コミュニティトップへ



■名前の読めないテーラー■

小鳩
【7348】【石神・アリス】【学生(裏社会の商人)】
 【名前の読めないテーラー】の店主であるベルベットは、届いた手紙をテーブルの上へ置き、見覚えのあるエンブレムが押された封蝋から解放した。
 眼鏡の縁に指を当て、書かれている文面に目を通す。

「父さんからですか? 布の買い付けに行って、もう、何年経ったでしょうね?」

 オーダースーツの仮縫いを終えたサテンシルクは、難しい表情を浮かべる義姉の横顔を見てから手紙の内容を確認した。
 クセのある筆跡は確かに父のもので、青みを帯びたインクが隊列をなしている。

 店を、おまえたちに任せてどれぐらいの時間が過ぎただろうか。
 まさか、本気でわたしが布の買い付けに行ったと、未だ信じているのかね?
 わたしが店へ帰ることは二度とないだろう。
 だから、決めておきたいことがある。
 テーラーの看板……。風雨にさらされて少々痛み始めているあの看板だ。
 元来、一族の姓が入るはずなのだが、【店】がおまえたちを認めない限り、
 かすれた文字はこの先もずっと読めないままだろう。
 そこでだ。
 店の看板を賭けて、おまえたち二人に競い合って欲しい。
 技を存分に振るって【店】が認める作品を作るがいい。

 我らは人の業を裁(た)ち、縫い、形作る職人である。
 纏う者はそれを第二の皮膚とし、己も知らぬ真実の姿をさらす。
 我らは暴きたて、装わせ、纏う者に幾つかの道を与えるだろう。

 鋏みを取れ! 織られた枷(かせ)を、沈殿した澱(おり)を分けるために。
 針を取れ! 人間の感情の粒状と刹那を糸で繋ぎとめるために。

 おまえの首に掛かるmeasureは、実のところ、
 おまえ自身を測るものなのだと心に留めよ。

「……私は、いつか帰ってくるものだと……」
「ボクも、そう思っていましたよ」

 困惑しているベルベットのすぐ横で、サテンシルクは微塵も心にない返事をした。

「なぜ、いまさら! すでに店主は私だと決まったことではないか」
「そうですね。でも、仮の店主と呼ばれてはベルベットも気分が悪いでしょう?」
「……なん、だと?」
「競い合いも一興ではないですか。ボクはいつ始めていただいても結構ですよ」

 グリーントルマリンのようなサテンシルクの両目を睨みならが、ベルベットは父からの手紙をきつく握り締めた。
 義弟にとって店の看板など“どうでもいい”のは言われるまでもなく、十分わかっていることだ。

名前の読めないテーラー


〜石神・アリス(いしがみ・ありす)〜

 何事に置いても、情報の収集は要(かなめ)であり、人脈は強力な武器となる。
 たとえ、どれほど薄暗く、常闇(とこやみ)が織り込まれたタペストリーであるとしても。

 今日は、一日の半分以上が経過していた。
 昼下がりの鐘の音が聞こえてくる。しかし、何処から流れてくるのかは分からない。
 踏み入った先は今までの道と違い、時が止まった境目のようである。
 髪の長い少女が被るのは、ツバ広クロッシェ型の黒い帽子。涼しげなオーガンジーだ。
「確か、この通りで合っているはず……」
 いつから存在していたか不明だが、次々店をたたむ職人通りで、一軒だけ営業を続けるテーラーがあると言う。
 《テーラー》とは通常、紳士服を専門に仕立てる店を指すが、そこでは靴と下着以外の衣服をすべてオーダー出来るらしい。
 風が吹き、木蔦が日没までの夕日を受けて輝いている。顔を上げれば、煉瓦造りの細長い建物の前にいた。
「コレ、文字……なのかしら?」
 何か書かれているのだが、読めない。
 じっと見詰めれば雨風の跡のようで、また、視線を外せばたちまち霞んでしまう。
 錆びを寄せ付けないドアノブは手のひらで冷たく、陽光を浴びていたようすもない。
 ゆっくり捻(ひね)れば、施錠していたラッチが動く気配。
 なぜか、随分と遠くまで来た気がした。舞台のオペラカーテンが上がったかの、淡い高揚感が湧き上がる。
「ようこそ。本日はお仕立てですか? 繕いですか?」
 広がる空気、石打つ水の厳格さを持った声が響いた。
 女の黒髪は後頭部で一筋も残さずきちんと編まれ、毛先が膝裏まで届いている。瞳孔が見えないほど深い瞳は、何処で焦点が結ばれているのか判断できない。簡素な銀縁眼鏡を掛けていた。
 月白(げっぱく)のシャツと藍鉄のズボン、ブライトン・ブルーのネクタイの中央、留まっているのは小さな銀の蝶。
 斜め後ろ、微笑でたたずむ青年は、同じくシャツとズボン姿で、一切の蝕みを拒絶するプラチナの髪が印象的だ。鮮やか過ぎる緑の両目が毒を香らせているのだが、注意深く見なければ多くは気が付かないだろう。
 ラージャルビーのネクタイを金の葡萄のタイピンで留めている。
 来客者である少女は物怖じせず一礼して述べた。
「ドレスを一着、お願いしたくて参りましたの」
「……ほう。だが、祝宴を楽しむためではなさそうだ」
 女は左手を腰へ当て、唇の片端を引き上げる。
「私はベルベット。こちらは弟のサテンシルク。職人は二人いる。指名は客人の自由だが?」

