■真夜中の仮面舞踏会 終章 《王の魂》・後編■
工藤彼方 |
【7038】【夜神・潤】【禁忌の存在】 |
ある夜のことである。
都内にある、とある小さなオルゴール博物館が火が出た。
その時間帯は、当然、博物館は閉館しており、セキュリティも作動していたはずだった。防犯カメラのデータにも、不審者の姿は映らなかった。
火の手の勢いは強く、小さくも5階建ての建物は全焼。
100年から200年前に作られた、アンティークのシリンダーオルゴールやディスクオルゴールたちが悉く失われたのだった。
だが、その事件のあと、博物館の人たちは首を傾げたのである。
建物の焼け跡からは、黒くなった陳列台やドアが発見されるばかりで、炭になったはずのオルゴールたちの残骸はただの一片も発見されなかった。
木が燃えて灰になったというのはわかる。
だが、金属製のシリンダーやディスクまでもが姿を消しているのは何故だ?
まるで建物から忽然と姿を消したように。
そして消えたのは、オルゴールばかりではなかったのである。
博物館には、オルゴールを体内に仕掛けられた人形たちが陳列されていたのだ。
手紙を書く道化師。
物憂げな表情でアコーディオンを弾く男。
花籠を抱えて薔薇を売る花売りの少女。
そう、彼らもまた――。
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真夜中の仮面舞踏会 終章 《王の魂》・後編
『どうして、貴方が、生きてるんだ』
食い絞めた歯の間から押し出されたような王子の声は、ありったけの憎しみに満ちたものだった。
「どうして……どうして、母上があんなふうになってしまったのに、貴方が生きているんだ!」
王子の悔しげに歪んだ声は、次第に涙ぐんだものに変わっていった。
「なぜ母上が逝かねばならなかったのだ。こんなに残酷で、身勝手で、血が通っているとも思えない非情な人間のために、ずっとずっと窮屈な思いをして、それなのに何一つ報われないままに、母上は死んでいったのか……」
王子の足許に、はたり、と涙が落ちた。
潤は、関節が白く浮き出すほど堅く拳を握り締めた王子の姿を、傍らから眺めていた。
薄暗い室内には、そういえば窓が見当たらない。王妃の部屋とほとんど対になっているのがこの城の構造だ。そうであれば王妃の部屋にあったものが王の寝室にない、ということはないはずなのだが、窓だけでなく、室内にあるはずの装飾はすべて、忽然と姿を消していた。
のっぺりとした壁だけで囲まれた青く暗い部屋に、黒い人影が蹲るように座る玉座が一つ。王子の向かう先に、それだけがある。
(また幻の世界に入ったか……)
潤はそれとなく、周囲を見回して思った。
元より幻のなかにいる。
博物館に入った時からそれはわかっていた。
炎に包まれた迷路のような通路、広間、謎めいた扉。そして扉の先には、古の世界が広がっていた。出会った人形たちが心に秘めていた歴史を垣間見た。もっとも、それが本当に在ったことなのかどうかは、わからないのだが。
入れ子細工のように幾重にも重なった幻がいったいどのような構造になっているのか潤にも最早わからなかった。だが、わからなくてもいいことだった。わかったところで、なんら現状が解決するわけでもない。
(それよりも、俺が気になっているのは、この幻をつくりだしているのがいったい誰か、ということだ。王なのか? いや、王が主になっているのは間違いないが、王ただ一人が生み出したものなのかとなれば……俺の予想通りであれば、おそらく、違う)
肩を唇を震わせて王と対峙している王子へと目を向けた。
自らの意思を持ち、心に痛みを抱え、葛藤しているさまは、どう見ても生者そのものだ。母を亡くし、また、その命絶えた様をその目で目撃してしまった者として、置き所無い苦しみと悲しみとを全身から溢れさせている王子の姿は。
だが、傍目に見れば、どこからどこまでが幻かわからない、いや、すべてが幻ともいえるこの世界では、王子もまた、幻のひとつなのだ。潤から見れば。
(単純に規模の大きな幻というのならともかく、幻の中に、別個の意思を持つ幻が住んでいて、さらにそれらの世界が複雑に絡み合っている――というのは、そうなかなか見ることもなかったが……)
それなのに、この王子は「たった今、自分は生きている」と思って疑いもないのだろう。彼は、妙なところで、自分が存在する世界の不整合さに気が付かない。もっとも、気がつかないはずなのだ。王子もまた幻の世界の住人だからだ。幻に属するものだからだ。人間が今生きている世界の外側を知らず、知りうることもできないように、だから、彼も、自分がいる世界の真実には気付かない。気付くことができない。
どんなにそこにいるように思えても、どんなに生きた人間らしくあったとしても、目の前の王子は幻なのだった。
今、潤が目にしている光景は、幻にしてはやたらと現実的で、しかし決して現実ではないという、奇妙な光景だった。
『どうして貴方が生きているんだ』
憎悪の言葉を投げつけられた王は、それまで糸が切れたようにだらりと垂れていた頭を上げて、ひびの入った彫り物のような顔が、無表情にこちらを見た。
