変わらず無愛想だけれど。
「店を空けてしまいまして申し訳ございません。明日の花見会の準備をこちらで進めていたものですから」
「そうだったんですか」
 花見会なんて楽しそうだな、と胸を躍らせるうちに、実は、とアトリが切り出した。
「――というわけで、常葉様にもこの桜の処分にご協力頂きたいのです。せっかくお越しくださったのに申し訳ございません。何卒宜しくお願い致します」
 説明された思いがけない事件に、わたるは息を呑んだ。
 一見、ごく普通の桜ではある。純白に仄かな朱の混ざった花が無数の枝に咲き誇り、見る者を癒すような美しさだ。大樹を見つめながら、慎重に見解を述べた。
「俺は、この樹自身に怖い記憶が刻まれてるんじゃないか、って考えてます。触れた人にも感情が伝わって、一緒に怖いものが呼び起こされてしまうほどの記憶が」
「なるほど。他者に幻覚を見せるということは、樹自身が何らかの意思を持っていると考えるのが妥当ですね」
「はい。せっかくきれいに咲いてるのに、壊すなんてもったいないです」
 それに、とわたるは店員一人一人の顔を見回しながら微笑む。
「この楽しい茶房の主さんなら、何の考えもなしに桜を植えたりしないと思います。桜が少しずつでもこの地に根付いて、幸せになるといいです」
「おまえは店長を知らねえから、んなことが言えるんだよ」
「ムク、ちょっと黙っててくれるかな」
 わたるに突っかかるムクを、いつも通りの爽涼な微笑で制すアトリ。当人は、ばつが悪そうに小さく舌打ちした。
「それでは、常葉様。この桜に語りかけて頂けますか」
「はい。やれるだけのことはやってみます」
「幻覚にはくれぐれもお気をつけくださいね。危険を感じられましたら、すぐに幹から手をお離しください」
 アトリの目配せで樹から少し離れる店員たち。それを確認し、わたるは深呼吸をして桜の太い幹に手を添えた。気脈を読んで桜との意思疎通を試みる。

 ――桜、きみにも怖い記憶があるのかな。俺がきこう、きみの想いを。きっと、つらいよね。俺にはきみを癒す力なんてない。でも、できるかぎり、つらい思いを解放してあげたい。何を視て、何を感じたのか教えてくれるかい?

