■迷想館の午後■
雨宮玲 |
【7134】【三島・玲奈】【FC:ファイティングキャリアー/航空戦艦】 |
なだらかな丘陵の頂上に立つ古びた洋館、麻生邸。その南側を改装した小ぢんまりとした昔ながらのクラシック喫茶『迷想館』。
クラシック喫茶の全盛なんてとっくの昔に終わってしまったが、道楽好きの爺さんは、有り余った資産の一部をこの喫茶店の運用資金にあて、上質なお茶と音楽を好む人々に、ささやかな安らぎの時間を提供している。
「でも、なんで『瞑想』でなく『迷想』なんですか、宏時(ひろとき)さん」
身寄りを失い、跡継ぎも兼ねて道楽爺さんこと麻生宏時に養子縁組することになった清春は、店の前にさり気なく出された看板を指差して言った。
「迷想って、迷ったり妄想したりすることでしょう? 静かに考える意味の、瞑想、ではないんですか」
「どちらだって同じじゃよ。若い者が細かいことを気にするな」
ほっほっほ、とサンタクロースみたいな妙な笑い方をする道楽爺さんにばんばんと背中を叩かれながら、そうだろうか、結構違うと思うんだけどな、などと思う清春である。
店内の右手奥には茶色の古ぼけたドアがあり、清春と『その相方』は普段そこを根城にしている。
でも、そのドアは誰にでも見えるわけではない。そのドアが見えるのは特殊な人々――たとえば霊感を持っていたり、霊と交信したりできる人達のみだ。
「見えないなら、見えないに越したことはないんですよ。こんなドアなんてね」
とは、麻生清春の言葉。
だからもし扉が見えても、見えないフリをしていたほうがいい。見えないならそれに越したことはない。美味しいお茶とデザート、それに美しい音楽だけで十分満足しておくほうが賢明だ。
もちろん、貴方が扉を潜りたいというなら、止めはしませんけどね。
|
観測者のメイズ
東京の夏はまるで迷路のようだ。出口のない迷路。
どこへ行っても人ばかり、うだるように暑くて逃げ場所がない。
何を好んでこんな都会でせせこましく生活してるのかしら、と思わずにいられない。
その点彼女はマシだ。東京の人いきれにうんざりしたら、ちょっとお隣りの異界まで足を伸ばせば良い(お隣りが具体的にどこに存在するのか、はさておき)。一夏が過ぎるまで迷路の中をうろうろしていなければならない一般人は不自由なものだと思う。ご愁傷様。
とはいえ、彼女の女子高生としての生活は一般人が認識するところの物理世界にあったから、期末試験やら何やらで忙しいこの時期にひょいひょい「お出かけ」するわけにもいかない。
結局、三島玲奈も迷路の中をぐるぐる歩き回る羽目になるのであった。
で、気づいたら奥深くに迷い込んでいたのだ。
「……なぁに、ここ?」
玲奈は胡乱げに坂の上を振り仰いだ。
彼女の視線の先には古びた洋館が佇んでおり、屋根のてっぺんで風見鶏がくるくると回っている。まるでおいでと誘っているようだ。
はて、あたしの知る範囲にこんな洋館あったかしら?
さっきまで淀んでいた空気に冷やりとしたものが含まれているのに気づく。不快ではない。けれど、なんだか妙だ。まさか知らないうちに異界に迷い込んだ?