青白く、感情の読めない目の色と、口元が、やがて歪み、はは、と笑う声が湧いた。
低く錆びた笑い声は、まさに冷たい石の床から湧いたようだった。
「わしが生きているのがそんなに悔しいか」
そして、声は、少し意外そうに続けた。
「わしが憎いというのか。最愛の息子よ」
驚いたといわんばかりのその調子に、ほんのわずか、愉快さが混じっている。喜んでいる、とも取れそうな響きだった。
「『憎いというのか』だと? 貴方は私たちに、いったいどういう仕打ちをしてきたと思っているのか。父上などと呼ぶ気もない。それを、『最愛の息子』……ふざけるな!!」
憤怒に燃え上がりそうなほど顔を紅潮させ、王子は王の座る玉座へと詰め寄ろうと大股に歩き出した。手は腰の剣の柄へとかけている。その彼の肩を、潤がつかんだ。
「王子」
「何をする!」
いけない、と首を振って見せた。
「王子、貴方に建前と本音があったように」
そして王子の肩を引き寄せる。
「貴方に、そして貴方の母上に酷い仕打ちをしてきたという王にも、言い分があったのかもしれない。俺の言いたいことがわかるだろうか? 王子」
「わかるものか! ……わかるわけもない。どんな言い分があろうとも、そんなもの、知りたくもない……」
唇を震わせて、王子は視線を逸らした。潤の肩を押しのけるように突き放そうとする。その手を力をこめてもう一度、つかんだ。
「そうだろうか。王子、貴方はずっと、『なぜ』と思い続けてきたんじゃないのか。奪われる自由、押しつけられる義務、不条理な命令……。貴方は今までずっと耐えてきたのだろう? 『偉大な王』の命には従わねばならない、と、そう自らに思い込ませて。だが、その裏では、なぜこのような目に遭わなければならないのか、なぜこのような仕打ちを王は自分に課すのかと、答えの出ない問いを繰り返し続けて来た。そうじゃないのか」
潤につかまれた腕をもぎはなそうとしていた王子が、ふいに、抗うのをやめた。代わりに、潤を睨んできた。
「……そうだったとして。そうだったとして私にどうしろというのだ。ああしてあまたの犠牲の上に胡座をかいてのうのうと生きてきた人間のやったことにも実は言い分があったのだと思って、それでこの心を慰めろでもと言うのか!」
間近から睨みつけてくる瞳に、違う、ともう一度、首を振って見せた。
「王子、王の言い分を聞いたところで、貴方の心が慰められるか、それとも収まりがつかないままになるかはわからない。収まりがつかなければ、それはそれでいいと思う。報復したいならばすればいい、貴方の胸一つに収められると思うならばそれもいいだろう。貴方の好きなようにすればいい。だが、もう一度言う。『答え』を欲してきたのは貴方自身なのだと。貴方自身が永い間、『なぜ』と問い続けてきたことの答えを持っているのは、あの王ただ一人なのだと」
力の抜けていく腕を、ぐ、とつかみなおして潤は、伏せられた王子の目を見つめた。
「貴方は、ひょっとしたら、ようやく本音を剥き出しにしたんじゃないのか。王に、本音を、心の中にひた隠しにしてきた思いをぶつけることができたんじゃないのか」
しばらくの間、沈黙があった。
沈黙する二人へと、どうした、という声が玉座から投げかけられた。
「わが息子……の隣にいるのは、ほう? 何やら見慣れぬ男よ」
平坦な口ぶりで、王が言った。
「貴様は誰だ。わが『城』にどこから入り込んだ?」
心のうちの葛藤に唇を噛みしめる王子の肩に手を置き、潤は王へと向き直った。
――『城』。
おそらく、この幻のことなのだろう。
人形たちに導かれてここまで来たが、本来ならば、侵入者を許さない幻だったのはずだ。人形たちは言っていた。永遠に輪廻し続ける終わりの無い世界なのだと。おそらくは孤独な幻だったのだ。
その、絶対の堅牢さを誇っていた『城』の主である王へと、潤は胸元に手を当て、膝を屈め、恭順の礼を取った。人形たちの導きによって忍び入ってきたとはいえ、『城』の主に対する最低限の礼を尽くさねばなるまい、そう考えたからだった。
「これまでの勝手なる振る舞い、お許しを」
王は潤を舐めるように見た。
「……ふむ、まあ良いとしよう。名は何という。何をしに来た」
片目を眇めて値踏みをするように見てくる。
少しの間考えてから、潤はこたえた。
「名は……『永遠に生きる者』と」
傾いだ身体を肘掛けへと預けていた王が、面白そうに目を上げた。
「『永遠に生きる者』だと……?」
潤の顔を確かめようとしてか、玉座から身を乗り出す。
「なるほど、人とも見えぬわと思えば、『永遠に生きる者』とか。気が合うな。われらも『永遠に生きる者』だ。で、その『永遠に生きる者』が、わが城に何の用だ? 息子をそそのかしに来たか」
「いえ、王子をそそのかしに、ではなく」
潤は王を真っ向から見据えた。
「見届けに来た」
わずかな沈黙があった。
「見届けに……」
「そうだ。あなたと人形たちの『城』の行方を、見届けに」
いまや潤と王とのふたりが対峙していた。
「王よ、あなたはなぜ、この『城』を作り出した?」
象の肌に覆われたような王の目元が、軋むようにゆっくりと瞬いた。
