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■Spring of the Love■

雨音響希
【3689】【千影・ー】【Zodiac Beast】
 桜の花弁が雨のように降り注ぎ、アスファルトの上に柔らかな絨毯を広げる。延々続く桜並木は、春風に撫ぜられて心地良さそうに身を震わせている。
 甘やかな風の匂いは春特有のもの。霞んだような柔らかな空も、春特有のもの。
 胸の中で支え、蠢いているこの感情もまた、春特有のモノ―――
 狂おしいほどに愛しくて、泣きたいほどに触れたくて、話しかけたくて、こちらを見て欲しくて‥‥。
 こんなに強い感情が自分の中にあるんだと驚くと同時に、それが叶わない事だと知って、辛かった。
 あの人の横顔はいつも何かに耐えているようで、あの人の瞳の奥は暗い物を背負っているようで、決して見せてはくれない心の奥底、入り込む事なんて出来なくて。
 拒絶されると知って、手に入れたかった。優しい断りの言葉は要らない、欲しいのは、受け入れる言葉だけ。
『その願い、叶えてやろうか?』
 背後から聞こえた声に、足を止める。振り返っても、人の姿はない。ただ、揺れる桜並木と、薄ピンク色の絨毯が続いているだけ。
『力ずくでなら、手に入れられる。ただし、こちらを受け入れれば‥‥だが‥‥』
 ザワリ、桜が揺れる。まるで警告を発しているかのように、枝が大きく揺れる。
 そう、きっと危険を知らせてくれているんだろう。魔に魅入られてはいけないと、忠告をしてくれているのだろう。
 でも‥‥‥‥‥
 その提案は、とても魅力的で―――――
 手を伸ばす。何もない宙に、冷たい何かを感じる。指先が震え、恐ろしい何かがスルリと身体を這って来る。
 心臓がギュっと掴まれたような気がした次の瞬間、背後に気配を感じた。冷たく重いそれは、普通ならば気持ちの悪いものだっただろう。けれど今は、その存在に安心感を覚える。
『さぁ、迎えに行こう。力を取り戻す前に―――』



 興信所の薄い扉を開けてスルリと中に身体を滑り込ませると、デスクで頭を抱える草間 武彦の姿があった。肘をつき、両手で顔を覆って何事かを真剣に考えているらしい彼は、扉が開閉する音すら聞こえなかったらしい。
 声をかけようと足を踏み出した時、落ちていたシャーペンを蹴っ飛ばした。コロコロと床を転がる音に気づいた武彦が顔を上げ、来ていたのかと呟くと立ち上がった。
「実は今、厄介な事が起きていてな‥‥‥頼りになりそうな人はいないか、考えていたところだったんだ」
 しゃがみ込み、ペンを取るとデスクの上に戻す。ソファーに座らないかと身振りで示し、自身もドカリとソファーに座る。山積みになっていた新聞紙を乱暴に脇にどけ、雪崩が起きるのも見てみぬふりで煙草を発掘すると、ポケットに入っていたライターで火をつける。
「魔狩人討伐人の当主が突然いなくなったそうなんだ。自分で消えた可能性はない。当主としての自覚のあるヤツだからな。おそらく魔関係のモノに連れ攫われたんだろうが‥‥」
 武彦はそこで言葉を切ると紫煙を吐き出した。
「早いところ見つけ出さないと危険だ。何しろ今はあいつの能力が封じられている時間だ。太刀打ちが出来ない」
 情報は何もない。ただ、この大都会のどこかにいるということだけ―――
Spring of the Love


 春は、出会いがいっぱいある。
 だから千影は、春という季節が大好きだった。
 みんな楽しそうで、空気が甘くて、日差しが暖かくて、なんとなく世界が優しく染まっているような気がして、千影の心も自然と軽くなる。
 春は、夜も綺麗。
