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■鳥籠茶房へようこそ■

蒼樹 里緒
【8447】【クレアクレイン・クレメンタイン】【王配】
 気が付くと、自分は山の中にいた。
 どうしてこんな山に。さっきまでは別の場所にいたはずなのに。
 あてもなく歩いていると、どこからか甘い匂いが漂ってきて――。
「いらっしゃいませ!」
 目の前には、翡翠色の着物を纏った可憐な少女と、茅葺き屋根の茶屋が在った。
 彼女に勧められるまま、紅い野点傘の下の縁台に腰を下ろす。
 少女は黄金色の長い髪をさらさらと靡かせ、少々お待ちください、と笑顔で言い残して店内に入っていった。入れ替わるようにして、青い髪の青年が現れた。少女と同じ翡翠色の着物ということは、彼も店員なのだろう。
 いらっしゃいませ、と彼も物腰やわらかに一礼した。
「ようこそ、鳥籠茶房へ。店長代理のアトリと申します。先程ご案内しましたのは、店員のカナリアです。どうぞお見知りおきを」
 自分も会釈して挨拶を返す。爽やかに微笑むアトリは、続けて説明をしてくれた。
「当店にいらっしゃるお客様には、『条件』があるのですよ。あなたも、何かお悩み事がおありなのでしょう?」
 どうしてわかるのだろう。
 瞬きを繰り返す。アトリはやはり微笑して告げた。
「お客様のお悩みを解消するのも、当店の売りのひとつなのです。よろしければ、ご相談ください」
 もしかしたら、自分はこの店に『招かれた』のだろうか。
 不思議に思いつつも、自然と口を開いていた。
鳥籠茶房へようこそ