「わしがなぜ、この『城』を作ったか……。さて……」
「貴方は、目的があって作ったんだ。この『城』を。たとえ知らなくても、貴方がいま、そう仕向けたはずだ。意識的だったとしても、無意識的だったとしても。貴方の『城』は貴方の意に従うからだ。貴方が会いたかった人は、この王子。違うだろうか」
彫り込まれたような瞼の中で、鈍い底光りを持った目が動いて、王子を見た。
「この『永遠に生きる者』を名乗る男は、妙なことを言う。たしかに。わしになぜ生きているのかなどと言ったこの者と少し話をしたいのだ。――息子よ、今のような口を利いたおまえとは初めて顔を合わせる気がするが」
玉座の肘掛けの玉を骨張った手が掴む。
ぐっと力が篭もり、王はゆらりと立った。
「……憎しみというのは、どんなに隠そうとも、伝わるものなのだ」
古風な刺繍に覆われた長い衣を引き摺って、一歩、とこちらへと進み出した。
「ましてや、肉親の憎しみであるならば、いっそうのこと。最愛の息子よ」
王子が弾かれたように顔を上げた。ごくり、と彼の喉が鳴るのを、潤は傍らで利いた。
「……な、ならば、父上はずっと、私の気持ちを、知っておいでだったのか」
王は、はは、と短く笑った。
「知っておいでだったのか、……などと」
俯き加減に肩を震わせて、王はゆるゆると首を横に振った。
「だが、よくぞ言った。わしは、待っていたのだ。永い間、待っていた。おまえがそうわしに言うのを待っていた」
顔を見せないままに、王子の肩を掴む。
「聞け。おまえの憎しみ、それから、おまえの母親の憎しみ、母親の側近の憎しみ、わが側近の憎しみ……。すべて知っていたとも。おまえたちはわしの前で常に笑みを絶やさずに振る舞ってはいたが、おまえたちの足許の影がいつもわしを憎い憎いと言って歯ぎしりしていたのを、知っていた」
一つ嘆息を落として、王の声は言った。
「たしかに、おまえたちに憎まれるようなことをやっただろう。おまえたちの言うように、選択の自由を奪い、言動の自由を奪った。わが命に従えと、たびたび強いた」
しかしな、と顔を上げて王は言った。
「余は国王だ」
強い目が王子を見据えていた。
「国を守らなければならぬ、城を守らなければならぬ、王家を守らなければならぬ。そのため払わなければならんというなら、犠牲も厭わぬ。おまえの女もだ。おまえの希望を潰しても、王家に入るものは選別しなければならぬ。おまえの母親が恋い慕っていた者……あれもだ。わしが知らずにいたと思ったか? わが傍に仕えていながらわしを裏切った。わが妃に色目を使っていた」
「父上! それもご存じだったのですか……。色目などと……あの人は、あの人はそんな人ではない。もっと実直で潔白な方だった。側近に相応しく忠義ある方だった」
鼻で笑い飛ばして、王は一蹴した。
「忠義ある男が、なぜわしの妃を狙う。それに、だ。たとえ実直で忠心の強い男だったとしてもだ。……息子よ、人の心は変わるのだ」
長く弛んだ王の衣の袖を上げて、王子の頬を手に包んでいた。
「初めに汚れのない思いがあったとしても、それはやがて変容していく。野望に塗れていく。わが妃を慕う想いがそうさせるのだ。慕情はやがてわしに対する怒りと変じ、王座を簒奪しようとの野心に変わる。そうして潰れた王家が過去の歴史にいくつあったと思っているのか。そうなれば、おまえももやは王太子ではいられん。王家の内に乱れが起きれば、わが城の内部に潜んでいる密偵たちがそれを告げに各国に奔るだろう。そして、動乱に乗じて周りの国々が雪崩込んでくる。忠義を誓ってはいたが、内心わが王家を煩く思っていた諸侯たちも、こぞって反旗を翻す。そうなれば、王家もこの国も転覆するのだ。城も軍靴の泥と夥しい血とにまみれるのだ。息子よ。おまえは納得しないだろうが、一国の王であるということはそういうことなのだ。たとえ憎まれようが暴君と言われようが、守らなければならないものがある、切り捨てなければならないものがある。王は民に好かれなければならんだのと言うが、人気というものは至って気紛れなものなのだ。誰かが良からぬことを吹聴すれば、わしのやっていることがたとえ一貫して変わらなかったとしても、民はわしを憎むのだ。そんなものに振り回されて国を統べることができるか? 統べる者は常に孤独なのだ。わしは、いかなる時も、立って動じぬ巌のようにあらねばならなかった」
そう王としての気概を滲ませながらも、疲れたように語る王の顔は、ある程度はなりゆきを予想していたものの、潤にとって少しばかり意外なものだった。もう少しは己の欲に塗れた王の姿があると思っていたが、そうではなかったらしい。
王子も王子で、見れば何か思うところがあったようで、項垂れたままに黙り込んでいる。
王は、頭を垂れた王子の頬を枯れ枝のような手で撫で遣りながら、虚空を仰いだ。「だが、わしも誤った」
ぽつりとした呟きが、宙に吸い込まれた。
「人の心というのは、そこまで強くない。孤独に打ち勝つことはできない。人がいない世界に人が一人で放り出されたならば、人はそう長くは正気を保ってはいられないだろう。たとえ周りに人がいても、心を打ち開けることができる者をただ一人として見出すことができなければ、それは同じことだ……」