 優しい夜風に、淡い月灯かり。どこまでも見守ってくれるお月様は霞がかかったようにボンヤリとしているけれど、千影の足元をしっかり照らしてくれる。
 だから春の夜は、お散歩に一番最適な季節だと思う。
 ついつい、いつもよりも遠くまでお散歩してしまう。
 今日も気づいたら、興信所の前まで来ていた。
 フリルのついた黒いミニスカートをふわりと揺らして立ち止まると、煌々と明かりのついている窓を見上げた。
(まだ起きているから、あそびにいっても良いよね)
 前に、真っ暗だったけど遊びに行ったら、草間武彦に怒られた。そればかりじゃなく、主様もダメだって言っていた。
 夜中に明かりが消えているのは、眠ってしまってる証拠。だから、その日はもう入っちゃダメ。
(でも、今日はまだおきてる)
 千影はにっこりと微笑むと、草間興信所の扉をそっと開けた。
 興信所に入ることによって、夜のお散歩コースが大幅に延長されるとも知らずに。


 一通り武彦から説明を受けた千影は、人差し指をあごにつけると「ん〜」と小さく唸って考え込んだ。
「人探し〜? ……迷子ちゃん?」
「いや、そうじゃなくて……攫われたんだ」
「んっと……困ってるの?」
 コクコクと武彦が頷く。
 なんだかよく分からないけれど、困った人がいるときはなるべく助けてあげなさいと教えられている。
 情けは人のためならず。困っている人を助けると、良いことがいっぱいあると聞いている。きっと、ししゃもがたくさんもらえるのだろう。
「武彦ちゃん、ししゃもいっぱいくれるの?」
「昼神を見つけてくれたら、買ってあげよう」
 千影のグリーンの瞳が、キラキラと輝く。喜びのあまり、陶器のように白いすべらかな頬に赤みが差す。
「聖陽ちゃんが、いなくなっちゃったのは、いつ?」
「三時間から四時間前だ」
 いなくなったのは夜中の六時から七時の間。そう、心のメモに書き記す。
「聖陽ちゃんって、どんな人〜?」
 髪の毛が真っ黒だとか、目の色はブルーだとか、身長は小さいとか。千影は聖陽を知らないため、容姿に関しての情報がほしかった。
「この人だ」
 デスクの上にこれでもかと積みあがった紙の束から、武彦が一枚の写真を抜くと千影に手渡した。元々不安定だった書類の束が、グラグラと揺れたかと思うと雪崩のように床に落ちてしまった。
 困ったような、絶望したような武彦には構わず、渡された写真をじっと見つめる。
 雪にお星様のキラキラをまぶしたような綺麗な銀髪に、太陽のようなピカピカの金の瞳。肌は真っ白で、体つきはほっそりしている。穏やかそうな顔は上品で、柔らかい笑顔は優しそうだった。
「この人が、聖陽ちゃん……」
 元々新しい人に興味を抱きやすい千影だったが、聖陽にはかなり興味を引かれた。綺麗なモノは、大好きだった。
 夜のお散歩に目的が出来て、新しいニンゲンと知り合えて、ししゃもまでたくさんもらえる。今日は、暖かくて桜も咲いてて、お月様もまん丸で綺麗。だから、今日はとても良い日。
「〜♪」
 嬉しそうに写真を見つめる千影は、その場で踊りだしてしまうのではないかと思うほど幸せそうな顔をしていた。
「もう一度言っておくが、昼神は攫われて、かなり危険なことになっているかもしれない。くれぐれも用心して……」
「チカ、探し物得意だよ♪」
 ガクリと武彦の肩が落ちる。とてつもない不安を感じるが、現状では千影に頼るしかない。
「頼んだからな」
「うん! チカに任せて♪」
 満面の笑みで、興信所を後にする。心配そうな武彦が小さくなっていく千影の後姿を見ていたが、パタパタと小さな黒い羽根を揺らした背中は夜の闇の紛れ、見えなくなってしまった。


 人を捜す場合、一人で闇雲に町を駆けずり回るよりも誰かに訪ね歩いたほうが早い。
 その点において、千影はニンゲン以上の情報網を持っていた。