訝りつつも、玲奈は館を目指して歩き始めた。風見鶏が回っている、ということは、坂の上では風が吹いているはず。あそこまで行けばちょっとは涼しいかも。
玲奈は高く結い上げた髪を揺らし、坂をゆっくりと上り始めた。
東京のど真ん中に似つかわしくなく、その館は西洋風ホーンテッドマンションのように佇んでいた。
壁は絡み合った蔦で覆われ、窓はすべて分厚いカーテンに遮られている。門は蝶番の一つが外れて傾きかけていた。
色褪せた表札には『麻生』と書かれている。
「んん? 麻生? なんか聞いたことあるような……」
玲奈は屋敷の右手に向かって歩く。と。
「……喫茶店? こんなところに?」
勝手口と思わしきドアが、外に向かって開かれていた。通りに手書きの看板が出されている。
『本日 アイスコーヒー 1杯無料サービス!」
どうやら本当に喫茶店らしい。
好奇心と「無料サービス」の文字に抗えず、玲奈は思い切ってドアを押した。
「あ、いらっしゃいませー」
エプロンをつけた青年が玲奈に気づいて挨拶する。
ああ、思い出した。『麻生』さんって、曰くつきの麻生さんだ。
店内には冷気、もとい、霊気が漂っていた……。
*
「へぇ、今時クラシック喫茶ねー」
奥の座席に着いた玲奈は物珍しげに店内を見回した。
玲奈の他に客はない。背後でバロック音楽と思しきBGMがかかっている。
「てゆうか、閑古鳥鳴いてますけど」玲奈はウェイターの青年を見上げた。「無料サービスなんかしちゃって大丈夫なのー? 呼び込みになってないじゃない?」
「なってませんねえ。やっぱり立地が悪いんですかねえ」のほほんと答えるウェイター。「まあ折角ですしどうぞ。外は暑かったでしょう?」
ウェイターはテーブルの上にアイスコーヒーのカップを置く。
「立地っていうか。もっと具体的な問題があると思うんだけどー」玲奈はちらりと店の奥の扉を見やった。
「あ、お客様、もしかして……見えますか? あれ」
玲奈は肩を竦める。「見えるかって……いいこと? 人間の観測手段はすべて物理的なの。『扉』は物理学の土俵よ。もちろん、見えます」
「いやあ、見えないお客さんもいたりいなかったり」青年は困ったような微笑を浮かべた。
「観測機器の性能の問題ね」
「ということはお客様、なかなか……素晴らしい観測機器をお持ちのようで」
「ま、あたし今日はオフだし。調査依頼も来てないし、特に突っ込まないでおいたげる」
「それは幸いです」明らかにほっとした様子で胸を撫で下ろす青年。
玲奈はにっこり微笑んだ。
「あたし、三島玲奈。あなたは?」
「麻生清春と言います」
クラシック喫茶なんて、やってることが古風なら従業員の名前も古風ねー、と言うと、清春青年はそこはかとなく傷ついた表情で、はあ、良く言われます、と答えた。
*
そう言う玲奈自身も『戦艦玲奈号』なんていかつい異名を持っていたりするのである。
黙っていれば「ちょっとミステリアスな女子高生」で通る彼女のファーストネームに『号』なんてくっつくのが、清春にはどうにも解せないらしい。
「というか、戦艦がこんなところでお茶なんかしてていいんですか?」
「なぁに? 戦艦がサテンでティラミス食ってちゃおかしい?」
「…………」
いえ、見た目は可憐なことこの上ないのですが、とかなんとかもごもご言いながら、清春は空になった玲奈のカップにオレンジペコーを注ぐ。
「さっき言ったでしょ、扉の調査依頼がないから出動しないだけー。普段はバリバリ働いてるのよ? フリなんてしてたら来年仕分けされちゃう」
仕分けされちゃう、とか末恐ろしいことを言いながら、ティラミスをフォークで突っつく玲奈号。ぱくりと口に放り込む。途端に幸せそうな表情が彼女の良く整った面に広がった。
「僕の観測手段によると、玲奈さんはごく普通の可愛らしい女の子なんですけどねえ」
「『ごく普通の』『可愛らしい』がすべての観測に適用されるかどうかはさておき、誰の目から見ても、あたしが『三島玲奈』っていう個人だってことは、変わらないよね」
「そうですね」
「あたしがあたしを観測してる限り、あたしは存在している、ということなのよ」
「……うん?」
「でも音楽って超不思議。量子力学的よね」
「……なんか玲奈さんって、外見から想像のつかない単語がぽんぽん出てきますね?」
「話の腰を折らないでよ」玲奈はちょっと頬を膨らませる。
「すみません……」
「つまりね。音波とかって波で、音符は離散的だし。波動関数の収縮だっけ?」
「えーと?」
「どの地点で音楽が『観測』されるか、ってこと」玲奈はアイスコーヒーのグラスについた水滴を人差し指にとって、テーブルの表面に緩やかな波形を描いた。「観測される前は、この辺りに存在するかもしれない、という確率でしかないの。この確率を表すと波形になるのね」
「周波数みたいですね」
「波だからね。で、ポイントAで観測されたモノは、ポイントAで観測される確率が100パーセントってことだから、100パーセント以外の確率はなくなるでしょ。それで波が収縮するのね」
「ふうん。そのポイントAっていうのは物理的な場所を示してるんですか? 発音された瞬間、音楽は『どこ』に存在してるんでしょう?」
「だから超不思議、って。結果は観測者によってまちまちなのに、感動は分かち合えるし」玲奈はティラミスの最後の一切れを口に放り込む。「うーん、おいひ」
清春はその様子を見て微笑んだ。「玲奈さんが味わっているティラミスの素晴らしさを想像することはできますが、残念ながら分かち合えませんねぇ」
「一片も残らずあたしの口の中だしね?」
「お茶のお代わりいかがですか?」
「いただきまーす」
玲奈は水滴で濡れたテーブルの表面を人差し指で撫でながら、店内に流れている音楽に耳を傾ける。
それで、結局音楽って何者?