王子の顎を、額を、愛しげに撫でまわした手が、離れた。
「わしは、そうするしかなかったとはいえ、己ただ一人で戦おうとしたために、疑心に囚われすぎた。それが誤りだった。最大の誤りだった」
悲しみを堪えるような声音が、床に落ちた。
「いつどこでわしの政を妨げようとしている者がいるかしれん。いつどこでわしの命を狙おうとしている者がいるかしれん。そう思って、一度手を下してしまえば、最後だ、息子よ。一人を斬れば、その者の一族郎党がわしを憎む。関わりある者も憎む。そうすれば、わしはその一族郎党、関わりある者をも斬らねばならなくなる。この先は、わかるな? ……果てが無くなっていくのだ。無くなって、いったのだ」
王は踵を返した。王座へと、足を引きずるようにして戻っていく。背を曲げて、疲労したように帰って行く王の身体は、ホログラムのようで質感は感じられなかった。
向けられた背が低く言った。
「そんな時に、あの火災が起きたのだ。城が焼け、すべてが焼け落ちた」
その静かな声は繰り返しこだまして、床を、壁を舐めるように響き、一気に部屋が炎に包まれた。
悲鳴を上げた王子を抱いて、潤はあたりを見回した。そういえば、クリュティエがいない。
「どこへ行った? クリュティエ!」
呼ばわってみても返事はない。
さきほどまではついてきていたはずだ。熱感も生々しい炎のなかで目を凝らす。
潤はこれも幻だとわかっていたが、怯える王子にはそう言って聞かせても、聞き入れることができないようで、手脚をばたつかせて潤の腕の中で暴れている。炎に対する恐怖がいやましになっているのだろう。
しかし、王は、この幻を見せて何を言わんとしているのか。そうだ、王はどこへ。燃え上がり、ほうぼうで天井を舐める炎の舌の合間をくぐって、王の姿を探すと、意外にも王は玉座にふたたび腰を落ち着けていた。しかし、身に纏う王の衣にも火の粉が移り、次第に王の姿を飲み込んでいく。
「――わしは、焼け落ちる城と共に、生涯を終えた」
ぼわんと鼓膜でふくらむように、王の声が聞こえた。
と、突風が潤の横面をはたいた。
瞬く間に、燃えさかっていた炎が吹き飛ばされていく。
思わず瞑った目を、風がやんだと知ってようやく開くと、そこには荒れ果てた貧民窟と町工場が建ち並んでいた。
きな臭い煙の臭いと、腐ったドブ水の匂い。家とも呼べないような掘っ立て小屋のような建物が複雑に絡み合って建ち、窓から窓へと伸びる紐に、汚らしく垢じみた布が干されて揺れている。
頭を抱えて身を縮めていた王子も、様子が変わったことに気付いたらしく、潤の腕の中から身を起こした。
「なんだこれは。どこなんだ」
風は吹けども、煙は上がれども人気の無い荒れ果てた町の、町工場。その片隅に動く人影を見つけた。
背を向けて何かの器械を相手に立ち働いている少年の姿だった。背格好からしても年の頃は十代前半ほどだろうか。
<――それなるは、わしだ。>
どこからか、王の声が聞こえた。二人は空を仰いだ。黄色くけぶった空があるばかりだ。
「あれが、王……?」
<次にわしがわしであることを思い出した時、わしはとある細工師の家の坊主だった>
小さな背中が、何か長く巻いた紐のようなものを扱って、忙しくてを動かしている。
<わしは修業の身であったし、だいたい工場自体も貧しすぎるほどに貧しすぎた。だからなかなか手には入らなかったが、時折珍しく手に入るとこうしてこっそりゼンマイを扱うことができた。……むろん、親方の目を盗んでこっそりとというヤツだったが。わしは夢中になった。親方に見つかってひっぱたかれようとも、ゼンマイのみならず、仕掛けというものが面白くてたまらなかった。物が触れなくても勝手に動くのだからな>
古ぼけた机に向かっていた少年が、手に何かを持って歓声を上げた。
<わしは、ある時、もう一つ別のものを作った。元々は、カラス麦を食べる鳥を追い払うために何かしかけを作ってくれと言われて、カカシのようなものをつくろうとしたのだ。仕掛けを作るのだけは上手いと言われていたから、この頃になると頼まれ事も少しは貰うようになっていた。>
「それで、何を作ったんだ? あの、向こうの少年が持っているものか」
そうだ、と声が応えた。
工作机の上で大きな物がずるりと音を立て、それまで机に向かって出来上がった物を眺めていたらしい少年がこちらへと身体を向けた。妙に大きな目をした赤毛の少年の手に、ちょうど少年の身の丈ほどの大きさで、目、鼻、口には木っ端を縫い付けた、長い糸くずの髪を垂らした少女の人形があった。
少年が少女の服の中に手を入れて、何かを巻くような仕草をすると、人形の中から金属音の音楽が鳴り始めた。そして同時に、人形がまるで歌うように、首を上下に振り始めた。
<ゼンマイを使って勝手に音の鳴る物を作ることができることは知っていた。それでときたま試しにと作っていたのだが、……この時は嬉しかった。勝手に歌って動く人形を作ることができたのだからな。わしはまず、こうして娘の形をしたオルゴール人形をつくった。それから、次に作ったのは楽器を弾く男の姿のオルゴール人形。そして、道化師の姿をしたそれを作った。改良に改良を重ねて、それは我ながら驚く出来のオルゴール人形となった。>