「あのね、聖陽ちゃんを捜してるの」
 真っ暗な社には、月灯かりだけが薄ボンヤリと降り注いでいる。
 ニンゲンは新しいモノが好きで、古いモノは価値のあるものしか好きじゃない。ニンゲンの感覚では、この場所は価値のないものらしく、随分前から手入れをされなくなっていた。
 雑草が生い茂った社で、千影は猫の集会をしている一団に聞き込み調査をしていた。
「そう、ニンゲンよ。キラキラの銀色の髪で、ピカピカの金色の目をしてるの。……ううん、猫みたいだけど、猫じゃないの」
 持っていた写真を見せると、猫たちは「あぁ」と納得したような口ぶりになった。どうやら、聖陽のことを知っているらしい。
「ここら辺りじゃ有名だよ」
「聖陽ちゃん、人気者なの〜?」
「まあな。ほら、目立つだろう、この見た目が。そこらを歩けばニンゲンたちがキャーキャー言うんだ」
「ん〜、キャーキャー……?」
「カッコイイとか、カワイイとか、とにかくメスが騒ぐんだ」
 言われて見れば、確かにニンゲンの美的感覚で見たらカッコイイとか、カワイイのかもしれない。でもそれ以上に、キラキラで綺麗だと千影は思った。
「どうもニンゲンのメスの声は耳に刺さってな」
「でも、その子は悪い子じゃないよ。ほら、三丁目の子が子供産んだ時、助けてくれたじゃない」
 そう言えばそんなこともあったな。頷きあう面々を見て、千影は興味がわいた。
「そのお話、おしえて」
「冬だったんだけどさ、赤ん坊が凍え死にそうになってたんだ。母さんのほうも衰弱しててさ、そんな時にその子が助けてくれたんだよ。赤ん坊も母親もめでたくニンゲンの家に住むことが出来たんだってさ」
 野良であることは自由だけれど、同時に常に命の危険と隣り合わせにある。特に寒い冬は、子猫の命を奪う。
「聖陽ちゃん、いいニンゲンなんだ」
「もし会ったらお礼を言っておいてくれ。オレたちじゃ、言葉が通じないからな」
「分かった♪」
 聖陽ちゃんは、いいニンゲン。
 千影はそう認識すると、猫集会の面々に別れを告げて、再び夜の東京を散歩しだした。
 昼間はニンゲンがたくさんいる公園も、夜になるとガランとしていて寂しい。千影は児童公園を横目に、大通りから一歩入った細い道を南に進んだ。
 薄汚れた住宅がひしめく一角に歩を進め、街灯すらない細い路地を歩く。
 この辺り一帯は、バブルの折に建てられた戸建て住宅が、小さな敷地にパズルのようにひしめき合っている。デザイナーズ住宅として大々的に売り出そうとした矢先にバブルが弾け、結果放置されてしまった。
 新築のまま捨てられた家は、無言で緩やかに廃墟へと化して行っている。元は白かった壁が風雨に汚れ、まるで涙のような茶色い跡をつけている。
 ニンゲンは、新しいモノが好きなのに、コレは好きじゃなかった。
 高いからって言ってた。古いモノは好きじゃないのに、新しいモノは高いと欲しくない。高いと、古いモノがあるからいいやってなる。
 廃墟と化した住宅街の真ん中に打ち捨てられた公園に足を向ける。ボロボロの滑り台に、座る部分が腐ってしまっているブランコ、多分乗っても傾かないシーソー。でもここにも、千影の情報提供者はいる。
「こんばんは、今日は良い満月だね」
「こんばんは、お嬢さん」
 その猫は一瞬ビックリしたように千影を見上げたけれど、すぐに気を取り直したようにのんびりとした口調で答えた。
 キジトラのその猫は結構な老齢だけれども、目に宿る輝きは未だに若いままだった。
「こんな夜中にこんな場所に、どうしたんだい?」
「あのね、聖陽ちゃんを捜してるの。ニンゲンの男の子で、キラキラで、優しいの」
「ニンゲンのオスねえ……」
「でも、ニンゲンじゃないのもいるかも」
