■召霊鍵の記憶 黒の頁■
紺藤 碧
【2470】【サクリファイス】【狂騎士】
 アクラはあおぞら荘のホールで、豪華な辞典並に分厚い装丁が施された本をゆっくりと閉じた。
 様々な物語が記されたコールの本。
 この本に記載された物語は、霧散したコールの心と夢を繋ぎ合わせる力になる。
「色々な感情を吸収して、キミはキミを取り戻すんだ」
 一度閉じた本をアクラはまたゆっくりと開く。
 そこは、真っ黒に塗りつぶされ、何が書かれているのかさっぱり分からない。けれど、その黒は闇のような深いものではなく、様々な色が重なり合い黒へと変化したもの。
 そう、この黒は思いの集合だ。
 アクラはゆっくりと黒に手を伸ばすと、徐々に本の中へと入り込んでいった。

(そう危険はないと思うんだけど)
 トンっと上下のない空間に靴音を響かせ降り立つ。その音に気が着いたのか、銀髪の少年が振り返った。
「きみはだあれ?」
「翠なの…?」
「ぼくをみどりとよぶきみはだあれ?」
 アクラは大事そうに鞄を抱えた12歳ほどの少年に近づき、膝を折る。
「ボクはアクラ。お兄さんのお友達」
 アクラが自分の名前を告げ、少年に微笑みかければ、少年は嬉しそうにぱぁっと顔を輝かせ、何かを期待するような瞳でアクラを見つめる。
「おともだち、あそんでよ」
 少年は抱えていた鞄を開く。
「…っ!?」
 アクラの身に圧し掛かった脱力感。これは、翠の力じゃない!
 少年はそんなアクラを見やり、詰らなさそうに眉根を寄せて踵を返し、たったと走り去っていく。
「待っ!!」
 立ち上がろうにも足に力が入らず、アクラはその場に転がる。
「騙された……っ!」
 小さくなっていく背を見つめ、悔しそうに口元を釣り上げ舌打ちする。
 翠の姿をしているが、あれは幼い頃の――コールだ。


召霊鍵の記憶 35P







【アスターの疑惑】







 村人がそれを見つけたのは本当に偶然だった。
 村の唯一の医者であるコールが、血まみれの苺農家の女性の傍らで立ち尽くしていた。
 女性の息はもうなく、状況的にも、コールがその女性を殺したようにしか見えなかった。
 殺人は重罪である。
 だが、この村にそういった事を取り締まるようなシステムは確立されていない。
 勿論村人はコールに状況の説明を求めた。
 けれど、コールは何も言わず、結果、村を追放という形で事の解決が図られたのだった。






「信じられるはずがない」
 コールの妹であるサクリファイスは、兄がそんな事をする人ではないと信じていたし、何かしら理由があるに違いないと確信していた。
 けれど、妹や弟たちは村において欲しいと懇願し、去っていった兄の手前、表立って兄を擁護するような事を言うわけにも行かない。
 何故何も言ってくれないのか。
 言えないような事が実際にあったのではないかと、これでは勘ぐってくれと言っているようなもの。
 実際、弟は完全に兄の変貌に落胆し、微かな怒りさえも持ち始めているようだった。
 確かに、村に残ってこれまでのように作物を作っていれば、暮らしていく分に不都合はない。けれど、やはり風当たりは前と比べきつくなっているのは本当で、それが尚更弟を苛立たせているようだった。
 兄は兄、自分は自分と言っても、正論だが、精神論には敵わない。
 何処へ行っても、何をしても“罪人の兄弟”として見られてしまう。
 兄が絶対にこんな事をするはずがないと、その理由をどうにかして探り出すことで自分を保っているサクリファイスと違い、弟はその重圧に負けそうになっていた。
「一緒に村を出ようか」
 一度サクリファイスは弟にそう問いかけた。
「なんで、俺が村から出なきゃいけないんだよ!」
 何も悪いことをしていないのに! 村から出たら自分も罪人になったみたいじゃないか! と、弟は叫び、それ以降殆ど口をきかなくなった。
 けれど、このままで本当にいいのだろうか。
 兄はなぜ何も言わなかったのだろう。その理由を知る必要があるのではないか。
 サクリファイスは荷物をまとめ、兄を追いかける事を弟に告げる。
「どうして姉ちゃんまで村を出るんだよ! あんな奴の事もう家族でもなんでもないだろ!!」
 叫んだ弟の瞳に滲む涙。弟は兄のことが大好きだった。だから、この状況の中苦しんでいるのが分かる。
「大丈夫だ。直ぐに帰るから」
 サクリファイスは一度だけそっと弟を抱きしめ、その頭を撫でた。