いつしか背丈が高くなり大人びた顔になった少年の手に、今度は三体の人形が横たわっていた。
腕に余すほどの大きさの人形たちは眠っていた。
端正な仮面、精悍な体躯、今にも音を立ててまばたきそうな睫の美しいまぶた。 そのうちの一体、少女の姿をした人形は相変わらず首を振って歌っていた。そして、いかに素晴らしい出来の物とはいえ、それまでは作り物とわかる外見をしていた人形の姿が、だんだんと、まるで生身の人間のように現実味のある姿へと変貌していった。王子が叫んだ。
「ああ! あれは、クリュティエ……!」
剣呑な光を大きな目に湛えた少年が、にわかに王子や潤の姿を捉えたように、ひたと二人を見た。そして、少年の薄い唇が開いた。声の高さは少年のもののまま、背格好には似つかわしくない言葉を口にし始めた。
「わしは、この三体を、クリュティエ、ペアレス、イカルス、と名付けた。 ――嬉しかったぞ。嬉しかった。鼠の出る隙間風だらけの町工場の作業場の片隅が、寝たり食ったりする住まいだった。みすぼらしいなどというものではない、惨めさしかなかったのだ。虫や鼠が食った、堅くて黒い味のないパンのかけらを囓るのが毎日の暮らしだったのだ。だが、この三体ができた時、わしが長年抱き続けて来た謎が解けた。わしは何者だったのか。わしの記憶に残る光景はなんだったのか。彼らの顔を見ていてわしは理解した。彼らのどれもが見覚えのある顔だということに思い当たったのだ。なぜ、わしがこれらの人形を作ろうとしたのかだんだんとわかりはじめた。幼い頃からわしの頭にはこびりついて離れなかった記憶があった。王宮での暮らしの様子。自分はかつて、一国の王であったのだという、記憶。奇妙にはっきりとした記憶だった。それを言うと、きまって近所の人間からは笑われ、馬鹿にされ、厭われ、それから両親からは、気でも狂っているのか、間違っても他人には言うなと口止めされた。それでも本当にそうだったのだと言い募ると、父親に殴られた。母親は、なんでうちの息子はこんなおかしなことを言うのかと泣いていた。少年の頃のわしはわしで自分を責めたとも。子供の頃に見た夢をしつこく覚えていて、何かのきっかけで自分が王だったのだと、とんでもない思い込みをするようになったのだろう、と。しばしば悩み、苦しんだ。何度も忘れようとした。打ち払おうとした。それでも、脳裏にある光景から解放されることはなかった。だが、クリュティエをつくり、イカルスとペアレスを作り上げた時、図らずも、彼らが、記憶の中に見た面影そのものなのだ、ということに気がついた。そして、彼らがわしにとっていかなる存在であっかも、思い出したのだ。わしは確信した。全身に鳥肌がたった。これまで忘れろと命じられ、また、自ら忘れようとしてきたかの光景は、ただの思い込みではなかったのだ、と。――わしが真実、王として時代を生きたことがあったのだ、と、確信したのだ」
まだ少年の骨格が残っている、やや頼りない細い両腕を、かつて王だった少年は工場の暗い空間へと高く差し上げた。
両手が差し伸べられた先の空間に、青い大きな燐光が生まれた。それは次第にひとかかえもふたかかえもあるほどに大きくなり始めた。
「そうだ、こうすればよかったのだ――と、わしは、気が付いた。それから、気が狂ったように作りはじめた。暗い工場の隅に、まず大きな台を置いた」
膨らんだ青い燐光のなかに、大きな木製と思われる台が現れた。
「これに粘土で固めた土を盛り、糸を巻き付けて色を塗った木ぎれを次々に挿していった。森に見立てて」
少年がそう口にする通りに、台の上に、粘土が盛られていく。見えない手によって、木ぎれが挿されていく。
「台の四隅に柱を立てて、板を打ち付け、内側に青い幕と黒い幕とを張った。これは空に見立てて。どちらか一枚を捲れば、昼は夜になり、昼は夜になった」
大地と森ができた台の四隅に柱が現れた。空となるべき布が覆いかけられた。
「小さな石を拾ってきては、削って組み上げていった。それらはやがて城壁になり、二年の後には城の形に完成した」
森に囲まれて、城が出来上がっていた。それは、潤が、収蔵庫の封印を解いたときに見た城の姿によく似ていた。
「城の中にはレールを敷いた。レールの上には人形を並べた。わしの召使いたちだ。酒樽を運ぶ男、水差しとゴブレットを運ぶ女。よく焼けた肉の載った盤台を転がす男たち。果物の皿を捧げる女たち」
少年は、燐光の青さに額を染め、口元に笑みを浮かべながら、城を弄るように手を動かしている。もちろん、その手は触れていない。
「台の下にはゼンマイ仕掛けのオルゴールを組み込んで、ゼンマイの動力で人形を並べたレールが動くようにした。城の窓からは特別に小さく作ったランプを入れた。こうすれば、夜になっても城に明かりを灯すことができる」
少年の手は空を掴むように世話しなく動くだけだったが、潤がひとつ瞬き、ふたつ瞬きする間に、城は少年の手の動きに応えるように、その姿を変えていった。