 気が付くと、クレアクレイン・クレメンタイン――の姿の鶴橋亀造は、見知らぬ山の中にいた。
「どこだ、ここ……」
 森だろうか。のどかな陽射しに照らされた木々の葉が、地面に濃い影を描いている。
 嫁と買い物に出かけた途中、彼女が寄りたがっていた店に入り、外で待っていたはずなのに。夢かもしれないと頬をつねるが、確かな痛みを感じてため息をこぼす。眼鏡のレンズが曇った。
 あてもなく歩いていると、不意にどこからか甘い匂いが漂ってきた。
「いらっしゃいませ!」
 目の前には、翡翠色の着物を纏った可憐な少女と、茅葺き屋根の茶屋が在った。
 すすめられるまま、亀造は紅い野点傘の下の縁台に座る。少女は黄金色の長い髪を靡かせ、少々お待ちください、と笑顔で言い残して店内へ入っていった。
 彼女と入れ違いで、青い髪の青年が現れた。少女と同じ翡翠色の着物。彼も店員なのだろう。いらっしゃいませ、と彼も物腰やわらかに一礼した。
「ようこそ、鳥籠茶房へ。店長代理のアトリと申します。先程ご案内しましたのは、店員のカナリアです。どうぞお見知りおきを」
「はあ、どうも。わたし――いや、俺は鶴橋亀造。心だけ男だ」
 亀造も会釈して挨拶を返す。ワンレングスの長い黒髪に色白な肌の美女が男言葉で話しかけても、動じず爽やかに微笑むアトリ。
「当店にいらっしゃるお客様には、『条件』があるのですよ。あなたも、何かお悩み事がおありなのでしょう?」
 どうしてわかるのだろう、と亀造は瞬きを繰り返す。
「お客様のお悩みを解消するのも、当店の売りのひとつなのです。よろしければ、ご相談ください。お茶菓子はいかがなさいますか?」
「じゃあ、おすすめのものを」
「ありがとうございます。では、当店一押しの『鳥籠饅頭』はいかがでしょうか」
「饅頭か。じゃあそれで」
「かしこまりました。――カナ、鳥籠饅頭ひとつ頼むね」
「はーい!」
 アトリの指示を受け、カナリアが店内へ駆けていく。
 亀造は周囲の景色を眺めた。蒼い空、風にそよぐ木々の葉、鳥や獣の鳴き声、土や花の香り――豊かな自然に満ちている。
 お隣失礼致します、とアトリが隣に座った。
「鶴橋様。先程も申しましたが、当店ではお客様のお悩みの解消に努めております。よろしければ、お話しください」
「悩み、か……」
 言いづらい。初対面で、しかも神秘的な雰囲気の店ともなると余計に。
 ためらっているうちに、カナリアが饅頭を運んできた。
「鳥籠饅頭おひとつ、お待たせしました!」
「ありがと、カナ。さあ、鶴橋様、どうぞ」
「おぉ、サンキュ」
「ごゆっくりどうぞー」
 店内に戻る彼女から受け取った漆塗りの小皿には、てのひら大の焼饅頭が鎮座していた。焼き目の模様が確かに鳥籠風だ。小鳥が羽ばたいている様子も、その中心に描かれている。一口頬張ると、こしあんの程よい甘さが口腔に広がった。思わず目を瞠る。
「うまい……!」
「ありがとうございます。お口に合って幸いです」
 最初の一口を充分に味わってから、亀造は本題を切り出した。
「俺の悩みは、体は女でも心は男ってことで……説明すると長くなるが、いいか?」
「ええ、どうぞ」
 アトリも気を害した様子はない。慣れているのだろう。密かに安堵して言葉を続ける。
「実は、悪い龍のせいで俺は鶴に変化した挙句、鳥インフルを患ったのさ」
「それはお気の毒に……。鳥インフルエンザといえば、致死率も高いですしね」
「ああ。でも、嫁の友人の魔道士――この体の持ち主な。クレアクレイン・クレメンタインって名前なんだが。彼女が俺と入れ替わってくれてさ」
 語るうちに目頭が熱くなり、グスグスと鼻を啜る。そっとちり紙を差し出すアトリに礼を言い、鼻をかんで言葉を続ける。
「彼女は、鳥類と遺伝子が似てる爬虫類も鳥インフル患うだろうって予測して、龍どもに特攻したんだ……国を護るために」
 クレアクレインは、聡明で知的な女流科学者として社交界で名を馳せている。その中身が亀造であることは、彼の周囲では今や嫁しか知らない。
 何故彼女は自分なんかと入れ替わってしまったのだろうと、思い出すたびに胸が押し潰されそうになる。涙も際限なくあふれる。
「龍族と元俺の体は滅びた……優しい彼女の心も。俺は死ぬ運命だったのに、不老不死の彼女が代わりに死んだんだよ! 俺、罪悪感で……」
 鼻を啜ると言葉尻が途切れる。アトリは余計な口を挟まず、じっと亀造の語りに聴き入っていた。
「男に戻りたかったんだが、術がなくてさ。髪だけでも切ろうとしたら、嫁が止めるんだよ。彼女のままでいてあげて、って。俺が女の姿でも、嫁は俺を好きなままなんだ。いいのか、嫁! 俺!」
「奥方様も、鶴橋様とクレメンタイン様のことを大切に想っていらっしゃるのですね」
「それはありがたいんだがなー。いっそ別れて手術で男に戻ってさ、ナンパして……」
 そこまで考えた時点で、亀造は我に返った。クレアクレインがどんな想いで国を護ったのか――あの強靭な決意を無碍にするような行為はできない、してはならない。
「駄目だ! 死んだアイツ、身体弄ったら化けて出るだろうな。それに、女なんて俺不慣れでよぉ。あーもうワカンネェ! 俺、いやわたし、女でいいのか?」
 考えれば考えるほど頭が混乱してくる。嫁からの愛情は変わらず、むしろあの事件後にいっそう深まったとさえ思うが、クレアクレインの姿のままで愛されるのも亀造にとっては非常に複雑ではある。
 悶々としつつ饅頭を食べていると、アトリがやわらかく切り出した。
「鶴橋様は、本来のお姿を取り戻されたいのですね?」
「ああ」
 できることなら、元の姿に戻りたい。クレアクレインとしての立ち振る舞いを周囲から強要され、そのストレスを爆発させてしまうことも少なくない。
 アトリの視線が前方の森に投げられて、亀造も目でそれを追う。高く伸びた木の枝には、見たこともない不思議な色や形をした果実が、いくつもぶら下がっていた。
「この山は、それ自体がひとつの世界のようなものなのです。たまに様々な異界への入口が開きまして、妖怪や魔物等が迷い込むこともあります。もちろん、人間も」
「じゃあ、俺も迷い込んだひとりってことか」
「ええ。鶴橋様と同様のお悩みをお持ちの方も、たまにお越しになるのですよ」
「マジか!」
 驚嘆する亀造。自分と同じ境遇の者がいるなら、是非悩みを分かち合いたい。世界は案外狭いのかもしれない。
 ですから、とアトリはにこやかに提言した。
「それほど深刻になられる必要はありません。クレメンタイン様のお姿になられたことで、新たに経験なさったことは沢山あるでしょう?」
「ああ。なんかやたらと男から声かけられるようになったり、買い物で嫁に女物の服を試着させられたり」
「それも大切なことです。異性の視点では、見えるものも考え方も変わってきます。奥方様との会話も弾んでいるのではありませんか?」
「言われてみれば……」
 そうかもしれない。亀造は肉食系の男だと自負している。異性交遊に関する知識は持ち合わせているつもりだが、クレアクレインの姿でいることで、知らなかった女の要素が徐々にわかってきた。嫁とも近頃は話が合うようになっている。
「最初はとにかく早く戻りたいって思ってたが、クレアにも愛着が湧いてきた気がする」
「良い傾向ですね。元に戻る方法を探される場合は、我々もできる限り情報提供致しますので、お気軽にどうぞ」
 山の澄んだ空気を肺に取り入れる。深呼吸すると、なんだかすっきりした。
 亀造は笑ってアトリに礼を言う。
「ありがとな。ちょっと気が楽になった」
「こちらこそ、お力になれたようで幸いです」
 彼の優しさに癒されつつ、亀造は饅頭の最後の一口を噛みしめた。