 簡単な荷物だけを持ち、サクリファイスは早速隣村まで来ていた。誰が村を出てもこの隣村には必ず立ち寄る。だから、直ぐにでも兄の行き先が分かると思ったのだ。
 村から出ると告げた時の弟の顔は忘れられない。あの子のためにも理由を知り、早く村に戻らなくては。
 村に着くと早速兄の足取りを探す。隣村には品物を届けにきたこともあるため、顔見知りも何人か居り、兄が進んだ街道を教えてくれた。
 その街道の先にある町で、サクリファイスは妙な噂を耳にする。
 それは、最近蔓延し始めた妙な病の話。
 一人が感染すれば、ゆっくりとだが芋蔓式に広がっていく流行病。見極める方法はただ一つ。会話のみ。この病に蝕まれ始めた人は思い出ばかりを気にし始める。
 病と一概に言ってしまっていいのかさえも曖昧なその症状は、完全に発症し我を失ってしまうまで気付くことは難しい。
 あの頃は良かった。あの頃に戻りたい。あの頃をもう一度。
 そして“あの頃”と違う部分に牙をむき、糸が切れたように――死ぬ。
 牙をむく方向は他人だけではない、それは自分にも降りかかる。
 自らを傷つけ、血を流し、通常であれば痛みによって行わないそれも、この病にかかってしまえば簡単に行われてしまう。
「まさか……」
 あの女性がその病にかかっていたのではないか。
 サクリファイスは思い出せる範囲で記憶を総動員し、あの女性が最近村から出たようなことは無かったかと考える。
 ならば、それこそ話してくれれば良かったのに!
 サクリファイスは行き急ぐ心と言葉を何とか落ち着かせながら、町の人に兄を見なかったかと尋ねる。
 数日前、乗合馬車でこの町を出て行ったらしい。
 ここから馬車を使って向かう町は1つ。
 サクリファイスは急いで乗合馬車に飛び乗った。






 完全におのぼりさんの状態で、サクリファイスは町を見上げる。実際、本当におのぼりさんなのだからしょうがない。
 宿を取ろうにも、今までの町の規模と格段に違えば、値段もまた格段に違うわけで、拠点を決められずサクリファイスはとぼとぼと街中を歩く。
(ん…?)
 通り過ぎていった人ごみの中に、見知った銀髪を見止め、急いで追いかける。角を回り1つの建物に入った姿を追いかけ、サクリファイスはその建物に走り込んだ。
「兄さん!」
「サクリファイス!?」
 突如として現れた妹に、コールの瞳が驚きに見開かれる。
「どうしてここに? 村で何かあったのか?」
 サクリファイスはゆっくりと首を振った。
「兄さんが、あんな事をするなんて信じられない。理由を知るために追いかけてきたんだ」
 弟も一緒かと問い返され、サクリファイスはまた首を振る。コールはそれも分かりきっていたかのように寂しそうに薄く笑い、ここまで来てしまったのだから仕方がないとサクリファイスを奥へと連れて行く。
「……あの人は、今、噂になっている流行病だったんだろう?」
 廊下を歩く道すがら、サクリファイスから口を開く。
「だったら何故あの時言ってくれなかったんだ! 言ってくれていたら、あの子が泣く事も無かった」
 数歩先を歩いていたコールの足が止まる。
「サクリファイスがあの病の存在を、村を出て知ったように、私も村を出て初めて知った」
 様子が変わり、自分で自分を傷つけ始めた彼女を何とか落ち着かせようと鎮静剤を投与したが、その処置が適切ではなく――もしくは遅かったため――彼女の命を奪ってしまっていたのではないか。
 その不安がいつまでもコールの中で渦巻き、何も口にすることができなかった。
 一度止めた足をまた進めて、コールは話を続ける。
「病の名は、アスター病と言われている」
 その病状はきっとここまでの道程で聞いたとおり。
「感染することは分かっているが、そのルートは発見されていない」
 まさに奇病。どこから始まり広がってきたのかその最初さえも分からない。
「残っている村の人だって発症の確立はあるんじゃないのか?」
「その可能性も捨てきれないのは事実だ。だから私はここへ着た」
 そう言われて、初めてサクリファイスはこの建物が何をするところなのかと言うことが気にかかった。
 行き交う人は白衣の人ばかり。
 コールも村では医者をしている。
「今、ここではアスター病を研究している」
 特効薬はまだまだ見つかる段階ではないが、見分けるための対処法の研究は進み、幾つかの質問項目に該当した場合は、発症率が高いという所まできている。
「まさか兄さん村の為に……?」
 今度は寂しさの無い薄い笑いを浮かべたコールに、サクリファイスはほっとするように微笑んだ。






 直ぐに村に帰らない理由も分かったが、それでも、村で待つ弟の為に、そこまで時間がないことも分かっていた。
「一度、村に戻ってほしい」
 弁明をしなかった理由も知った。
 無実の罪で村を追い出されたのに、村の為に病の対処法を探してくれていることも知った。
 今起きている事を説明すれば、村の人だって分かってくれる。
 ――弟が、苦しむこともない。
 一度追放という形になってしまったため、また村に迎え入れるには、理由を話すだけでは叶わないかもしれない。
 それでも、サクリファイスは真実を知った。
 知ってしまったのならば、無実を証明したい。
 それには一緒に村に帰ってもらうしかない。
「お願いだ、兄さん。帰ろう」
 皆話せば分かってくれる。
 そう、サクリファイスが差し出した手を、コールは一度躊躇うような表情を見せたが、じっと見つめるその瞳に負けたのか、そっと握り返した。































 サクリファイスははっとして瞳を開ける。
 見回してみれば、何のことはない何時もの街角で、今まで何をしていたのだろうと、ゆっくりと瞬きを繰り返す。
 閉じた瞳の奥で思い出されるのは、まるで白昼夢のように脳裏を駆け抜けた何かの物語。
「その時説明できないこともある…か」
 今直面している問題と全然違ってはいるが、似通った内容の夢に、サクリファイスはもう一度ゆっくりと瞬きをし、薄く長いため息を着くと、空を――見えるはずも無い、ルミナス達の世界を探すように――見つめた。











☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆

 召霊鍵の記憶にご参加ありがとうございます。
 兄弟問題を気にかけてくださり本当にありがとうございます。
 兄弟と説明不足を足してみたら、3兄弟という形に落ち着きました。病に対して特に深い設定はありません。
 それではまた、サクリファイス様に出会えることを祈って……

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