「日一日とわしの城が蘇っていく興奮に、寝ることも食うことも忘れることがしばしばあった。そんな風に過ごしていたからだろう。わしはその頃から身体を壊し始めていた。もっとも、わしは気付いていなかったのだが――」
明かりが灯り、窓から立ち働く人形たちの動くのが見える城を眺めるように、少年は作業場の隅に蹲って台を見上げていた。いや、少年はもう、少年では無かった。無精髭を生やし、痩せこけて落ちくぼんだ目をした青年になっていた。
「寒い冬の夜のことだった。春はもうすぐそこまで来ているはずだと、職工の奴らは言っていたが、日が落ちれば、作業場の床の土が凍る。水差しの水も凍って、逆さまに振ろうがぽたりとも言わなくなる。そんな寒さの厳しい夜だった。わしはとうとう、完成させた。貧民街の町工場に生まれたときから、ずっと忘れ得ることができなかった王城での暮らしの記憶。それを、再び、現実のものとして、蘇らせることに成功したのだ。わしを殴った父はもう死んでいた。わしを狂人扱いした母親も、とうに家を出て行って行方知らずになっていた。わしを馬鹿だと言って笑った近所の人間たちも、三分の一は死に、三分の一は街を離れ、あるいは、行方知れずになり、残りの三分の一はわしが何をしていようが目もくれない奴らだった。誰がこの作品を見てくれるわけでもなく、当然、称賛してくれわけもなかった……」
だが、と青年は決然と顔を上げた。
「そんなことは一向に構わなかった。称賛が欲しかったわけではない。この一世一代の作品を世に出したかったわけでもない。この作品が、この城が、わしのそばにある、それだけでよかった。この城はわしの、いわば魂の故郷だったからだ」
小さな溜息をついたのは潤だった。
「王よ。ひとつ、聞きたい。貴方は、この城を魂の故郷だと言った」
潤は、青い光に染まった城を、ジオラマオルゴールを指さした。
「貴方は、憎んでいたではなかったのか? 打ち消すことも抑えることもできない疑心に塗れながら、貴方は城の中で死んでいったはずではなかったのか。それなのに、貴方は、これを故郷だと思っていた。なぜだ?」
青年は、潤をゆっくりと見て、それから困惑したように首を傾げた。自らに問うように、俯いて、何度も瞬く。答えの出ない問いを探すように。
そんな青年の様子をしばらく見ていた潤が、やがて王とおなじように俯いた。もうひとつ、溜息をついて。
「俺にはわかった。貴方がなぜこのオルゴールを、城を、故郷だと思っていたのか。貴方が何を求めていたのか。……理想。この城は、貴方にとっての理想だった。違うだろうか」
「理想……」
床の一点を見つめて、青年がぽつりと呟く。
「貴方がつくったこの城は、平和に満ちている。平穏で、楽しみが溢れていて、窓から覗いている人々の顔も、みな、幸せそうだ。何の憂いもない。……そんなふうに貴方は、過去の時間において、暮らしたかった」
床を睨んだまま黙していた青年が、少しの間のあと低く呻いた。
「……それは、叶わなかった」
「そう。だから、貴方は、次の生にまで未練を引き摺った。本来ならば、持つはずがなかった記憶を携えて、後の世に生まれてしまった」
潤の言葉に深く頷くように、頭を垂れていた青年が、ちがう、と顔を上げた。「なれば、わしは、妃や息子の姿も作ったはずだ。わしは王であった日々をなぞりたかったのだ。未練があるなどと……たとい未練があったのだとしても、そのために、そのためだけにこのオルゴールを作ったなどというはずは……」
潤は、ゆるゆると首を振って見せた。
「貴方には、身近な人の形を作るだけの勇気がなかった」
反論に顔を染めていた王が、愕然と目を見開いていた。
「だから、身近な人々に最も関わりのある人たちの似姿までしか作ることができなかった。……その手で生み出した似姿にまで憎まれるのは、あまりに、あまりに辛いだろう? ……王よ」
だが、と、潤はかたわらで棒のように突っ立っていた王子の肩に手を置き、王へと向き直った。王子はただただ声も無く、目を丸くしているばかりだ。
「貴方が本当に欲しかったのは、王としての王城での日々ではなく。身近な人たちの、心……。見るといい。そのオルゴールを」
城の形のジオラマオルゴールの前に、青く染まってもう一人の青年の姿が出現していた。まるで分身したように、あるいは亡霊のように見える彼は、やつれた姿で、青い光の中、オルゴール台にぴったりと寄り添い、ゼンマイを巻いていた。
ランプの灯が弱くなれば、油を注ぎ足し、オルゴールの音が弱々しくなれば、またゼンマイを巻く。油を注ぎ、剥がれた鳥を幕に縫い付け、倒れた木々を、池に転げ落ちた近衛兵を、慈しむよう直す青年は、毎夜毎夜、遅くまでそれをくり返した。 明け方の薄明かりが差し込む頃になっていても、わらを積んだ寝床に、止まらない咳に苦しみながら身を横たえていても、いつも目の見つめる先は城を載せた台から離れなかった。青い燐光は、早回しの幻燈のように、しかしゆっくりと、青年の日々を映し出していた。
青い幻燈のなかで、もう一人の青年はやがて、寝床から起き上がらないようになっていった。