 ▼

 ザァッ。

 激しい春風が周囲に吹き荒れる。わたるの眼前には、黒くて屈強な体躯を持った熊がぬうっと仁王立ちし、低い唸りを上げていた。
「……っ!」
 あふれそうになる悲鳴を、どうにか喉の奥へ押しやる。膝が笑いそうになるのもこらえる。
 ――山神様の化身みたいだ。
 昔、祖父の仕事を手伝った時、山で巨大な熊に遭遇したことがあった。当時の恐怖が今もなお記憶に根付いているのだろう。
 けれど、これは幻だ。そう自分に言い聞かせ、熊をまっすぐに見据えて桜に優しく問いかける。
「どうして、こんなふうに怖いものを見せるんだい? 俺はきみ自身の記憶を知りたいんだ。少しでもいいから、教えてくれないかな」
 やがて、猛獣の姿が陽炎のように揺らぎ、桜の花弁の色にも似た球体が現れた。ちょうど野球の球程度の大きさだ。
 この光が樹の意思なのかもしれない。わたるは緊張を僅かに解いた。
「初めまして。俺は常葉・わたる」
『オマエ、怖クナイノカ?』
 桜らしきそれは、老若男女の判別がし難い声色で問うてきた。
『何故ダ。ワタシノ創リ出ス幻ニ恐レヌ者ナド、今マデイナカッタ』
「俺もちょっと怖かったよ。でも、幻だってわかってたから、なんとか耐えられた」
 苦笑しながら言うと、桜が黙り込む。そして、球体が爆発したかのように輝きを放った。あまりの眩しさに、わたるは腕で目隠しをする。
 光が収まって目を開けた瞬間、視界に見知らぬ景色が飛び込んできた。
 数台のクレーンやショベルカーが、木造の建築物を取り壊している。そばには鉄棒やジャングルジム等の残骸もあり、どうやら学校らしいとわかる。廃校になったのだろうか。
 校門付近の植え込みには様々な植物が根を張っていて、その中にあの桜もあった。幹の太さも枝の本数も、先刻見たままの姿で。
 ショベルカーが容赦なく土を掘り起こし、草花を無残に散らせていく。桜が傾いだ時、わたるは思わず悲痛な声を洩らした。
「あっ!」
 同時に、灯りが消えたかのように風景が色を失い、何もない暗闇に包まれる。ポゥ、とわたるの前に再び球体が浮かび上がった。
 表情を改め、わたるは自分をも納得させるように呟く。
「そっか……きみはあんなに怖い思いをしたんだね」
 植物は、自らの意思では移住できない。根を張ったその場所で永い時を過ごす。その日々の中で突然あんな目に遭ってしまったら――。ぞくり、と背筋が粟立つ。桜が感じた恐怖は計り知れない。
 気を落ち着かせようと、ひとつ吐息した。
「だからきみは自分を壊されたくなくて、ほかの人に怖い幻を見せてたのか」
『……ソウダ。ワタシハ、タダ静カニ咲キ続ケテイタイダケナノダ。ソレ以外ノコトナド、望ミハシナイ』
 切なげな桜の願いに、だいじょうぶだよ、とわたるは微笑んだ。
「俺、茶房の人たちに言ったんだ。きみが少しでもこの地に根付いて幸せになるといい、って。絶対、きみを壊させたりしないよ」
『本当カ……?』
「うん。だから、もう怖がらなくていいんだよ。今までつらかったね」
 球体を両手でそっと包み込む。小動物を愛でるかのように撫でると、どこからか一枚の花弁が舞い降りてきた。それを見上げた瞬間、頭上にやわらかな光が灯って徐々に広がっていく。
「――常葉様、大丈夫ですか?」
 アトリの声でハッと我に返る。元いた桜の森に戻ってきたのだ。彼に身体を支えられていたようで、わたるは振り向いて明るく頷いた。
「はい、何ともないです。桜も、もうだいじょうぶですよ。これからは誰かを怖がらせることはしません」
「そうですか。ご助力、本当にありがとうございます」
「じゃあ、これで花見会もバッチリできるね!」
「……そうね」
「ま、一件落着ってとこか」
 店員たちも各々喜び、わたるも嬉しくなる。
 桜は、もう悲しんでいないように見えた。

 ▼

 翌日。鳥籠茶房主催の花見会は多くの人で賑わい、華やかな雰囲気を醸し出していた。
 わたるも縁台に座り、ツグミ特製の桜胡麻団子を食べている。塩漬けの桜の花弁と、白玉の弾力、表面にまぶされた胡麻の食感、こしあんの程よい甘さが味覚を刺激する。
 カナリアが漆塗りの盆を手に歩み寄ってきた。
「常葉様。こちら、道明寺の桜餅でございますっ」
「わぁ、ありがとうございます!」
 道明寺の桜餅は、もち米のつぶつぶの食感が絶妙だ。祖父に勧められて初めて食べた時から大好物だった。
 団子と桜餅を交互に食べながら、あの桜の樹を眺める。そよ風に吹かれて穏やかに枝を揺らしていた。
「桜、やっぱりすごくきれいですね」
「そうですねー。ここで毎年咲き続けるといいです」
「そしたら俺、またお花見しに来ますよ」
「ええ、是非是非っ」
 わたるの隣でカナリアも微笑む。
 桜に囲まれた空間では、料理もいっそう美味しく感じられた。
 ひらりひらり、ふわりふわり。
 人々の想いを運ぶように、花弁は青空に舞う。


 了


■登場人物■
7969/常葉・わたる/男性/13歳/中学生・気脈読み
NPC/アトリ/男性/23歳/鳥籠茶房店長代理
NPC/カナリア/女性/20歳/鳥籠茶房店員
NPC/ムク/男性/24歳/鳥籠茶房店員
NPC/ツグミ/女性/16歳/鳥籠茶房店員

■鳥籠通信■
ご来店、誠にありがとうございました。
これにてシナリオクリアとなります。
常葉様の鳥籠手帳の判子は、現在三個です。
常葉様のまたのお越しをお待ちしております。