 ▼

 お会計はこちらです、と会計所へ案内される。亀造が財布を取り出そうとすると、スッと差し出されたアトリの手に制された。
「お代は頂きません。鶴橋様のお悩みを拝聴しましたので」
「いいのか?」
「ええ。当店は、お客様のお悩みを随時大募集中ですので。また何かお困りでしたら」
 木製の棚をごそごそと探ったアトリは、小さな紐綴じの手帳を取り出し、雪に手渡す。
「来店されたお客様にお渡しする粗品です。それをお持ちでしたら、いつでも当店にまっすぐお越しになれます」
「へぇ。饅頭もうまかったし、気が向いたらまた来るかも」
「ええ、是非」
 手帳を開くと、最初に五十個ほどの升目が描かれた頁があった。アトリがその升目のひとつに、朱肉を付けた判子を押す。楕円の中に『鳥籠』と字の入った判子だ。
「ご来店一回につき、判子をひとつ押させて頂きます。何点か貯めますと景品等ございますので、よろしければご利用ください」
 アトリから手帳を受け取った瞬間、茶房の景色が霧に包まれていく。
 あ、と亀造が声をかけようとした時には、見慣れた舗道に佇んでいた。
 ――帰ってきたのか。
 ずっと抱えていた雨雲じみた重い気持ちは、もうすっかり晴れていた。
 ――さて、買い物済ませるか。
 軽い足取りで、亀造は店から笑顔で出てきた嫁のもとへ歩んでいった。

 ▼

「異性の体になるって、大変だけど楽しそうだなぁ」
「あたし的には、あの人もギャップ萌えかな」
 会計所の来店者名簿に、鶴橋亀造の名を筆で記しながら呟くアトリ。食器の片付けをするカナリアが笑った。
「ああいうのも、ひとつの人生のかたちだよね」
「アトリは、もし体があたしと入れ替わったらなにする?」
「歌ってみる。上手いからね、カナは」
「あは、ありがと。あの人、また来るかな」
「来るよ。悩みがなくても、きっとね」
 ――彼は本来の姿を取り戻すか、彼女の肉体のままで生きるか……これからどうなるかな。
 静かに名簿を閉じ、アトリは密かに笑んだ。
 彼と再会できる日を待ち望みながら。


 了


■登場人物■
8447/クレアクレイン・クレメンタイン/女性/19歳/王配
NPC/アトリ/男性/23歳/鳥籠茶房店長代理
NPC/カナリア/女性/20歳/鳥籠茶房店員

■鳥籠通信■
ご来店、誠にありがとうございました。
アトリからお渡ししたアイテムは、次回以降のシナリオ参加の際に必要となります。
なくさずに大切にお持ちくださいませ。
クレメンタイン様――鶴橋様のまたのお越しをお待ちしております。