「わしが……ああ……」
生前の苦しみを思い出したのか、青年の姿をした王は、顔を覆って呻いた。
オルゴール台のかたわらに、――きっと渾身の力でそうしたのだろう、わらの寝床をずらして敷いて、ゼンマイが切れ、城の中の人々が動きを止めそうになると、台へと手を伸ばして巻き足す。そしてまた身を横にする。巻き足しては、寝て、寝ては、巻き足して。舞踏曲が終わるのを恐れるように。城の人々が息絶えてしまうのを恐れるように。灯火の油を差すことができなくなっても、青年は、もう残る力もないような痩せほそった腕を何度も何度も精一杯に伸ばし、オルゴールを動かし続けた。
だが、舞踏曲の音は、やがて、絶えた。
青年は、自らの汗でじっとりと冷たく湿ったわらの寝床で、虚ろに目を開けていた。小屋の梁を見つめていた。もう、指一本として動かない。熱を持って赤黒くなった唇は乾ききってぼろぼろになっていた。
その唇が、かすかに動いた。
「愛されたかった……愛しい人たちよ」
開いた目に映る光は、もう、わずかだ。
「ちがう……ちがう……これはちがう」
うわごとのように弱々しく、ちがう、とくり返して、
「もう一度。もう一度、あれらの日々に、戻りたかった……!」
ほとんど声を為さない叫び声を上げて、青年の命は潰えた。
「願いは聞き届けられた」
神のそれのように、潤の声がしんと静まりかえったその場に響いた。
オルゴール台に載った城の、窓辺の明かりが独りでに灯をともし、その火はまたたくまに燃え上がった。小屋を包んで、灰にしていった。青年の亡骸も、三体の人形たちも、ともに。
「貴方の願いは、二つの生を跨いで聞き届けられたのだ。貴方が求めていたものは再び貴方の元に還った。……それが、この王子、貴方の伴侶、そして、かの人形たち」
いつの間にか、青年は元の老いた王の姿へと戻り、王子のかたわらには三人の人形たちが並び立っていた。周りの光景も元の薄暗いのっぺりとした部屋へと戻っていた。
「私は、父の願いによって、ここにいる……?」
王子は自分の手をしげしげと見つめている。自分が一体何者なのか、まだ掴むことができていないといった様子だ。
「そうだ。王子、貴方は王に呼ばれた存在だ。……だが、王よ、貴方は、悔いたのでないかな。愛しい人々の元に戻ったことを。欠けたものは埋まらなかったのだから」
王はゆっくりと背を向けた。
「『永遠に生きる者』と言ったな。……その通りだ。わしは、城を作っても、失った者たちを取り戻しても、心までは取り戻せなかった。『あの日々に戻りたい』と願って得た終わりのない時間のなかで、思い描いていた通りの日々へ戻れないことに衝撃を受けた。予想外のことでありすぎた。そして、いくら以前と異なる選択をしようと思っても、できなかった。それこそ、同じ線をなぞるように、変わらず憎しみと疑いとに満ちた時間を果てなく過ごした。一度辿った道を変えることは出来ないのだ、と、それを知ってももう遅かった。……不可能を願ったことの罰、だったのかもしれぬ。今思い返してみれば、だが」
「待ってくれ」
そう言って間に入ったのは、王子だった。
「私は、私はいったい何者なのだ。王に呼ばれた……? 昨夜は舞踏会だった。いや、つい先程、城から火の手が上がるまでは舞踏会をやっていたではないか。いったいこれは何なのだ」
「……哀れな、王子様」
クリュティエが、後ろからやってきて王子の身体をそっと抱いた。
「あなたはお忘れなのですわ。何度も、何度も、くり返してきたことを」
「くり返してきた……何を」
「何度も輪廻の火に焼かれる苦しみを……いいえ、思い出すことができないのなら、その方がいいですわ。――ね、潤様、ということは、わたしも、王に呼ばれたのですね」
王子の背を愛しげに撫でながらそう言ったクリュティエに、潤は首を振った。
「クリュティエ、君は違う。君こそが、いや、君たちこそが、王の願いの成就に待ったをかけた者たち……だったのではないかな」
小さな花売り娘が眉を顰めた。
「……どういうことですの?」
「王にとって、王子や妃は愛しい者たちだったが、君たちにとっても、王子や妃は愛しい人だった。……愛しい人を奪われた悲しみと憤りは消えなかった。消えない想いは、何を作ったと思う? 消えない想い。王と同じだ」
思ってもいなかったことを告げられたのか、クリュティエが、そして後ろに控えていたペアレスたちもめいめい顔を見合わせる。
「君たちの想いは、君たちが今思っているほどにはあっさりと割り切れるものでなかったのだろう、と思う。……王が、願い通りに過去をご破算にして、理想の世界でもう一度やり直したところで、君たちの愛しい人は、真の意味では帰ってこない。歴史は塗り替えられない。――はっきりと言おうか。君たちは、王に復讐したかった。あの町工場で、ジオラマオルゴールを作るかつての王を見つめながら、君たちは消すことのできない怒りに燃えていたんだ」
奇妙に怪訝な表情で、クリュティエは、潤の袖を握った。
「それって……。ね、もしも潤様の言うとおりなら、わたしが王子を苦しめたことにならないかしら……? わたしが王の世界の平穏を妨げたせいで、憎しみと苦しみの終わらない世界になったということに!」