 ピクンと老猫のひげが震え、闇の向こうの存在を見るかのように目を細めると、尻尾を揺らめかせた。
「聖陽と言ったね。もしかして、昼神聖陽かね?」
「知ってるの?」
「対のほうに世話になってるからね。そうか……昼が消えたんじゃ、あの子も心配しているな」
 老猫は暫し考え込むように目を瞑った後で、三度耳をパタつかせてから言った。
「おそらく、ニンゲンじゃないモノと一緒にいるだろう。この辺りに昼の気配はないから、きっと方角が違うのだろう。仲間を呼んでも良いが、時間がかかる。でも、お嬢さんならすぐに見つけられるかもしれないな」
 独り言のように呟くと、千影の背中の羽をチラリと見た。
「あそこにこの辺りで一番高いビルがある。あそこからなら、ここら一帯を見ることが出来る」
 老猫の指す方角には、天辺に赤い光を灯した大きなビルが建っていた。
 あの赤い光は、飛行機がぶつからないように目印になるのだときいたことがある。
「お嬢さんなら、見つけられるだろう?」
「うん、ありがとう♪」
 千影は丁寧にペコリと頭を下げると、キジトラの老猫に別れを言って再び夜の街に舞い戻った。


 頭の上でずっと静かに丸まっていたうさぎの静夜が、身じろぎをする。
 高いところに上ると、風を強く感じる。春とは言っても、やはり風はまだ冷たい。
「ここからの桜も綺麗だよね」
 眼下に広がる桜並木を見下ろしながら、風に靡く髪を押さえる。
 こんな夜中でも、東京は眠らない。東京は、一日中蛍のように光り輝いている。それは宝石を散りばめたようで綺麗だけれど、同時にどこか物悲しいとも思う。
 きっと東京は、眠らないんじゃなくて眠れないんだ。
 誰かと一緒にいないと寂しいと思う人たちが、一日中光の番をする。ニンゲンが全員眠らない限り、東京は眠れない。
 グルリと周囲を見渡し、神経を集中させる。こんなに静かで穏やかな夜に、一箇所だけ調和を乱すような空気を放っている場所があった。
「一番ざわざわするのは……あそこだね」
 禍々しい空気と、毒々しい殺気。それはなかなか魅力的な気配だけれど、こんな桜と満月がキレイな夜には似合わない。
 トンと、爪先で一つ音を鳴らしてから、飛び降りる。階段やエスカレーターよりも速い自由落下に、静夜が千影のミント色のリボンにしがみつく。
 桜の木よりも高い位置で、背中の羽を広げる。すうっと滑るように滑空し、目指す廃工場につくと、爪を最大限に伸ばした。二階の壁を切り裂き、ポッカリと開いた穴から滑るように中に入ると、驚いたような顔でこちらを見るニンゲンを見つけた。
 イスに後ろ手に縛られて身動きの出来ない男の人と、大きなナイフを持っている女の人。千影は二人の間に割って入ると、縛られている男性のほうを向いた。
 にっこりと無邪気な笑顔で、爪を引っ込めた右手を差し出す。
「こんばんわ♪初めまして。あたし、チカ。あなたが聖陽ちゃん?」
「……あぁ……」
 まだ状況が理解できていないのか、戸惑いながらも聖陽が頷く。
 銀の粉をまぶしたようなキラキラの髪に、眩しいほどにピカピカの瞳。武彦から預かった写真と同じ顔だったが、その表情は写真よりも冷めていた。
 出したままの右手が取られないことに気づいたのは、暫しの沈黙の後だった。聖陽は手を縛られているから、握手をしたくても出来ない。
「武彦ちゃんに言われてお迎えに来たの」
 引っ込めようとした手を、聖陽の頬に伸ばす。ビクリと肩が震えたけれど、千影は構わずに頬に触れた。
 雪のように白い肌に流れる一筋の血をすくい、口元についている血も拭う。
「いたい?」
「……そりゃ、痛いよ」
「かわいそう……」
 どうやら聖陽は殴られて―――正確に言えば、平手で殴打されて―――ナイフで頬を切られたようだった。