 姉弟? 似ていないわね。
 東と西が絶妙なバランスで一つになった姉。
 西の贅(ぜい)、有機無機を網羅して完成された弟。
 どちらを選んでも間違いないなら……。

「ベルベットさん。あなたを指名いたします。美しい容姿をされてますもの」
 職人は顔を見合わせた。お互い鏡に見立て確認した後、弟は右手の平を天へ向け、『お客様の審美眼の通りでしょうね』と括(くく)った。
「嗜好ですので、お気になさらないで」
 継いだ言葉で、サテンシルクは本当の笑みを見せる。
「どのような選択もご自身の指針です。ボクたちは分け入る道を少しでも進めるよう、守護するのが使命ですから」
 彼は会釈してホールの一番奥、ステンドグラスの扉まで向かった。
 沈黙していたベルベットは二歩前へ進み、右足を引いてから右手を体に添え、左手を横へ水平に差し出した。秀麗な動作はダンスの申し出を思わせる。
「さて、小さな淑女よ。名前を頂戴しようか」
「石神アリスと申します」
 光彩へアリスの姿が映ったかと思うと、職人の瞳の輪郭が仄青いリングを描く。女の背後、幾つもの瞬きが発生し、青く輝く蝶の形で少女の髪と頬を梳(す)いて通り過ぎていった。
「……蝶……、ですか?」
「角度は人それぞれだな。おまえの過去と現在をなぞらせてもらうぞ」
 ベルベットは肩から採寸メジャーを下ろし、斜眼してから呼びかけた。
「シュガー・ニードル!」
“……ここに……”
「客人はドレスを所望だ。私とおまえの手で仕上げよう」
“御意! 喜んで!”
 返事の後、アリスの足元へ白い影が現れる。どう見ても猫のぬいぐるみだ。
 黒蝶貝の丸い目と茶蝶貝のハート型の鼻。首には青いリボンと、鈴蘭の浮き彫りがされた銀の針入れが、細い鎖で繋がれている。
“僭越(せんえつ)ながら、このプティ・シュもお手伝いさせていただきます”
 《人工精霊》は短い手足でベルベットと同じお辞儀をした。
「採寸と同時進行で、布を当てながら仮縫いだ」
 レールもなしで、白いカーテンが二人と一匹を取り囲んで重なり合う。見る間にホールが大きな試着室と化した。
「望みを聞こう」
「あるパーティーへ着ていくための黒いドレスを」
「……黒は最も強い色だぞ。全身を包む自信があるのか?」
「わたくし、追われるウサギではありませんので」
「では、狩り場へ向かう『狩衣』という訳だな」
 ベルベットがピンクッションから待ち針を引き抜き床を指す。板の何枚かが外れて五種類の闇が舞い上がり、白いカーテンの内側を一周した。
「黒には二面性がある。どちらへ傾くかは着る者次第だ。始めるぞ」
“帽子とバッグをお預かりいたします”
 空中で浮かぶ猫がアリスの持ち物を受け取り、チェストの見える場所へ置いた。
 メモリで刻まれたメジャーが零れてきた光りを跳ね返す。裄丈、袖丈、胸囲、大腕囲、腹囲、尻囲……、ドレス全体を支える部分であるバスト、アンダーバスト、ウエストを測り終えると、ぬいぐるみの助手が、次々、黒いシルクを当てていく。
「光沢が強い分、チュールで調和させよう」
“ラインを固定するなら、刺繍入りのがございます”
「裾が遊びすぎないよう押さえるぞ」
“胸元を直線でおさめるなら、もう少し甘さがあってもよろしいのでは?”
「幅広のリボンを前で結ぶ。優美さはドレスに不可欠だ」
 アリスは職人と掛け合いをしているぬいぐるみを注視した。気づいた白猫が“にっこり”笑った気がして目を逸らす。
 ちょっと変わった……。いや、特異な店であることは確かだ。
 プティ・シュが移動式の大きな姿見を運んでくる。
「仮縫いだが、全体を見てもらおうか」
 絹とチュール、レースとサテンを使ったドレスは、裏地も含め五つの黒の組み合わせで仕上げられていた。
 基本の黒は艶やかな絹、ウエストから見事なドレープが動くたび表情を変える。
 チュールが作るボリュームと軽やかさへ加え、胸の前の大きなリボンが上品な中、愛らしさも足されていた。
 背の中央はサテンのクロスで閉じられ、古典的な雰囲気もある。
「これなら、暗躍する輩と対面しても自分らしさを損なわず胸を張れます」
 満足そうな表情をしたアリスの横で、パイル生地の猫が何度も頷いていた。