あたしは今確かに音楽を観測しているけど、周波数は観測した瞬間に消えて、次から次へと新たな周波数が生まれてくる。そりゃそうだ、時間芸術だもの。
観測者が複数いても、多かれ少なかれ似たような観測結果になるのはどういうわけ? 悲しい音楽を聴いてハッピーになる人はいないものね。
……む、なんだか迷路に嵌り込んでしまった。
難しい顔で頬杖をついている玲奈のテーブルに、新しいティーポットを手にした清春が戻ってくる。
「どうしたんですか、難しい顔をして」
「音楽って何? って考え出したらぐるぐるしてきちゃった。わからないあたしざまぁ」
「あはは。そう簡単にわかってしまうと、音楽を志す者としては逆に物足りないですけどねえ」
清春はカップにオレンジペコーを注ぐ。良い香りが立ち上った。
「へえ、音楽やってるの?」
「これでも音大でピアノを弾いてるんですよ」
「ただのクラオタのおにーさんじゃなかったんだ」
「オタクには変わりないんですけどね、玲奈号さん?」
「敬称が重複してるしー」
「え、『号』って敬称なんですか……? 『殿』的な……?」
「細かいことは気にしない! ね、クラシック喫茶っていうからには何でも好きな音楽かけてくれるんだよね?」
「ええ、もちろん。どんな音楽がお好みですか?」
ニ短調で始まるフレーズが目まぐるしく展開していき、静かな中間部を経て、やがてドラマチックな長調に溶け込んでいくのを聴きながら、玲奈はこんな迷路なら抜け出さなくてもいいかもしれないなどと思っている。
終わってしまうのが惜しいのだ。音の奔流に呑み込まれて、激しく揺さぶられて――
こんな感覚は音楽でしか味わえない。
「迷路の出口を探してたの」と玲奈。
「はい?」清春は首を傾げる。
「どこに行っても暑いから。東京の街丸々一個迷路みたい、って思って」
「出口は見つかりそうです?」
「それが今度は違う迷路に入り込んじゃった」
「ああ、それは大変。一度迷い込んだ人は出られないんですよ、この迷路」清春は悪戯っぽく微笑む。
「入り口があるのに出れない迷路って何なのー?」
「さて、何なんでしょうかねえ」
うだるような夏は早く終わってほしいけれど、彼の言う通り、音楽の迷路からは当分抜け出せそうにない。
FINE.
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【7134/三島玲奈/女性/16歳/メイドサーバント:戦闘純文学者】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
はじめまして。ライターの雨宮です。
この度は迷走館シナリオへのご参加ありがとうございました!
音楽の「観測」という興味深いテーマで、あれこれ考えながら楽しく書かせていただきました。
波動関数については、嘘を書いていたらごめんなさい……(笑)
玲奈さんのインテリ、かつ女子高生らしいところが上手く表現できていれば良いのですが。
また機会がありましたらよろしくお願い致します!
|