「でも、もうちょっとのガマンだよ」
 頭の上で大人しくしていた静夜を聖陽の膝の上に乗せる。
「うさぎ……?」
「静夜ちゃんだよ。静夜ちゃん、聖陽ちゃんを宜しくネ」
 静夜は承知したとでも言いたげに口元をモクモクさせると、聖陽の周りに結界を張り巡らせた。
「あんた、彼のなんなの?」
 怒りを含んだ低い声に、千影は今まで一切眼中になかった女性のほうに向き直った。
 長い髪は真っ黒で、梳かしていないのかバサバサに絡まっている。目は充血していて、目全体が黄色く濁っていた。
「武彦ちゃんに頼まれたの。迷子ちゃんがいるから、捜してきてって」
「……あたしとの仲を裂くの?」
「 ? 」
「あんたも彼が好きなの?」
「聖陽ちゃん? 嫌いじゃないよ」
 キラキラで優しいニンゲンは嫌いではない。むしろ、普通のニンゲンよりも好きだった。
「彼はあたしのものよ!」
「……聖陽ちゃんは、ニンゲンだからモノじゃないよ」
 女がナイフを持った手を振り上げ、力任せに振り下ろす。その動作はニンゲンにしては速いけれど、千影から見れば全然遅い。軽く横に飛びのいてかわし、再び爪を長く伸ばした。
「チカはちょっと強いよ?」
「彼とあたしの仲を引き裂こうとするヤツは、全員死ねば良い!」
「……聖陽ちゃん、この人と仲良しなの?」
「違う」
 結界の向こうから、金の瞳が不愉快そうに女を見つめる。よく見れば、聖陽の足には大きな錘のついた足枷がしてあった。
「そうだよね、仲良しな人なら、縛ったりぶったりしないもんね……」
「聖陽が悪いのよ……あたしのこと……」
「あなたは、聖陽ちゃんが好きなのね」
 とっても、聖陽が好きなのだろう。自分でもどうして良いのか分からないくらい、狂うほどに聖陽が好きなのだろう。
 大切な人を思う気持ちは、千影にも分かっていた。でも―――
「ニンゲンて言葉があるのに、なんで大切な人のココロを踏みにじって平気なの? チカ、わからない……」
 縛って、殴って、傷付けて、それが大切な人にすることなの?
 大切な人は、傷つかないように守ってあげるもの。そうじゃないの?
「あなたは、聖陽ちゃんじゃなくて自分が大切なんだよ……」
「あんたに……あんたなんかに何が分かるのよ!!」
 絶叫しながら走ってくる女をかわす。滅茶苦茶に刃物を振り回すその姿は、もはや狂気としか言いようがなかった。
 胸元にナイフを構えながら突っ込んでくるのを飛んでかわし、背後に立つ。長い爪をその背中に振り下ろそうとして―――ふっと背後に気配を感じ、振り返った。
「モテモテだな、オニーサン」
 漆黒の長いポニーテールに、両手に持った対の大きな刀。聖陽の髪と同じ色の瞳をした少女は、からかうようにそう言うとニカっと悪戯っぽく笑った。
「うるさい。来るのが遅い」
「せっかく助けに来てやったっつーのに、生意気だねえ」
「聖陽ちゃん、あの子は?」
「夜神魔月!!……あんただけは、あんただけは許さない……聖陽はあたしだけのモノよ! あんたになんか渡さない!」
 千影の問いに答えたのは、女だった。千影を相手にしていたよりも強い邪気を放ちながら、魔月に跳びかかる。
「あーんな捻くれた優男、あたしはイラナイんだけどね……」
 危ない―――そう思った瞬間には、女の背中に蒼白く放電する刀の切っ先が見えていた。魔月はずるずると滑る女の身体を床に横たえ、無表情で刺さっている刀を抜くと、そこで初めて千影の存在に気づいたというように目を丸くした。
「二股とか、おまえも偉くなったもんだな聖陽」
「違う!」
「聖陽ちゃんとチカはお友達だよ♪」
 魔月のクリクリの目が千影の言葉に大きく見開き、途端に吹きだすとおなかを抱えて笑い出した。
「そ、そーか……あの男とお友達! 良かったな聖陽、オトモダチが出来てさ」