恐ろしいことでも知ったように顔を青くして、クリュティエは潤の袖を強く引っ張った。
「クリュティエ、君ばかりのせいじゃない」
「ペアレスとイカルスたちも、って言ったって、わたしたちのせいだということに変わりはないわ!」
「クリュティエ、何を言っているんだ。君が私を苦しめただなんて思っていない。私は君と踊れて幸せだった」
珍しく語気も荒く言い募る彼女をおさえようと、王子が身を乗り出した。それを、潤が制した。
「人の想いというものは、そういうものだと思う。願うとおりにはいかないのが、人の想いだと」
そして、三人の人形たちをそれぞれ見回した。
「クリュティエ、それに、ペアレス、イカルス。俺は君たちを責めたいんじゃない。君たちの望んだ、輪廻を終わらせるために言っているんだ。複雑に絡み合った想いもその根源が見えてしまえば解ける。君たちの抱えてきた想いもまた真。王の抱えてきた想いもまた真。それに王子も……皆それぞれに真、だ。値としてみな等しい。だが、そんな君たちの強い想いがつくりあげたもの。それが、この幻だった。互いの尾を噛む蛇のような想いがつくりあげた、出口のない幻。――今、破られた。」 弾ける白光とともに、薄暗い部屋の壁が四散した。
視界を潰すような眩しさのなかで、王が、王子が、人形たちが、そして、王に呼ばれた者たちが漂うように浮いている。
<終わるのか……。わしは、もう思い残すところもない。わしが永い間何を求め続け、得ることができずに来たのか、それがわかっただけで満足だ>
<わたしの想いの身勝手さ。誰より苦しめたくない人を、苦しめてしまった……。一番、幸せになってほしい人だったのに>
<それは違う。クリュティエ。イカルスとともに語り合ってきただろう。おまえの想いは、潤殿の仰るとおりに、抱いて当然の思いだった>
めいめいに語り合う彼らの間にあって、王子が一人物思いに沈むように黙り込んでいた。
「王子、何を考えている?」
潤が聞くと、王子はちらと目を上げて小さく笑った。
<ずっと、父が憎かった。父はいつでも好き放題に横暴の限りを尽くしていると思っていた。……違ったみたいだ。父の、国王としての立場や思い、苦しみに気づけなかった私に、王位を継承する資格はなかっただろうと思った。たとえ、城の火事に飲まれていなかったとしても、だ>
「王を許せるか?」
そう聞いた潤に、王子は少し考えてから曖昧に首を揺らした。
<いまさら愛せと言われても愛することはできないと思うが……許せる。し、許して欲しいとも思う。父をほんの少しも信じようとしなかった私を>
そうか、と潤は笑った。笑って、王を見た。
王は眩しい光に包まれて輪郭を失い始めていた。
「貴方の想いは、どうやら報われたみたいだな」
もう、その表情はわからない。
ただ、辛うじて形を残していた手は祈りの形に組まれていたようだった。
「王子、貴方もそろそろ行くか」
<ああ……行く>
だんだんと皆が輪郭を失っていく。光に飲まれていく。
潤の姿だけが、くっきりと黒く存在している世界だった。
「王子、この先の旅路がどれだけになるか知らないが、クリュティエを慰めてやってくれ。今も落ち込んでいるようだ。君のことを、大事に大事に思っていた。命を賭けるほどまでに」
王子は、ああ、と頷いた。
頷いて、ほんの少しの間、潤を見つめ、そして三人の人形に宥められているクリュティエの方へと駆けていく。その後ろ姿が、彼らの後ろ姿が、急速に遠のき、小さくなっていく。
潤は、白い光へと背を向けた。
未来永劫、自分を受け入れることはない光だった。
一歩踏み出すと、炎が足の下にあった。壁、瓦礫、見覚えのある内装の残骸。
しかし、ごうごうと燃えさかる炎は、一瞬の後に、どこかに吸い込まれるように消えた。
――終わった。
嘘のように戻った暗闇の中で、目を凝らす。
壁、床、柱、パイプ、そんなものが焼け焦げた痕をさらしていたが――。
「全部、持っていったんだな……」
自分一人の空間で、背にした暗闇を振り返り、潤はぽつりと呟いた。
想いという想いをすべて。
博物館にあったはずのオルゴールは、すべて、忽然と消えていた。
<了>
<登場人物>―――――――――――――――
7038 夜神・潤 200歳 男性 禁忌の存在
NPC5310 クリュティエ ???歳 女性 オルゴール人形
NPC5317 イカルス ???歳 男性 オルゴール人形
NPC5318 ペレアス ???歳 男性 オルゴール人形
(他NPC)……王子・王
―――――――――――――<ライターより>
最後の最後で、大遅刻ということになってしまいました。
もはやお詫びの言葉もありません。
そして、このような長い長い話に、
よくぞ最後までおつきあいくださいました。
本当に、本当にありがとうございました。
感謝の言葉も、お詫びの言葉も尽きない気持ちでいっぱいですが、
まずはご挨拶に代えさせていただきたく存じます。
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