「お疲れでしょう。少し休憩してください」
 サテンシルクが三段重ねのティースタンドを運んでくる。
 黒大理石へピエトラ・デュラ細工で白大理石が埋め込まれたワゴンの車輪は、つや消しの銀だ。
 薄紫のシート布地はコットンとシルクの混紡、フレームと背もたれはローズウッド。支える四つ足の曲線が可憐な椅子をすすめられた。
 低めのテーブルの上、スタンドが丁寧に置かれる。小花模様のポットから白いティーカップへ注がれたのは濃い深紅色の渦、底まで澄み切っている。隣へミルクピッチャーが添えられていた。
 ベルベットは休憩用の丸椅子へ腰かけ、小粒の角砂糖を何個か放り込み、カップを傾けている。横向きの背筋が綺麗に伸びていた。
 目の前の三段目は胡瓜とクリームチーズのサンドイッチ。二段目はスコーン。一番上段にはチェリータルトとチョコレートムース、オレンジゼリーが涼を感じる。
 厚みのあるトレーにクロテッドクリームとブルーベリージャムものせられていて、完璧なアフタヌーンティーだ。
 アリスは作法通り一番下の段から手をつけていく。
 母が美術館経営をしているため出歩くこともしばしばだが、流行りのティールームよりずっと上質だ。
 さりげなく置いてあるアンティークも英国のものが多く、華やかでないにしろ品がある。

 お茶が楽しくいただけそう。

 時間を忘れるほど和らいだ頃、ベルベットが椅子から離れ、準備をしている白い従者を呼び止めた。
「代行を命じる。使命を果たせ」
“主、よろしゅうございましたね”
「何がだ?」
“ドレスのご依頼は久しぶりです”
「……そうだな。躍れ白猫。存分に」
“はい。腕を振るわせていただきます”
 舞踏の指示で忠実なる僕(しもべ)は、針入れから指貫と針を解放し、抜く手も見せず、晴れやかな円舞をしてみせた。
 黒い花が咲いてなびき、間から一瞬だけ覗いたのは……。
◇◇◇
 完成したドレスは形が崩れないよう持ち手付きの専用箱へ収められ、青いリボンが巻かれた。
「どう扱うかで、主としての品格が試される。狩りが成功することを祈ろう」
「充実した時間でした。これは、わたくしの気持ちです」
 アリスは実家の美術館のチケットを差し出した。職人は鳥と似てゆっくり瞼を落とす。
「言っておくが、おまえの石化は効かないぞ」
「まあ、そんなこと……」

 少しは、想像もしたけれど。感がよろしいのね。

「私は雨の降る日以外、うろつくことができない身だ」
 ベルベットは変わらず無表情だが、客人からチケットを受け取る。
「雨の日……。覚えておきますわ」
 アリスが背を向け片手を振った。

「またのお越しをお待ちしております」



----------------------
■登場人物■
----------------------

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

◆PC
7348 石神・アリス(いしがみ・ありす) 女性 15 学生(裏社会の商人)

☆NPC
NPC5402 ベルベット(べるべっと) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5403 サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)
NPC5408 シュガー・ニードル(しゅがー・にーどる) 無性 14 サーヴィター


------------------------
■ライター通信■
------------------------

大変お待たせいたしました。ライターの小鳩と申します。
このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
少しでも気に入っていただければ幸いです。

石神・アリス 様。

お久しぶりでございます。
このたびは【名前の読めないテーラー】へのご来店誠にありがとうございます。
ベルベットへのご依頼。とのことで『黒いドレス』のオーダー承りました。
職人同士の競い合い、この度は姉ベルベットの一勝となりました。
初の女性のご来店でしたので、ちょっとしたお茶会も交えてみました。
ふたたびご縁が結ばれ巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。