 何故笑われているのか分からない千影は、可愛らしく首を傾げたまま、憮然とした顔をする聖陽と、ケラケラ笑いながら縄を外す魔月を見つめていた。


 あの女の人は、死んだわけじゃなかった。
 魔月の持っている刀は魔しか斬れないらしく、背中にしがみついていた魔だけを斬って、あの女の人自体は無事らしい。でもそれは、千影にとってはどうでも良い情報だった。
「後のことは魔月に任せれば大丈夫だ」
 そう言って廃工場を出て行く聖陽の後に続く。魔月にはきちんとお別れの挨拶をしてきた。
 未だに機嫌が悪いのか、憮然としたままの聖陽が、頬にこびりついた血を撫ぜる。魔月は聖陽の怪我を見て「ちったあイケメンになったじゃねえか」と言っていたけれど、千影は怪我をしていない顔の方が好きだった。
「あんた……チカっつったか?」
「うん、千影だよ」
「……そうか。草間に頼まれたって言ってたな」
「うん、武彦ちゃんが、聖陽ちゃんを捜してたのよ」
「そうか。……悪かったな」
「 ? チカ、聖陽ちゃんに謝られるようなこと、されてないよ?」
 聖陽の顔には、困ったなと書いてあった。
 見た目こそ14歳程度の千影だったが、中身はもっと子供だ。子供の扱いに慣れていない聖陽は、どうしたものかと思案した後で、肩にかけた鞄の中からキレイな包み紙を取り出すと千影の手の上に乗せた。
「飴?」
「やる」
「ありがとー♪ でもチカ、ししゃものほうが好きだよ♪」
「……し、ししゃもが鞄から出てきたら、イヤだろ……」
「 ? チカ、嬉しいよ〜?」
 満面の笑みでそう言って、さらに聖陽の顔を“困った”に変える。
 手の上で転がる飴の包み紙にはウサギのイラストが描かれていて、千影は頭の上で大人しくしている静夜の背中を優しく撫ぜた。
「あんたさ……何で言葉があるのに、大切な人の心を踏みにじって平気なのかってきいてたよな」
「うん?」
「きっと、気持ちを言い表すには言葉の数が足りないんだ。気持ちのほうが大きすぎて、言葉だけじゃ足りないんだ」
 その言葉は、分かるようでいて分からなかった。
 感覚的には分かるのだけれど、言葉では理解していないとでも言うべきか―――きっと、この感覚が聖陽の言いたい“言葉では足りない感情”なのだろう。
 だからニンゲンは争うし、人を平気で傷付ける。でも、だからこそニンゲンは人のために自分の身を犠牲に出来るし、誰かを真剣に愛したり出来る。
「あっ! そういえば、チカ伝言頼まれてたんだった。猫ちゃんがね、聖陽ちゃんにありがとうって言っておいてって。子猫を助けてくれたんだよね?」
 かあっと頬に朱がさし、そっぽを向く。多分恥ずかしいという感情の表れなのだろうが、なぜ恥ずかしがっているのか千影には分からなかった。
「……今日は、ありがとう。千影と……うさぎ」
「静夜ちゃんだよ」
「草間にも、お礼を言っておいてくれ。俺は行くところがあるから、ここで……」
 夜でも、東京は明るい。特に駅前は、眠れない人たちが固まって光の番をしている。
「うん、分かった。またね、聖陽ちゃん」
「気をつけて……」
「大丈夫。チカ、夜とはオトモダチなんだ♪」
 キョトンとした顔の聖陽に大きく手を振り、光から逃げるように反対に走り出す。
 空を見上げればまん丸のお月様に、キラキラの星。空気は暖かくて、桜も咲いていて、思い切り夜のお散歩も出来て、聖陽ちゃんともお友達になった。
 だから今日は、千影にとってはとても良い春の夜だった―――



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 3689 / 千影・ー / 女性 / 14歳 / Zodiac Beast


 NPC / 昼神・聖陽